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12巻
12-2
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「ドランさん、フェニアさん、ネルネシアさん、クリスティーナさん、レニーアさん、お疲れ様です!」
無数の視線を浴びながら、ガロア魔法学院の友人達が腰掛けている所に到着すると、私の二人の婚約者のうちの一人、大蛇の下半身をピンと伸ばして立ち上がったラミアのセリナが、ぶんぶんと手を振っていた。
私達が近づくと、ドラミナ、黒薔薇の精ディアドラも続いて声を掛けて来た。
「皆、無事に勝利を得られて真に喜ばしいですね。次の試合もご活躍を期待しています」
「言いたい事はセリナとドラミナに言われちゃったから、私からはお疲れ様とだけ言っておくわ。ほら、早くお座りなさいな。あんまり疲れてはいないようだけれど、立ちっぱなしよりはましでしょう」
にこにこと満面の笑みを浮かべて私達を迎えるセリナを皮切りに、私達の試合を応援していた学友のファティマやイリナ、途中から観戦に加わった水龍皇の龍吉、その娘の瑠禹などからも勝利を喜ぶ言葉が次々と出た。
もっとも、深紅竜のヴァジェだけは押し黙ってこちらを見ただけだった。
私はセリナとドラミナの間に座り、私の後ろにイリナとレニーアといった具合に腰を落ち着けて、次の試合の開始を待つ。
この戦いの勝利校が、明日の二回戦で当たる事になる。
試合会場では、破壊された舞台が撤去され、予備の舞台が魔法で浮遊した状態で運び込まれている。
そんな光景を見ながら、龍吉が薄い垂れ布越しに笑いを噛み殺して話し掛けてきた。
「お久しぶりです、ドラン殿。それにしても、いささか派手な試合でしたね」
エクスに対して精霊魔法で応じた事に後悔はないが、少しばかりやりすぎて、試合進行に支障をきたしてしまった点は反省している。
「去年の競魔祭の映像と比べて、エクスの一年間の成長が著しくてね。こちらもつい力を入れすぎた」
「左様でございますか。他の皆さんも、お相手をした甲斐のあった、見事な戦いぶりでした。もっとも、ドラン殿に関しては何もして差し上げられませんでしたけれど」
「私としては、随分とお世話になったと感謝するばかりだよ。それにしても、三人はどうしてここに、と尋ねてもいいかね?」
一応、他者の耳のある場所だから、この場に龍宮国国主にして水龍皇が居るとは知られないよう、私と龍吉にしか聞こえないように魔法を使って問いかけた。
『仮にも龍宮国の国主である君がこの観客席に居るという事は、王国との付き合い方を改めたのかい?』
龍吉の治める龍宮国は、同じく海を拠点とする人魚や魚人など、水棲の知的種族との付き合いこそあれ、地上に拠点を置く人類の諸種族とは基本的に交流がないとされている。
海魔達に攫われたり、あるいは難破したりした者達を救って送り届けた例はあっても、国家規模での関わりはない、と龍吉自身の口から聞いている。
「ふふ、そこは国家機密という事で……」
笑いを含む龍吉の声が、もはや答えそのものであった。
なるほど。海魔との戦いが一区切りついたのが切っ掛けとなったのか、それとも私がアークレスト王国に籍を置いている事が理由なのか。
いずれにしても、公式に王国となんらかの関係を持つ、という方針だろう。
地上の諸種族からすれば伝説の中の存在である龍宮国と国交を持つとなれば、王国の上層部はかなり騒がしい事になっているに違いあるまい。
「ふむ、深くは追及しまい。しかし、瑠禹、ヴァジェ、二人はまだ私には慣れないかな?」
「は、はい、あのこれまで通りにと心掛けてはいるのですが、どうしても、その……心の奥の方で身構えてしまうのです」
「…………」
しどろもどろになってはいるものの、私に返事をした瑠禹はまだマシだが、ヴァジェは私の顔を見るなりかちんこちんに固まり、息をする事さえも忘れている。
まあ、卒倒したり土下座したりしなくなった分だけ、少しは進歩したと前向きに受け止めよう。
この分では、ヴァジェが以前みたいに強気な態度を取るようになるのに、何年かかるか分かったものではない。
それから私は、ヴァジェの態度が急変した理由をファティマから厳しく追及されて、事情の全てを暴露する事も出来ずに、大苦戦を強いられてしまったのだった。
†
翌日、私達ガロア魔法学院は、第二試合を勝ち抜いた王都のアークレスト魔法学院との対戦に臨んだ。
エクスらタルダット魔法学院との試合で、ガロア魔法学院の評価は競魔祭前とは段違いに上がっており、その中でも特に私やレニーアへの警戒の度合いは全く別物となっている。
アークレスト魔法学院は、最近では魔装鎧と呼ばれる比較的歴史の浅い、新しい魔法武具の研究開発を得意としている。
王国の名を冠した王都の魔法学院を相手に、私達の先鋒はフェニアさん、次鋒はレニーア、そして中堅は私、副将はネル、大将はクリスティーナさんという布陣だ。
第一試合、第二試合のフェニアさん、レニーアは順当に新型の魔装鎧を纏う相手選手を降し、私は決勝進出を懸けて中堅戦に挑んでいる最中だった。
「おおおーっと、ドラン選手、キルエルシュ選手の魔装鎧を相手に真っ向から斬り合いを挑んでおります。一回戦での精霊魔法はどこへやら、今回は格闘戦の実力を披露するようです!!」
解説の道化師ハーメルが言う通り、私は竜爪剣を右手左手と持ち変えながら、キルエルシュ選手と真っ向から斬り結んでいる。
この魔装鎧、大まかに言うと動力機関を内蔵した、魔法で動く巨大な鎧である。
キルエルシュという男子生徒が使っているのは、私のおおよそ三倍の大きさを誇る深い青色の魔装鎧で、大きく膨らんだ丸い肩や煙突のように縦に伸びている兜が特徴だ。
キルエルシュは分厚い装甲に守られた胸部の操縦席に乗りこみ、ホムンクルス作成技術の応用で培養された、擬似神経で繋がった魔装鎧を肉体の延長として操っている。
「精霊魔法もそうでしたが、ドラン選手は驚嘆すべき精度と魔力量で身体能力を強化していますね。それに魔眼化した瞳で、キルエルシュ選手の魔装鎧〝ギルダム〟の魔力の流れを看破し、次の挙動を見抜いて立ち回っています。魔法戦士としても超一級ですよ」
幸いな事に、アークウィッチから先日の試合での狂騒ぶりは消え去っており、平常心を取り戻しているようだ。
あの様子ならばすぐに絡まれる心配はあるまい。
「おお、ますますメルル女史からの評価が高まっていますよ、ドラン選手」
「キルエルシュ選手の魔装鎧も、今すぐ実戦に投入しても問題がないくらいに完成度が高い代物です。生半可なゴーレムでは相手にすらならないでしょう。ただ、色々と仕掛けが多いようですから、その分複雑な機構で、故障の危険性と整備の難しさが気になります。それを補う為か、鎧全体に高度な反射魔法が施されています。かなり強力な魔力付与や法儀式が施された武器でなければ、打ちこんだ瞬間に簡単に破壊されてしまいますよ」
魔装鎧ギルダムは、右手には切っ先が扇状に開いた大剣を、左手にはこれまた大きな棍棒を携えていた。
ガロア魔法学院の予選会で戦ったマノスが操ったガルゲンスト以上の馬力と、擬似神経接続による操縦に対する反応速度は瞠目に値する。
超重量の物体をこうも素早く動かすとは……内蔵された魔力炉の出力もさる事ながら、各部品に施された軽量化や硬化魔法の精度、関節部の工夫も素晴らしい。
「食らえ!」
魔装鎧の内部からくぐもったキルエルシュの声が聞こえてくるのと同時に、ギルダムの左手内側の装甲が開いて内蔵されていた筒の先端が私へと向けられた。
直後、私を襲ったのは、火精石から抽出された火属性の魔力の放射である。
ぐわっと広がる橙色の火炎を、私は竜爪剣の一閃で斬り散らす。
火炎が消え去り、遮られていた私の視界が再び開けた時、ギルダムの背からせり出した二つの砲門が私を捕捉していた。
砲塔の基部には箱型の弾倉があり、加工された魔晶石が込められている。そこから砲塔内部に刻み込まれた術式で魔力を抽出し、高圧縮された魔力の砲弾が放たれるという仕組みらしい。
「おおおお!!」
懐に潜り込もうと駆ける私を目がけ、ギルダムの魔力砲から緑色の純魔力砲弾が連続して発射される。
砲口から緑色の光の飛沫を散らしながら音よりも早く放たれる純魔力砲弾を、私は竜爪剣でことごとく斬り捨てて霧散させた。
使いこなせば砦一つ落とせそうな性能の魔装鎧を学生が製作するとは、いやはや見事だ。しかし、だからといって負けるわけにはいかないのでな。
「ふんっ!」
純魔力砲弾を斬り捨てる作業を行いながら、右足で床を蹴って跳躍し、空いている左足でギルダムの腹部へ回し蹴りを叩き込む。
分厚い鋼鉄の門や巨大な鐘を思いきり叩いた時を思わせる轟音と共に、ギルダムの巨体が仰向けに倒れ込む。
「なんという事でしょうか! ドラン選手、蹴り一発でキルエルシュ選手のギルダムを転倒させてしまいました。信じられない蹴りの威力! ギルダムの分厚い腹部の装甲が凹んでおります! 巨人族か、アンタは!」
何を見当違いな事を。私はただ魂が竜であるというだけで、どこに出しても恥ずかしくない、正真正銘の人間である。ふむん。
「稼働域を確保する為に比較的薄くなっている箇所を狙うかと思いましたが、重心の関係からギルダムを転倒させられる箇所を狙ったようですね。あれだけの巨体を前にすれば少しくらい萎縮しそうなものですが、ドラン選手の胆力は大したものです。今日までの試合を見た限り、ドラン選手はあらゆる面で規格外ですね。これだけの原石が埋もれていたとは……」
実況と解説はさておき、キルエルシュがギルダムを立て直すよりも早く、私は動いていた。地属性の加重力拘束魔法で相手の動きを封じつつ、ギルダムを破壊出来るだけの理魔法を叩き込む。
「地の理よ 見えざる汝の腕にて 我が敵の足を封じよ ジオバインド」
概ね十倍から二十倍の重力を対象に与える魔法だが、ギルダムの出力ならばキルエルシュを守りながら拘束を振りきる事は出来るだろう。
それでも、止めを叩き込むのには充分な時間は得られる。
「降り注げ、セレスティアルジャベリン」
詠唱破棄して発動した魔法が、天空より無数の巨大な槍となってギルダムへと降り注ぐ。エンテの森での魔兵達との戦闘や予選会でも使用した、私のお気に入りの魔法だ。
私の魔力と高効率の基幹術式により、他の魔法使いが行使した場合よりも遥かに高い威力を持つ【セレスティアルジャベリン】は、動けぬギルダムを容赦なく貫いた。
「うおおおおおおおああああ!?」
脅威に晒されるキルエルシュの叫び声を、直撃するセレスティアルジャベリンによる破砕音が呑み込んでいく。
そして最後の槍がギルダムの防御魔法と装甲を貫き、キルエルシュに致命の一撃を加える寸前。ジャッジメントリングの防御障壁が発動して彼を守った。
私の勝利が確定した瞬間である。
実況のハーメルとアークウィッチが試合終了と勝利宣言を発した。
これで三勝。私達の決勝進出は確定し、副将戦と大将戦の結果を問わず、残るはハルト率いる昨年優勝校との決勝戦だけであった。
†
「やだやだやだやだやだやだ、い~や~だ~。お兄ちゃんの所に行くの、行くったら行くの!! びえええええええええええ」
恥も外聞もこの世の果てに全力投球して泣き喚いているのは、バハムートによって強制的に竜界へと連行されたアレキサンダーである。
彼女は銀髪金眼の人間の少女姿のまま、竜界の中心部近くにある浮遊島の上に放り出されていた。
満開の桜が一億本ほど群生した一画で、花びらの絨毯の上に仰向けに寝転び、じたばた暴れて抗議を続けている。
だが、既にこの場にバハムートの姿はなかった。
たまたま竜界へと繋がってしまった地上世界から、こちらへと足を踏み入れた人間達との交渉に出向いている為だ。
バハムートに代わってアレキサンダーの相手をしているのは、三柱の神竜達である。
黄色の鱗に五枚の翼、三本の尻尾と二つの赤い目を持ったイエカ。
桜色の鱗に四枚の翼、一本の尻尾と三つの青い目を持ったサクオ。
灰色の鱗に二枚の翼、一本の尻尾と四つの緑色の目を持ったハイロ。
イエカとサクオは女竜、ハイロは男竜だ。いずれもドランやアレキサンダーには遠く及ばないながら、地上世界に住まう龍吉や瑠禹、ヴァジェ達がその許しを得るまでは顔を上げる事も畏れ多いとおののく高次存在である。
手足を振り回してわんわん泣き喚くアレキサンダーを中心にして竜の姿で大地に降り立ったイエカ達は、自分達の頂点の一角たる者のこのような態度には慣れているのか、特に慌てた様子はない。
イエカ達は、始祖竜が自らを裂いた時に生じた、最も古く、最も強い部類の神竜達で、その分アレキサンダーとの付き合いも長い。
故に、多感な時期を面倒臭い方向に特化してこじらせたようなアレキサンダーの性格を熟知している。
だからこその落ち着きようであったし、アレキサンダーが一切手加減せずに周囲へと放つ激情を正面から受けてもケロリとした顔をしていられるのは、それだけの実力を持っているからだった。
流石は古神竜に次ぐ位階の神竜達と言うべきであろう。
竜界にはごまんといる神竜達だが、彼らすべてが大神級の存在なのである。
「どれだけ泣き喚いても、バハムート様は心変わりしませんよ~」
「イエカの申す通りですよ、アレキサンダー様。かの邪神とさえ出くわさなければ、今頃はドラゴン様とお会いになっていたでしょうから、悔やまれるお気持ちも理解出来ますが、無駄な事は無駄とご納得くださいな」
おっとりとアレキサンダーを宥めるイエカと比べると、サクオは随分と毒を含んだ台詞を吐く。
かつてサクオ達三柱は、ドラゴンが七勇者達に討たれた時、怒り狂ったアレキサンダーが地上世界へ殴り込みをかけようとしたのを必死で止めた側の神竜達で、サクオはその時の事を若干根に持っているのかもしれない。
「サクオ、そんな事を言ってはますますアレキサンダー様の臍が曲がってしまう。それを分かった上で言っているだろう? お前は以前からアレキサンダー様に対して容赦がないが、もう少し敬おうと、努力だけでもしてはどうだ?」
ハイロはやれやれと呆れ顔で首を振る。
「うふ、すみません。アレキサンダー様があまりに可愛らしく、親しみやすい御方であらせられるから、つい」
つい――と、サクオが口にするのと同時に、アレキサンダーの泣き声が更なる爆発を起こした。
「びえええええ、うわあああああ~~~んん! バハ兄のばかぁ、びゃかああ、うええええんんん!!」
「ほら、こうなるのは火を見るよりも明らかであろうに」
危惧した通りの展開になり、ハイロの若い男の声音に、疲れ切った老人を思わせる疲労の色が滲んだ。
アレキサンダーはサクオの言葉を受けて更に大きく咽び泣く。
その影響は笑い事では済まされない。ここが竜界でなかったら無限の並行世界も多次元世界もまとめて破壊し尽くされる事態が生じているところなのだ。
鼻も頬も耳も真っ赤に染めてわんわん泣くアレキサンダーを見て、サクオは竜の顔立ちながら誰が見ても見間違いようのない笑みを浮かべた。
ほくそ笑む、というやつである。
「あらあらぁ……」
「サクオちゃん、そんなに楽しそうに口にしてはいけませんよ~」
「うふ、ごめんなさい。それにしても、ドラゴン様が関わると、アレキサンダー様は本当に子供になってしまいますわね。普段は古神竜としての矜持からか、もっと毅然とした態度で振る舞っていらっしゃるのに」
「サクオちゃんはその態度を崩すのが好きなんでしょ~」
イエカとサクオはこの古神竜を宥めようという気はあまりなく、どちらかというとアレキサンダーがバハムートの言いつけを破ってドランのもとへと向かわないように、ただ監視だけするつもりのようだ。
ハイロは半ば諦めの境地へと達していて、一刻も早くバハムート様にお戻りいただくか、あるいはリヴァイアサン様かヨルムンガンド様に来ていただく他ないと、内心で祈っていた。
他にも始原の七竜はいるが、ヒュペリオンはすぴすぴと寝息を立てて深い眠りに落ちているし、ヴリトラは今日も今日とて竜界やその他の世界を無軌道に飛び回っているから、アレキサンダーを止める助けは期待出来ない。
幸い、リヴァイアサンは既に状況を把握してこちらに向かって来てくれているから、大いに心強い。
やはり頼りになるのは長女と長男だ。
ドランの竜界来訪以来、ヨルムンガンドは何かと遠くを見ている事が多かったが、アレキサンダーの醜態は流石に目に余るのか、今はこちらを注視しているのが、ハイロにも感じられた。
万が一、アレキサンダーが愚挙を犯した場合、残念ながらハイロ達三柱ではそう長く足止めは出来ない。
彼らが大神級の実力者とはいえ、そもそも大神達が束になっても敵わないのが始原の七竜という超越者達なのだ。
彼らが食い止めている間に他の七竜の兄妹達が来ないと、最悪の場合アレキサンダーは地上世界へと降り立ってしまう。
自業自得ではあるが、竜界の長たるバハムートの怒りを招いたとあっては、流石にアレキサンダーが気の毒であるし、事情を知ったドランも複雑な心境に陥るであろう。
この三柱達の中では最も生真面目なハイロは、一番穏便な結果を望み、泣き喚くアレキサンダーが落ち着くのを切に願っていた。
幸い、彼の危惧が現実のものとなる事はなく、競魔祭決勝戦でドランの番が回って来るや否や、アレキサンダーはピタリと泣くのをやめて地上世界を注視しだしたのだった。
呆気なく危機が去り、ハイロは肩透かしを食らった気分になった。イエカは呑気に〝よかったよかった~〟と言い、サクオは少しばかりつまらなそうな顔で肩を竦める。
竜界に住む竜種達は、地上世界の龍吉やヴァジェ達のように過剰な期待と幻想を抱いていない分、古神竜の残念な姿を見てもそれほど幻滅する事はなかった。
もっとも、相手がアレキサンダーだからなのかもしれないけれど。
†
今年のアークレスト王国競魔祭の決勝戦は、昨年の優勝校である南のジエル魔法学院と、昨年とは比較にならない戦力を揃えた北のガロア魔法学院の対戦になった。
二回戦を終えたガロア魔法学院の面々は、程度の差はあるが自分達の実力ならば優勝可能だと確信して、心静かに三日目の決勝戦を待っている。
一方、魔法学院生最強の一角に数えられるハルト率いるジエル魔法学院の面々に満ちていたのは、諦観。大袈裟に言えば絶望であった。
ジエル魔法学院の生徒達の為に用意された宿舎は、大貴族の邸宅として用いても問題ない瀟洒なもので、王都の都市としての規模と格を端的に表していた。
小市民的な感覚からは感嘆せずにいられない豪華な建物だ。
ハルトの個室に集まったジエル魔法学院の代表選手達は、一人の例外もなく顔に沈鬱な色を浮かべている。
理由は改めて語るまでもない。決勝戦で彼らが戦わなければならないガロア魔法学院の規格外の強さである。
「まさに、なんというか、さ。去年とは比べ物にならないよな、ガロアは」
室内に満ちる重苦しい雰囲気を払おうと口を開いたのは、ハルトであった。
ドランが〝魂を弄られている〟と見抜いたこの少年は、右が黄金、左が銀に変色した瞳に疲労を滲ませながらも笑みを浮かべて明るく振る舞う。
ハルト達は椅子を寄せて車座になり、ガロア魔法学院の五名が一回戦と二回戦で見せた戦闘と、事前に入手した情報から、彼らの弱点を見つけ出そうと話し合っていた。
だが、どうにも弱気だ。
「そう、ね。去年出ていたフェニアやネルネシアにしても、今年はまるで別人。ネルネシアがエクスに雪辱を果たす為に相当修練を積んできた事は想像出来るけれど、それにしても、成長しすぎだわ」
ハルトに応じたのは、陽光を思わせる暖かな金色の髪を腰に届くまで長く伸ばし、金色の輝きに包まれているとでも表現すべき、華のある美貌を誇る少女であった。
夜空を流れる星の尾のようにすらりとした鼻梁の線や、強い意思の光を宿すアメジストを思わせる瞳、絹の如き健康的な肌を持った美少女。
容貌の見事さもさる事ながら、数百年にわたって連綿と受け継がれてきた貴種特有の傲慢さを孕む高貴な雰囲気が、相対した者の意識を惹く事だろう。
ドラン達が遊びに行った港町ゴルネブを含む、アークレスト王国南方に広大な領地を持つ大貴族、リンネス侯爵家の息女、アンナマリーである。
フェニアやネルネシア同様に、大貴族にして魔法使いの血統でもある彼女は今年三年生。昨年から二年連続で競魔祭に出場を決めた才媛だ。
天賦の才を持ちながら弛まぬ努力を欠かさない――努力する天才なのだが、そのアンナマリーから見ても、今年のガロア魔法学院は溜息が出る程の強敵らしい。
無数の視線を浴びながら、ガロア魔法学院の友人達が腰掛けている所に到着すると、私の二人の婚約者のうちの一人、大蛇の下半身をピンと伸ばして立ち上がったラミアのセリナが、ぶんぶんと手を振っていた。
私達が近づくと、ドラミナ、黒薔薇の精ディアドラも続いて声を掛けて来た。
「皆、無事に勝利を得られて真に喜ばしいですね。次の試合もご活躍を期待しています」
「言いたい事はセリナとドラミナに言われちゃったから、私からはお疲れ様とだけ言っておくわ。ほら、早くお座りなさいな。あんまり疲れてはいないようだけれど、立ちっぱなしよりはましでしょう」
にこにこと満面の笑みを浮かべて私達を迎えるセリナを皮切りに、私達の試合を応援していた学友のファティマやイリナ、途中から観戦に加わった水龍皇の龍吉、その娘の瑠禹などからも勝利を喜ぶ言葉が次々と出た。
もっとも、深紅竜のヴァジェだけは押し黙ってこちらを見ただけだった。
私はセリナとドラミナの間に座り、私の後ろにイリナとレニーアといった具合に腰を落ち着けて、次の試合の開始を待つ。
この戦いの勝利校が、明日の二回戦で当たる事になる。
試合会場では、破壊された舞台が撤去され、予備の舞台が魔法で浮遊した状態で運び込まれている。
そんな光景を見ながら、龍吉が薄い垂れ布越しに笑いを噛み殺して話し掛けてきた。
「お久しぶりです、ドラン殿。それにしても、いささか派手な試合でしたね」
エクスに対して精霊魔法で応じた事に後悔はないが、少しばかりやりすぎて、試合進行に支障をきたしてしまった点は反省している。
「去年の競魔祭の映像と比べて、エクスの一年間の成長が著しくてね。こちらもつい力を入れすぎた」
「左様でございますか。他の皆さんも、お相手をした甲斐のあった、見事な戦いぶりでした。もっとも、ドラン殿に関しては何もして差し上げられませんでしたけれど」
「私としては、随分とお世話になったと感謝するばかりだよ。それにしても、三人はどうしてここに、と尋ねてもいいかね?」
一応、他者の耳のある場所だから、この場に龍宮国国主にして水龍皇が居るとは知られないよう、私と龍吉にしか聞こえないように魔法を使って問いかけた。
『仮にも龍宮国の国主である君がこの観客席に居るという事は、王国との付き合い方を改めたのかい?』
龍吉の治める龍宮国は、同じく海を拠点とする人魚や魚人など、水棲の知的種族との付き合いこそあれ、地上に拠点を置く人類の諸種族とは基本的に交流がないとされている。
海魔達に攫われたり、あるいは難破したりした者達を救って送り届けた例はあっても、国家規模での関わりはない、と龍吉自身の口から聞いている。
「ふふ、そこは国家機密という事で……」
笑いを含む龍吉の声が、もはや答えそのものであった。
なるほど。海魔との戦いが一区切りついたのが切っ掛けとなったのか、それとも私がアークレスト王国に籍を置いている事が理由なのか。
いずれにしても、公式に王国となんらかの関係を持つ、という方針だろう。
地上の諸種族からすれば伝説の中の存在である龍宮国と国交を持つとなれば、王国の上層部はかなり騒がしい事になっているに違いあるまい。
「ふむ、深くは追及しまい。しかし、瑠禹、ヴァジェ、二人はまだ私には慣れないかな?」
「は、はい、あのこれまで通りにと心掛けてはいるのですが、どうしても、その……心の奥の方で身構えてしまうのです」
「…………」
しどろもどろになってはいるものの、私に返事をした瑠禹はまだマシだが、ヴァジェは私の顔を見るなりかちんこちんに固まり、息をする事さえも忘れている。
まあ、卒倒したり土下座したりしなくなった分だけ、少しは進歩したと前向きに受け止めよう。
この分では、ヴァジェが以前みたいに強気な態度を取るようになるのに、何年かかるか分かったものではない。
それから私は、ヴァジェの態度が急変した理由をファティマから厳しく追及されて、事情の全てを暴露する事も出来ずに、大苦戦を強いられてしまったのだった。
†
翌日、私達ガロア魔法学院は、第二試合を勝ち抜いた王都のアークレスト魔法学院との対戦に臨んだ。
エクスらタルダット魔法学院との試合で、ガロア魔法学院の評価は競魔祭前とは段違いに上がっており、その中でも特に私やレニーアへの警戒の度合いは全く別物となっている。
アークレスト魔法学院は、最近では魔装鎧と呼ばれる比較的歴史の浅い、新しい魔法武具の研究開発を得意としている。
王国の名を冠した王都の魔法学院を相手に、私達の先鋒はフェニアさん、次鋒はレニーア、そして中堅は私、副将はネル、大将はクリスティーナさんという布陣だ。
第一試合、第二試合のフェニアさん、レニーアは順当に新型の魔装鎧を纏う相手選手を降し、私は決勝進出を懸けて中堅戦に挑んでいる最中だった。
「おおおーっと、ドラン選手、キルエルシュ選手の魔装鎧を相手に真っ向から斬り合いを挑んでおります。一回戦での精霊魔法はどこへやら、今回は格闘戦の実力を披露するようです!!」
解説の道化師ハーメルが言う通り、私は竜爪剣を右手左手と持ち変えながら、キルエルシュ選手と真っ向から斬り結んでいる。
この魔装鎧、大まかに言うと動力機関を内蔵した、魔法で動く巨大な鎧である。
キルエルシュという男子生徒が使っているのは、私のおおよそ三倍の大きさを誇る深い青色の魔装鎧で、大きく膨らんだ丸い肩や煙突のように縦に伸びている兜が特徴だ。
キルエルシュは分厚い装甲に守られた胸部の操縦席に乗りこみ、ホムンクルス作成技術の応用で培養された、擬似神経で繋がった魔装鎧を肉体の延長として操っている。
「精霊魔法もそうでしたが、ドラン選手は驚嘆すべき精度と魔力量で身体能力を強化していますね。それに魔眼化した瞳で、キルエルシュ選手の魔装鎧〝ギルダム〟の魔力の流れを看破し、次の挙動を見抜いて立ち回っています。魔法戦士としても超一級ですよ」
幸いな事に、アークウィッチから先日の試合での狂騒ぶりは消え去っており、平常心を取り戻しているようだ。
あの様子ならばすぐに絡まれる心配はあるまい。
「おお、ますますメルル女史からの評価が高まっていますよ、ドラン選手」
「キルエルシュ選手の魔装鎧も、今すぐ実戦に投入しても問題がないくらいに完成度が高い代物です。生半可なゴーレムでは相手にすらならないでしょう。ただ、色々と仕掛けが多いようですから、その分複雑な機構で、故障の危険性と整備の難しさが気になります。それを補う為か、鎧全体に高度な反射魔法が施されています。かなり強力な魔力付与や法儀式が施された武器でなければ、打ちこんだ瞬間に簡単に破壊されてしまいますよ」
魔装鎧ギルダムは、右手には切っ先が扇状に開いた大剣を、左手にはこれまた大きな棍棒を携えていた。
ガロア魔法学院の予選会で戦ったマノスが操ったガルゲンスト以上の馬力と、擬似神経接続による操縦に対する反応速度は瞠目に値する。
超重量の物体をこうも素早く動かすとは……内蔵された魔力炉の出力もさる事ながら、各部品に施された軽量化や硬化魔法の精度、関節部の工夫も素晴らしい。
「食らえ!」
魔装鎧の内部からくぐもったキルエルシュの声が聞こえてくるのと同時に、ギルダムの左手内側の装甲が開いて内蔵されていた筒の先端が私へと向けられた。
直後、私を襲ったのは、火精石から抽出された火属性の魔力の放射である。
ぐわっと広がる橙色の火炎を、私は竜爪剣の一閃で斬り散らす。
火炎が消え去り、遮られていた私の視界が再び開けた時、ギルダムの背からせり出した二つの砲門が私を捕捉していた。
砲塔の基部には箱型の弾倉があり、加工された魔晶石が込められている。そこから砲塔内部に刻み込まれた術式で魔力を抽出し、高圧縮された魔力の砲弾が放たれるという仕組みらしい。
「おおおお!!」
懐に潜り込もうと駆ける私を目がけ、ギルダムの魔力砲から緑色の純魔力砲弾が連続して発射される。
砲口から緑色の光の飛沫を散らしながら音よりも早く放たれる純魔力砲弾を、私は竜爪剣でことごとく斬り捨てて霧散させた。
使いこなせば砦一つ落とせそうな性能の魔装鎧を学生が製作するとは、いやはや見事だ。しかし、だからといって負けるわけにはいかないのでな。
「ふんっ!」
純魔力砲弾を斬り捨てる作業を行いながら、右足で床を蹴って跳躍し、空いている左足でギルダムの腹部へ回し蹴りを叩き込む。
分厚い鋼鉄の門や巨大な鐘を思いきり叩いた時を思わせる轟音と共に、ギルダムの巨体が仰向けに倒れ込む。
「なんという事でしょうか! ドラン選手、蹴り一発でキルエルシュ選手のギルダムを転倒させてしまいました。信じられない蹴りの威力! ギルダムの分厚い腹部の装甲が凹んでおります! 巨人族か、アンタは!」
何を見当違いな事を。私はただ魂が竜であるというだけで、どこに出しても恥ずかしくない、正真正銘の人間である。ふむん。
「稼働域を確保する為に比較的薄くなっている箇所を狙うかと思いましたが、重心の関係からギルダムを転倒させられる箇所を狙ったようですね。あれだけの巨体を前にすれば少しくらい萎縮しそうなものですが、ドラン選手の胆力は大したものです。今日までの試合を見た限り、ドラン選手はあらゆる面で規格外ですね。これだけの原石が埋もれていたとは……」
実況と解説はさておき、キルエルシュがギルダムを立て直すよりも早く、私は動いていた。地属性の加重力拘束魔法で相手の動きを封じつつ、ギルダムを破壊出来るだけの理魔法を叩き込む。
「地の理よ 見えざる汝の腕にて 我が敵の足を封じよ ジオバインド」
概ね十倍から二十倍の重力を対象に与える魔法だが、ギルダムの出力ならばキルエルシュを守りながら拘束を振りきる事は出来るだろう。
それでも、止めを叩き込むのには充分な時間は得られる。
「降り注げ、セレスティアルジャベリン」
詠唱破棄して発動した魔法が、天空より無数の巨大な槍となってギルダムへと降り注ぐ。エンテの森での魔兵達との戦闘や予選会でも使用した、私のお気に入りの魔法だ。
私の魔力と高効率の基幹術式により、他の魔法使いが行使した場合よりも遥かに高い威力を持つ【セレスティアルジャベリン】は、動けぬギルダムを容赦なく貫いた。
「うおおおおおおおああああ!?」
脅威に晒されるキルエルシュの叫び声を、直撃するセレスティアルジャベリンによる破砕音が呑み込んでいく。
そして最後の槍がギルダムの防御魔法と装甲を貫き、キルエルシュに致命の一撃を加える寸前。ジャッジメントリングの防御障壁が発動して彼を守った。
私の勝利が確定した瞬間である。
実況のハーメルとアークウィッチが試合終了と勝利宣言を発した。
これで三勝。私達の決勝進出は確定し、副将戦と大将戦の結果を問わず、残るはハルト率いる昨年優勝校との決勝戦だけであった。
†
「やだやだやだやだやだやだ、い~や~だ~。お兄ちゃんの所に行くの、行くったら行くの!! びえええええええええええ」
恥も外聞もこの世の果てに全力投球して泣き喚いているのは、バハムートによって強制的に竜界へと連行されたアレキサンダーである。
彼女は銀髪金眼の人間の少女姿のまま、竜界の中心部近くにある浮遊島の上に放り出されていた。
満開の桜が一億本ほど群生した一画で、花びらの絨毯の上に仰向けに寝転び、じたばた暴れて抗議を続けている。
だが、既にこの場にバハムートの姿はなかった。
たまたま竜界へと繋がってしまった地上世界から、こちらへと足を踏み入れた人間達との交渉に出向いている為だ。
バハムートに代わってアレキサンダーの相手をしているのは、三柱の神竜達である。
黄色の鱗に五枚の翼、三本の尻尾と二つの赤い目を持ったイエカ。
桜色の鱗に四枚の翼、一本の尻尾と三つの青い目を持ったサクオ。
灰色の鱗に二枚の翼、一本の尻尾と四つの緑色の目を持ったハイロ。
イエカとサクオは女竜、ハイロは男竜だ。いずれもドランやアレキサンダーには遠く及ばないながら、地上世界に住まう龍吉や瑠禹、ヴァジェ達がその許しを得るまでは顔を上げる事も畏れ多いとおののく高次存在である。
手足を振り回してわんわん泣き喚くアレキサンダーを中心にして竜の姿で大地に降り立ったイエカ達は、自分達の頂点の一角たる者のこのような態度には慣れているのか、特に慌てた様子はない。
イエカ達は、始祖竜が自らを裂いた時に生じた、最も古く、最も強い部類の神竜達で、その分アレキサンダーとの付き合いも長い。
故に、多感な時期を面倒臭い方向に特化してこじらせたようなアレキサンダーの性格を熟知している。
だからこその落ち着きようであったし、アレキサンダーが一切手加減せずに周囲へと放つ激情を正面から受けてもケロリとした顔をしていられるのは、それだけの実力を持っているからだった。
流石は古神竜に次ぐ位階の神竜達と言うべきであろう。
竜界にはごまんといる神竜達だが、彼らすべてが大神級の存在なのである。
「どれだけ泣き喚いても、バハムート様は心変わりしませんよ~」
「イエカの申す通りですよ、アレキサンダー様。かの邪神とさえ出くわさなければ、今頃はドラゴン様とお会いになっていたでしょうから、悔やまれるお気持ちも理解出来ますが、無駄な事は無駄とご納得くださいな」
おっとりとアレキサンダーを宥めるイエカと比べると、サクオは随分と毒を含んだ台詞を吐く。
かつてサクオ達三柱は、ドラゴンが七勇者達に討たれた時、怒り狂ったアレキサンダーが地上世界へ殴り込みをかけようとしたのを必死で止めた側の神竜達で、サクオはその時の事を若干根に持っているのかもしれない。
「サクオ、そんな事を言ってはますますアレキサンダー様の臍が曲がってしまう。それを分かった上で言っているだろう? お前は以前からアレキサンダー様に対して容赦がないが、もう少し敬おうと、努力だけでもしてはどうだ?」
ハイロはやれやれと呆れ顔で首を振る。
「うふ、すみません。アレキサンダー様があまりに可愛らしく、親しみやすい御方であらせられるから、つい」
つい――と、サクオが口にするのと同時に、アレキサンダーの泣き声が更なる爆発を起こした。
「びえええええ、うわあああああ~~~んん! バハ兄のばかぁ、びゃかああ、うええええんんん!!」
「ほら、こうなるのは火を見るよりも明らかであろうに」
危惧した通りの展開になり、ハイロの若い男の声音に、疲れ切った老人を思わせる疲労の色が滲んだ。
アレキサンダーはサクオの言葉を受けて更に大きく咽び泣く。
その影響は笑い事では済まされない。ここが竜界でなかったら無限の並行世界も多次元世界もまとめて破壊し尽くされる事態が生じているところなのだ。
鼻も頬も耳も真っ赤に染めてわんわん泣くアレキサンダーを見て、サクオは竜の顔立ちながら誰が見ても見間違いようのない笑みを浮かべた。
ほくそ笑む、というやつである。
「あらあらぁ……」
「サクオちゃん、そんなに楽しそうに口にしてはいけませんよ~」
「うふ、ごめんなさい。それにしても、ドラゴン様が関わると、アレキサンダー様は本当に子供になってしまいますわね。普段は古神竜としての矜持からか、もっと毅然とした態度で振る舞っていらっしゃるのに」
「サクオちゃんはその態度を崩すのが好きなんでしょ~」
イエカとサクオはこの古神竜を宥めようという気はあまりなく、どちらかというとアレキサンダーがバハムートの言いつけを破ってドランのもとへと向かわないように、ただ監視だけするつもりのようだ。
ハイロは半ば諦めの境地へと達していて、一刻も早くバハムート様にお戻りいただくか、あるいはリヴァイアサン様かヨルムンガンド様に来ていただく他ないと、内心で祈っていた。
他にも始原の七竜はいるが、ヒュペリオンはすぴすぴと寝息を立てて深い眠りに落ちているし、ヴリトラは今日も今日とて竜界やその他の世界を無軌道に飛び回っているから、アレキサンダーを止める助けは期待出来ない。
幸い、リヴァイアサンは既に状況を把握してこちらに向かって来てくれているから、大いに心強い。
やはり頼りになるのは長女と長男だ。
ドランの竜界来訪以来、ヨルムンガンドは何かと遠くを見ている事が多かったが、アレキサンダーの醜態は流石に目に余るのか、今はこちらを注視しているのが、ハイロにも感じられた。
万が一、アレキサンダーが愚挙を犯した場合、残念ながらハイロ達三柱ではそう長く足止めは出来ない。
彼らが大神級の実力者とはいえ、そもそも大神達が束になっても敵わないのが始原の七竜という超越者達なのだ。
彼らが食い止めている間に他の七竜の兄妹達が来ないと、最悪の場合アレキサンダーは地上世界へと降り立ってしまう。
自業自得ではあるが、竜界の長たるバハムートの怒りを招いたとあっては、流石にアレキサンダーが気の毒であるし、事情を知ったドランも複雑な心境に陥るであろう。
この三柱達の中では最も生真面目なハイロは、一番穏便な結果を望み、泣き喚くアレキサンダーが落ち着くのを切に願っていた。
幸い、彼の危惧が現実のものとなる事はなく、競魔祭決勝戦でドランの番が回って来るや否や、アレキサンダーはピタリと泣くのをやめて地上世界を注視しだしたのだった。
呆気なく危機が去り、ハイロは肩透かしを食らった気分になった。イエカは呑気に〝よかったよかった~〟と言い、サクオは少しばかりつまらなそうな顔で肩を竦める。
竜界に住む竜種達は、地上世界の龍吉やヴァジェ達のように過剰な期待と幻想を抱いていない分、古神竜の残念な姿を見てもそれほど幻滅する事はなかった。
もっとも、相手がアレキサンダーだからなのかもしれないけれど。
†
今年のアークレスト王国競魔祭の決勝戦は、昨年の優勝校である南のジエル魔法学院と、昨年とは比較にならない戦力を揃えた北のガロア魔法学院の対戦になった。
二回戦を終えたガロア魔法学院の面々は、程度の差はあるが自分達の実力ならば優勝可能だと確信して、心静かに三日目の決勝戦を待っている。
一方、魔法学院生最強の一角に数えられるハルト率いるジエル魔法学院の面々に満ちていたのは、諦観。大袈裟に言えば絶望であった。
ジエル魔法学院の生徒達の為に用意された宿舎は、大貴族の邸宅として用いても問題ない瀟洒なもので、王都の都市としての規模と格を端的に表していた。
小市民的な感覚からは感嘆せずにいられない豪華な建物だ。
ハルトの個室に集まったジエル魔法学院の代表選手達は、一人の例外もなく顔に沈鬱な色を浮かべている。
理由は改めて語るまでもない。決勝戦で彼らが戦わなければならないガロア魔法学院の規格外の強さである。
「まさに、なんというか、さ。去年とは比べ物にならないよな、ガロアは」
室内に満ちる重苦しい雰囲気を払おうと口を開いたのは、ハルトであった。
ドランが〝魂を弄られている〟と見抜いたこの少年は、右が黄金、左が銀に変色した瞳に疲労を滲ませながらも笑みを浮かべて明るく振る舞う。
ハルト達は椅子を寄せて車座になり、ガロア魔法学院の五名が一回戦と二回戦で見せた戦闘と、事前に入手した情報から、彼らの弱点を見つけ出そうと話し合っていた。
だが、どうにも弱気だ。
「そう、ね。去年出ていたフェニアやネルネシアにしても、今年はまるで別人。ネルネシアがエクスに雪辱を果たす為に相当修練を積んできた事は想像出来るけれど、それにしても、成長しすぎだわ」
ハルトに応じたのは、陽光を思わせる暖かな金色の髪を腰に届くまで長く伸ばし、金色の輝きに包まれているとでも表現すべき、華のある美貌を誇る少女であった。
夜空を流れる星の尾のようにすらりとした鼻梁の線や、強い意思の光を宿すアメジストを思わせる瞳、絹の如き健康的な肌を持った美少女。
容貌の見事さもさる事ながら、数百年にわたって連綿と受け継がれてきた貴種特有の傲慢さを孕む高貴な雰囲気が、相対した者の意識を惹く事だろう。
ドラン達が遊びに行った港町ゴルネブを含む、アークレスト王国南方に広大な領地を持つ大貴族、リンネス侯爵家の息女、アンナマリーである。
フェニアやネルネシア同様に、大貴族にして魔法使いの血統でもある彼女は今年三年生。昨年から二年連続で競魔祭に出場を決めた才媛だ。
天賦の才を持ちながら弛まぬ努力を欠かさない――努力する天才なのだが、そのアンナマリーから見ても、今年のガロア魔法学院は溜息が出る程の強敵らしい。
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