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12巻
12-3
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続いて口を開いたのは、彼女の傍らに腰掛けた、同じ金色の髪とアメジストの瞳を持った美青年。
猛禽類を思わせる眼差しと彫りの深い顔立ちは、いくらでも女性の心を射止められそうな男の色香を醸し出ている。
「その二人も厳しいが、クリスティーナとレニーア、それにあのドランの三人ときたら……もはや手が付けられんぞ。我が王国で彼らの相手を出来る者が、〝アークウィッチ〟や〝砦落とし〟といった大魔法使い以外に何人いるか」
アンナマリーの双子の兄で、リンネス侯爵家嫡男のベルドだ。
妹と同じく魔法と戦いの才能に恵まれたこの青年は、一昨年、昨年、今年と三年連続で競魔祭に出場し、見事な戦いぶりを見せて、リンネス侯爵家の麒麟児として社交界に知られる傑物だ。
侯爵家の跡継ぎとしての責任感から、普段は家族にも弱音を吐かない青年だが、今回ばかりはいささか声に覇気がない。
名高きリンネス侯爵家の麒麟児でも、人間かどうか怪しい面子ばかりのガロア魔法学院が相手では、どうしても旗色が悪い。
「ねえねえ、ハルト。正直、ハルトの目から見て、どう?」
アーレクレスト王国には珍しい褐色の肌と艶やかな黒髪を持ち、全身から活力を発している少女が、よく動く大粒の瞳をハルトに向けた。
ジエル魔法学院の代表選手を務めるミライラだ。
周りが落ち込んでいる時でも明るく笑みを絶やさない元気印の娘だが、今は周囲の重たい雰囲気に呑まれかけている。
「そうだな、クリスティーナもレニーアもドランも、まだ本気じゃないだろうな。一回戦も二回戦も余裕を残していたと思う。戦い方だけ見れば同じ魔法剣士のクリスティーナが一番やりやすいんだが、純粋な剣の技量じゃあっちが上だな。それに、あの付与魔法を無効化した神通力に、魔力と闘気の複合障壁なんか、かなり厳しい要素だ」
一層仲間の士気を下げかねないと理解しつつも、ハルトは嘘を吐かず自身の胸の内を正直に明かした。
彼が剣を振るいはじめたのはここ数年の事だが、その大部分を文字通り命懸けの戦いに投じてきた分、彼の剣技は目を見張るものがある。
正統な流派を学んだわけではないので、技術の面では拙さがあるものの、それを補って余りある鋭さと勢いを誇るが、クリスティーナが相手では白旗を掲げるしかない。
ジエル魔法学院最強のハルトに敗色が濃厚と吐露されて、室内の空気はますます重くなる。
少しくらいその雰囲気を変えようと意見を出したのは、ジエル代表の五人ではなかった。
ハルトが椅子に立てかけておいた二振りの剣のうち、柄も鍔も真っ黒な直剣から男の声が響いた。
『そんな落ち込むなよ、ハルトよぉ。おめえさん達の言っているクリスティーナな、ありゃ〝超人種〟だぜ。それもかなり格の高え奴だ』
軽薄な調子で使い手に話しかけた黒い直剣に続いて、その隣に立てかけられている、全てが白一色に染められた優美な弧を描く刀からも、鈴を転がしたように美しくそれ以上に厳かな声が響く。
『バルホースの言う通りぞ。生半可な剣士でもなければ、生半可な超人種でもない。アレほどの格の主ならば、主神格の魂をその身に降ろしても砕け散る事はなかろうな』
黒い直剣がバルホース、白い刀はキリシャナという名前で、自意識を持ち、喋る魔剣達である。
このように自意識を持つ武具や道具の作り方は、素体に一から作り出した意識を付与するか、あるいは既に存在している意識を宿すかの二通りの方法があるという。
この二振りがどのようにして作られたかはさておき、ハルトにとっては実に頼りになる相棒達だった。
「バルとキリシャナがそこまで言うほどなのか……。超人種ってのは前に何かの本で読んだ事があったな。確か、神々が作り出そうとした完全なる〝人〟に近い、突然変異によって生じる人間の上位種だっけ?」
そんなハルトの疑問に答えたのはキリシャナである。まだ年若い少女の声音であるが、聞く者の心と体を引き締め、厳粛な気持ちにさせる強い力を持つ声だった。
『然り。神々は偉大にして絶大なるも、全能ではなかった。故に、求めた通りの存在を創造する事は叶わず、今地上に生きる人間達が創造されたのだ。人間の上位種たる超人種は血統ではなく、突如として出現する為、極めて希少なのだが、クリスティーナほど霊格の高い個体は我も初めて見る。かの者の神通力や尋常ならざる剣の冴えの大きな理由であろうな』
『おれぁ、姉御程超人種の事を理解しちゃいねえが、今のハルトでも相手をするのはやばいと思うね。これが安全を確保されている試合じゃなかったら、何が何でも逃げろって忠告するところさ』
意識を持つ剣として、この場に居る誰よりも長く存在してきたキリシャナとバルホースの言葉の重さに、誰もが押し黙る。
これ以上言葉を発するのが恐ろしい空気だが、それでも一際小柄な少女――ユーキがキリシャナに問いかけた。
「じゃじゃ、じゃあ、あのレニーアちゃんはどうかな? 王国最強のアークウィッチよりも思念魔法が上手っていうのは……うん、正直どうしようもないんじゃないかなとか思うけれど、でもでも、何か弱点でもあるかな~って。あんまりやる気なさそうだし。ほら、一回戦でも二回戦でも試合開始からしばらくは何にもしないで、攻撃を受けるばっかりだったし、その間にどうにか出来れば何とかならないかな?」
『ユーキよ、これ以上お前達に鞭打つような真似をしたくはないが、あのレニーアなる娘はますますもって手が付けられぬ』
『おれも姉御と同意見。あっちはあっちでクリスティーナって嬢ちゃんとは違う方向でやべえやべえ。何よりよ、あのちびっこの眼差しがやばいって。周りの人間を人間と思っている目じゃねえもんよ。あんな目をする奴は、よっぽどだぜ』
『うむ、バルホースの言葉は正しい。我もあれほど邪悪な魂は久しく見ておらぬ。しかし、それにしては、妙に清廉な面を持っているのがますますもって奇妙だが……。どうしてガロアの者達があのように和気あいあいと過ごせるのか、真に理解に苦しむ。名の知れた大悪魔、あるいは爵位級悪魔や魔王の生まれ変わりと言われても、我は疑わぬぞ』
「人間の上位種の次は、大悪魔か魔王の生まれ変わり……どうしよう、ハル君、ますます状況が悪くなっちゃったよぉ。せめて何か明るい話題でもって思ったのにぃ~」
ユーキの見た目の幼さに良く似合った声と甘え方は、さて微笑ましいと言うべきなのか、それともあざといと言うべきなのか……
今のハルトにはそんな事を気にしている余裕はなかった。
ユーキとしては、自分はガロア魔法学院の誰が相手でも勝てる気がまったくしないから、ハルトに一縷の望みをかけて聞いたのだが、返って来た答えがこれでは、泣きたくもなるというものだ。
一方ハルトは、全幅の信頼を置く二振りの魔剣の言葉に頭痛を覚え、力なく苦笑した。
「ユーキの気遣いにはいつも助けられているよ。ただまあ……ここまで来たら、最後まで聞こうぜ」
「そうね。問題は、あのドランなのよね? ハルトの見立てでは、ガロア魔法学院で一番手強いって事だけど」
アンナマリーの言葉に、ハルトは真剣な表情で力強く頷く。
彼女はハルトの恋人であり、大恩人でもある。
ハルトは元々別の世界の住人であったが、ある日突然何者かの力によってこの世界に召喚されたという稀有な過去を持つ。身寄りも行くあてもなく、一人途方に暮れていた彼を助けてくれたのが、アンナマリーなのだ。
召喚の際に魂を弄られた影響なのか、〝こちら〟で目を醒まして以来、銀の髪と金と銀の瞳という姿に変わったこの少年は、最強の敵を確かに見抜いていた。
ただ、実力の違いを正確に把握していたわけではなかったが。
「ああ、何しろエクスを倒しているし、キルエルシュの魔装鎧を相手にあれだからな。本当に人間なのか怪しいもんだよ」
冗談めかして言ったハルトであったが、この場に居た全員が真に受けて口を閉ざしてしまった。
こりゃ失敗したな――と、ハルトは密かに舌打ちする。
昨年エクスと戦ったからこそ、彼は今年のエクスの劇的な成長ぶりを他の誰よりも理解している。故に、霊的知覚をも妨害する水蒸気の中で何か尋常ならざる事態が起きていたのではないかと想像していた。
キルエルシュの魔装鎧との戦いでドランが途方もない実力を隠し持っているのではないかという予感は確信に変わるが、一方で、彼が本当の意味で――たとえば殺し合いをするような――敵ではない事に、ハルトは安堵した。
ハルト達も昨年はリンネス侯爵領を巡る暗闘に身を置き、強大な魔獣や凄まじい実力で知られた邪悪な魔法使いらを相手に戦い、相当の修羅場をくぐり抜けてかなり成長したという自負があった。
しかし、それは既に子供が作った砂の城のように脆く崩れている。
『まあ、ハルトがそう言いたくなる気持ちも分からあね。精霊魔法でエクス坊主と互角以上にやりあうわ、あんだけ強力な魔装鎧をぶちのめすわ。付け入る隙がありゃしねえんだもんよ。昔のおれでも戦うのなんざ御免だね。で、実際やり合う羽目んなったら、どーすんのよ?』
「そりゃあ、殿下や学院長も見ているんだから、逃げるわけにはいかないだろ? どんな相手だって同じ生徒なんだし……」
〝勝ち目がなくても〟と口にしないあたりは、ハルトの男としての意地か、あるいはほんのわずかでも勝機を見出しているからか。
『バルよ、ハルトの言う通り、どうしようもあるまい。何しろ試合なのだから、逃げる選択肢はないのだ。我もバルも、ハルトの刃としての役目を果たす。あのドランは底も天井も計りしれぬ。胸を借りるつもりで行け。その方が幾分か気は楽であろう?』
「まあ、少しはね。おれがドランと当たるって決まったわけじゃないけれど、彼が最強の敵と考えておいて損はない。もっとも、他の四人だって全力で挑んでどれほど勝てる確率があるか……」
結局のところ、ガロア代表は全員規格外揃いなのだ。
ジエル魔法学院の五人も当然の屈強なる精鋭であり、特にハルトは頭一つ抜けた実力者である事は間違いない。
ただ、そんな彼らでも、戦う前から諦めの泥沼に浸かってしまうほど、今年のガロア魔法学院の面子がおかしいだけである。
特に、競魔祭前はこれといって注目されていなかったドランが、前評判を覆すとんでもない怪物だった事は、ハルト達だけでなく他の魔法学院の生徒や関係者達全員にとっては最悪の予想外の出来事だった。
そしてハルト達は競魔祭決勝戦の朝を迎える事となる……
†
各魔法学院の学院長達は、その役職とは別にアークレスト王国の貴族位を持ち、要職に就いている。その立場上、競魔祭の間に用意される個室は生徒達よりも上等なものである。
高級な調度品が揃えられ、より快適に過ごせるように繊細な配慮がなされた広い室内で、ガロア魔法学院長オリヴィエは黒晶石のテーブルに着いて、黄金色の蜜水を飲んでいた。
競魔祭決勝戦を明日に控えた夜。
光の精霊の力を結晶化した光精石を用いたランプが室内を明るく照らし、夜の闇が忍び寄る事を阻んでいる。
オリヴィエの容貌は人々の思い描くエルフの理想像の一つといえる。
しかし今、その怜悧な美貌に、よほど観察力に長けた者でなければ気付けないような薄い疲労の翳が差している事を、対面に座していたディアドラは見抜いていた。
「ふふ、随分とお疲れの様子ね、オリヴィエ」
ディアドラは花の蜜ではなく、荒れ地の開拓に用いられる濃縮栄養剤を希釈した薄緑色の液体を飲みながらそう言った。
彼女は古い友を労う為に部屋を訪れていたのだ。
「ディアドラが相手では、そうそう隠しきれませんね」
オリヴィエは魔法学院の長としての肩書きを忘れて、いくらか胸の内を吐露する決意を固めた。
かつてエンテの森に存在した王国の最後の王女であり、エンテ・ユグドラシルの姫巫女を務めた事もある彼女は、エンテの森の住人達から多大なる畏敬の念を向けられている為、対等な立場で気軽に話せる相手は少ない。
その数少ない例外がディアドラである。
「貴女との付き合いは長いし、深さもそれなりだと思っているわ。それにしても、王都に来る前から随分と悩ましげにしていたけれど、ここに来てからはますます顕著ねえ。貴女は結構神経は太いと思っていたけれど、応えているみたいじゃない」
「ふぅ、そうですね。初めてエンテ様と交感した時よりも緊張を強いられている……いえ、違いますね。これは罪悪感と申し訳なさかしら。それに、周りの追及を躱す為に、口を動かす羽目に陥りましたので、少々疲れてしまいました」
そう言ってオリヴィエはグラスを呷り、水差しから二杯目を注いだ。
「ふぅん、まあ、何を追及されたかなんて簡単に察しが付くわね。私、森の外の者達の強さってあまり知らなかったけれど、ここ数日の試合を見て、ドラン達は異常だって事が良く分かったわ。ドランとレニーアはそもそも魂が違うし、クリスティーナも厳密には人間ではないから比較する事が間違いだって分かっていたけれど、フェニアとネルネシアも、他の学院の生徒達と比べると別格の強さだったわね。今のところ、あの子達と肩を並べられるのって、ドランに負けたエクスって子くらいじゃない?」
「ええ、フェニアとネルネシアは元々伸び代がありましたが、ここ最近の〝特訓〟で異常な成長を見せました。同世代の中では、世界規模で考えても破格の強さでしょう。そんなあの子達と互角に戦えるだろうエクスは、本物の天才です。大精霊リリィアに随分と好かれているようですし、将来的には精霊王の召喚が出来るようになるかもしれません」
「へえ、私も同意見よ。あの霧の中でドランがちょっとおまけをしてあげたみたいだし、エクスは歴史に名を残す使い手になるのではないかしら? 見せられたモノの重圧に、魂か精神が潰れなければ、だけれどね。それで……貴女はそんなエクスを倒したドランの事でうるさく聞かれたんでしょう? 彼は貴族というわけではないから、魔法学院を卒業したら引き抜くのが比較的簡単だと思われているでしょうしね。世情に疎い私でも、それくらいは簡単に想像がつくわ」
オリヴィエは静かに首肯して答えた。
「ええ、その通りです。どのような指導方法でフェニア達の実力を伸ばしたのか、そしてドランのあの実力は一体何事かと問いを重ねられました。私も彼らと逆の立場だったなら、全く同じ質問をしたでしょうけど、される側はやはり疲れるものです。第一、説明のしようがないではないですか。あのドランという生徒は、マイラール神やケイオス神すら凌駕する伝説の古神竜ドラゴンの生まれ変わりだから強いのです、などと……言えるわけがありません」
「それはそうよね。ドランが人間として振る舞っているから実感しづらいけれど、本来なら世界樹エンテ・ユグドラシル様でも比較にならない高位の存在ですものね。ドランが古神竜だなんて知られたら、王国の上層部とか、色んな神様の教団も動かざるを得ないでしょう? それに、そうなったら自粛してくださっている天上の神々だって口を出したくなるでしょうし……王国はかつてない混乱の坩堝になるのではなくって?」
「ええ。神々に問えば事の真偽は容易く判明しますからね。ドランの方から神々に手を回せば話は別かもしれませんが、うっかり口を滑らせてしまいそうな御方も何柱かおられるでしょう? もしそうなった場合、彼が取る行動はおそらく二つ。自分が古神竜の生まれ変わりである事を知った者達からその記憶を消すか、あるいは行方を眩ませるかのどちらかでしょうね」
オリヴィエは大きく息を吐いてから続けた。
「……ただ、言わせてもらえば、彼が本当に人間として生きて行くつもりなら、このような公的な場では今少し竜種としての力を揮う事を自重してほしいものです。あそこまでの力を出さなくても、エクスやキルエルシュには勝てたでしょうに。メルルなど、完全にドランに目を付けてしまっていますよ。彼女の場合は全力を出せる相手を見つけた事への喜びですから、宮廷の方々とは違った意味での執着ですが……」
オリヴィエが三杯目に手を伸ばすのを見守りながら、ディアドラも自分のカットグラスに唇を付けた。
胸の内に随分溜まっているものがあるようだから、少しは吐き出させて楽にしてあげようかしら――と、友情に基づいて杯を交わす事にしたのだが、オリヴィエは予想以上に鬱憤を溜め込んでいたらしい。
「というか、ディアドラ……貴女はよくドランの事をドラゴンと知った上で、変わらぬ態度で接する事が出来ますね。貴女が敬意を払うエンテ様よりも、ドランの方が遥かに格上なのですよ? 私などは余人の目がなければ、跪かねばならないと常に思っているのに」
オリヴィエの非難の目を躱し、ディアドラが微笑む。
「ふふ、なあに? 今度は私が矛先を向けられてしまったのかしら。仮にも番――いえ、夫婦になろうという相手だもの。私としては対等でありたいわ。それに何より、ドランがそれを望んでいるのだし。今更畏まった態度を取ったりしたら、ものすごく悲しむわよ、彼」
「まあ、確かにそういう変わったところのある方ですが、それでも正体とその力の一端を知ってもなお、対等な相手としての振る舞いを実践出来るのは、普通ではありませんよ」
「オリヴィエも私みたいに開き直れたらうんと楽でしょうに。つくづく、損な性分よね。無理をしない程度に頑張りなさいな。私に何か出来る事があるなら、してあげるわ。貴女がこういう風に愚痴をこぼせる相手なんて、数えるほどしかいないでしょうしね」
「ふう、確かにそうです。貴女には感謝していますよ、ディアドラ。黒薔薇の精の友情に」
そう言ってオリヴィエがグラスを掲げるのに合わせ、ディアドラもグラスを持ち上げる。
「じゃあ、私は……そうね、古き森の血脈の忍耐に」
オリヴィエは少しばかり微妙な表情をしたが、ディアドラがくすくすと楽しげに笑っている様子に毒気を抜かれて、小さく息を一つ吐くだけにした。
そして二人の声が唱和する。
「乾杯」
第二章―――― 絶望に挑む
様々な葛藤や絶望、興味、希望と共に訪れた競魔祭決勝戦当日。
多くの観客達はガロア魔法学院とジエル魔法学院の実力伯仲の熾烈な戦いを期待し、少数の者達はガロア魔法学院の優勝を疑っていなかった。
学院単位ではガロア魔法学院に注目が寄せられる中、生徒一人一人で見ると、昨年最強と評されたハルトと、ガロア魔法学院最強と目されるドランの対戦が熱く期待されている。
両者には、魔法学院生の中では最高の精霊魔法使いであるエクスに勝利したという共通の実績があり、同じエクスに勝った者同士ではどちらの方がより強いのか、と観客達の想像を掻き立てている。
その他にも、ガロア四強に名を連ねながら、昨年は出場していなかったクリスティーナの圧倒的な実力と絶世の美貌、アークウィッチを上回る思念魔法の使い手であるレニーア、一年で劇的な成長を遂げたフェニアやネルネシアなど、今年はガロア魔法学院が観客の話題を独占してしまっている。
レニーア、フェニア、ネルネシア、クリスティーナはいずれも貴族の令嬢。特にレニーアなどは他に兄弟のいない嫡子だ。
その為、引き抜きや婚姻話を持ち出すのが難しい面々だが、一介の辺境の農民にすぎないドランなどは待遇次第でいくらでも引き抜ける相手にしか見えないから、魔法学院卒業後の進路に興味を示す貴族や商人は少なくない。
その扱いが一番簡単そうに見えるドランこそが、最も取り扱いに慎重を要する、ある意味最悪の危険人物である。それを知らない彼らは幸せなのもしれないが……
競魔祭終了後にドランへと及ぶであろう勧誘の手に対する処置もまた、オリヴィエを悩ませている一因であった。
ドラン自身はベルン村からあまり遠く離れる意思はなく、卒業後はガロアの総督府への就職を考えており、総督府付きの魔法使いか文官としての雇用を視野に入れている事はオリヴィエも知っている。
長期的に見れば宮廷内に入り込む方が良い事はドランも理解しているし、当然そちらからも声がかかるだろうが、彼の中での優先度は地元の方が高い。
ドランは合理性や論理性を理解してもなお、感情を優先する面が多々あるのだが、彼の存在の発祥を辿れば、始祖竜が感情のままに自らを引き裂いた事で生まれたのだから、当然と言えば当然なのだ。
競魔祭でこれだけ圧倒的な力を見せ、かつ後ろ盾がない人材となれば王国中から引く手数多だろう。
あるいは単純にその膨大な魔力と才覚を期待した魔法使いの家に、その血を求められる可能性も十分にある。
だが、この地上世界に限った話でも、アークレスト王国が面する海を統治下に置く水龍皇龍吉と、大陸に大きく版図を広げるエンテの森そのものであるエンテ・ユグドラシルという、人類の諸国家とは比較にならぬ巨大勢力がドランの背後についている。
特にエンテ・ユグドラシルの無邪気な懐きようをよく知っているオリヴィエは、どこまでアークレスト王国側にドランへの対応について忠告すべきなのか、極めて繊細な匙加減を要求されている。
もしドランへの敵対行動を取り、龍吉の治める龍宮国を敵としたならば、たとえ内陸国であろうとその国全土を覆い尽くす津波が襲い掛かって全てを水没させるか、永劫に止まぬ雨が降り続けて地形すら変わるかもしれない。
これがエンテ・ユグドラシルの場合、ドランと敵対した国ではありとあらゆる作物や樹木、草花が咲く事を拒絶するか、あるいは毒素を放出するようになり、これまた国が滅びるだろう。
これらの報復は無辜の民にまで多大な犠牲を強いるもので、あまりに凶悪であるから、龍吉やエンテも決して望まない手段だ。実行される可能性はまずないが、彼女達を敵にすれば、地上種族の国家など戦争をするまでもなく滅びてしまうという事だ。
ドランが在学中はオリヴィエの学院長としての肩書きを盾にして、干渉をある程度は防げるが、卒業後となるとそうはいかなくなる。
ともすれば今後はアークレスト王国のオリヴィエとしてではなく、エンテの森のオリヴィエとして王国と付き合っていかねばならなくなるかもしれない。
たとえ人間に生まれ変わったにせよ、前世が古神竜であるという事実はあまりにも巨大すぎる。前世の知己達が揃いも揃って神々や地上世界の頂点に名を連ねている事が、ドランの第二の生においても大きな影響を齎している。
良くも悪くも、彼が人並みに生きて行く事は不可能なのだ、とオリヴィエは考えているし、ドラン自身も竜種としての力を都合よく使っている以上、それは無理だろうと認めている節があった。
いずれにせよ、オリヴィエの苦労が今しばらく続く事は間違いない。
そんな内心をおくびも出さずに、オリヴィエは他の学院長達と共に競魔祭用の席に腰掛けて、表面上は鉄仮面の女と陰口を叩かれる、冷厳な態度を取り繕っている。
猛禽類を思わせる眼差しと彫りの深い顔立ちは、いくらでも女性の心を射止められそうな男の色香を醸し出ている。
「その二人も厳しいが、クリスティーナとレニーア、それにあのドランの三人ときたら……もはや手が付けられんぞ。我が王国で彼らの相手を出来る者が、〝アークウィッチ〟や〝砦落とし〟といった大魔法使い以外に何人いるか」
アンナマリーの双子の兄で、リンネス侯爵家嫡男のベルドだ。
妹と同じく魔法と戦いの才能に恵まれたこの青年は、一昨年、昨年、今年と三年連続で競魔祭に出場し、見事な戦いぶりを見せて、リンネス侯爵家の麒麟児として社交界に知られる傑物だ。
侯爵家の跡継ぎとしての責任感から、普段は家族にも弱音を吐かない青年だが、今回ばかりはいささか声に覇気がない。
名高きリンネス侯爵家の麒麟児でも、人間かどうか怪しい面子ばかりのガロア魔法学院が相手では、どうしても旗色が悪い。
「ねえねえ、ハルト。正直、ハルトの目から見て、どう?」
アーレクレスト王国には珍しい褐色の肌と艶やかな黒髪を持ち、全身から活力を発している少女が、よく動く大粒の瞳をハルトに向けた。
ジエル魔法学院の代表選手を務めるミライラだ。
周りが落ち込んでいる時でも明るく笑みを絶やさない元気印の娘だが、今は周囲の重たい雰囲気に呑まれかけている。
「そうだな、クリスティーナもレニーアもドランも、まだ本気じゃないだろうな。一回戦も二回戦も余裕を残していたと思う。戦い方だけ見れば同じ魔法剣士のクリスティーナが一番やりやすいんだが、純粋な剣の技量じゃあっちが上だな。それに、あの付与魔法を無効化した神通力に、魔力と闘気の複合障壁なんか、かなり厳しい要素だ」
一層仲間の士気を下げかねないと理解しつつも、ハルトは嘘を吐かず自身の胸の内を正直に明かした。
彼が剣を振るいはじめたのはここ数年の事だが、その大部分を文字通り命懸けの戦いに投じてきた分、彼の剣技は目を見張るものがある。
正統な流派を学んだわけではないので、技術の面では拙さがあるものの、それを補って余りある鋭さと勢いを誇るが、クリスティーナが相手では白旗を掲げるしかない。
ジエル魔法学院最強のハルトに敗色が濃厚と吐露されて、室内の空気はますます重くなる。
少しくらいその雰囲気を変えようと意見を出したのは、ジエル代表の五人ではなかった。
ハルトが椅子に立てかけておいた二振りの剣のうち、柄も鍔も真っ黒な直剣から男の声が響いた。
『そんな落ち込むなよ、ハルトよぉ。おめえさん達の言っているクリスティーナな、ありゃ〝超人種〟だぜ。それもかなり格の高え奴だ』
軽薄な調子で使い手に話しかけた黒い直剣に続いて、その隣に立てかけられている、全てが白一色に染められた優美な弧を描く刀からも、鈴を転がしたように美しくそれ以上に厳かな声が響く。
『バルホースの言う通りぞ。生半可な剣士でもなければ、生半可な超人種でもない。アレほどの格の主ならば、主神格の魂をその身に降ろしても砕け散る事はなかろうな』
黒い直剣がバルホース、白い刀はキリシャナという名前で、自意識を持ち、喋る魔剣達である。
このように自意識を持つ武具や道具の作り方は、素体に一から作り出した意識を付与するか、あるいは既に存在している意識を宿すかの二通りの方法があるという。
この二振りがどのようにして作られたかはさておき、ハルトにとっては実に頼りになる相棒達だった。
「バルとキリシャナがそこまで言うほどなのか……。超人種ってのは前に何かの本で読んだ事があったな。確か、神々が作り出そうとした完全なる〝人〟に近い、突然変異によって生じる人間の上位種だっけ?」
そんなハルトの疑問に答えたのはキリシャナである。まだ年若い少女の声音であるが、聞く者の心と体を引き締め、厳粛な気持ちにさせる強い力を持つ声だった。
『然り。神々は偉大にして絶大なるも、全能ではなかった。故に、求めた通りの存在を創造する事は叶わず、今地上に生きる人間達が創造されたのだ。人間の上位種たる超人種は血統ではなく、突如として出現する為、極めて希少なのだが、クリスティーナほど霊格の高い個体は我も初めて見る。かの者の神通力や尋常ならざる剣の冴えの大きな理由であろうな』
『おれぁ、姉御程超人種の事を理解しちゃいねえが、今のハルトでも相手をするのはやばいと思うね。これが安全を確保されている試合じゃなかったら、何が何でも逃げろって忠告するところさ』
意識を持つ剣として、この場に居る誰よりも長く存在してきたキリシャナとバルホースの言葉の重さに、誰もが押し黙る。
これ以上言葉を発するのが恐ろしい空気だが、それでも一際小柄な少女――ユーキがキリシャナに問いかけた。
「じゃじゃ、じゃあ、あのレニーアちゃんはどうかな? 王国最強のアークウィッチよりも思念魔法が上手っていうのは……うん、正直どうしようもないんじゃないかなとか思うけれど、でもでも、何か弱点でもあるかな~って。あんまりやる気なさそうだし。ほら、一回戦でも二回戦でも試合開始からしばらくは何にもしないで、攻撃を受けるばっかりだったし、その間にどうにか出来れば何とかならないかな?」
『ユーキよ、これ以上お前達に鞭打つような真似をしたくはないが、あのレニーアなる娘はますますもって手が付けられぬ』
『おれも姉御と同意見。あっちはあっちでクリスティーナって嬢ちゃんとは違う方向でやべえやべえ。何よりよ、あのちびっこの眼差しがやばいって。周りの人間を人間と思っている目じゃねえもんよ。あんな目をする奴は、よっぽどだぜ』
『うむ、バルホースの言葉は正しい。我もあれほど邪悪な魂は久しく見ておらぬ。しかし、それにしては、妙に清廉な面を持っているのがますますもって奇妙だが……。どうしてガロアの者達があのように和気あいあいと過ごせるのか、真に理解に苦しむ。名の知れた大悪魔、あるいは爵位級悪魔や魔王の生まれ変わりと言われても、我は疑わぬぞ』
「人間の上位種の次は、大悪魔か魔王の生まれ変わり……どうしよう、ハル君、ますます状況が悪くなっちゃったよぉ。せめて何か明るい話題でもって思ったのにぃ~」
ユーキの見た目の幼さに良く似合った声と甘え方は、さて微笑ましいと言うべきなのか、それともあざといと言うべきなのか……
今のハルトにはそんな事を気にしている余裕はなかった。
ユーキとしては、自分はガロア魔法学院の誰が相手でも勝てる気がまったくしないから、ハルトに一縷の望みをかけて聞いたのだが、返って来た答えがこれでは、泣きたくもなるというものだ。
一方ハルトは、全幅の信頼を置く二振りの魔剣の言葉に頭痛を覚え、力なく苦笑した。
「ユーキの気遣いにはいつも助けられているよ。ただまあ……ここまで来たら、最後まで聞こうぜ」
「そうね。問題は、あのドランなのよね? ハルトの見立てでは、ガロア魔法学院で一番手強いって事だけど」
アンナマリーの言葉に、ハルトは真剣な表情で力強く頷く。
彼女はハルトの恋人であり、大恩人でもある。
ハルトは元々別の世界の住人であったが、ある日突然何者かの力によってこの世界に召喚されたという稀有な過去を持つ。身寄りも行くあてもなく、一人途方に暮れていた彼を助けてくれたのが、アンナマリーなのだ。
召喚の際に魂を弄られた影響なのか、〝こちら〟で目を醒まして以来、銀の髪と金と銀の瞳という姿に変わったこの少年は、最強の敵を確かに見抜いていた。
ただ、実力の違いを正確に把握していたわけではなかったが。
「ああ、何しろエクスを倒しているし、キルエルシュの魔装鎧を相手にあれだからな。本当に人間なのか怪しいもんだよ」
冗談めかして言ったハルトであったが、この場に居た全員が真に受けて口を閉ざしてしまった。
こりゃ失敗したな――と、ハルトは密かに舌打ちする。
昨年エクスと戦ったからこそ、彼は今年のエクスの劇的な成長ぶりを他の誰よりも理解している。故に、霊的知覚をも妨害する水蒸気の中で何か尋常ならざる事態が起きていたのではないかと想像していた。
キルエルシュの魔装鎧との戦いでドランが途方もない実力を隠し持っているのではないかという予感は確信に変わるが、一方で、彼が本当の意味で――たとえば殺し合いをするような――敵ではない事に、ハルトは安堵した。
ハルト達も昨年はリンネス侯爵領を巡る暗闘に身を置き、強大な魔獣や凄まじい実力で知られた邪悪な魔法使いらを相手に戦い、相当の修羅場をくぐり抜けてかなり成長したという自負があった。
しかし、それは既に子供が作った砂の城のように脆く崩れている。
『まあ、ハルトがそう言いたくなる気持ちも分からあね。精霊魔法でエクス坊主と互角以上にやりあうわ、あんだけ強力な魔装鎧をぶちのめすわ。付け入る隙がありゃしねえんだもんよ。昔のおれでも戦うのなんざ御免だね。で、実際やり合う羽目んなったら、どーすんのよ?』
「そりゃあ、殿下や学院長も見ているんだから、逃げるわけにはいかないだろ? どんな相手だって同じ生徒なんだし……」
〝勝ち目がなくても〟と口にしないあたりは、ハルトの男としての意地か、あるいはほんのわずかでも勝機を見出しているからか。
『バルよ、ハルトの言う通り、どうしようもあるまい。何しろ試合なのだから、逃げる選択肢はないのだ。我もバルも、ハルトの刃としての役目を果たす。あのドランは底も天井も計りしれぬ。胸を借りるつもりで行け。その方が幾分か気は楽であろう?』
「まあ、少しはね。おれがドランと当たるって決まったわけじゃないけれど、彼が最強の敵と考えておいて損はない。もっとも、他の四人だって全力で挑んでどれほど勝てる確率があるか……」
結局のところ、ガロア代表は全員規格外揃いなのだ。
ジエル魔法学院の五人も当然の屈強なる精鋭であり、特にハルトは頭一つ抜けた実力者である事は間違いない。
ただ、そんな彼らでも、戦う前から諦めの泥沼に浸かってしまうほど、今年のガロア魔法学院の面子がおかしいだけである。
特に、競魔祭前はこれといって注目されていなかったドランが、前評判を覆すとんでもない怪物だった事は、ハルト達だけでなく他の魔法学院の生徒や関係者達全員にとっては最悪の予想外の出来事だった。
そしてハルト達は競魔祭決勝戦の朝を迎える事となる……
†
各魔法学院の学院長達は、その役職とは別にアークレスト王国の貴族位を持ち、要職に就いている。その立場上、競魔祭の間に用意される個室は生徒達よりも上等なものである。
高級な調度品が揃えられ、より快適に過ごせるように繊細な配慮がなされた広い室内で、ガロア魔法学院長オリヴィエは黒晶石のテーブルに着いて、黄金色の蜜水を飲んでいた。
競魔祭決勝戦を明日に控えた夜。
光の精霊の力を結晶化した光精石を用いたランプが室内を明るく照らし、夜の闇が忍び寄る事を阻んでいる。
オリヴィエの容貌は人々の思い描くエルフの理想像の一つといえる。
しかし今、その怜悧な美貌に、よほど観察力に長けた者でなければ気付けないような薄い疲労の翳が差している事を、対面に座していたディアドラは見抜いていた。
「ふふ、随分とお疲れの様子ね、オリヴィエ」
ディアドラは花の蜜ではなく、荒れ地の開拓に用いられる濃縮栄養剤を希釈した薄緑色の液体を飲みながらそう言った。
彼女は古い友を労う為に部屋を訪れていたのだ。
「ディアドラが相手では、そうそう隠しきれませんね」
オリヴィエは魔法学院の長としての肩書きを忘れて、いくらか胸の内を吐露する決意を固めた。
かつてエンテの森に存在した王国の最後の王女であり、エンテ・ユグドラシルの姫巫女を務めた事もある彼女は、エンテの森の住人達から多大なる畏敬の念を向けられている為、対等な立場で気軽に話せる相手は少ない。
その数少ない例外がディアドラである。
「貴女との付き合いは長いし、深さもそれなりだと思っているわ。それにしても、王都に来る前から随分と悩ましげにしていたけれど、ここに来てからはますます顕著ねえ。貴女は結構神経は太いと思っていたけれど、応えているみたいじゃない」
「ふぅ、そうですね。初めてエンテ様と交感した時よりも緊張を強いられている……いえ、違いますね。これは罪悪感と申し訳なさかしら。それに、周りの追及を躱す為に、口を動かす羽目に陥りましたので、少々疲れてしまいました」
そう言ってオリヴィエはグラスを呷り、水差しから二杯目を注いだ。
「ふぅん、まあ、何を追及されたかなんて簡単に察しが付くわね。私、森の外の者達の強さってあまり知らなかったけれど、ここ数日の試合を見て、ドラン達は異常だって事が良く分かったわ。ドランとレニーアはそもそも魂が違うし、クリスティーナも厳密には人間ではないから比較する事が間違いだって分かっていたけれど、フェニアとネルネシアも、他の学院の生徒達と比べると別格の強さだったわね。今のところ、あの子達と肩を並べられるのって、ドランに負けたエクスって子くらいじゃない?」
「ええ、フェニアとネルネシアは元々伸び代がありましたが、ここ最近の〝特訓〟で異常な成長を見せました。同世代の中では、世界規模で考えても破格の強さでしょう。そんなあの子達と互角に戦えるだろうエクスは、本物の天才です。大精霊リリィアに随分と好かれているようですし、将来的には精霊王の召喚が出来るようになるかもしれません」
「へえ、私も同意見よ。あの霧の中でドランがちょっとおまけをしてあげたみたいだし、エクスは歴史に名を残す使い手になるのではないかしら? 見せられたモノの重圧に、魂か精神が潰れなければ、だけれどね。それで……貴女はそんなエクスを倒したドランの事でうるさく聞かれたんでしょう? 彼は貴族というわけではないから、魔法学院を卒業したら引き抜くのが比較的簡単だと思われているでしょうしね。世情に疎い私でも、それくらいは簡単に想像がつくわ」
オリヴィエは静かに首肯して答えた。
「ええ、その通りです。どのような指導方法でフェニア達の実力を伸ばしたのか、そしてドランのあの実力は一体何事かと問いを重ねられました。私も彼らと逆の立場だったなら、全く同じ質問をしたでしょうけど、される側はやはり疲れるものです。第一、説明のしようがないではないですか。あのドランという生徒は、マイラール神やケイオス神すら凌駕する伝説の古神竜ドラゴンの生まれ変わりだから強いのです、などと……言えるわけがありません」
「それはそうよね。ドランが人間として振る舞っているから実感しづらいけれど、本来なら世界樹エンテ・ユグドラシル様でも比較にならない高位の存在ですものね。ドランが古神竜だなんて知られたら、王国の上層部とか、色んな神様の教団も動かざるを得ないでしょう? それに、そうなったら自粛してくださっている天上の神々だって口を出したくなるでしょうし……王国はかつてない混乱の坩堝になるのではなくって?」
「ええ。神々に問えば事の真偽は容易く判明しますからね。ドランの方から神々に手を回せば話は別かもしれませんが、うっかり口を滑らせてしまいそうな御方も何柱かおられるでしょう? もしそうなった場合、彼が取る行動はおそらく二つ。自分が古神竜の生まれ変わりである事を知った者達からその記憶を消すか、あるいは行方を眩ませるかのどちらかでしょうね」
オリヴィエは大きく息を吐いてから続けた。
「……ただ、言わせてもらえば、彼が本当に人間として生きて行くつもりなら、このような公的な場では今少し竜種としての力を揮う事を自重してほしいものです。あそこまでの力を出さなくても、エクスやキルエルシュには勝てたでしょうに。メルルなど、完全にドランに目を付けてしまっていますよ。彼女の場合は全力を出せる相手を見つけた事への喜びですから、宮廷の方々とは違った意味での執着ですが……」
オリヴィエが三杯目に手を伸ばすのを見守りながら、ディアドラも自分のカットグラスに唇を付けた。
胸の内に随分溜まっているものがあるようだから、少しは吐き出させて楽にしてあげようかしら――と、友情に基づいて杯を交わす事にしたのだが、オリヴィエは予想以上に鬱憤を溜め込んでいたらしい。
「というか、ディアドラ……貴女はよくドランの事をドラゴンと知った上で、変わらぬ態度で接する事が出来ますね。貴女が敬意を払うエンテ様よりも、ドランの方が遥かに格上なのですよ? 私などは余人の目がなければ、跪かねばならないと常に思っているのに」
オリヴィエの非難の目を躱し、ディアドラが微笑む。
「ふふ、なあに? 今度は私が矛先を向けられてしまったのかしら。仮にも番――いえ、夫婦になろうという相手だもの。私としては対等でありたいわ。それに何より、ドランがそれを望んでいるのだし。今更畏まった態度を取ったりしたら、ものすごく悲しむわよ、彼」
「まあ、確かにそういう変わったところのある方ですが、それでも正体とその力の一端を知ってもなお、対等な相手としての振る舞いを実践出来るのは、普通ではありませんよ」
「オリヴィエも私みたいに開き直れたらうんと楽でしょうに。つくづく、損な性分よね。無理をしない程度に頑張りなさいな。私に何か出来る事があるなら、してあげるわ。貴女がこういう風に愚痴をこぼせる相手なんて、数えるほどしかいないでしょうしね」
「ふう、確かにそうです。貴女には感謝していますよ、ディアドラ。黒薔薇の精の友情に」
そう言ってオリヴィエがグラスを掲げるのに合わせ、ディアドラもグラスを持ち上げる。
「じゃあ、私は……そうね、古き森の血脈の忍耐に」
オリヴィエは少しばかり微妙な表情をしたが、ディアドラがくすくすと楽しげに笑っている様子に毒気を抜かれて、小さく息を一つ吐くだけにした。
そして二人の声が唱和する。
「乾杯」
第二章―――― 絶望に挑む
様々な葛藤や絶望、興味、希望と共に訪れた競魔祭決勝戦当日。
多くの観客達はガロア魔法学院とジエル魔法学院の実力伯仲の熾烈な戦いを期待し、少数の者達はガロア魔法学院の優勝を疑っていなかった。
学院単位ではガロア魔法学院に注目が寄せられる中、生徒一人一人で見ると、昨年最強と評されたハルトと、ガロア魔法学院最強と目されるドランの対戦が熱く期待されている。
両者には、魔法学院生の中では最高の精霊魔法使いであるエクスに勝利したという共通の実績があり、同じエクスに勝った者同士ではどちらの方がより強いのか、と観客達の想像を掻き立てている。
その他にも、ガロア四強に名を連ねながら、昨年は出場していなかったクリスティーナの圧倒的な実力と絶世の美貌、アークウィッチを上回る思念魔法の使い手であるレニーア、一年で劇的な成長を遂げたフェニアやネルネシアなど、今年はガロア魔法学院が観客の話題を独占してしまっている。
レニーア、フェニア、ネルネシア、クリスティーナはいずれも貴族の令嬢。特にレニーアなどは他に兄弟のいない嫡子だ。
その為、引き抜きや婚姻話を持ち出すのが難しい面々だが、一介の辺境の農民にすぎないドランなどは待遇次第でいくらでも引き抜ける相手にしか見えないから、魔法学院卒業後の進路に興味を示す貴族や商人は少なくない。
その扱いが一番簡単そうに見えるドランこそが、最も取り扱いに慎重を要する、ある意味最悪の危険人物である。それを知らない彼らは幸せなのもしれないが……
競魔祭終了後にドランへと及ぶであろう勧誘の手に対する処置もまた、オリヴィエを悩ませている一因であった。
ドラン自身はベルン村からあまり遠く離れる意思はなく、卒業後はガロアの総督府への就職を考えており、総督府付きの魔法使いか文官としての雇用を視野に入れている事はオリヴィエも知っている。
長期的に見れば宮廷内に入り込む方が良い事はドランも理解しているし、当然そちらからも声がかかるだろうが、彼の中での優先度は地元の方が高い。
ドランは合理性や論理性を理解してもなお、感情を優先する面が多々あるのだが、彼の存在の発祥を辿れば、始祖竜が感情のままに自らを引き裂いた事で生まれたのだから、当然と言えば当然なのだ。
競魔祭でこれだけ圧倒的な力を見せ、かつ後ろ盾がない人材となれば王国中から引く手数多だろう。
あるいは単純にその膨大な魔力と才覚を期待した魔法使いの家に、その血を求められる可能性も十分にある。
だが、この地上世界に限った話でも、アークレスト王国が面する海を統治下に置く水龍皇龍吉と、大陸に大きく版図を広げるエンテの森そのものであるエンテ・ユグドラシルという、人類の諸国家とは比較にならぬ巨大勢力がドランの背後についている。
特にエンテ・ユグドラシルの無邪気な懐きようをよく知っているオリヴィエは、どこまでアークレスト王国側にドランへの対応について忠告すべきなのか、極めて繊細な匙加減を要求されている。
もしドランへの敵対行動を取り、龍吉の治める龍宮国を敵としたならば、たとえ内陸国であろうとその国全土を覆い尽くす津波が襲い掛かって全てを水没させるか、永劫に止まぬ雨が降り続けて地形すら変わるかもしれない。
これがエンテ・ユグドラシルの場合、ドランと敵対した国ではありとあらゆる作物や樹木、草花が咲く事を拒絶するか、あるいは毒素を放出するようになり、これまた国が滅びるだろう。
これらの報復は無辜の民にまで多大な犠牲を強いるもので、あまりに凶悪であるから、龍吉やエンテも決して望まない手段だ。実行される可能性はまずないが、彼女達を敵にすれば、地上種族の国家など戦争をするまでもなく滅びてしまうという事だ。
ドランが在学中はオリヴィエの学院長としての肩書きを盾にして、干渉をある程度は防げるが、卒業後となるとそうはいかなくなる。
ともすれば今後はアークレスト王国のオリヴィエとしてではなく、エンテの森のオリヴィエとして王国と付き合っていかねばならなくなるかもしれない。
たとえ人間に生まれ変わったにせよ、前世が古神竜であるという事実はあまりにも巨大すぎる。前世の知己達が揃いも揃って神々や地上世界の頂点に名を連ねている事が、ドランの第二の生においても大きな影響を齎している。
良くも悪くも、彼が人並みに生きて行く事は不可能なのだ、とオリヴィエは考えているし、ドラン自身も竜種としての力を都合よく使っている以上、それは無理だろうと認めている節があった。
いずれにせよ、オリヴィエの苦労が今しばらく続く事は間違いない。
そんな内心をおくびも出さずに、オリヴィエは他の学院長達と共に競魔祭用の席に腰掛けて、表面上は鉄仮面の女と陰口を叩かれる、冷厳な態度を取り繕っている。
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