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自称悪役令嬢な妻の観察記録。1
自称悪役令嬢な妻の観察記録。1-3
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それなのに送らなかったドレスデザインについてなぜ聞くのか、と不思議そうに首を傾げながら、バーティアは「ありますわ」とはっきりと答えた。
「まぁ、それは良かったですわ! 実は、あのデザインを見た私付きの侍女たちが『あんなデザインのドレスを着て結婚できたら素敵!』と噂していたこともあって、一部の女性貴族がバーティア様のデザインしたウエディングドレスを見たがっているのです」
仕事中に目にしたものについて外で軽々しく口にするのはどうかと思うけれど、きっとその辺はもうジョアンナ嬢が窘めていることだろう。
それに、バーティアがリソーナ王女のウエディングドレスのデザイン案を出したり、既に結婚式をした先輩として色々と彼女に協力していることも別に隠してはいない。
この点に関しては、アルファスタ国、ウミューベ国、シーヘルビー国共通の見解として、敢えて隠さず大々的に話題に出し、三国の仲が友好的なものであるとアピールしておいたほうが得だという話になっている。
ジョアンナ嬢の侍女たちもそのことをわかっていて「言ってもいい話題」として外で話してしまったんだろう。
要するに、今後のためを考えると釘を刺す必要はあるだろうけど、言われても別に困らない程度の話題ということなのだ。
「あら、ドレスのデザインのほうもですか? 実は、バーティア様たちの結婚式がとても素敵だったと評判になっておりまして、どんな式だったのか詳しく知りたいという方が他国のお客様の中にもちらほらといますのよ?」
ジョアンナ嬢の話に便乗するように、アンネ嬢が言う。
「私は結婚式のケーキはどのようなものがあるのか教えてほしいと、王太子夫妻の結婚式に出られなかった友人に聞かれましたわ」
「私は、騎士団に所属しておりますバルド様の友人の男性に、女性が喜ぶ素敵なプロポーズの仕方がないか聞かれましたわ。その時は特に思いつかないとお伝えしたのですが、遠回しに、ロマンティックな演出の得意なバーティア様に何かいい案がないか聞いてほしいと訴えられましたの。まぁもちろん、遠回しな訴えだったので、気付かないフリをして流しましたけれど」
ジョアンナ嬢とアンネ嬢に続いて、シーリカ嬢とシンシア嬢も順番に似たような経験について語り始めた。
どうやら、バーティアの結婚式の演出は思いのほか、評判になっているようだ。
「まぁ、嬉しいですわ! でも、困りましたわね。すべてにお答えしていたらリソーナ様の結婚式の準備が進みませんわ。この後にはジョアンナ様の結婚式も控えていますのに」
バーティアは嬉しそうにはしゃいだ後、実際の対応が可能かと、困ったように眉尻を下げた。
「フフフ……。今から楽しみにしてますのよ? 是非、素敵なアドバイスをくださいね」
バーティアに次は貴方の番だと告げられたことが嬉しかったのか、リソーナ王女がお気に入りのデザインを選んだことでやや不機嫌だったジョアンナ嬢の表情が一気に華やぐ。
ジョアンナ嬢と弟のショーンは一応少しずつ結婚式に向けて準備をしているけれど、今年私とバーティアが結婚したばかりだから、少し期間を空けたほうが良いだろうという理由で先延ばしになっている。
それでも何年も先にはならないだろう。おそらく来年あたりに結婚式の日程を決めて、一年弱くらいの準備期間を経て挙式ということになるんじゃないかと思っている。
こうやって今後の予定が立つくらいには結婚式が近付いてきているジョアンナ嬢には、結婚式の話題は今一番楽しく、興味の湧くものなのだろう。
「お任せくださいませ! 大切なお友達の結婚式ですもの! 頼まれなくても色々とサプライズや皆様に喜んでいただけそうなことを準備いたしますわ! もちろん、他の皆様の結婚式の時もですわ‼」
ニッコリと満面の笑みを浮かべて宣言するバーティアを見て、ご令嬢たちも嬉しそうな笑みを浮かべ……私の側近たちは相手のいないクールガンを除き、皆苦笑を浮かべている。
きっと、自分たちはパートナーの令嬢たちに何をねだられるのだろうかと不安なのだろう。
「あら、いけない。話が逸れてしまいましたわね」
テーブルの右側と左側で正反対の空気が流れた後、ハッとしたジョアンナ嬢が話を戻そうと口を開く。
「それでですね。私も実際にバーティア様のウエディングドレスのデザインを見て思ったのですけれど、バーティア様のドレスはこれから結婚されるご令嬢たちの良い参考になると思いますの。ですから、見たいという方にデザイン画をお見せするとか、実際にドレスを作ってどなたかに着てもらったりしてはどうかと思いまして。……折角素敵なデザインなのに、このままお蔵入りなんて勿体ないですし」
ジョアンナ嬢の提案に、バーティアは一瞬キョトンとした後、一歩遅れて理解したのか「ああ!」と声を上げた。
「それでしたら、いっそのこと『結婚情報誌』を作っても面白いかもしれませんわね‼」
「「「「『結婚情報誌』?」」」」
ご令嬢たちと側近たちの声が揃う。
どの声も、聞き慣れない言葉にかなり困惑している様子だ。
「そうですわ! 結婚する女性の味方となるような結婚に関するあれこれを一冊の本にまとめて、皆様に見ていただけばいいのですわ‼」
皆がバーティアの言葉の意味を考え、思案するような顔になる。
「結婚を前にした皆様が悩むのは似たようなことについてですもの。わかりやすいように絵や具体的なエピソードも交えて、本にまとめたら参考になると思いますの」
周囲の様子に気付かず、明るく楽しそうに『結婚情報誌』について語るバーティア。
そして、ジョアンナ嬢の「それいいですわね。欲しいですわ」という言葉をきっかけに、女性陣の目がキラキラと輝き始める。きっと、その本に自分たちの理想とする結婚式の形やドレスやケーキのデザインが書かれることを想像して、テンションが上がってきたのだろう。
……これはいけないね。
このままだと、リソーナ王女の結婚式の話がろくにできないまま打ち合わせが終わってしまう。
『結婚情報誌』という案はとても面白いと思うけれど、その話をするなら別に時間を作ったほうが良い。『結婚情報誌』に期限はないけれど、リソーナ王女の結婚式は日程が決まっている以上、準備にもタイムリミットがある。
パンッパンッ!
盛り上がり始めた話を切るために、手を叩いて私に注目させる。
「『結婚情報誌』の話はそれくらいにして、リソーナ王女の結婚式の話の続きに戻ろうか。私とバーティアも結婚式には参加することになるだろうだからね。移動時間を考えると準備に使えるのは後二ヶ月くらいしかないから、脱線している時間はないよ」
ニッコリ笑顔で言うと、慌てたように令嬢たちが口を噤み、真剣な表情に戻る。
こうやって切り替えがすぐできるところは良いね。
「では、続きの報告を……」
私が促したことで、話はどんどん進んでいく。その様子に満足して、私は話に耳を傾けることにした。
……おおむね準備は順調そうだね。
その後は特に話が脱線することも、何か問題が起きることもなく、すべての項目の打ち合わせが終わった。
だから、私も油断していた。
「後もう数ヶ月もすれば、リソーナ様は『リソーナ・ウミューベ』から『リソーナ・シーヘルビー』に、なる……」
会議終了直後、リソーナ王女の結婚式の準備が滞りなく進んでいることを実感し、感慨深げにバーティアが口にした言葉。
それが中途半端に途切れたことに違和感を覚えて隣に座るバーティアに視線を向ける。彼女は何か思うことでもあるのか、腕を組んで不思議そうに首を傾げていた。
「どうしたの、ティア?」
私がそう尋ねると、バーティアはまるで喉に魚の骨でも引っかかっているかのようなすっきりしない顔で、傾げていた首を今度は反対側に傾ける。
「いえ、なんでもないんですわ。なんでもないんですけれど……なぜか『リソーナ・シーヘルビー』という名前をどこかで聞いたことがあるような気がしましたの」
「リソーナ王女の輿入れの手伝いをしているんだから、聞いたことがあって当然じゃないのかい?」
「いえ、リソーナ様はまだ輿入れ前なので、目にする名前も耳にする名前も、現在の『リソーナ・ウミューベ』ばかりなのですわ」
何かが思い浮かびそうで浮かばないのが気持ち悪いのか、バーティアは「う~ん」とうなりながら、首をゆっくり左右に傾け考え込んでいる。
「ダメですわ! やっぱり思い出せませんの! でも今回の結婚のお話よりももっとずっと前にどこかで聞いた気がするんですの! けれどやっぱり気のせいな気がしてきましたわ。ご心配おかけしてすみません。気になさらないでくださいませ」
最後には頭を両手で抱え込むようにして、それでも思い出せなかったことで諦めがついたのか、いつもの笑顔に戻ったバーティアがそう告げる。
「……わかったよ」
私も、それに対して何か言及することもなく納得した……フリをした。
うん、これなんだか怪しいよね。
バーティアは思い出せないからって諦めたみたいだけど……私の第六感が危険信号を発しているのを感じるよ。
打ち合わせに集まった面々が解散し、私は事務作業の続きをするために執務室へ移動する。
その道すがら、後ろを歩くクールガンへ一瞬チラッと視線を向けてから歩調を緩めると、彼は私の意図を察したようにわずかに身を寄せてくる。
「クールガン、悪いけどリソーナ王女と相手の王太子のこと、ウミューベ国とシーヘルビー国の最近の動向とか、調べられる範囲でいいから調べて報告してくれる?」
クールガンは俯き加減に、小声で告げた私の言葉に耳を傾けていたが、一瞬「何を今さら」というような驚いた顔で私を見た。
……こんな風に気持ちが表情に出るあたりは、まだまだ未熟だね。
「何かご心配なことでも?」
「いや、ちょっと私の勘が騒いでね。別に理由があるわけではないんだけれど、ティアがあんなに頑張っているから、もしもの失敗が起こらないように、事前に少し勉強しておこうかなと思ってね」
クールガンは私の言葉にまだ納得はできていないようだったけれど、「畏まりました」と一言返事をした。
「……何も起こらなければ良いけどね」
特に、バーティアの前世由来の『何か』とか。
でも、こういう時に限って何かが起こるのが世の常というやつだ。
何か起きても起こらなくても、油断しないようにしておいたほうが良いに決まっている。
二 バーティア妻八ヶ月
「セシル様、いよいよシーヘルビー国へ出発ですわね‼」
王宮入り口前。
私たちの乗る馬車を中心に、いくつもの馬車が並んでいるのを見て、バーティアが嬉しそうにはしゃぐ。
今日はリソーナ王女とシーヘルビー国の王太子の結婚式に出席するため、シーヘルビー国に向けて出発する日だ。
リソーナ王女たちに贈るお祝いの品や、旅に必要な物資等はもう積み込んであり、護衛の騎士たちも既に隊列を組んでいる。
後は私たちと、同行する使用人たちが馬車に乗り込むのを待つばかりという状態だ。
「そうだね。これからしばらくは馬車の旅になるけれど、一緒に楽しもうね」
満面の笑みを浮かべたバーティアにそう声をかけると、彼女は嬉しそうに「はい!」と元気よく返事をした。
互いに笑みを交わした後、私たちは見送りに来てくれた人たちのほうを振り返る。
見送りに来てくれた人たちの中には、バーティアの父であるノーチェス侯爵、そして私の側近たちやバーティアの友人たちの姿もあった。私の父母である国王と王妃も見送りに来てくれることになっているが、きっと来るのはもう少し後だろう。
「バーティア、いいかい? もし何か危ないことがあったら、すぐ殿下の後ろに隠れるんだよ? そうしたら大概のことは向こうから逃げていくからね? 絶対に自分で対処しようなんて思うんじゃないぞ?」
バーティアの父であるノーチェス侯爵が、心配そうに彼女の手を握って言い聞かせ始める。
……ノーチェス侯爵、私にはそんな魔除けみたいな効果はありませんよ? まぁ、バーティアのことは私も大切なので、全力で守りはしますけれど。
「バーティア様、これから向かわれるのは他国ですからね? 愛でる会のメンバーもそんなに多くはいないので、いつも以上に気を付けてくださいね?」
ジョアンナ嬢が心配そうに眉尻を下げた。
「そんなに多くない」って、まさか国外にも非公式ファンクラブ「バーティアを愛でる会」のメンバーがいるということだろうか?
「バーティア様、あちらの国について資料をまとめておきましたので、もしよろしければ旅の途中でご覧になってください」
アンネ嬢が、バーティアに冊子のようなものを渡す。
どうやら、彼女が自らの手で調べたシーヘルビー国の情報をまとめてくれたようだ。
「アンネ様、ありがとうございますわ! 是非読んでお勉強させていただきますわ‼」
パラパラと中身を確認した後、感動した様子でバーティアがアンネ嬢の手を握る。
アンネ嬢は少し照れくさそうにしているけれど、喜んでもらえて嬉しそうだ。
「バーティア様、ちゃんとハンカチは持ちましたか? お菓子を食べた後はドレスではなくちゃんとそれで拭いてくださいね? 一応、シンシア様にも頼んではありますが、今回は私はお留守番ですのでご自身でお気を付けくださいね?」
シーリカ嬢が心配そうにバーティアに注意し始めるけれど……シーリカ嬢、それは本来子供にする注意だよ? まぁ、確かにバーティアは大雑把なところがあるから、時々お菓子を食べた手でドレスに触れそうになって慌てていることがあるけどね。
ちなみに、バーティアの友人の中でシンシア嬢だけは、バーティア付きの女官として私たちに同行する。シーリカ嬢が留守番中の仕事を、シンシア嬢が旅の間のバーティアの世話を担当することになったようだ。
そのシンシア嬢は、今はバーティアの斜め後ろでクロと並んで立っている。
シーリカ嬢とシンシア嬢が真剣な表情で視線を交わし、「よろしくね」「任せて」とでも言い合うかのようにうなずき合った。
その二人の間で、バーティアだけがのほほんとしているのが、少し面白い。
「殿下、護衛の準備も整ったそうだぞ」
後ろから騎士の制服に身を包んだバルドが声をかけてくる。
バルドは今回の旅に護衛の騎士の一人として同行する。
……そう、『護衛の騎士の一人として』だ。
バルドは学院を卒業後に騎士の道に進んだ、まだ騎士になりたての新人だ。
腕が立つほうではあるからいずれ出世はするだろうが、まだ新人の一般騎士に過ぎない。
そんな彼がなぜ本来なら騎士団長がするはずの報告をしてくるかというと……団長がこの旅の護衛計画について私のところへ報告に来た時に、その計画の杜撰さにダメ出しをしすぎたみたいで、団長が私に怯えるようになってしまったからだ。
必要な時には私の顔色を窺いつつもちゃんと相談しに来るけれど、こんな風に簡単な内容の時にはバルドに報告を押し付けたりしている。私とバルドが知り合いだから、押し付けやすいんだろう。
まぁ、あんまりにも酷いようならそのうちちゃんと『話し合い』をするつもりだし、今のところは大目に見ている。
「ご苦労様。こちらも問題はないから、国王陛下と王妃様への挨拶が済み次第、出発することにしよう」
「了解! じゃあ、団長にそう伝えておくな」
ニカッと笑ったバルドが素早く隊のほうに戻っていく。
遠くでこちらの様子を窺っていた団長と目が合ったからニッコリと笑顔を返したら、なぜかビクッとされた。不思議だね。
後、この旅についてくるメンバーといえば……
視線を斜め後ろ、ゼノの隣に立っているクールガンに向ける。
おや? 表情はいつも通り平然としているけれど、どこかソワソワしているね。
気になって彼の視線を追ってみると……バーティアに話しかけているメンバーの後ろで、何か小さいのがうろうろしていた。
どうやらバーティアの侍女の一人……あぁ、あれは元「おつかい」の妹だね。
暗めの緑がかった茶色の髪に、オレンジ寄りの茶色の瞳。眉尻がやや下がり気味の大人しそうな顔つきのその子は、小柄なせいで幼く見えるけれど、確かバーティアと同じ年のはずだ。
印象としては、特に特徴がないのが特徴という感じだね。
名前は確か……ミルマ・カイモールだったかな?
今は元「おつかい」の代わりにバーティアの侍女として働きつつ、何か変わったことがあると私に報告書を提出してくれている。
もちろん、そのことをバーティアや彼女の周囲の人たちは知らない。
「……彼女がどうかした?」
表情に出さないまま、視線だけでミルマを追っているクールガンに小声で尋ねると、彼は一瞬ビクッと体を震わせてから少し渋い顔をした。
「いえ、たいしたことではないのですが……。どうも彼女はバーティア様に用事があるようで、先ほどから話しかけようとしているのですが上手くタイミングを掴めないようで……」
クールガンの言葉を聞き、改めて視線をミルマに向けると……なるほどね。
彼女はずっと「あの……」「妃殿下……」「頼まれたものを……」と頑張って声をかけようとしているのに、誰も気付いていない。
彼女の声が控えめなせいもあるだろうけれど、それ以前の問題として彼女の存在感が異様に薄い。
そういえば、元「おつかい」が「妹は昔から良くも悪くも存在感が薄くて……」と言っていたね。
見た目もはっきり言って地味めで、周りに溶け込みやすい。
元「おつかい」の話によると、子供の頃から、かくれんぼをして遊べば参加していたことすら忘れ去られ、見付けてもらえないまま友人が帰ってしまい、泣きながら家に帰ってくるなんてことが日常茶飯事だったとか。
「よく気が付いたね」
「私の実家は兄弟が多く、意思表示の苦手な妹がいつもあんな感じなんです」
苦笑いを浮かべるクールガンの表情はよくバーティアに向けているものに近い。所謂『兄』の顔だ。
「多分そろそろ……あぁ、やっぱり。彼女も既に侍女として働く立派な大人のはずなんですけれどね」
クールガンの言葉に合わせてミルマに視線を戻すと、なんとかバーティアに話しかけようと左右に動いていた足が止まり、俯きがちになっている。
キュッと唇を噛み締めるその表情は、涙を堪えているようだ。
「あの、殿下……」
クールガンが言いづらそうに言葉を切るが、彼の言いたいことは簡単に予想できた。
「良いよ。行っておいで」
私のその言葉にホッとした表情を浮かべたクールガンは、軽く一礼をするとスタスタと歩いてミルマのもとへ向かう。
普段兄弟にどのように接しているのかは見たことがないからよくわからないけれど、私のそばで働く彼が、バーティア以外にあのように世話を焼くのは珍しい。
少し興味を惹かれて見守っていると、クールガンはまるで注意するような表情でミルマに話しかけた。
初めは驚いた顔をしていたミルマだけれど、自分が困っていることに気付いてもらえたのが嬉しかったのか、クールガンに頭を下げつつもわずかに笑みを見せている。
少し会話をした後、小さく溜息を吐いたクールガンは「仕方ない」と言わんばかりの様子で、ミルマの手を引いてバーティアに近付いた。
……クールガン、君が手を引いているのは小柄で幼く見えても立派なレディーだからね? 子供じゃないんだよ?
クールガン自身はまったく意識していないようだけれど、手を引かれたミルマのほうはわずかに頬を赤らめている。
それに気付かないあたりが、クールガンらしい。
「バーティア様、少しよろしいでしょうか」
ミルマを連れたクールガンが私たちのところへ戻ってくる。
彼の声は凛としていてよく通るため、ミルマが声をかけていた時と違い、皆が彼のほうに視線を向けた。
「クー兄さ……クールガン様、いかがされましたか?」
バーティアがキョトンとした顔で首を傾げる。
そんな中、クールガンの後ろからおずおずとミルマが顔を出した。
ミルマの顔を見て、バーティアの表情が明るくなる。
「まぁ、ミルマ、戻ってきていたんですのね!」
うん、結構前からいたんだけれど、バーティアも気付いていなかったんだね。
「あ、あの、妃殿下これを……」
そっと差し出された小さな長方形の箱を目にしたバーティアが満面の笑みを浮かべる。
「お部屋からお持ちするよう言われておりました『ウニャン』です!」
「えぇ、持ってきてもらいたかったのはこれですわ!」
バーティアが箱を受け取る瞬間、慌てたようにそれの名前を言うミルマ。おそらく、持ってきたものに間違いがないかの確認の意味もあるんだろう。
それに満足そうにうなずくバーティア。
それにしても……
「ティア、その『ウニャン』とかいうものは一体なんなんだい?」
箱を見るだけでは、どのようなものか、何に使うものか予想がつかない。
「これはですね、カードゲームの一種で『バス』や『電車』……いえ、間違えましたわ。馬車の旅のお供の定番とも言えるものなんですのよ!」
『バス』や『電車』ね。
聞き慣れない言葉が出てくるあたり、定番とは言ってもバーティアの前世の世界の定番なんだろうな。
「なるほどね。それにしても変わった名前のゲームだね?」
名前だけ聞いていると猫の鳴き声のようだ。その言葉にどんな意味があるのかはわからないけれど、音の響きだけでも変わった名前だというのは伝わってくる。
だから、なんの気なしにそう返したんだけど、私の言葉を聞いた途端にバーティアの視線が逸れる。
「ティア?」
「いえ、あの……その……ですわね。じ、実はこれの基になるゲームの本当の名前は別のものなんですの。カードの製作を依頼する際にゲームの名前を聞かれて、その名前をもじろうと考えながら歩いていたら……途中で転びそうになりましたの」
「ん?」
それはもしかして?
「それで、ですわね。元の名前の最初の音の『ウ』まで言ったところで転びかけて思わず『ニャン』と叫んでしまったら、それを製作担当の方が名前だと勘違いしたみたいで、製作依頼の書類に商品名『ウニャン』と記載されてしまいましたの」
やっぱりそういう流れか。
相変わらず、私の妻は面白いことをやってくれる。
「まぁ、それは良かったですわ! 実は、あのデザインを見た私付きの侍女たちが『あんなデザインのドレスを着て結婚できたら素敵!』と噂していたこともあって、一部の女性貴族がバーティア様のデザインしたウエディングドレスを見たがっているのです」
仕事中に目にしたものについて外で軽々しく口にするのはどうかと思うけれど、きっとその辺はもうジョアンナ嬢が窘めていることだろう。
それに、バーティアがリソーナ王女のウエディングドレスのデザイン案を出したり、既に結婚式をした先輩として色々と彼女に協力していることも別に隠してはいない。
この点に関しては、アルファスタ国、ウミューベ国、シーヘルビー国共通の見解として、敢えて隠さず大々的に話題に出し、三国の仲が友好的なものであるとアピールしておいたほうが得だという話になっている。
ジョアンナ嬢の侍女たちもそのことをわかっていて「言ってもいい話題」として外で話してしまったんだろう。
要するに、今後のためを考えると釘を刺す必要はあるだろうけど、言われても別に困らない程度の話題ということなのだ。
「あら、ドレスのデザインのほうもですか? 実は、バーティア様たちの結婚式がとても素敵だったと評判になっておりまして、どんな式だったのか詳しく知りたいという方が他国のお客様の中にもちらほらといますのよ?」
ジョアンナ嬢の話に便乗するように、アンネ嬢が言う。
「私は結婚式のケーキはどのようなものがあるのか教えてほしいと、王太子夫妻の結婚式に出られなかった友人に聞かれましたわ」
「私は、騎士団に所属しておりますバルド様の友人の男性に、女性が喜ぶ素敵なプロポーズの仕方がないか聞かれましたわ。その時は特に思いつかないとお伝えしたのですが、遠回しに、ロマンティックな演出の得意なバーティア様に何かいい案がないか聞いてほしいと訴えられましたの。まぁもちろん、遠回しな訴えだったので、気付かないフリをして流しましたけれど」
ジョアンナ嬢とアンネ嬢に続いて、シーリカ嬢とシンシア嬢も順番に似たような経験について語り始めた。
どうやら、バーティアの結婚式の演出は思いのほか、評判になっているようだ。
「まぁ、嬉しいですわ! でも、困りましたわね。すべてにお答えしていたらリソーナ様の結婚式の準備が進みませんわ。この後にはジョアンナ様の結婚式も控えていますのに」
バーティアは嬉しそうにはしゃいだ後、実際の対応が可能かと、困ったように眉尻を下げた。
「フフフ……。今から楽しみにしてますのよ? 是非、素敵なアドバイスをくださいね」
バーティアに次は貴方の番だと告げられたことが嬉しかったのか、リソーナ王女がお気に入りのデザインを選んだことでやや不機嫌だったジョアンナ嬢の表情が一気に華やぐ。
ジョアンナ嬢と弟のショーンは一応少しずつ結婚式に向けて準備をしているけれど、今年私とバーティアが結婚したばかりだから、少し期間を空けたほうが良いだろうという理由で先延ばしになっている。
それでも何年も先にはならないだろう。おそらく来年あたりに結婚式の日程を決めて、一年弱くらいの準備期間を経て挙式ということになるんじゃないかと思っている。
こうやって今後の予定が立つくらいには結婚式が近付いてきているジョアンナ嬢には、結婚式の話題は今一番楽しく、興味の湧くものなのだろう。
「お任せくださいませ! 大切なお友達の結婚式ですもの! 頼まれなくても色々とサプライズや皆様に喜んでいただけそうなことを準備いたしますわ! もちろん、他の皆様の結婚式の時もですわ‼」
ニッコリと満面の笑みを浮かべて宣言するバーティアを見て、ご令嬢たちも嬉しそうな笑みを浮かべ……私の側近たちは相手のいないクールガンを除き、皆苦笑を浮かべている。
きっと、自分たちはパートナーの令嬢たちに何をねだられるのだろうかと不安なのだろう。
「あら、いけない。話が逸れてしまいましたわね」
テーブルの右側と左側で正反対の空気が流れた後、ハッとしたジョアンナ嬢が話を戻そうと口を開く。
「それでですね。私も実際にバーティア様のウエディングドレスのデザインを見て思ったのですけれど、バーティア様のドレスはこれから結婚されるご令嬢たちの良い参考になると思いますの。ですから、見たいという方にデザイン画をお見せするとか、実際にドレスを作ってどなたかに着てもらったりしてはどうかと思いまして。……折角素敵なデザインなのに、このままお蔵入りなんて勿体ないですし」
ジョアンナ嬢の提案に、バーティアは一瞬キョトンとした後、一歩遅れて理解したのか「ああ!」と声を上げた。
「それでしたら、いっそのこと『結婚情報誌』を作っても面白いかもしれませんわね‼」
「「「「『結婚情報誌』?」」」」
ご令嬢たちと側近たちの声が揃う。
どの声も、聞き慣れない言葉にかなり困惑している様子だ。
「そうですわ! 結婚する女性の味方となるような結婚に関するあれこれを一冊の本にまとめて、皆様に見ていただけばいいのですわ‼」
皆がバーティアの言葉の意味を考え、思案するような顔になる。
「結婚を前にした皆様が悩むのは似たようなことについてですもの。わかりやすいように絵や具体的なエピソードも交えて、本にまとめたら参考になると思いますの」
周囲の様子に気付かず、明るく楽しそうに『結婚情報誌』について語るバーティア。
そして、ジョアンナ嬢の「それいいですわね。欲しいですわ」という言葉をきっかけに、女性陣の目がキラキラと輝き始める。きっと、その本に自分たちの理想とする結婚式の形やドレスやケーキのデザインが書かれることを想像して、テンションが上がってきたのだろう。
……これはいけないね。
このままだと、リソーナ王女の結婚式の話がろくにできないまま打ち合わせが終わってしまう。
『結婚情報誌』という案はとても面白いと思うけれど、その話をするなら別に時間を作ったほうが良い。『結婚情報誌』に期限はないけれど、リソーナ王女の結婚式は日程が決まっている以上、準備にもタイムリミットがある。
パンッパンッ!
盛り上がり始めた話を切るために、手を叩いて私に注目させる。
「『結婚情報誌』の話はそれくらいにして、リソーナ王女の結婚式の話の続きに戻ろうか。私とバーティアも結婚式には参加することになるだろうだからね。移動時間を考えると準備に使えるのは後二ヶ月くらいしかないから、脱線している時間はないよ」
ニッコリ笑顔で言うと、慌てたように令嬢たちが口を噤み、真剣な表情に戻る。
こうやって切り替えがすぐできるところは良いね。
「では、続きの報告を……」
私が促したことで、話はどんどん進んでいく。その様子に満足して、私は話に耳を傾けることにした。
……おおむね準備は順調そうだね。
その後は特に話が脱線することも、何か問題が起きることもなく、すべての項目の打ち合わせが終わった。
だから、私も油断していた。
「後もう数ヶ月もすれば、リソーナ様は『リソーナ・ウミューベ』から『リソーナ・シーヘルビー』に、なる……」
会議終了直後、リソーナ王女の結婚式の準備が滞りなく進んでいることを実感し、感慨深げにバーティアが口にした言葉。
それが中途半端に途切れたことに違和感を覚えて隣に座るバーティアに視線を向ける。彼女は何か思うことでもあるのか、腕を組んで不思議そうに首を傾げていた。
「どうしたの、ティア?」
私がそう尋ねると、バーティアはまるで喉に魚の骨でも引っかかっているかのようなすっきりしない顔で、傾げていた首を今度は反対側に傾ける。
「いえ、なんでもないんですわ。なんでもないんですけれど……なぜか『リソーナ・シーヘルビー』という名前をどこかで聞いたことがあるような気がしましたの」
「リソーナ王女の輿入れの手伝いをしているんだから、聞いたことがあって当然じゃないのかい?」
「いえ、リソーナ様はまだ輿入れ前なので、目にする名前も耳にする名前も、現在の『リソーナ・ウミューベ』ばかりなのですわ」
何かが思い浮かびそうで浮かばないのが気持ち悪いのか、バーティアは「う~ん」とうなりながら、首をゆっくり左右に傾け考え込んでいる。
「ダメですわ! やっぱり思い出せませんの! でも今回の結婚のお話よりももっとずっと前にどこかで聞いた気がするんですの! けれどやっぱり気のせいな気がしてきましたわ。ご心配おかけしてすみません。気になさらないでくださいませ」
最後には頭を両手で抱え込むようにして、それでも思い出せなかったことで諦めがついたのか、いつもの笑顔に戻ったバーティアがそう告げる。
「……わかったよ」
私も、それに対して何か言及することもなく納得した……フリをした。
うん、これなんだか怪しいよね。
バーティアは思い出せないからって諦めたみたいだけど……私の第六感が危険信号を発しているのを感じるよ。
打ち合わせに集まった面々が解散し、私は事務作業の続きをするために執務室へ移動する。
その道すがら、後ろを歩くクールガンへ一瞬チラッと視線を向けてから歩調を緩めると、彼は私の意図を察したようにわずかに身を寄せてくる。
「クールガン、悪いけどリソーナ王女と相手の王太子のこと、ウミューベ国とシーヘルビー国の最近の動向とか、調べられる範囲でいいから調べて報告してくれる?」
クールガンは俯き加減に、小声で告げた私の言葉に耳を傾けていたが、一瞬「何を今さら」というような驚いた顔で私を見た。
……こんな風に気持ちが表情に出るあたりは、まだまだ未熟だね。
「何かご心配なことでも?」
「いや、ちょっと私の勘が騒いでね。別に理由があるわけではないんだけれど、ティアがあんなに頑張っているから、もしもの失敗が起こらないように、事前に少し勉強しておこうかなと思ってね」
クールガンは私の言葉にまだ納得はできていないようだったけれど、「畏まりました」と一言返事をした。
「……何も起こらなければ良いけどね」
特に、バーティアの前世由来の『何か』とか。
でも、こういう時に限って何かが起こるのが世の常というやつだ。
何か起きても起こらなくても、油断しないようにしておいたほうが良いに決まっている。
二 バーティア妻八ヶ月
「セシル様、いよいよシーヘルビー国へ出発ですわね‼」
王宮入り口前。
私たちの乗る馬車を中心に、いくつもの馬車が並んでいるのを見て、バーティアが嬉しそうにはしゃぐ。
今日はリソーナ王女とシーヘルビー国の王太子の結婚式に出席するため、シーヘルビー国に向けて出発する日だ。
リソーナ王女たちに贈るお祝いの品や、旅に必要な物資等はもう積み込んであり、護衛の騎士たちも既に隊列を組んでいる。
後は私たちと、同行する使用人たちが馬車に乗り込むのを待つばかりという状態だ。
「そうだね。これからしばらくは馬車の旅になるけれど、一緒に楽しもうね」
満面の笑みを浮かべたバーティアにそう声をかけると、彼女は嬉しそうに「はい!」と元気よく返事をした。
互いに笑みを交わした後、私たちは見送りに来てくれた人たちのほうを振り返る。
見送りに来てくれた人たちの中には、バーティアの父であるノーチェス侯爵、そして私の側近たちやバーティアの友人たちの姿もあった。私の父母である国王と王妃も見送りに来てくれることになっているが、きっと来るのはもう少し後だろう。
「バーティア、いいかい? もし何か危ないことがあったら、すぐ殿下の後ろに隠れるんだよ? そうしたら大概のことは向こうから逃げていくからね? 絶対に自分で対処しようなんて思うんじゃないぞ?」
バーティアの父であるノーチェス侯爵が、心配そうに彼女の手を握って言い聞かせ始める。
……ノーチェス侯爵、私にはそんな魔除けみたいな効果はありませんよ? まぁ、バーティアのことは私も大切なので、全力で守りはしますけれど。
「バーティア様、これから向かわれるのは他国ですからね? 愛でる会のメンバーもそんなに多くはいないので、いつも以上に気を付けてくださいね?」
ジョアンナ嬢が心配そうに眉尻を下げた。
「そんなに多くない」って、まさか国外にも非公式ファンクラブ「バーティアを愛でる会」のメンバーがいるということだろうか?
「バーティア様、あちらの国について資料をまとめておきましたので、もしよろしければ旅の途中でご覧になってください」
アンネ嬢が、バーティアに冊子のようなものを渡す。
どうやら、彼女が自らの手で調べたシーヘルビー国の情報をまとめてくれたようだ。
「アンネ様、ありがとうございますわ! 是非読んでお勉強させていただきますわ‼」
パラパラと中身を確認した後、感動した様子でバーティアがアンネ嬢の手を握る。
アンネ嬢は少し照れくさそうにしているけれど、喜んでもらえて嬉しそうだ。
「バーティア様、ちゃんとハンカチは持ちましたか? お菓子を食べた後はドレスではなくちゃんとそれで拭いてくださいね? 一応、シンシア様にも頼んではありますが、今回は私はお留守番ですのでご自身でお気を付けくださいね?」
シーリカ嬢が心配そうにバーティアに注意し始めるけれど……シーリカ嬢、それは本来子供にする注意だよ? まぁ、確かにバーティアは大雑把なところがあるから、時々お菓子を食べた手でドレスに触れそうになって慌てていることがあるけどね。
ちなみに、バーティアの友人の中でシンシア嬢だけは、バーティア付きの女官として私たちに同行する。シーリカ嬢が留守番中の仕事を、シンシア嬢が旅の間のバーティアの世話を担当することになったようだ。
そのシンシア嬢は、今はバーティアの斜め後ろでクロと並んで立っている。
シーリカ嬢とシンシア嬢が真剣な表情で視線を交わし、「よろしくね」「任せて」とでも言い合うかのようにうなずき合った。
その二人の間で、バーティアだけがのほほんとしているのが、少し面白い。
「殿下、護衛の準備も整ったそうだぞ」
後ろから騎士の制服に身を包んだバルドが声をかけてくる。
バルドは今回の旅に護衛の騎士の一人として同行する。
……そう、『護衛の騎士の一人として』だ。
バルドは学院を卒業後に騎士の道に進んだ、まだ騎士になりたての新人だ。
腕が立つほうではあるからいずれ出世はするだろうが、まだ新人の一般騎士に過ぎない。
そんな彼がなぜ本来なら騎士団長がするはずの報告をしてくるかというと……団長がこの旅の護衛計画について私のところへ報告に来た時に、その計画の杜撰さにダメ出しをしすぎたみたいで、団長が私に怯えるようになってしまったからだ。
必要な時には私の顔色を窺いつつもちゃんと相談しに来るけれど、こんな風に簡単な内容の時にはバルドに報告を押し付けたりしている。私とバルドが知り合いだから、押し付けやすいんだろう。
まぁ、あんまりにも酷いようならそのうちちゃんと『話し合い』をするつもりだし、今のところは大目に見ている。
「ご苦労様。こちらも問題はないから、国王陛下と王妃様への挨拶が済み次第、出発することにしよう」
「了解! じゃあ、団長にそう伝えておくな」
ニカッと笑ったバルドが素早く隊のほうに戻っていく。
遠くでこちらの様子を窺っていた団長と目が合ったからニッコリと笑顔を返したら、なぜかビクッとされた。不思議だね。
後、この旅についてくるメンバーといえば……
視線を斜め後ろ、ゼノの隣に立っているクールガンに向ける。
おや? 表情はいつも通り平然としているけれど、どこかソワソワしているね。
気になって彼の視線を追ってみると……バーティアに話しかけているメンバーの後ろで、何か小さいのがうろうろしていた。
どうやらバーティアの侍女の一人……あぁ、あれは元「おつかい」の妹だね。
暗めの緑がかった茶色の髪に、オレンジ寄りの茶色の瞳。眉尻がやや下がり気味の大人しそうな顔つきのその子は、小柄なせいで幼く見えるけれど、確かバーティアと同じ年のはずだ。
印象としては、特に特徴がないのが特徴という感じだね。
名前は確か……ミルマ・カイモールだったかな?
今は元「おつかい」の代わりにバーティアの侍女として働きつつ、何か変わったことがあると私に報告書を提出してくれている。
もちろん、そのことをバーティアや彼女の周囲の人たちは知らない。
「……彼女がどうかした?」
表情に出さないまま、視線だけでミルマを追っているクールガンに小声で尋ねると、彼は一瞬ビクッと体を震わせてから少し渋い顔をした。
「いえ、たいしたことではないのですが……。どうも彼女はバーティア様に用事があるようで、先ほどから話しかけようとしているのですが上手くタイミングを掴めないようで……」
クールガンの言葉を聞き、改めて視線をミルマに向けると……なるほどね。
彼女はずっと「あの……」「妃殿下……」「頼まれたものを……」と頑張って声をかけようとしているのに、誰も気付いていない。
彼女の声が控えめなせいもあるだろうけれど、それ以前の問題として彼女の存在感が異様に薄い。
そういえば、元「おつかい」が「妹は昔から良くも悪くも存在感が薄くて……」と言っていたね。
見た目もはっきり言って地味めで、周りに溶け込みやすい。
元「おつかい」の話によると、子供の頃から、かくれんぼをして遊べば参加していたことすら忘れ去られ、見付けてもらえないまま友人が帰ってしまい、泣きながら家に帰ってくるなんてことが日常茶飯事だったとか。
「よく気が付いたね」
「私の実家は兄弟が多く、意思表示の苦手な妹がいつもあんな感じなんです」
苦笑いを浮かべるクールガンの表情はよくバーティアに向けているものに近い。所謂『兄』の顔だ。
「多分そろそろ……あぁ、やっぱり。彼女も既に侍女として働く立派な大人のはずなんですけれどね」
クールガンの言葉に合わせてミルマに視線を戻すと、なんとかバーティアに話しかけようと左右に動いていた足が止まり、俯きがちになっている。
キュッと唇を噛み締めるその表情は、涙を堪えているようだ。
「あの、殿下……」
クールガンが言いづらそうに言葉を切るが、彼の言いたいことは簡単に予想できた。
「良いよ。行っておいで」
私のその言葉にホッとした表情を浮かべたクールガンは、軽く一礼をするとスタスタと歩いてミルマのもとへ向かう。
普段兄弟にどのように接しているのかは見たことがないからよくわからないけれど、私のそばで働く彼が、バーティア以外にあのように世話を焼くのは珍しい。
少し興味を惹かれて見守っていると、クールガンはまるで注意するような表情でミルマに話しかけた。
初めは驚いた顔をしていたミルマだけれど、自分が困っていることに気付いてもらえたのが嬉しかったのか、クールガンに頭を下げつつもわずかに笑みを見せている。
少し会話をした後、小さく溜息を吐いたクールガンは「仕方ない」と言わんばかりの様子で、ミルマの手を引いてバーティアに近付いた。
……クールガン、君が手を引いているのは小柄で幼く見えても立派なレディーだからね? 子供じゃないんだよ?
クールガン自身はまったく意識していないようだけれど、手を引かれたミルマのほうはわずかに頬を赤らめている。
それに気付かないあたりが、クールガンらしい。
「バーティア様、少しよろしいでしょうか」
ミルマを連れたクールガンが私たちのところへ戻ってくる。
彼の声は凛としていてよく通るため、ミルマが声をかけていた時と違い、皆が彼のほうに視線を向けた。
「クー兄さ……クールガン様、いかがされましたか?」
バーティアがキョトンとした顔で首を傾げる。
そんな中、クールガンの後ろからおずおずとミルマが顔を出した。
ミルマの顔を見て、バーティアの表情が明るくなる。
「まぁ、ミルマ、戻ってきていたんですのね!」
うん、結構前からいたんだけれど、バーティアも気付いていなかったんだね。
「あ、あの、妃殿下これを……」
そっと差し出された小さな長方形の箱を目にしたバーティアが満面の笑みを浮かべる。
「お部屋からお持ちするよう言われておりました『ウニャン』です!」
「えぇ、持ってきてもらいたかったのはこれですわ!」
バーティアが箱を受け取る瞬間、慌てたようにそれの名前を言うミルマ。おそらく、持ってきたものに間違いがないかの確認の意味もあるんだろう。
それに満足そうにうなずくバーティア。
それにしても……
「ティア、その『ウニャン』とかいうものは一体なんなんだい?」
箱を見るだけでは、どのようなものか、何に使うものか予想がつかない。
「これはですね、カードゲームの一種で『バス』や『電車』……いえ、間違えましたわ。馬車の旅のお供の定番とも言えるものなんですのよ!」
『バス』や『電車』ね。
聞き慣れない言葉が出てくるあたり、定番とは言ってもバーティアの前世の世界の定番なんだろうな。
「なるほどね。それにしても変わった名前のゲームだね?」
名前だけ聞いていると猫の鳴き声のようだ。その言葉にどんな意味があるのかはわからないけれど、音の響きだけでも変わった名前だというのは伝わってくる。
だから、なんの気なしにそう返したんだけど、私の言葉を聞いた途端にバーティアの視線が逸れる。
「ティア?」
「いえ、あの……その……ですわね。じ、実はこれの基になるゲームの本当の名前は別のものなんですの。カードの製作を依頼する際にゲームの名前を聞かれて、その名前をもじろうと考えながら歩いていたら……途中で転びそうになりましたの」
「ん?」
それはもしかして?
「それで、ですわね。元の名前の最初の音の『ウ』まで言ったところで転びかけて思わず『ニャン』と叫んでしまったら、それを製作担当の方が名前だと勘違いしたみたいで、製作依頼の書類に商品名『ウニャン』と記載されてしまいましたの」
やっぱりそういう流れか。
相変わらず、私の妻は面白いことをやってくれる。
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★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
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