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日髙昴生の「 」
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中学を卒業したらこの街を出ていく。
寮でも一人暮らしでもいい。
日髙昴生の妹というラベリングから離れられるところなら、思い出のあるこの土地すら捨てる覚悟はある。
だから、三年生になったばかりのある日、担任との面談で私は聞いた。
「先生、県外の学校ってどうやって受験するの?」
アラサーくらいの新担任は、意外そうに目を丸くした。
「目標にしている高校があるのか?」
「……まだ決めていない」
「何かやりたいことがあるのか?」
「特には、ないけど?」
「それは珍しいな。大抵の生徒は夢や目標を基準にして進学してるのに。……どんな理由があるんだ?」
そこを深掘りされると思わなかった。
私はどうやって受験するのかを聞きたかっただけであって、人生相談をしたかったわけじゃない。
苛立ちが伝わったのか、先生は咳払いをして質問を変えた。
「ご両親は何と言っているんだ?」
「……まだ話していない」
「まずは話し合いをしてから決めるべきだと思う」
正論を投げかけられたら、これ以上話すことはなかった。
こうして私の面談は何の収穫もないまま終わった。
ため息を吐きそうになりながら、教室を出ていく。
次の番であった男子生徒と目が合ったけど、あからさまに目を逸らされた。
ただ目が合うことですら、関わりたくないという意思を感じさせる。
……腹立つ。
おそらく、生まれつきの私のつり目は、もっとつり上がって見えていることだろう。それくらい機嫌が悪い。
学校を出ると、昼食を買うために繁華街へと向かった。
ハンバーガーでも食べようかと思っていると、前から不良の集団が歩いてきていた。
近くにいた女子高生たちが不良の一人に声を掛けられ、そそくさと逃げていた。
他の人たちも逃げ腰で道を開けている。
立ち止まっていた私に、不良たちは気付いた。
みんな、へらへらとした笑みを浮かべて寄ってくる。
「あれー? 昴生さんの妹さんじゃん」
「本当だ。学校の帰り?」
「一人なら一緒に来る?」
気さくに話しかけてくるけど、知り合いなんて一人もいない。
それなのに、この人たちは私のことを知っている。
「これから昴生さんのところに行くけど、連れて行ってあげようか?」
首を横に振った。
学校をサボって高校生たちが出入りするような場所。
そんなところに行きたくない。
「変なのに絡まれないようにしなよ。昴生さんがブチギレたら誰にも止められないから」
「……」
うなずいて立ち去った。
――兄である昴生は、不良たちに一目置かれる存在だった。
それが私にとっての鎖になっていることを、誰も理解してくれない。
* * *
日髙昴生が、私の兄になると紹介されたのは3年前だった。
10代で私を産んだお母さんは、知り合いのスナックで働いていた。そこで出会ったのが昴生の父親である、春樹さん。
表向きは社長さんらしいけど、たぶんクリーンな企業じゃない。
春樹さんの一目惚れらしい。
お母さんは芸能人と遜色のない美人と言われているから、不思議ではなかった。
そして、あっという間に絆されて籍を入れることになったみたいで、もう結婚しないって言っていたのに嘘つきだと思った。
「担任の先生から連絡をもらったけど、月海ちゃんは県外の学校に行きたいの?」
珍しく春樹さんに話しかけられたと思ったら、進学のことだった。
リビングのソファに座り、一対一で話をすることになった。
「はい。そう考えています」
答えを聞いた春樹さんは「困ったなぁ」と笑った。
「舞海ちゃんは月海ちゃんのことだけは頑固だから。そんなことをされたら、寂しくて泣いちゃうと思うんだ」
「……そうかもしれません」
「ん? 分かっていて、舞海ちゃんを泣かせようとしているの?」
冷たい目を向けられ、背筋が凍った。
お母さんと再婚して父親になったはずなのに、この人は私を娘として扱わない。
お母さんの機嫌を取るために世話をされている。
……それが痛いほど分かっていた。
「……でも、いずれこの家を出ていくんだから、それは避けられないことだと思います」
勇気を出して告げれば、春樹さんは目を細めて微笑んだ。
「そうだよね。……でも、それは今すぐじゃなくていいよね?」
私の意見など受け入れる気がない。
そう言いたげで、唇を噛んだ。
「君も舞海ちゃんみたいに可愛げがあれば良かったのにね。下手に考える頭があるから可哀想に。……まあ、君は舞海ちゃんじゃないからしょうがないよね」
「……」
それはお母さんのことも馬鹿にしている。
そう思うのに、春樹さんは愛しそうにお母さんのことを考えている。
「昴生と同じ学校を目指したらどう?……君にはとても入れる偏差値じゃないけどさ」
わざわざ言わなくていいのに。
きっと春樹さんは、お母さんの中にある私という存在が忌々しいのだ。
そんなの、私にはどうしようもないのに。
言い返せることがなくて黙り込んでいると、玄関のほうから音が聞こえてきた。
ギシギシと床を踏む音が近づいてきて、ドアが開いた。
「……何してんの?」
変声期を終えた男の声。
ツーブロックをシルバーアッシュに染め、美しさに磨きをかけた昴生は、この父親相手でも平然としている人間だった。
今もドアに寄りかかり、冷静に状況を観察している。
「月海ちゃんの進路について話していたんだ。でも、話はもう終わった。俺は仕事に戻るよ」
「へぇ。舞海さんは留守?」
「舞海ちゃんはたまたま友人夫婦に食事に誘われて出かけているよ。ゆっくりしてくるように伝えているから、今夜は遅いんじゃないかな」
「ああ、父さんの友達のあの人たちね」
含みを持たせて、昴生は笑った。
今のお母さんは昔の知り合いと付き合いがない。
本人の知らないところで、春樹さんの都合の良い友人たちをあてがわれているから。
「じゃあね、月海ちゃん」
立ち去る春樹さんの笑顔は、まるで私に釘を差しているようだった。
変なことはするなよ、と。
強力な圧が解け、思わず息を大きく吐いた。
昴生は春樹さんが座っていた場所に腰を下ろした。正面だから、テーブルを挟んで向き合うことになる。
「もう高校は決めたのか?」
質問の内容に、首を横に振る。
目の前の男は、父親が消えた途端に砕けた空気を出してきた。
「……昴生くんと同じ学校にすればって言われた。笑っちゃうよね」
「なんで? 目指せばいいじゃん」
「無理に決まってる」
簡単に言わないでほしい。
この辺で一、二位の偏差値なんだよ?
私の頭なんかじゃ、目指すことすら許されない。
「最初から諦めるのはどうかと思うけど」
胸にチクリと、針を刺したような痛みを感じた。
そんなことを言えるのは選択を奪われる心配のない人間だけだ。
「とにかく、まだ進路は決まってないから」
県外を希望していたことは、昴生には伝えないでおく。
「決まったら教えて」
目を細めて笑う顔が春樹さんにそっくり。
そして、その奥にある熱も既視感がある。
気付いていないふりをしていなければ、もう逃げられなくなる。
* * *
3歳年上の昴生は、最初は優しい義兄だった。
それまでゲームを買う余裕などなく、下手くそだった私に丁寧に教えてくれた。
環境が大きく変わっても不安が少なかったのは昴生のおかげだった。
しかも、昴生はとても格好良かった。
まるで絵本で読んだ王子様が現れたかのように、私は無邪気に喜んでいた。
それが一変したのは中学に上がってからだ。
昴生と入れ違いで入学したはずなのに、その影響力は大きかった。
「あの子、日髙昴生の妹らしいよ」
噂は入学前から広まっていたらしい。
普通の生徒は避け、不良と呼ばれる生徒たちは私を持て囃そうとする。だから、居心地の悪さはすぐに完成した。
昴生は、優しいけど、それが他者にもそうかと言われれば違ったようだ。
さすがに嘘だろうと笑えるものから、話題にすら出せないような噂まで、さまざまなものを耳にした。
「お兄ちゃんって不良だったの?」
なんて、裏切られたような気持ちを口にしたことがある。
昴生は「さあ?」と興味なさそうに答えた。
「いつの間にかそこにいただけで、世間では不良というのかも」
他者から、そうカテゴリーに分けられたのだと。
普通の人間が避けようとする世界が、昴生の周りには自然とあったのだ。
「そんなことより、それやめない?」
「それって?」
「お兄ちゃんって呼ぶの。これからは昴生って呼んで」
突然どうして?
困惑する私に、昴生は「二度とお兄ちゃんと呼ばないこと」を徹底させた。
……そうしたがった理由が、今なら分かってしまった。
当時のことを、ふと思い出して身震いしていると、チャイムと共に先生が教室に入ってきた。
その後ろには、見慣れない制服の女子生徒の姿があった。
「転校生を紹介する」
こういう時、教室の中はざわつくものなのに、しんと静まり返っていた。
その理由は転校生にあった。
「百瀬ハルナでーす。よろしく」
明るく自己紹介をしているけど、耳には無数のピアスがあり、頬には大きなガーゼが貼られていた。
これは関わってはいけない人間だ、そう判断されたのだ、彼女も。
案の定、休み時間になっても百瀬に話しかけるような人間はいなかった。
本人は気さくな性格のようで、誰彼構わず話しかけていたけど手応えがないのが分かる。
扱われ方が私と似ている。
でも、性格が全然違う。
そんな風に考えていたら、百瀬から声を掛けられた。
「ねえ、音楽室ってどこなの?」
聞かれれば、無視できないから案内をした。
その一件で百瀬は何でも私に聞けばいいと学習したようだ。
「まだ習っていないところがあるから教えて」
「文房具ってどこで買える?」
「みんなどこで遊んでいるの?」
矢継ぎ早に質問されて、いつの間にか百瀬が私の隣にいることが当たり前となっていた。
明るくて気さくな彼女が悪い子とは思えなくて、私も気を許すようになっていた。
学校でこうして話せる相手なんていなかったから。
百瀬に、いずれこの街を出たいけど難しいことを打ち明けた。
彼女はきょとんとした顔で言った。
「一人で出ていくのが難しいならさ、男作ればいいんだよ。月海のことをこの街から連れ出せる、年上の男」
なんでもオープンな百瀬が、男性経験が豊富なのは分かっていた。
だから、こんな発想になったのだと思う。
私が戸惑っているうちに、百瀬は話をどんどん進めていく。
「月海って可愛いから、誰か紹介してあげるよ。暇な日はいつ?」
「待って、そういうのよく分からない……」
「んー? 誰とも付き合ったことがないんだっけ。大丈夫だよ、ちゃんといい男を紹介してあげるから」
でも、だって、なんて私が言葉を並べていると、百瀬は一刀両断してきた。
「本気でここから逃げたいならさ、それしかないよ」
正直、押し負けたと思う。
だけど、それも悪くないんじゃないかって思った。
ここよりも息苦しく生きなくて済みそうだったから。
「じゃあ、今度の日曜日に遊びに行こう。何人か男の人用意意しとくから、可愛くしてきてね」
私は、こくりと頷いた。
* * *
日曜日。
お母さんに頼んで、ヘアメイクをセットしてもらった。
鏡の中には、毛先を緩く巻き、ピンクを基調としたメイクを施された私がいる。
「つっちゃん、可愛いね~」
急なお願いにも関わらず、お母さんは大喜びで支度をしてくれた。
スマートフォンを向けられ、何度も連写された。
「お友達と遊びに行くのよね? ……危ないところには行っちゃダメだからね?」
もう33歳なのに、お母さんは少女のようなところがある。
精神が年相応ではなくて、騙されやすい。
きっと、私の実父と春樹さんは、そこに付け込んだんだと思っている。
都合よく騙されていることにも気づかず生きている。
……私は、お母さんみたいになりたくない。
自分で考えて生きていくんだ。
「男の子はいるの?」
この質問は、年頃の娘への好奇心というより、警戒しているのが分かる。
眉を下げて不安をにじませているから。
お母さんは、私が誰かに奪われるのを怖がっているんだと思う。
春樹さんと結婚するまで、私を育て上げることだけに依存して生きてきた人。
自分が10代で身籠ったこともあってか、男の子のチェックは厳しくて、とても今からの予定は話せなかった。
「いないよ」
鏡の中に、嘘つきな私の笑顔が映っていた。
* * *
百瀬たちとの待ち合わせは13時だけど、私は早く家を出た。万が一のことを考えて。
春樹さんや昴生に見つかったら、何を言われるか分かったもんじゃない。
私服ではほとんど履いたことがないスカート。
学校のものより短くて、落ち着かなくて、もじもじしてしまう。
何だかいつもより、周りから見られている気がしてくる。
……自意識過剰になっていて恥ずかしい。
「まだ1時間もある……」
時間を確認して、行きたい場所もないから佇んでいた。
待ち合わせに選ばれたのが駅前ということもあって、大人から子どもまで、さまざまな人たちが通り過ぎていく。
こうやって、無関心な人たちの中に紛れ込むと落ち着くかも。
いつかこの街を出たら、こんな感じなのかな。
誰にも知られていない私を想像して、ゆるく口角が上がっていた時だった。
「何してるの? 月海」
「……え?」
目の前に影が落ちてきたと思ったら、昴生が立っていた。
……なんで?!
頬が引きつる。
私を見下ろしている目が座っていたから。
「と、友達と遊ぶ約束をしていて」
「へぇ……。何って子? 名前を教えて」
「百瀬っていう女の子。……少し前に転校してきて、仲良くなった」
何も嘘は言っていない。
それなのに、昴生が疑っているのが分かる。
百瀬の写真とか、見せれば……?
「そっか、そっか!」
昴生は声を上げて笑い、そして――真顔になった。
「男もいるだろう、それ」
抑揚のない声に、私の肩が跳ねる。
昴生の目を見ていると、心臓を握られている気分だった。力加減ひとつで潰されてしまう。
「百瀬の友達だよ? 友達の友達が来るくらい、普通のこと……」「月海」
言い訳は途中で遮られた。
「いいのか? ……舞海さんは、それを知っていて送り出したのか?」
「……それは……」
お母さんの心配を引き合いに出されてしまったら、何も言い返せない。
昴生の指が、私の毛先に触れる。
くるくると弄ばれて、指に絡まっていく。
「なんで、今日はそんなに“女”の顔をしてるわけ?」
「え?」
「その顔を見れば、これから男と会うって書いているんだよ」
ただメイクをして、いつもより可愛い格好をしただけなのに。
それが昴生の逆鱗に触れてしまったのだと、……そこで悟った。
……逃げなきゃ。
ここで捕まったら、もう逃げられない!
昴生の体を突き飛ばす。
一瞬だけ髪の毛が引っ張られるようになって、痛みが走った。
昴生が目を見開いているのが見えたけど、次の瞬間には弾かれるように走り出していた。
「月海!」
名前を呼ばれても知るもんか。
昴生が追いかけてくるけど、駆け足には自信があった。
わざと人の多い方へと走り、追いつけないように逃げていく。
「止まれ!」
そんな声が聞こえたけど、路地裏に飛び込んだ頃には振り払っていたようだ。
黒猫が通り過ぎていくだけで、誰もいない。
私の息が乱れている音だけが聞こえている。
「……逃げた。逃げちゃった」と震えた声が口から漏れる。
もう日髙の家には戻れない。
こんな風に無計画に行動するつもりなんて無かったのに。
「百瀬のところに行かないと……」
連絡をして、待ち合わせ場所を変えてもらわないといけない。もう頼れるのは、百瀬と紹介してくれる男の子たちしかいない。
寮でも一人暮らしでもいい。
日髙昴生の妹というラベリングから離れられるところなら、思い出のあるこの土地すら捨てる覚悟はある。
だから、三年生になったばかりのある日、担任との面談で私は聞いた。
「先生、県外の学校ってどうやって受験するの?」
アラサーくらいの新担任は、意外そうに目を丸くした。
「目標にしている高校があるのか?」
「……まだ決めていない」
「何かやりたいことがあるのか?」
「特には、ないけど?」
「それは珍しいな。大抵の生徒は夢や目標を基準にして進学してるのに。……どんな理由があるんだ?」
そこを深掘りされると思わなかった。
私はどうやって受験するのかを聞きたかっただけであって、人生相談をしたかったわけじゃない。
苛立ちが伝わったのか、先生は咳払いをして質問を変えた。
「ご両親は何と言っているんだ?」
「……まだ話していない」
「まずは話し合いをしてから決めるべきだと思う」
正論を投げかけられたら、これ以上話すことはなかった。
こうして私の面談は何の収穫もないまま終わった。
ため息を吐きそうになりながら、教室を出ていく。
次の番であった男子生徒と目が合ったけど、あからさまに目を逸らされた。
ただ目が合うことですら、関わりたくないという意思を感じさせる。
……腹立つ。
おそらく、生まれつきの私のつり目は、もっとつり上がって見えていることだろう。それくらい機嫌が悪い。
学校を出ると、昼食を買うために繁華街へと向かった。
ハンバーガーでも食べようかと思っていると、前から不良の集団が歩いてきていた。
近くにいた女子高生たちが不良の一人に声を掛けられ、そそくさと逃げていた。
他の人たちも逃げ腰で道を開けている。
立ち止まっていた私に、不良たちは気付いた。
みんな、へらへらとした笑みを浮かべて寄ってくる。
「あれー? 昴生さんの妹さんじゃん」
「本当だ。学校の帰り?」
「一人なら一緒に来る?」
気さくに話しかけてくるけど、知り合いなんて一人もいない。
それなのに、この人たちは私のことを知っている。
「これから昴生さんのところに行くけど、連れて行ってあげようか?」
首を横に振った。
学校をサボって高校生たちが出入りするような場所。
そんなところに行きたくない。
「変なのに絡まれないようにしなよ。昴生さんがブチギレたら誰にも止められないから」
「……」
うなずいて立ち去った。
――兄である昴生は、不良たちに一目置かれる存在だった。
それが私にとっての鎖になっていることを、誰も理解してくれない。
* * *
日髙昴生が、私の兄になると紹介されたのは3年前だった。
10代で私を産んだお母さんは、知り合いのスナックで働いていた。そこで出会ったのが昴生の父親である、春樹さん。
表向きは社長さんらしいけど、たぶんクリーンな企業じゃない。
春樹さんの一目惚れらしい。
お母さんは芸能人と遜色のない美人と言われているから、不思議ではなかった。
そして、あっという間に絆されて籍を入れることになったみたいで、もう結婚しないって言っていたのに嘘つきだと思った。
「担任の先生から連絡をもらったけど、月海ちゃんは県外の学校に行きたいの?」
珍しく春樹さんに話しかけられたと思ったら、進学のことだった。
リビングのソファに座り、一対一で話をすることになった。
「はい。そう考えています」
答えを聞いた春樹さんは「困ったなぁ」と笑った。
「舞海ちゃんは月海ちゃんのことだけは頑固だから。そんなことをされたら、寂しくて泣いちゃうと思うんだ」
「……そうかもしれません」
「ん? 分かっていて、舞海ちゃんを泣かせようとしているの?」
冷たい目を向けられ、背筋が凍った。
お母さんと再婚して父親になったはずなのに、この人は私を娘として扱わない。
お母さんの機嫌を取るために世話をされている。
……それが痛いほど分かっていた。
「……でも、いずれこの家を出ていくんだから、それは避けられないことだと思います」
勇気を出して告げれば、春樹さんは目を細めて微笑んだ。
「そうだよね。……でも、それは今すぐじゃなくていいよね?」
私の意見など受け入れる気がない。
そう言いたげで、唇を噛んだ。
「君も舞海ちゃんみたいに可愛げがあれば良かったのにね。下手に考える頭があるから可哀想に。……まあ、君は舞海ちゃんじゃないからしょうがないよね」
「……」
それはお母さんのことも馬鹿にしている。
そう思うのに、春樹さんは愛しそうにお母さんのことを考えている。
「昴生と同じ学校を目指したらどう?……君にはとても入れる偏差値じゃないけどさ」
わざわざ言わなくていいのに。
きっと春樹さんは、お母さんの中にある私という存在が忌々しいのだ。
そんなの、私にはどうしようもないのに。
言い返せることがなくて黙り込んでいると、玄関のほうから音が聞こえてきた。
ギシギシと床を踏む音が近づいてきて、ドアが開いた。
「……何してんの?」
変声期を終えた男の声。
ツーブロックをシルバーアッシュに染め、美しさに磨きをかけた昴生は、この父親相手でも平然としている人間だった。
今もドアに寄りかかり、冷静に状況を観察している。
「月海ちゃんの進路について話していたんだ。でも、話はもう終わった。俺は仕事に戻るよ」
「へぇ。舞海さんは留守?」
「舞海ちゃんはたまたま友人夫婦に食事に誘われて出かけているよ。ゆっくりしてくるように伝えているから、今夜は遅いんじゃないかな」
「ああ、父さんの友達のあの人たちね」
含みを持たせて、昴生は笑った。
今のお母さんは昔の知り合いと付き合いがない。
本人の知らないところで、春樹さんの都合の良い友人たちをあてがわれているから。
「じゃあね、月海ちゃん」
立ち去る春樹さんの笑顔は、まるで私に釘を差しているようだった。
変なことはするなよ、と。
強力な圧が解け、思わず息を大きく吐いた。
昴生は春樹さんが座っていた場所に腰を下ろした。正面だから、テーブルを挟んで向き合うことになる。
「もう高校は決めたのか?」
質問の内容に、首を横に振る。
目の前の男は、父親が消えた途端に砕けた空気を出してきた。
「……昴生くんと同じ学校にすればって言われた。笑っちゃうよね」
「なんで? 目指せばいいじゃん」
「無理に決まってる」
簡単に言わないでほしい。
この辺で一、二位の偏差値なんだよ?
私の頭なんかじゃ、目指すことすら許されない。
「最初から諦めるのはどうかと思うけど」
胸にチクリと、針を刺したような痛みを感じた。
そんなことを言えるのは選択を奪われる心配のない人間だけだ。
「とにかく、まだ進路は決まってないから」
県外を希望していたことは、昴生には伝えないでおく。
「決まったら教えて」
目を細めて笑う顔が春樹さんにそっくり。
そして、その奥にある熱も既視感がある。
気付いていないふりをしていなければ、もう逃げられなくなる。
* * *
3歳年上の昴生は、最初は優しい義兄だった。
それまでゲームを買う余裕などなく、下手くそだった私に丁寧に教えてくれた。
環境が大きく変わっても不安が少なかったのは昴生のおかげだった。
しかも、昴生はとても格好良かった。
まるで絵本で読んだ王子様が現れたかのように、私は無邪気に喜んでいた。
それが一変したのは中学に上がってからだ。
昴生と入れ違いで入学したはずなのに、その影響力は大きかった。
「あの子、日髙昴生の妹らしいよ」
噂は入学前から広まっていたらしい。
普通の生徒は避け、不良と呼ばれる生徒たちは私を持て囃そうとする。だから、居心地の悪さはすぐに完成した。
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さすがに嘘だろうと笑えるものから、話題にすら出せないような噂まで、さまざまなものを耳にした。
「お兄ちゃんって不良だったの?」
なんて、裏切られたような気持ちを口にしたことがある。
昴生は「さあ?」と興味なさそうに答えた。
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「そんなことより、それやめない?」
「それって?」
「お兄ちゃんって呼ぶの。これからは昴生って呼んで」
突然どうして?
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「百瀬ハルナでーす。よろしく」
明るく自己紹介をしているけど、耳には無数のピアスがあり、頬には大きなガーゼが貼られていた。
これは関わってはいけない人間だ、そう判断されたのだ、彼女も。
案の定、休み時間になっても百瀬に話しかけるような人間はいなかった。
本人は気さくな性格のようで、誰彼構わず話しかけていたけど手応えがないのが分かる。
扱われ方が私と似ている。
でも、性格が全然違う。
そんな風に考えていたら、百瀬から声を掛けられた。
「ねえ、音楽室ってどこなの?」
聞かれれば、無視できないから案内をした。
その一件で百瀬は何でも私に聞けばいいと学習したようだ。
「まだ習っていないところがあるから教えて」
「文房具ってどこで買える?」
「みんなどこで遊んでいるの?」
矢継ぎ早に質問されて、いつの間にか百瀬が私の隣にいることが当たり前となっていた。
明るくて気さくな彼女が悪い子とは思えなくて、私も気を許すようになっていた。
学校でこうして話せる相手なんていなかったから。
百瀬に、いずれこの街を出たいけど難しいことを打ち明けた。
彼女はきょとんとした顔で言った。
「一人で出ていくのが難しいならさ、男作ればいいんだよ。月海のことをこの街から連れ出せる、年上の男」
なんでもオープンな百瀬が、男性経験が豊富なのは分かっていた。
だから、こんな発想になったのだと思う。
私が戸惑っているうちに、百瀬は話をどんどん進めていく。
「月海って可愛いから、誰か紹介してあげるよ。暇な日はいつ?」
「待って、そういうのよく分からない……」
「んー? 誰とも付き合ったことがないんだっけ。大丈夫だよ、ちゃんといい男を紹介してあげるから」
でも、だって、なんて私が言葉を並べていると、百瀬は一刀両断してきた。
「本気でここから逃げたいならさ、それしかないよ」
正直、押し負けたと思う。
だけど、それも悪くないんじゃないかって思った。
ここよりも息苦しく生きなくて済みそうだったから。
「じゃあ、今度の日曜日に遊びに行こう。何人か男の人用意意しとくから、可愛くしてきてね」
私は、こくりと頷いた。
* * *
日曜日。
お母さんに頼んで、ヘアメイクをセットしてもらった。
鏡の中には、毛先を緩く巻き、ピンクを基調としたメイクを施された私がいる。
「つっちゃん、可愛いね~」
急なお願いにも関わらず、お母さんは大喜びで支度をしてくれた。
スマートフォンを向けられ、何度も連写された。
「お友達と遊びに行くのよね? ……危ないところには行っちゃダメだからね?」
もう33歳なのに、お母さんは少女のようなところがある。
精神が年相応ではなくて、騙されやすい。
きっと、私の実父と春樹さんは、そこに付け込んだんだと思っている。
都合よく騙されていることにも気づかず生きている。
……私は、お母さんみたいになりたくない。
自分で考えて生きていくんだ。
「男の子はいるの?」
この質問は、年頃の娘への好奇心というより、警戒しているのが分かる。
眉を下げて不安をにじませているから。
お母さんは、私が誰かに奪われるのを怖がっているんだと思う。
春樹さんと結婚するまで、私を育て上げることだけに依存して生きてきた人。
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「いないよ」
鏡の中に、嘘つきな私の笑顔が映っていた。
* * *
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何だかいつもより、周りから見られている気がしてくる。
……自意識過剰になっていて恥ずかしい。
「まだ1時間もある……」
時間を確認して、行きたい場所もないから佇んでいた。
待ち合わせに選ばれたのが駅前ということもあって、大人から子どもまで、さまざまな人たちが通り過ぎていく。
こうやって、無関心な人たちの中に紛れ込むと落ち着くかも。
いつかこの街を出たら、こんな感じなのかな。
誰にも知られていない私を想像して、ゆるく口角が上がっていた時だった。
「何してるの? 月海」
「……え?」
目の前に影が落ちてきたと思ったら、昴生が立っていた。
……なんで?!
頬が引きつる。
私を見下ろしている目が座っていたから。
「と、友達と遊ぶ約束をしていて」
「へぇ……。何って子? 名前を教えて」
「百瀬っていう女の子。……少し前に転校してきて、仲良くなった」
何も嘘は言っていない。
それなのに、昴生が疑っているのが分かる。
百瀬の写真とか、見せれば……?
「そっか、そっか!」
昴生は声を上げて笑い、そして――真顔になった。
「男もいるだろう、それ」
抑揚のない声に、私の肩が跳ねる。
昴生の目を見ていると、心臓を握られている気分だった。力加減ひとつで潰されてしまう。
「百瀬の友達だよ? 友達の友達が来るくらい、普通のこと……」「月海」
言い訳は途中で遮られた。
「いいのか? ……舞海さんは、それを知っていて送り出したのか?」
「……それは……」
お母さんの心配を引き合いに出されてしまったら、何も言い返せない。
昴生の指が、私の毛先に触れる。
くるくると弄ばれて、指に絡まっていく。
「なんで、今日はそんなに“女”の顔をしてるわけ?」
「え?」
「その顔を見れば、これから男と会うって書いているんだよ」
ただメイクをして、いつもより可愛い格好をしただけなのに。
それが昴生の逆鱗に触れてしまったのだと、……そこで悟った。
……逃げなきゃ。
ここで捕まったら、もう逃げられない!
昴生の体を突き飛ばす。
一瞬だけ髪の毛が引っ張られるようになって、痛みが走った。
昴生が目を見開いているのが見えたけど、次の瞬間には弾かれるように走り出していた。
「月海!」
名前を呼ばれても知るもんか。
昴生が追いかけてくるけど、駆け足には自信があった。
わざと人の多い方へと走り、追いつけないように逃げていく。
「止まれ!」
そんな声が聞こえたけど、路地裏に飛び込んだ頃には振り払っていたようだ。
黒猫が通り過ぎていくだけで、誰もいない。
私の息が乱れている音だけが聞こえている。
「……逃げた。逃げちゃった」と震えた声が口から漏れる。
もう日髙の家には戻れない。
こんな風に無計画に行動するつもりなんて無かったのに。
「百瀬のところに行かないと……」
連絡をして、待ち合わせ場所を変えてもらわないといけない。もう頼れるのは、百瀬と紹介してくれる男の子たちしかいない。
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