愛とは記憶の鳥籠

きのと

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ep.31

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 客室で眠るライアスは、微かな物音に寝台から跳ね起きた。

「……誰だ」

 そっと扉を開けたつもりだったが、起こしてしまった。

 それも当然だ。訓練を受けているライアスが侵入者の気配に気が付かないわけがない。

 リリアーナは部屋に入り、後ろ手に扉を閉める。

「わたしよ」

「どうした? 何かあったのか?」

 ライアスは大股でかけよると、リリアーナから一歩離れたところで立ち止まった。

 ふたりで暮していたころなら、すぐに抱きしめてくれたのに。

「リリ?」

 距離を保とうとするライアスに少し苛立ち、自分から間合いを詰めると踵を上げて背伸びをして、強引に唇を押しあてた。初めての時は強引に唇を奪われたが、今夜はリリアーナが噛みつくように口づけをする。

 馴染んだ感触。いったん離しても、またすぐに求めてしまう。

 何度目かもわからないキスの後、ライアスはそっと身体を遠ざけた。

「ラス?」

「これ以上、触れていたら我慢がきかなくなりそうだ」

――――我慢して欲しくないのに

 その言葉を必死で飲み込む。ここは性に寛容な下町ではないのだ。

「……少し、話そうか?」

「うん」

 促され、長椅子に並んで腰を下ろす。

「ねえ、ラスは本当にわたしと結婚していいの?」

「どうしてそんなことを? 他に好きな男ができたのか?」

 ライアスが詰める口調になっている。

 まさかそんな風に受け取られるとは思っていなくて、慌てて訂正する。

「違う、ラスの為よ。ロチェスターに戻れなくなってしまうわ。子供のころからの王宮騎士という夢も叶わなくなるもの」

「そんなことを気にしていたのか?」

「だって大事なことよ」

 ライアスは笑みを浮かべながら、小さく首を振った。

「剣術は好きだけれど、王宮騎士になりたかったわけじゃないよ」

「……そうなの?」

「ああ。とにかくたくさん金を稼いで、母さんに楽をさせてやりたかったんだ。父さんが亡くなってからずっと働きづめだったからね。俺の就ける職で一番の高給だったのが王宮騎士だったというだけだよ。今の母さんは金の心配はないし、故郷には兄弟や従姉妹もたくさんいるから、俺がそばで支えてやらなくても困ることもないだろう。だから、ロチェスターに留まる必要も、騎士団に入る理由もないんだ」

 ライアスの指は自然にリリアーナの髪を指に絡めていた。その手にそっと頬を摺り寄せる。

「街を見せてもらって、シーランスが気に入った。ロチェスターよりも合っているとさえ思えるよ。ここで暮してみたい」

「本当に?」

「もちろん。それにもう国王陛下には結婚の許しを頂いているんだ」

「ええっ? どういうこと?」

 今度はリリアーナが驚く番だった。



 * * *



 三日前、ライアスは、シーランスに到着するとすぐに国王と面談に臨んだ。

『急に呼びつけて申し訳ないな』

『いえ、国王陛下にお目通りが叶い光栄に存じます』

『はは。堅苦しいのはよしてくれ。国王ではなく、リリアーナの父親として君に会いたいと思っていたんだ』

『私に、ですか?』

『ああ。エールを通して君のことは報告を受けているし、治癒士秘匿罪での裁判の記録もすべて目を通している。それでも君から直に話が聞きたくてね。これまで二人がどうやって暮してきたか、ぜひ教えてくれないか』

『かしこまりました』

 ライアスは問われるままに、隠し立てすることなく正直に話した。

 知らなかったとはいえ、未婚の王族の女性に手を出したのだ。咎められ、責められるかもしれない。

 それでも、兄妹として、恋人として、リリアーナと築き上げてきた日々を、自ら否定するような真似はしたくなかった。堂々と誇りたかった。

 意外にも国王からもたらされたのは感謝の言葉だった。

『まずは娘の命を救ってくれたことに礼を言いたい』

『そんな、家族として当然のことをしただけです』

『謙遜することはない。身を切ってまで人を守ろうとしたことは、それだけで称賛に値する』

 国王はまなじりを下げた。

 日の光を受けて、ハシバミ色の瞳が金色に光る。リリアーナと同じ色だ。彼女の顔立ちは母親譲りだが、瞳の色だけは父親に似たらしい。

『半年間、共に暮らして感じたのは、リリアーナは素直で優しい子ということだ。特殊な状況下にあったにもかかわらず、まっすぐな性根に育ったのは、君と君の母親が惜しみなく愛情を注いでくれたからだろう』

『私の方も、リリ……王女殿下には、幼いころから幾度となく励まされてまいりました』

 国王は満足そうに頷いた後、ぐっと身を乗り出した。

『ここからが本題なのだが……。リリアーナの婿になる気はないか?』

『はっ?』

『嫌か?』

『まさか! 今も王女殿下を慕う気持ちに変わりはありませんし、一度は結婚を誓い合いもしました。しかし……』

 ライアスは口ごもった。

『身分が釣り合わないのを気にしているのか?』

『仰る通りでございます。王女殿下には私などよりももっとふさわしい令息がいらっしゃるのではないかと』

『どこかの貴族に降嫁させたとて、そこでの暮らしには馴染むには大変な苦労がいる。それよりは、あの娘が幸せに暮らせる道を選んでやりたい。王女である以上、公務をこなさなければならないし、権力にすり寄る連中を相手にすることもあるだろう。あの子に真に必要なのは心を許せる配偶者だ。だから、娘の夫には君が最適だと考えている』

『陛下……』

『大きな声では言えないが、正直、身分などどうでもいいと思っているよ。私自身、今でこそ国王とふんぞり返っているが、元は中流どころの貧乏伯爵家の嫡男だったからな』

 国王は声を立てて豪快に笑った。

『しかし、陛下。お言葉を返すようで申し訳ありませんが、平民の私が王城に入ることを、こちらの国の貴族や国民は受け入れてくれるでしょうか』

『どこにも煩い連中はいるからな。まあ、初めからなんらかの身分があった方が面倒を避けられることは確かだ。君の亡き父親は子爵家の三男だったそうだね。長兄はすでに亡くなり、跡取りもいなかったため、マッコール子爵家の当主の座は空席になっていると聞いている。私の方からロチェスターの国王に襲爵しゅうしゃくを掛け合おう』

『私などのためにお気遣いいただき、心より感謝いたします』

『何なら、このままシーランスに残らないか? 私は君が気に入ったんだ。この国の貴族になら今すぐにでもしてやれるぞ。剣術学校ならこちらにもあるから好きなだけ通えばいい』

 国王は悪戯小僧のように目を眇める。

どこまでが本気で、どこからが冗談なのかはわからないが、気に入ったという言葉に嘘はないように感じて、ライアスはほっと安堵した

『そこまで陛下に仰っていただけて嬉しく思っております。しかし、士官学校はけじめとして修めたいのです。どうぞ我儘をお許しください』

『ああ、承知した。来年を楽しみに待っている』

 国王はライアスの意を汲み、改めて士官学校の卒業を結婚の条件とすることになった。

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