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第一章 静かな目覚め
16. 婚約
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僕の婚約者の2人はとても仲が良く、色んなことを相談をしている。
この1週間、僕たちは婚約とガーデンパーティーの準備に勤しんだが、2人は上手に役割を分け、相談をしながら準備を進めてくれた。僕は2人の手際のよい支度に従ってほとんどお手伝いをしただけだった。
明日、僕たちは正式に婚約をする。
「もうこんな時間か。」
「遅くなってしまいましたね。ティト、そろそろ寝ましょう。」
「…うん。」
婚約前夜という事で、僕たちはまた3人で就寝する事になった。この1週間、僕たちは将来についての色々なことについて話をした。それだけではなく彼らは3人の関係が歪にならないように、誕生日の翌日にはそれぞれと僕が過ごす時間が平等になるように調整をしてくれた。僕の希望があればそれを優先すると言われたが、しばらくは彼らのリズムに従う方が良いように思う。
2人は誕生日の夜の事で僕が3人で過ごすのが苦手にならないようにかなり気を使ってくれていた。
僕がベッドに入るとリノが上掛けをそっと僕の方にかけ、反対側のレヴィルが首元まで引き上げてくれる。まるで子供を寝かしつけるような優しい仕草だ。
「ティト、寝れそうか?」
「うん。」
「もし眠れなさそうだったら、遠慮せずに言ってくださいね。」
少し過保護すぎる気がするほど、2人は僕を気遣ってくれる。僕は少しだけ笑って頷いた。2人からは優しく甘い香りがする。
「大丈夫だよ。ちょっと明日の事を考えて…緊張してるだけ。」
「ふふ、心配いりませんよ。」
「うん…分かってるんだけど…僕、前にウィッグス伯にお会いした時の事、あんまり覚えていないし…。」
「あの時はそれどころじゃなかったのですから無理はありません。」
「ああ、それにウィッグス伯は素晴らしい方だ。」
何も心配はいらないよ、と言ってレヴィルは僕の額にキスを落とした。僕はこくんと頷く。
ガーデンパーティーに先立って、明日にはリノの母親であるウィッグス伯がこの屋敷を訪れる。そして彼の承認の元に、僕たちは正式に婚約を行う予定だ。
ウィッグス家はかつてこの国の防衛線であった西方一体を治める一族で、王都周辺を治めるクローデル家とは対をなす一族だ。伯爵はとてもお優しい方だとは聞いてはいるものの、辺境伯とも呼ばれる非常に力のある彼と会うのはやはりとても緊張する。しかも僕はその人の子息を妻にもらうのだ。
ウィッグス伯は4年前の事件の時に、遥々西方からリノを連れて様子を見に来てくれた。その時にお会いしているはずなのだが、記憶があやふやでどうにも思い出せなかった。
「大丈夫ですよ。母も私たちの婚約を喜んでくれていますから。」
「そう、なら…嬉しい。」
リノは柔らかく微笑んで僕の前髪を撫でた。そして僕の唇に啄むようなキスを落とす。何度か唇が重なった後、ちゅっと音を立てて唇が離れた。
「私はすごく楽しみです…やっと貴方の婚約者だと胸を張って言えるようになるから。」
「うん…僕もすごく嬉しい。」
僕が少しもじもじしながら頷くと、レヴィルにぐっと顎を持ち上げられた。そのままレヴィルからの口付けを受ける。
「…俺も楽しみだよ、ティト。」
「はい、僕もすごく楽しみです。」
レヴィルは返事の替わりにもう一度キスをした。リノがくすくすと笑う。2人からのキスの応酬に僕は目をぱちぱちさせた。こんな風に2人が見ている場でそれぞれとキスをしたのは婚約のプロポーズをした時以来だ。なんだか恥ずかしくて少しそわそわしてしまう。レヴィルは笑いながら、唇を離すと僕の髪をくしゃりと撫でた。
「もっと仲を深めたい所だが…さすがに今日はもう寝よう。」
「はい。」
「ええ。そうですね。」
僕はおやすみなさい、と言って瞳を閉じた。2人から返事の後、前と同じように僕の頬に2人のキスが落ちる。微かに甘い匂いが漂い、僕の心をふわふわとさせた。
翌日、僕たちは3人でモーニングを着て、伯爵の到着を待った。
護衛の馬群と共に鷹の紋章を付けた箱馬車がエントランスに乗り付ける。御者が降り立ち扉を開けると、2人の人物が馬車から降り立った。ウィッグス伯爵と嫡男である子爵マティだ。
2人は僕たちの姿を確認すると優しく目尻を下げた。
「ウィッグス伯、マティ様、本日は遠い所をお越しいただきまして、誠にありがとうございます。」
レヴィルが恭しく礼をした。僕もそれに続く。
「クローデル家次男のティトでございます。本日はお越しいただきまして感謝申し上げます。」
「本日はお招きありがとう。随分と大きくなったじゃないか。顔をあげて私によく見せておくれ。」
頭上からとても優しい声が響いた。ゆっくりと顔を上げるとグレーヘアのウィッグス伯爵が目尻のシワを深くして微笑んでいた。彼は僕の肩に優しく手を置く。
「いい面構えになったな。」
「伯爵のお力添えとリノのお陰です。」
「そうか。ぜひたくさん話を聞きたいな。」
「はい。」
僕が緊張した面持ちで頷くとウィッグス伯はますます優しい笑みを深くして、宥めるように僕をぽんぽんと撫でた。よくリノがしてくれる仕草だ。
「そんなに緊張しなくとも良い。家族になるのだから、私のことも母と思いなさい。」
「はい、…ありがとうございます。」
榛色の瞳が優しく弧を描く。ああ、この人は間違いなくリノの母だ。僕は少しだけ緊張を解いて頷いた。
「兄上も遠い所ありがとうございます。」
「いや、おめでとうリノ。」
リノがマティにも声をかけた。マティは柔らかい笑みを作って頷く。30代後半くらいの彼はウィッグス伯と面差しが似ていた。彼はゆっくりと僕の方を向く。ふんわりと前髪をあげた彼は清潔感があって優しげだ。
「マティ様、お会いできて光栄です。」
「ああ、私も嬉しいよ。」
「長旅でお疲れでしょう。どうぞ中へ。」
僕たちは2人を応接間に案内をした。
ソファに腰を落ち着けて紅茶を飲みながら、しばらく歓談をする。ウィッグス伯とマティから聞く西方の話や小さい頃のリノの話はとても面白かった。そして一息ついた所で、いよいよレヴィルが本題を切り出した。
「ウィッグス伯、婚約に先立って今後子供が生まれた場合の権利と、持参金についてご相談をさせていただいてもよろしいでしょうか。」
「ああ、そうだな。」
ウィッグス伯が頷いた。これは両家にとって大事な話し合いだ。
この世界では結婚をしても妻は夫の家に入るわけではない。人口の殆どがエバになってしまったこの世界では、社会が成り立つための役割をエバが担い、アデルは子種を提供するだけの存在になっているからだ。子供が生まれるとその子供は原則エバの家の子供になる。本来であればリノが産んだ子供はすべてウィッグス家の子供になるのだ。
アデルが減少したことで貴族は第一子のエバを嫡男とする様になった。けれどエバは保護区や教会に通い詰めなくては子供を生むことは難しい。1人のエバが家督と跡継ぎの出産の両方を担う事はかなり難しく、跡継ぎが生まれずに取り潰しになる家が後を絶たなかった。ウィッグス伯やカイザーリング伯はそれによって大変な苦労をしたと聞いている。
そのため最近では第一子が家督を、第二子以降が家内の取りまとめと跡継ぎの出産を担う事が一般的だ。この家の場合は第二子の僕がアデルだったため、第二子の役割を担うためにリノが家に入ってくれるのだ。
リノが産む子供は、レヴィルが産む子供と同じ扱いを受けてこの家の子供になる予定だ。けれどウィッグス家にもマティの跡取りはまだいないため、両家のために話し合いが必要だった。僕たち3人はこの1週間で何度もこのことについて話し合いをした。僕は緊張した面持ちで口を開く。
「僕たちも何度も話し合いをしたのですが、やはり…リノの子供はウィッグス家に入るべきだと考えています。」
「……いや、それではカイルとした約束を違ってしまうよ。」
伯爵は優しい声色でそう言い、首を振った。カイルとは僕の母の名前だ。この婚約は伯爵と母が決めたことだった。
「私たちはお前たちが幸せになれるように力を尽くすつもりだよ。約束通りレヴィルとリノのどちらが子供を産んでも第二子まではクローデル家の子供だ。」
「……でも、もし…それ以上に子供が恵まれなかったら…ウィッグス家は…。」
「心配はいらないよ。もしそうなってしまった時のことも考えてある。なにせつい最近までリノが君と結婚をできるかどうか分からなかったくらいなんだ。」
伯爵は全く責めるような素振りもなくあっさりとそう言った。マティも批判の色も見せずに静かに座っている。恐らく彼らはもし子供に恵まれなかったら養子を迎える予定なのだろう。確かについ最近までリノにはずっと従者として傍にいてもらったのだ。結婚できなかった場合の事も考えていたはずだ。
「まあ…リノからの便りの様子を見る限りでは心配はなさそうに思うがね。」
伯爵がそう言うと、マティが静かに笑った。僕が少し首を傾げてマティをみると彼の瞳と目が合う。
「リノからの手紙は君への惚気ばかりだよ。随分と仲睦まじい様子じゃないか。」
「えっ。」
「…兄上。」
「私は君の身長の推移や好きな食べ物まで知っているよ。」
マティがくつくつと笑いながらそう言った。リノは恥ずかしそうに顔を伏せる。僕は何と答えればいいのか分からなくて視線をうろうろとさせてしまった。その様子を見て、今度はレヴィルが笑った。
「本当にリノとティトの仲睦まじさには私も嫉妬しているところですよ。」
「3人の仲は良いのか。」
「ええ、それはご心配なく。すぐに跡継ぎの顔もお見せできると思いますよ。」
レヴィルが微笑んで僕を見た。僕は少し恥ずかしいけれど頷いて微笑み返した。
結局、話し合いの末、僕たちの間に生まれた子供はどちらが産んでも第二子まではクローデル家の跡取りとし、それ以降に生まれたリノの子供がウィッグス家に入ることになった。
続いてリノの持参金についても提示された。いずれも破格の待遇だ。ウィッグス家からの誠意に僕とレヴィルは頭が上がらなかった。
伯爵は話し合いの結果に満足げに頷いた後、もう一度リノを見た。リノは納得したような表情で小さく頷く。伯爵はレヴィルと僕の方を向いて口を開いた。
「それと…これは老婆心からリノにも話をしたんだが……君たちの第一子は、できればレヴィルの子供である方がいいように思う。」
「え?」
「レヴィルは君を守るために、今までに様々な家からの打診を頑なに断っている。事情を良く知らないものには批判を受けるほどにな。」
僕はびっくりしてレヴィルを見た。たしかに彼が僕のために打診を断っていることは知っていたが、批判を受けていることは知らなかった。
「反感を買っている状況で第一子にリノとの子供が生まれれば、寵愛を受けていない頑なな家長としてきっと軽んじられるだろう。カイルが亡くなった今、この家の舵取りをするのはレヴィルだ。できればそう言ったことは避けた方がいい。」
「……母と相談をしまして、ティト様が精通を迎えた後もレヴィル様が妊娠をするか、せめて社交界でのお披露目までは私と関係を持たない方が良いだろう、と言う話になりました。私もそう思っています。」
リノは穏やかな様子で微笑む。僕は考えがまとまらず何と答えればいいのか分からなった。僕の横で狼狽えた様にレヴィルが表情を崩し、強く首を振った。
「…4年前、ウィッグス伯とリノの恩情がなければ、私はティトに安心して過ごす時間すら作ってやる事ができませんでした。跡継ぎにしても持参金にしても、もう余りあるお心をいただいています。これ以上、甘えるわけにはいきません。」
「レヴィル、もう私たちは家族だ。私たちに甘えずにお前は誰を頼るつもりだ?」
言い募るような伯爵の言葉にレヴィルの瞳がゆらゆらと揺れる。当事者であるはずなのに僕は何も言えず見守ることしかできない。
「これ以上……リノに辛い思いや我慢をさせたくない。」
「私は辛い思いなんてしていませんよ。貴方とティトに出会って…本当に楽しい思い出ばかりです。」
リノはレヴィルを説得するように手を取った。レヴィルの手を優しく包む。
「クローデル家の者として考えると、そうした方が良いと思ったのです。貴方が領地や領民を守るために努力をしているように、私はこの家を守りたい。どうか私の思いを受け入れていただけませんか。」
レヴィルは苦しそうに小さく首を振って俯く。
「貴方方の心に……どうやって答えればいいのか…分からない…。俺には過ぎた恩情です…。」
「答える必要なんてない。ただお前たちに幸せになってほしいだけだ。」
伯爵は穏やかな声でそう言った。彼らの優しさに震えそうになる。ウィッグス伯と亡くなった母が重なったように見えた。あまりにも大きな愛に僕は泣き出したくなりそうだった。
レヴィルはもう何も言えなくなってしまい、俯くようにしてリノに支えられていた。僕は意を決してソファから立ち上がり、そっとウィッグス伯の前に跪く。
「4年前…貴方方の恩情によって僕たちは救われました。今の僕がこうして過ごせるのは皆さんのお陰です。今回の婚約に関しても…いただいたお気持ちは、絶対に忘れません。必ず…リノもレヴィルも幸せにすると約束します。」
「…ああ、必ず頼むよ。」
「はい。」
僕は優しい榛色の瞳としっかりと視線を合わせて頷いた。マティも優しく頷く。
「レヴィル。」
僕は彼の名前を呼んで、もう一度彼の隣に座った。彼は僕とリノに両側から支えられるように抱きしめられる。
「レヴィル、僕2人を幸せにできるように努力するから…力を貸してね。」
「……っ。」
「そうですね、3人で力を合わせて幸せになりましょうね。」
両側から抱きしめられたレヴィルは、僕たちに背中を擦られて耐え切れなくなったように小さく声を零した。涙がぽとりと僕の腕に落ちる。レヴィルは僕たちの腕にすがる様に嗚咽を零した。
伯爵とマティはレヴィルが落ち着くまで優しく見守ってくれた。
その日、僕たちはウィッグス伯に見守られ、誓約書にサインをした。
僕は2人の正式な婚約者となった。
この1週間、僕たちは婚約とガーデンパーティーの準備に勤しんだが、2人は上手に役割を分け、相談をしながら準備を進めてくれた。僕は2人の手際のよい支度に従ってほとんどお手伝いをしただけだった。
明日、僕たちは正式に婚約をする。
「もうこんな時間か。」
「遅くなってしまいましたね。ティト、そろそろ寝ましょう。」
「…うん。」
婚約前夜という事で、僕たちはまた3人で就寝する事になった。この1週間、僕たちは将来についての色々なことについて話をした。それだけではなく彼らは3人の関係が歪にならないように、誕生日の翌日にはそれぞれと僕が過ごす時間が平等になるように調整をしてくれた。僕の希望があればそれを優先すると言われたが、しばらくは彼らのリズムに従う方が良いように思う。
2人は誕生日の夜の事で僕が3人で過ごすのが苦手にならないようにかなり気を使ってくれていた。
僕がベッドに入るとリノが上掛けをそっと僕の方にかけ、反対側のレヴィルが首元まで引き上げてくれる。まるで子供を寝かしつけるような優しい仕草だ。
「ティト、寝れそうか?」
「うん。」
「もし眠れなさそうだったら、遠慮せずに言ってくださいね。」
少し過保護すぎる気がするほど、2人は僕を気遣ってくれる。僕は少しだけ笑って頷いた。2人からは優しく甘い香りがする。
「大丈夫だよ。ちょっと明日の事を考えて…緊張してるだけ。」
「ふふ、心配いりませんよ。」
「うん…分かってるんだけど…僕、前にウィッグス伯にお会いした時の事、あんまり覚えていないし…。」
「あの時はそれどころじゃなかったのですから無理はありません。」
「ああ、それにウィッグス伯は素晴らしい方だ。」
何も心配はいらないよ、と言ってレヴィルは僕の額にキスを落とした。僕はこくんと頷く。
ガーデンパーティーに先立って、明日にはリノの母親であるウィッグス伯がこの屋敷を訪れる。そして彼の承認の元に、僕たちは正式に婚約を行う予定だ。
ウィッグス家はかつてこの国の防衛線であった西方一体を治める一族で、王都周辺を治めるクローデル家とは対をなす一族だ。伯爵はとてもお優しい方だとは聞いてはいるものの、辺境伯とも呼ばれる非常に力のある彼と会うのはやはりとても緊張する。しかも僕はその人の子息を妻にもらうのだ。
ウィッグス伯は4年前の事件の時に、遥々西方からリノを連れて様子を見に来てくれた。その時にお会いしているはずなのだが、記憶があやふやでどうにも思い出せなかった。
「大丈夫ですよ。母も私たちの婚約を喜んでくれていますから。」
「そう、なら…嬉しい。」
リノは柔らかく微笑んで僕の前髪を撫でた。そして僕の唇に啄むようなキスを落とす。何度か唇が重なった後、ちゅっと音を立てて唇が離れた。
「私はすごく楽しみです…やっと貴方の婚約者だと胸を張って言えるようになるから。」
「うん…僕もすごく嬉しい。」
僕が少しもじもじしながら頷くと、レヴィルにぐっと顎を持ち上げられた。そのままレヴィルからの口付けを受ける。
「…俺も楽しみだよ、ティト。」
「はい、僕もすごく楽しみです。」
レヴィルは返事の替わりにもう一度キスをした。リノがくすくすと笑う。2人からのキスの応酬に僕は目をぱちぱちさせた。こんな風に2人が見ている場でそれぞれとキスをしたのは婚約のプロポーズをした時以来だ。なんだか恥ずかしくて少しそわそわしてしまう。レヴィルは笑いながら、唇を離すと僕の髪をくしゃりと撫でた。
「もっと仲を深めたい所だが…さすがに今日はもう寝よう。」
「はい。」
「ええ。そうですね。」
僕はおやすみなさい、と言って瞳を閉じた。2人から返事の後、前と同じように僕の頬に2人のキスが落ちる。微かに甘い匂いが漂い、僕の心をふわふわとさせた。
翌日、僕たちは3人でモーニングを着て、伯爵の到着を待った。
護衛の馬群と共に鷹の紋章を付けた箱馬車がエントランスに乗り付ける。御者が降り立ち扉を開けると、2人の人物が馬車から降り立った。ウィッグス伯爵と嫡男である子爵マティだ。
2人は僕たちの姿を確認すると優しく目尻を下げた。
「ウィッグス伯、マティ様、本日は遠い所をお越しいただきまして、誠にありがとうございます。」
レヴィルが恭しく礼をした。僕もそれに続く。
「クローデル家次男のティトでございます。本日はお越しいただきまして感謝申し上げます。」
「本日はお招きありがとう。随分と大きくなったじゃないか。顔をあげて私によく見せておくれ。」
頭上からとても優しい声が響いた。ゆっくりと顔を上げるとグレーヘアのウィッグス伯爵が目尻のシワを深くして微笑んでいた。彼は僕の肩に優しく手を置く。
「いい面構えになったな。」
「伯爵のお力添えとリノのお陰です。」
「そうか。ぜひたくさん話を聞きたいな。」
「はい。」
僕が緊張した面持ちで頷くとウィッグス伯はますます優しい笑みを深くして、宥めるように僕をぽんぽんと撫でた。よくリノがしてくれる仕草だ。
「そんなに緊張しなくとも良い。家族になるのだから、私のことも母と思いなさい。」
「はい、…ありがとうございます。」
榛色の瞳が優しく弧を描く。ああ、この人は間違いなくリノの母だ。僕は少しだけ緊張を解いて頷いた。
「兄上も遠い所ありがとうございます。」
「いや、おめでとうリノ。」
リノがマティにも声をかけた。マティは柔らかい笑みを作って頷く。30代後半くらいの彼はウィッグス伯と面差しが似ていた。彼はゆっくりと僕の方を向く。ふんわりと前髪をあげた彼は清潔感があって優しげだ。
「マティ様、お会いできて光栄です。」
「ああ、私も嬉しいよ。」
「長旅でお疲れでしょう。どうぞ中へ。」
僕たちは2人を応接間に案内をした。
ソファに腰を落ち着けて紅茶を飲みながら、しばらく歓談をする。ウィッグス伯とマティから聞く西方の話や小さい頃のリノの話はとても面白かった。そして一息ついた所で、いよいよレヴィルが本題を切り出した。
「ウィッグス伯、婚約に先立って今後子供が生まれた場合の権利と、持参金についてご相談をさせていただいてもよろしいでしょうか。」
「ああ、そうだな。」
ウィッグス伯が頷いた。これは両家にとって大事な話し合いだ。
この世界では結婚をしても妻は夫の家に入るわけではない。人口の殆どがエバになってしまったこの世界では、社会が成り立つための役割をエバが担い、アデルは子種を提供するだけの存在になっているからだ。子供が生まれるとその子供は原則エバの家の子供になる。本来であればリノが産んだ子供はすべてウィッグス家の子供になるのだ。
アデルが減少したことで貴族は第一子のエバを嫡男とする様になった。けれどエバは保護区や教会に通い詰めなくては子供を生むことは難しい。1人のエバが家督と跡継ぎの出産の両方を担う事はかなり難しく、跡継ぎが生まれずに取り潰しになる家が後を絶たなかった。ウィッグス伯やカイザーリング伯はそれによって大変な苦労をしたと聞いている。
そのため最近では第一子が家督を、第二子以降が家内の取りまとめと跡継ぎの出産を担う事が一般的だ。この家の場合は第二子の僕がアデルだったため、第二子の役割を担うためにリノが家に入ってくれるのだ。
リノが産む子供は、レヴィルが産む子供と同じ扱いを受けてこの家の子供になる予定だ。けれどウィッグス家にもマティの跡取りはまだいないため、両家のために話し合いが必要だった。僕たち3人はこの1週間で何度もこのことについて話し合いをした。僕は緊張した面持ちで口を開く。
「僕たちも何度も話し合いをしたのですが、やはり…リノの子供はウィッグス家に入るべきだと考えています。」
「……いや、それではカイルとした約束を違ってしまうよ。」
伯爵は優しい声色でそう言い、首を振った。カイルとは僕の母の名前だ。この婚約は伯爵と母が決めたことだった。
「私たちはお前たちが幸せになれるように力を尽くすつもりだよ。約束通りレヴィルとリノのどちらが子供を産んでも第二子まではクローデル家の子供だ。」
「……でも、もし…それ以上に子供が恵まれなかったら…ウィッグス家は…。」
「心配はいらないよ。もしそうなってしまった時のことも考えてある。なにせつい最近までリノが君と結婚をできるかどうか分からなかったくらいなんだ。」
伯爵は全く責めるような素振りもなくあっさりとそう言った。マティも批判の色も見せずに静かに座っている。恐らく彼らはもし子供に恵まれなかったら養子を迎える予定なのだろう。確かについ最近までリノにはずっと従者として傍にいてもらったのだ。結婚できなかった場合の事も考えていたはずだ。
「まあ…リノからの便りの様子を見る限りでは心配はなさそうに思うがね。」
伯爵がそう言うと、マティが静かに笑った。僕が少し首を傾げてマティをみると彼の瞳と目が合う。
「リノからの手紙は君への惚気ばかりだよ。随分と仲睦まじい様子じゃないか。」
「えっ。」
「…兄上。」
「私は君の身長の推移や好きな食べ物まで知っているよ。」
マティがくつくつと笑いながらそう言った。リノは恥ずかしそうに顔を伏せる。僕は何と答えればいいのか分からなくて視線をうろうろとさせてしまった。その様子を見て、今度はレヴィルが笑った。
「本当にリノとティトの仲睦まじさには私も嫉妬しているところですよ。」
「3人の仲は良いのか。」
「ええ、それはご心配なく。すぐに跡継ぎの顔もお見せできると思いますよ。」
レヴィルが微笑んで僕を見た。僕は少し恥ずかしいけれど頷いて微笑み返した。
結局、話し合いの末、僕たちの間に生まれた子供はどちらが産んでも第二子まではクローデル家の跡取りとし、それ以降に生まれたリノの子供がウィッグス家に入ることになった。
続いてリノの持参金についても提示された。いずれも破格の待遇だ。ウィッグス家からの誠意に僕とレヴィルは頭が上がらなかった。
伯爵は話し合いの結果に満足げに頷いた後、もう一度リノを見た。リノは納得したような表情で小さく頷く。伯爵はレヴィルと僕の方を向いて口を開いた。
「それと…これは老婆心からリノにも話をしたんだが……君たちの第一子は、できればレヴィルの子供である方がいいように思う。」
「え?」
「レヴィルは君を守るために、今までに様々な家からの打診を頑なに断っている。事情を良く知らないものには批判を受けるほどにな。」
僕はびっくりしてレヴィルを見た。たしかに彼が僕のために打診を断っていることは知っていたが、批判を受けていることは知らなかった。
「反感を買っている状況で第一子にリノとの子供が生まれれば、寵愛を受けていない頑なな家長としてきっと軽んじられるだろう。カイルが亡くなった今、この家の舵取りをするのはレヴィルだ。できればそう言ったことは避けた方がいい。」
「……母と相談をしまして、ティト様が精通を迎えた後もレヴィル様が妊娠をするか、せめて社交界でのお披露目までは私と関係を持たない方が良いだろう、と言う話になりました。私もそう思っています。」
リノは穏やかな様子で微笑む。僕は考えがまとまらず何と答えればいいのか分からなった。僕の横で狼狽えた様にレヴィルが表情を崩し、強く首を振った。
「…4年前、ウィッグス伯とリノの恩情がなければ、私はティトに安心して過ごす時間すら作ってやる事ができませんでした。跡継ぎにしても持参金にしても、もう余りあるお心をいただいています。これ以上、甘えるわけにはいきません。」
「レヴィル、もう私たちは家族だ。私たちに甘えずにお前は誰を頼るつもりだ?」
言い募るような伯爵の言葉にレヴィルの瞳がゆらゆらと揺れる。当事者であるはずなのに僕は何も言えず見守ることしかできない。
「これ以上……リノに辛い思いや我慢をさせたくない。」
「私は辛い思いなんてしていませんよ。貴方とティトに出会って…本当に楽しい思い出ばかりです。」
リノはレヴィルを説得するように手を取った。レヴィルの手を優しく包む。
「クローデル家の者として考えると、そうした方が良いと思ったのです。貴方が領地や領民を守るために努力をしているように、私はこの家を守りたい。どうか私の思いを受け入れていただけませんか。」
レヴィルは苦しそうに小さく首を振って俯く。
「貴方方の心に……どうやって答えればいいのか…分からない…。俺には過ぎた恩情です…。」
「答える必要なんてない。ただお前たちに幸せになってほしいだけだ。」
伯爵は穏やかな声でそう言った。彼らの優しさに震えそうになる。ウィッグス伯と亡くなった母が重なったように見えた。あまりにも大きな愛に僕は泣き出したくなりそうだった。
レヴィルはもう何も言えなくなってしまい、俯くようにしてリノに支えられていた。僕は意を決してソファから立ち上がり、そっとウィッグス伯の前に跪く。
「4年前…貴方方の恩情によって僕たちは救われました。今の僕がこうして過ごせるのは皆さんのお陰です。今回の婚約に関しても…いただいたお気持ちは、絶対に忘れません。必ず…リノもレヴィルも幸せにすると約束します。」
「…ああ、必ず頼むよ。」
「はい。」
僕は優しい榛色の瞳としっかりと視線を合わせて頷いた。マティも優しく頷く。
「レヴィル。」
僕は彼の名前を呼んで、もう一度彼の隣に座った。彼は僕とリノに両側から支えられるように抱きしめられる。
「レヴィル、僕2人を幸せにできるように努力するから…力を貸してね。」
「……っ。」
「そうですね、3人で力を合わせて幸せになりましょうね。」
両側から抱きしめられたレヴィルは、僕たちに背中を擦られて耐え切れなくなったように小さく声を零した。涙がぽとりと僕の腕に落ちる。レヴィルは僕たちの腕にすがる様に嗚咽を零した。
伯爵とマティはレヴィルが落ち着くまで優しく見守ってくれた。
その日、僕たちはウィッグス伯に見守られ、誓約書にサインをした。
僕は2人の正式な婚約者となった。
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閲覧ありがとうございます。
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お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
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2022.05.01
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お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
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閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
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