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第二章 心の拠り所

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 あれから、俺は休まずに学校へ通った。昼はもちろん、夜の方にもだ。
 端末のアプリケーションが示すスケジュールを参照しながら、定められた日の、決まって十九時に、風彩大学付属高校へと赴く。ゲームの開始はいつもぴったり十九時のようだった。一方、場所については毎回別の校舎で、推察するに、東西南北四校のうちからランダムで場所が選ばれている。初めてのときが南校だったのは、あれは偶然みたいだ。
 たとえば部活動なんかに入っていれば、交流試合等々で他の付属校に出向くこともあるのかもしれない。隆弥は以前、休みの日にバスケ部の合同練習で行ったりもするようなことを話していた。けれども、俺はこの機会になって、初めて南以外の付属高校を訪れることになった。まあ、俺の要件も無理に見れば部活動と似たようなものだ。現に学校対抗の競技らしいし。いやでも、これは人数がかなり少ないから、どちらかと言えば同好会かな、うん。
 最初のうちは疑念を持って参加したのだが、数回通ってみれば、なんのことはない。しっかりとスケジュールに従って、秒単位で予定通りの活動だった。
 そしてゲームの間は相変わらず、例のホログラムによって、異世界のごとき様相が平然と展開されていた。南校以外の付属校には行ったことがないので、はなから見たこともないのだが、校舎その他は見る影もない変わりようである。きっと普段はまともな学校設備なのだろうが、どう見ても実物にしか見えないホログラムに、どう見ても現実とは思えない装飾を施されて、夢と現の境の空間といった感じだった。
 最初に俺が見たのは海の底だったが、回を重ねる毎にたびたび変わって、学校を包む世界はジャングルにも氷河にも、洞窟にも原っぱにもなって……元がホログラムだからなのか、その極限的な環境からの苦痛はほとんどなかったが、感覚としては暑かったり寒かったり暗かったり明るかったり、忙しくも不思議なものだった。
 ところで不思議と言えば、纏っている衣服――俺も含めて皆が着ていた、決して日常では着ないと思われる美麗な服飾も、例外ではなかった。聞いていただけでは毛ほども信じられなかったが、これらは身体の運動パフォーマンスを飛躍的に向上させ、また、ここで行う戦闘行為によるダメージをかなり軽減するという効果を持った代物みたいで、それは実際に体感してみると、総毛立つくらいに未知の感覚であった。新幹線並みの速度を生む滑走や、数メートルも吹っ飛ぶような衝撃に、人の身体が耐えられるわけもない。しかし、この世界ではそういった光景が頻繁に見受けられる。そもそもそういうことができてしまったり、なのに全くと言っていいほど大事にならないところを思うと、この服飾の機能は極めて偉大なのだと感じざるを得ない。
 スタントアクションばりの動き、加えてその派手さに引けを取らない周囲の演出。むしろついていけないのは、肉体よりも精神の方だろう。俺がある程度の適応に至るまでには、何回かの参加を跨いだものだった。
 ちなみに余談だが、二度目にここへやってきたとき、俺は自分がまたヒラヒラで真っ赤な女らしい格好をしていることに気づいた。どうにかしたいと文句を言ったら、アリアという女性がアプリケーションの操作を教えてくれたので、基本のデザインは似たままだが、多少男らしい格好に変更できた。本来はこの見た目のデザインやらをこだわるのも、ゲームの楽しみの一つなんだとか。
 その際、細かい設定を行うのが初回ゆえパスワードを要求されたが、俺は迷わず三つの候補のうち、残りの一つを入力した。
『very very miracle strawberry royal parfait』
 ベリベリーミラクルストロベリーロイヤルパフェと読む。ふざけたパスワードだ。これは優璃が中学生のときに知ったらしき駅前のカフェのメニューである。何気に人気商品のようで、アリアという女性もこの由来をすぐに言い当てたが、俺は長ったらしいけったいなパスワードが本当に認証されたことに心底呆れた。
 それと、初回に言い渡されたゲーム中の呼び名だが、俺はレイと名乗ることにした。本名であるKeiの頭をRに変えただけのものであるが、呼びやすくてなかなかだと、まあまあの評価を受けた。
 そうして今日もここ東校で、チーム北校相手にゲームの真っ最中である。
「そんでさー、物理の授業で寝てたら先生にばれちゃって、追加で課題だされちゃってさー。物理って難しいよなー。何でさー、あんな科目があるんだろうなー」
「………………」
 真っ最中である、はずなのだが……。
「あれ? どうしたんだい、レイ。私の話はつまらなかったか?」
 歩きながら、隣ではぺらぺらと愚痴が展開されている。アリアと名乗る女性の、ゲームとは全く関係のない昼間の学校での出来事についてだ。内容とは裏腹に本人は楽しそうで何よりなのだが。
 俺はそれにも気を回しつつ、まだ完璧には慣れぬ異質の空間に、注意の大部分を向けている。
 今回の演出では、周りは西洋神殿の内部のように厳かな装いで彩られていた。通路には高級そうな赤の絨毯が敷かれ、両壁には金色の燭台が一定間隔でかけられている。添えられる蝋燭全てには、煌々と輝く赤い炎が灯してある。しかもそれは、実用のためではない。あくまでも雰囲気を出すためだろう。なぜなら、この場は基本的に明るいのだ。見上げれば天井にあるはずの電灯の代わりにシャンデリアまでが提げられて、ギラギラと華やかなことこの上ない。
 これは典型的な西洋城のイメージである。絢爛を極めた見栄の塊。逆立ちしても学校舎には思えない。共通しているのは、通路がやたらと複雑なことくらいだ。おそらくそこらへんは、元の造りに影響を受けているのだと思われる。
 気分は王様? お妃様? そんな錯覚でも抱きかねないメルヘン具合である。夢のファンタジーストーリーが繰り広げられそうだ。
 けれども、この年にもなればそれに浸るのもいささか容易ではない。高二にもなってメルヘンは、ちょっと辛い。そんな悲しい自制心と、加えて横の日常感たっぷりの発言が、純真な空想を積み木のようにガラガラと崩した。
「んでね、ここにくるまで家で一人、教科書と睨めっこなわけよ。重力でしょ、張力でしょ、摩擦力に慣性力に遠心力。もー力ばっかいっぱいあって、わっけわかんなーい」
 横薙ぎに飛んでくるのは、空想とは対極の物理の話題。彼女は指を順番に立てて、力の種類を数えている。
「アリア先輩、物理苦手なんすか」
 俺は彼女の、一つ相槌を打てば三言くらいコメントが返ってくるくらいのマシンガントークに付き合わされている。あまり中身のある話ではなく、だいたいは日記のような内容なので俺の反応は薄いのだけれど、それでも彼女は話を聞いてもらえれば満足みたいだった。
 それと、初対面ではタメ口だったが、どうやら彼女の学年は三年生らしく、二年の俺からすると年上なので、一応の配慮として敬語を用いることにした。呼称はなんと、アーシャ・リーズ・アストライア先輩。なんて長いんだ馬鹿馬鹿しい。だから俺も、呼ぶときは略して、アリア先輩だ。
「苦手っていうか、いやーさぁ、あれって役に立たなさそうじゃない? 私はもっとこう、どちらかと言えば語彙力とか英語力とか、判断力とか精神力とかのが必要だ思うんだよね。あとついでに経済力とかとか」
 ならあなたの場合は女子力も必要なんじゃないですか。なんて、もし言えば、マシンガントークがガトリングトークくらいになって返ってきそうだ。想像するにかなり面倒なので、へえへえと淡白な返事で応じるくらいがちょうど良い。
 すると先輩は四百字詰め原稿用紙数十枚くらいの物理の愚痴をようやく終え、ご満悦と同時に疲労を感じたようであった。
「あーっ! 疲れたレーイー。おぶれー、はこーべー。ついでに課題も片付けれー」
「わっ! ちょっ、もたれてくんな」
 アリア先輩が突然、大の字になって身投げのように倒れこんでくる。
 ボーっとしていたらもろとも床にダイブだったろうが、俺は咄嗟かつ華麗に、それをサイドステップでかわしてやった。
 先輩はもたれる宛をなくし、ビターンと床に倒れ込む。
「ふぇーー。レイ少年が先輩に対して冷たいのー」
 大の字で地に口づけ状態の先輩は、駄々をこねてジタバタ、ジタバタ。……哀れだ。
 そうやってしばらく子供のような言動に徹したのち、さらに懲りずに、また別の方向に手を伸ばした。
「ふえぇ。じゃあミュウミュウ起こしてー」
「ミュウミュウって呼ばないでください」
 助けを求めた先は、俺ではないもう一人の後輩だ。
 実のところ、この場には俺とアリア先輩だけでなく、少し後ろからもう一人、ついてくる人物がいる。あのミュウミ……じゃなかった。ミューと呼ばれるポニーテールの寡黙な女性だ。知ってはいたが、ここにくるまでまるで存在を気にかけずにいた。
 例のニックネームは確かに呼びやすく馴染みやすいが、一方、本人については全く逆なくらい絡み辛くて、俺はまだ到底親しくない。交わした会話が数え上がるくらいの交流段階。声も、今日聞いたのは、さきほどの訂正が初めてだ。
「あと、ふえふえ泣かないでください。似合いません。気持ち悪いです。早く立ってください」
「うぅ……先輩思いの後輩が、いない……」
 ミューは、アリア先輩の扱いには容赦がない。冬場に野外で食べるアイスクリームくらい冷たい。
 というかそもそも、彼女はあまり感情に起伏がないのだ。俺とは同年らしいから先輩に対しては敬語だが、敬う気持ちはマイナスくらいの皮相的言動である。他の二人、一年生らしいソラとルナに対しては別にそうでもないのに、なぜだかこの先輩後輩関係にだけは遠慮がない。今のように、ソラルナのペアと別行動になるときはよく二人が一緒らしいが、果たして仲が良いのか悪いのか。
「くっ……あーもうわかった! よし、ここらで休憩。各自、戦闘態勢解除ー」
 俺とミューがいつまでも放っておいたら、アリア先輩は開き直って投げやりな号令を出した。さらに大の字で床にうつ伏せのまま停止した。
 そんなんでいいのか、あんた……。いやむしろ、そんなんでいいのか、チーム南校。勝利を目指して競い合うゲームだって、言っていたじゃないか。
 俺は呆れる想いを抱いたが、ミューは文句の一つも言わずに近くの壁へと背を預け、腕を組んで静止してしまう。ちょうど最初に俺が目にした彼女と、同じ格好だ。その状態が彼女の休息モードのようである。態度は冷徹でも、ミューはアリア先輩の指示等々に対して、文句は一切言わないようだった。
 仕方なく、俺もアリア先輩の横にあぐらをかいて座り込む。マシンガントーカーの電池が切れれば、この仮想の城内は途端にシンとしたものだ。
 もう本当に、しつこいようだけどさあ、こんなんでいいのかなあ……。しばらく待っても起き上がらない先輩を見下ろし、俺は思わず口から漏れそうな感想を飲み込む。
 だがしかし、繰り返し繰り返し抱くこの疑問への答えが、既に俺の中では出来上がりつつあるのもまた、奇妙なことではあるが、わかっていた。それは数日の間、ここへ通って直接に肌で感じたことだ。
 答えは、そう。まあ、そんなんでいいのだ。
 理由は、簡単だった。
 静まり過ぎて間が持たなくなった俺は、その裏付けでもある事実を乗せ、先輩に向かって口を開く。
「アリア先輩。俺らのチームって、相当弱いっすよね」
 初めはよくわからなかったが、考えてみれば当然だった。
 何を隠そう、このチーム、現在総勢五人なのだ。しかもうち一人は俺だから、ゲームについてのノウハウもない。
 対して今まで見た限り、南校以外の東、西、北校には少なくとも十人近くか、それ以上のメンバーが存在していた。
 さらにここの戦闘には、簡単な取り決め、いわばルールがあるのだ。
 まず基本的には肉弾戦。直接的に戦う過程で相手を制し、各々胸元にチェーンで下げられた校章付きのシンボルアクセサリーを奪うことが目的である。ふっ飛んだりはするものの、身体に大きなダメージはないのだから、これは一種の勝敗規定だ。胸元のネックレスを奪われた者は強制退場。すると残念ながら、その日はお家に帰還。また、次回には元通り参加するという仕組みである。つまるところ、これはチームの総力戦。したがって、人数の比は馬鹿にできない。
 加えて全体としての勝敗は、二つのチームが攻守の立場に分かれ、守備側の持つ“フラッグ”を攻撃側が奪うかどうかで判定される。このフラッグというのは、守備チームの校章がついた大きな旗だ。守備チームは自陣でフラッグを守り、攻撃チームはこれを奪取するという目的でゲームを行う。たとえるのなら、鬼ごっこの派生型であるケイドロが近いと思う。
 そしてその結果、守備チームがフラッグを守り切れば次のゲームでも攻守は変わらず、そうでなければ交代となる。これがスケジュールで調整されて、毎回二組の対戦カードが組まれた上で、争い合うというわけだ。全部で四校あるわけだから、ゲームの結果が出るごとに、新たな二校の守備側と二校の攻撃側が決定される。
 まあ、とにもかくにも、やはり総力戦。もちろんフラッグは、可能な限りずっと守った方が良い。ずっと守備側をやっていれば、ゲームに勝っているということだから。そうやって予選を勝ち抜くと、決勝戦に参加することができるらしい。
「まあ、うん。んーだねえ。最近めっきりフラッグなんて見てない気がする。ずーっと攻撃側。負けてる方だねー」
 アリア先輩はうつぶせのまま、床と顔をくっつけながらふごふご話した。まともな返答ではあったが、聞き取りにくくて仕方がない。
「てかそもそも、このチームって勝とうとすらしてないっすよね。毎回雑談してばっかで、うろうろするばかりだし」
「そりゃね。自陣から動かせないフラッグを守る守備チームと違って、攻撃チームの私らは陣地もないし、自由に動けるからさ。せっかく景色の良い仮想空間なんだから、ほら、やっぱり観光とかしないと」
「観光って……。んな呑気な……」
 ルールを覚えたての俺でもわかる。このままでは勝てるわけがない。
 俺としては、それでは困るのだ。ここで勝って得られるらしき権利を使って、大事な場所を守らなければならないのだから。増設工事をとりやめるか、さもなければ少なくとも、あの銀杏の広場を工事範囲から外してもらうかしないといけないのだから。でないと、俺がここにきた意味がないではないか。
 けれどもそんな俺の内心など知らず、アリア先輩は緩い声で答える。
「呑気なくらいがーいいじゃないかー」
 ……普段の俺なら、それも良しとするんだがな。
「けど、頑張れば、一回くらいはいけるかもって思いません? フラッグ奪取」
 俺は平静を装いつつ、先輩を駆り立てようとする。
 すると先輩はひっくり返って仰向けになり、大の字のまま俺の方を向いて言った。
「無理に勝ちにいくと、みんなやられてあっという間に退場じゃないか。楽しい時間が早く終わってしまう。それではもったいないよ」
「でも……」
「それにな、フラッグは一回だけ取っても、意味がない。取ったら最後まで守らなきゃね。二組の攻守戦を何度かやって、最後にフラッグを守っていた二校が、決勝戦をやるルールなんだよ。って、前に言わなかったっけ? 予選の序盤でフラッグ持ってても仕方がないし、かと言って、最後の方はどこも本気さ。うち相手じゃ太刀打ちできない」
 だからフラッグ奪取に躍起になるよりも、楽しく毎回の二時間を過ごした方がいいんだよ。そう、アリア先輩は言う。
 所々は正論で、ここまで開き直られると、逆に俺としては反論しにくいものがあった。
 おそらく今の南校は、他三校からほとんど敵としてみなされていないのだ。歴然の戦力差に加えてこの人たちの振る舞いもあり、戦意がないと認識されている。そのため敵陣から離れたところならば、笑いながら喋っていても、基本的には安全だった。
 たまに起こる交戦といえば、偵察と称して放浪しているソラとルナが起こすものくらい。偶然鉢合わせた相手の偵察隊と、ちょっかいを掛け合う程度の戦闘。こちらも相手も、逃げたって別にわざわざ追ったりしないような、どう見てもお気軽なお遊びだ。
 ソラとルナはたびたび、一度くらいは勝ってみたいと喚いてはいるが、それもあまり本気ではないのか、アリア先輩からの深追い禁止の指示を破る気配はない。きっと今もそこらで二人、呑気にじゃれているのだろうと思う。
「ふむ……。楽しい方が私は好きだよ。レイもそうだろう? ……と、聞きたいところだけど……何やら浮かない様子だね」
 俺が座ったまま黙っていると、アリア先輩は続けて口を開いた。何かを考えているような、探りを入れるような、そんな感じだ。
 しかし俺がなおも答えずにいると、再び先輩が、今度は別の方向へと声を放る。
「あ、そうだミュウミュウ。ソラとルナはどうしてるかな? 合流地点とか、決めてあったっけ?」
「……私は、知りませんけど」
 ミューは口だけを動かして反応する。
 するとアリア先輩は、寝ながら両手を合わせてミューへ微笑んだ。
「そっか。じゃあごめん。決めるの忘れてたわ」
「……決めてなかったんですか。ゲーム中は通信手段もないのに」
「うん。迎えにいかなきゃならないかも、なんだけど」
 そのねだるような先輩の言葉を受け、ミューは溜息とセットで返す。
「……はいはい、私が行ってきます」
 呆れた様子を隠す素振りもなく、ミューは壁から背を離して、やがて俺たちの前から去っていった。迎えに行くと言いつつ、きっと探しに行くのだろう。合流地点を決めていないのであれば、二人がどこにいるかなんてわからない。
 でも、妙な服飾のおかげで移動も速いし、ミューはなんだか、こういったことには慣れている様子だった。もしかすると、初めてではないのかもしれない。
 俺はそのやりとりを、なんとなしに眺めている。思考の半分は、未だにどうやったら勝てるのか、なんてことを考えながら。
 沈黙が落ち、壁掛け燭台の灯火がほんのりと揺れる。
 しばらくするとまた声がかかった。相手はもちろん、アリア先輩だ。ここにはもう、俺と先輩以外いなくなった。
「さーて、まあまあ。まあまあ少年よ。露骨にミュウミュウを退けた今、こうして二人っきりになったわけだが」
 そして突然、床に伸びた体勢からブレイクダンスばりに回転して起き上がったと思ったら、素早く俺の隣に座り込む。
「わっ! ち、ちょっと、なんすか」
 ちょうどピッタリ横に位置取られたために、先輩の身体がピッタリとひっつく。俺は驚いて横にずれつつ、距離をとった。
 しかし、先輩はジリジリとしつこく、にやにやしながら寄ってくる。
「こらこら、うら若き乙女の身体ぞ。美人の女体ぞ。逃げるな逃げるな」
「うら若きはいいとしても、美人かどうかなんてわかんないじゃないすか。いったいどうしたんすか」
「いやいや、そこは美人を想像しておけよ。声や体型からして美人だろう? そう思っておいた方が、お互い得さ」
 やかましいわ。言動からして美人じゃない。内心で毒づきながら、俺がひょこひょこ壁まで逃げても、ついには結局追い詰められた。壁と先輩に板挟みにされて、二人揃って体操座りなんて、変な構図になっている。
「その、な。一度、君と話をしてみようと思ったのさ」
 妙に改まった、わざとらしい神妙なトーンの声を、先輩が隣で響かせる。二人っきりでな、と語尾に付け加えられたのは、なんだか無性に腹立たしかったので思いっきり無視した。
「二人で話なんていっても、俺の方は、特に何もないですよ。先輩みたいに面白可笑しいことも、そう言えませんし」
「心外だな、君は。するのは真面目な話だよ。普段の私とのギャップに、惚れないよう注意しなよ」
 もう既に、そういう発言があるから絶対に惚れられないと思われる。
 アリア先輩はケタケタ笑いながら俺の肩を叩く。反対が壁で反動が逃げないから、小突かれると結構痛い。
 そうやってひとしきり俺をからかったあと、先輩は手を引っ込めて膝に下から回し、まるで少女みたいな体操座りをした。一呼吸置き、ゆっくりと話し出す。
「いい機会だからさ、今日はね。君と、そして君のお姉さんであるリフィア先輩に話を……いや、違うな。言い訳を、させてもらおうと思うんだ」
 どうやら宣言通り、真面目モードに移行したらしい。アリア先輩のテンションは急激に頭打ちして、今度はわざとではなく本当に、急落下したように思えた。
「……言い訳って、また唐突すね。もしかして、それが真面目な話ですか?」
 先輩は、無言で静かに頷いて見せた。
「君はさ、今と違ってかつての南校が、最強と謳われたチームだったって言ったら……信じるかい?」
「え? いや……」
 何が告げられるのか全く見当もついていなかった俺は、不意にそんなことを尋ねられて、あからさまに返答に困ってしまった。先輩は何が言いたいのだろう。俺は疑問に思ったが、結局その意図もいまいちわからず、率直な本音しか出てこなかった。
「ちょっと、嘘くさいっすね」
 先輩はそれを聞き、はは、と自嘲気味に笑う。
「まあ、そうだよな。でもね、嘘のようで本当の話さ。かつてと言っても、ほんの一年半前までのことだ。特にリフィア先輩が三年で、私が一年だった頃は、常勝南校と言われるほどの強さだったんだ」
 最強って。常勝って。それは、聞き慣れないにもほどがある単語だ。いったいどれだけの人が、今のこのチームを見て、その話を素直に飲み込むだろうか。常勝どころか、まぐれ勝ちすら程遠い有様なのに。
 しかし、頭ごなしに疑うわけにもいかず、妥当性のありそうな理由を見つけて、俺は言葉を返す。
「当時の三年生は、とても人数が多かったんですか?」
 結果、思いついたのはこれくらいだ。
 アリア先輩は首を振った。
「いや、そうじゃないんだ。当時の三年生は、たった四人だった。まとめ役のリフィア先輩と、他に三人。そして二年生は誰もいなくて、一年は私だけ。総勢五人の、ごくごく少数のチームだったよ」
「ご、五人て、今と同じじゃないすか。そんなんで常勝って……夢でも見てたんじゃないんですか?」
「だから、嘘のようで本当の話なのさ。私の先輩たちは、とてもとても強かったんだ。それはもうまさに、一騎当千の実力。二倍三倍の戦力差なんて目じゃなかった。四人ともここで、私を楽しませてくれながらフラッグをかっさらってくる姿は、憧れ必至の格好良さでね。さらにその中でも、リフィア先輩はかなり飛び抜けていたものだったよ」
 予想とは違う事実の告白に、俺は純粋に驚いた。人員数がものを言いそうなこのルールのゲームで、五人の常勝。そんなことが本当に可能なのだろうか。いくら何でも無理じゃないのか? その年はたまたま相手校のメンバーも少なかったとか、極端に弱かったとか、そういうことじゃなくて?
 けれども、アリア先輩の語る様子は真剣だった。それ見ていたら、軽々しく屁理屈を出すのも憚られる。まあ、別に嘘をつくメリットもないわけだし、そういうことも、あるのかもしれない。きっと当時の三年生は、疑いなく本当に、強かったのだろう。
「そりゃあ……すごい話すねえ。まあ姉貴のやつ、昔っから喧嘩はしこたま強かったからなあ……。まさかこんなところでそれが活きようとは」
 思い返せば幼い頃は、よく優璃と喧嘩して負けた。勝ったことなんて一度もない。
 アリア先輩は、そんな優璃の率いた当時の三年生をよく慕っているようだった。中でも優璃への好感は、一際高いと見える。全く、あいつときたら相変わらず、なぜか外受けだけはいいんだから。
「でも、それで三年の先輩が卒業して、南校常勝時代に終わりがきたと。そんなところですかね」
 言いにくかったが、俺は先輩の話を信じた証として、その先の話を想像した。
「うん。そんなところだ、簡単に言えばね。いや……難しく言ってもそういうことだな」
 アリア先輩は、やすやすと肯定する。
「当時、代が変わっても新しくやってくる人はいなくてね。最強の南校は、途端に低迷。そんな話を聞いたら、リフィア先輩は悲しむんじゃないかと思ったんだ」
 始めに言い訳と言った意図を、ここまで聞いて、俺はようやく理解した。
 妙な責任感というか罪悪感というか、まるで自分がこのチームをダメにしてしまったかのような意識を、先輩は抱いているのかもしれない。どうにもならないことでも、そういう気持ちを感じずにはいられない、ということだろう。
 でもきっと、それは杞憂だ。確信できる。優璃の同期である他の三人に関してはわからないが、少なくとも優璃についてだけは言い切ることができた。
「うちの姉貴は、そういうことは気にしない性格ですよ。多分それは、間違いないかと」
 良くも悪くもサバサバしたやつだから、仮に今あいつがここへきて、この状況を目の当たりにしたとしても、拍子抜けなくらい軽々と笑って済ますはずだ。不本意ながらもやはり俺とあいつは姉弟だから、長く近くで見ていた分だけよくわかってしまう。
「そうか、そうなのかな。ああ、リフィア先輩は、そんな小さなお方じゃないか」
「まあ、姉貴の器がどうかは……今は置いておくとしてですね。卒業でメンバーが抜けて勝てなくなるってのは、学生競技じゃよくあることじゃないですか。南校が低迷したのは、別に先輩のせいじゃないですよ」
 五人のメンバーから四人の先輩が抜けてしまったら、アリア先輩は、ここでは一人だ。さすがにいくらなんでも、たった一人では勝てない。というか、そもそも活動自体が危うい気もする。南校チームが残っているだけマシだと考えても、良い気がするくらいである。
「でもさ、やっぱり責任は感じるんだよ。それに、私の話にはまだ続きがある。これはまだ、言い訳第一形態なんだ」
 しかし俺の慰めは効果がないようで、先輩は気落ちした様子から回復することはなかった。もっと言えば、逆になおいっそう、真剣そうな雰囲気を纏って話を続けた。
「第一形態って……えっと、それは、第二形態があるってことですね」
「まあね。恥の上塗りだけど、ここから第二形態だ」
 アリア先輩は膝の下を抱えたその手に、力を込める。
「寂しかったんだ、私は。何しろ一人ぼっちだったからね。どんな場所でも、一人は全然楽しくない。それどころか、ここへきても楽しかった前の年を思い出すばかりで、むしろもっと辛くなった。だからさ、別にそれなら、ここにくる意味もないんじゃないかと思ったよ。ここ数年で人数の安定している他校は、一学年くらい卒業しても戦力に変化はないし、先輩たちと同じ調子で相手にされたら、私はあっという間にリタイアだったし。ただでさえつまんないのに、勝てなきゃもっとつまんないし、悔しいしって感じさ。結局それで、もうどうでもいいかなって思っちゃって、リフィア先輩たちが残してくれた最後の優勝権限も、春先に適当に使っちゃったんだ」
 アリア先輩は、ぽつぽつと大人しく、思い出を語った。まるで、しとしとと降る静かな雨粒のような声が、涙に代わって床に落ちるようだった。
 そんなアリア先輩の回想に耳を傾けながら、俺はゆっくりとした語りの中に、一つ思い当たることを見つける。
「あ、もしかして……春先に使った権限って……」
「うん。君は知っているんだよな。学食のフランス料理フルコース。懐かしいなあ……今思えば、あれが最後の南校の優勝権だ」
 なるほど、そういうことか。いや、でも待て。いくら傷心の身の上だったとはいえ、そんな暴挙というか、無駄遣いに走ろうとは……。
「……もう少しまともな使い道があったんじゃないすか……」
「君の言う通りだ。ぐうの音も出ないくらい正論だよ。でもね」
 けれどもアリア先輩は、そこで久しぶりに、少し笑った。意外に思って俺が顔を向けると、先輩も俺の方を見て、さらに笑う。
「実のところ、あのフランス料理のおかげで、私は一人じゃなくなったんだよ」
 いつの間にかしんみりしていた先輩はいなくなって、今度はいきなり、人差し指を立てながら、ずいっと顔を寄せてきた。
 何だ。どうしたんだ。俺はそう思う。
 にしても、近い。顔が近い。俺が両手で先輩の顔を遠ざけようとすると、触れた頬がむにっと鳴る。
 先輩は構わず続ける。
「あれがきっかけになって、ミュウミュウがここへくるようになったんだよ」
「え、ミューって自分からここにきたんすか。すげーやる気なさそうなのに」
 というか、フランス料理がきっかけって、どういうことだろう。
「あはは。あの子はな、別にやる気がないわけじゃないんだ。あの子は、私のおかしな権利の使い方を、咎めるつもりでここへきたらしいんだよ」
「咎めるって、なんすかそれ」
「さあ、その真意まではわからないが……何だろ、風紀委員か何かでもやっているのかな。とにかく学食にフランス料理は、もう本当に、ウケたようでさ。『おかしなことで学校の風紀を乱さないでください』って、ここにきて私に言ったんだ。梅雨の時期くらいだったかな。私はもう、その頃にはとっくに忘れていたんだけどさ」
 思い出すと愉快なのか、先輩は朗らかに笑みを作って話した。語る調子に、楽しげに弾む声が混じり出す。
「当時まだ一年だったミュウミュウは、わざわざ調べて、ここにたどり着いたらしいんだ。普通ここへくるには、関係者の手引きがあるものなんだけど。いやあ、まさか何の情報もなしに一人でって、すごいよ。あの子の立ち回りには舌を巻くね」
「調べたらわかるものなんすか、ここって」
「うーん。まあ別に、秘密結社ってわけでもないけど、どうなんだろうな」
 先輩の言う通り、俺は優璃に導かれるようにしてここへきた。それがなければ、夜の学校でこんなことが行われているなんて、知る由もなっただろう。
 そりゃまた、随分と頑張ったなミューさん。いったいどんな手を使ったんだ。俺は手引きがあっても、ここへくるには多少なりとも迷ったのに。
「ちょっと驚いたけど、でもあの子がここへきてくれて、私は嬉しかったよ。一人じゃなくなったことが、とても嬉しかった」
「んで結局、ミューはそれからずっと、ここに通っているってことですか? でも、今の南校は弱小で勝てないんだから、優勝権限とは縁遠いわけですよね。ミューもそれがわかったら、もうこなくていいんじゃないかと思うんですけど」
「甘いなあ君は。せっかくきた彼女を、私がそうそう手放すわけないじゃないか。継続的にここへ通うように、叫んで喚いてしがみついたよ」
「…………」
 俺はそれを想像して、少し呆れた。先輩の威厳、皆無だな。あの冷めたミューがあっさり去ろうとしているところに、その片足にでもしがみついて、駄々っ子のように縋るアリア先輩の姿が簡単に頭に浮かんでしまう。見事に上下関係反転の図だ。
「その甲斐あって、見張りという形で、あの子はここに通うことにしてくれたよ。いくら南校が弱くても、万が一の可能性も、あるかもしれないからさ」
 それはつまり、万が一、南校が勝利して権限を得て、アリア先輩がまた変なことに使うという可能性だろうか。自然に考えるに、極めて低そうな可能性だが。
 なんとまあ、律儀な話だ。
「それからしばらく、私とミュウミュウは二人で過ごした。あの子は素っ気ないけれども、今の君のように、こうして私の話を聞いてくれたものだよ。そのころには段々と南校の低迷が他校に悟られ始めていて、私たちが好戦的に振舞わなければ、いくらか長くゲームができるようになっていたんだ」
「あのミューが、先輩の話を、ねえ……。あんまり想像できないな」
「いやいや、本当のことだよ? あの子は冷たく見えるけど、仲良くなればなるほど面白い。もうね、すっごく可愛いんだから」
「へえ、案外いいやつなんすね。可愛いかどうかは……また別ですけど」
「いや、あの子は可愛いよー。素顔もきっと、激プリティーだな」
「………………」
 あの性格でプリティーは……ないだろ。マジだったらすげーギャップだ。ギャップ萌えるどころじゃない衝撃を受ける。ていうか怖い。
「それでだ。長いこと二人でやっていたものだが、今年の春になってさらに二人、ソラとルナがやってきた。四人になったんだ。あの子たちは入学早々にここへきたから、おそらく過去にここにいた誰かの後輩なんだろうね」
 そしてアリア先輩は、どんどん過去を現在に近づけていく。優璃の通っていた時代から、ゆっくりと思い出は進んでゆく。話の進度に比例して、より嬉々とした声を響かせる。
「手引きされてここへきたってことすか」
「だろうね。初めからここの話は聞いていたみたいだった。そうやってあの子たちがきてからはな、もう随分と賑やかになったんだ。人懐こい子たちでさ、初対面から会話が弾んだのを良く覚えているよ」
「あいつらがきたら、確かにうるさくなりそうですね。ミューの嫌そうな顔が目に浮かぶな」
 単に人数は二倍でも、やかましさは三倍にも四倍にもなりそうだ。特にソラはよく喋るし、黙っているミューにも構わず寄っていって、一方的に話しかけたことだろう。
「あははは。確かに、嫌そーな顔をしていたかもしれない。でもきっとミュウミュウも、ソラやルナのこと、嫌いじゃないよ。あの子たちを見ていると、私は楽しい。一人だった頃となんて、比べようにも比べられない。仲間がまた、増えたんだから」
 アリア先輩の語る様子は、もうとっくに満面の笑みで、とても楽しそうだった。
「かと思えばさ、次は君だよ。私がここにいられる最後の年に、リフィア先輩の弟に出会う。まさにこれは運命だ。ちょっとでも神様の存在を信じたくなったよ」
「よしてくださいよ。んなこと言ったら、俺が姉貴にパシられたのも運命ってことになるじゃないすか。冗談じゃない」
 そんな運命を設定する神様がいるなら、俺は即刻、その神様に直談判しに行くだろう。やめろと。頼むからやめろと。
「いいじゃないか。気にするなよ。あはははは」
「気にするっつーのに」
 アリア先輩は大口を開けて、大声で笑う。喜びの感情も相まって、随分愉快なのだろう。そのまま上を向いて続ける。
「私はさ、今のチームが、どうにも気に入っているんだよ。てんでへっぽこで、フラッグを見ることすらないこんなチームでも、今までにないくらい居心地がいいんだ。もともと私には、優勝権限でしたいこともないし、むしろミュウミュウはそれを止めるためにここへきている。ソラとルナにも、特にそういうのはないんだと思うよ。あの子らは、勝ちたい勝ちたいとは言っているけど、単なる興味本位だと思うし」
 それは、薄々俺もわかってはいた。現南校メンバーの四人は、勝って得られる権利のことなんてほとんど考えてない。きっとそんなもの、有ろうとなかろうと、どうでもいいのだ。そしてこの事実は、チームが弱いことを正当化する主張にはならないけれど、勝利が意味を持たないことの帰結としては妥当性を得る。すなわち、まさしく言い訳にはなるのだった。
「根本から、勝ちを目指してすらいない……ってことっすね」
「まあ、目指していないとまでは言わないよ。私は、楽しいのが一番なんだ。みんなで力を合わせて勝ちにいくことは、もちろんその範疇に入るさ。でもな、現状ではあまりに厳しいよ。今、勝ちを狙うとなれば、毎度毎度の退場者は確実だ。相手がそんな私たちを見て、本気になればなおさらだしね。それに一応、このゲームでの退場にも、リスクがないわけじゃあないんだよ?」
「あ……そうなんですか?」
「うん。やられたって次のゲームになればまた会えるわけだけど……でも、デメリットは残る。退場の回数に比例して、この世界でのパフォーマンス……ホログラムによる装飾や運動補佐の質が下がっていくんだ。前者は気分の問題でも、後者は程度によっては無視できなくなるし、本気で戦う上では致命的だ。これは退場によって個人のアカウントに用意されているメモリが削られていくことに起因していて、一定期間は元に戻らない」
「へえ、そんなルールもあったんですね」
 確かに、あくまでこれはゲームなのだから、最低限それくらいの設定はありそうだ。
「別に数回じゃあまり大したこともないし、今の私たちはほとんど戦うこともないけどさ。でも何より私は、みんなとできるだけ長く、一秒でも長く、一緒にいたいと思っているんだ。ここにきてみんなといられるのは、限られた時間だから。仲間は誰一人として、一度だって退場なんてしてほしくない。時間ぎりぎり一杯まで、じゃれた方が楽しいんだ」
 俺はその言葉を聞いて、頷くことはできないけれど、先輩の言いたいことはわかった気がした。特に先輩にとっては、退場に伴うゲームとしてのデメリットよりも、共有する楽しさと時間が減ってしまうことの方が、大きな懸念なのだろう。暖かく穏やかに話す声音に、そういう想いが強く感じられた。
「これが、私の言い訳第二形態だ」
「……さすがに、第三形態は、ないっすよね」
「うん。でも……」
 そこで先輩は、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
「第三形態はないけど、代わりに君に、聞きたいことがあるんだ。君がここへきたのには、何か目的があるんだろう?」
 突然、俺の心臓が、どきっと跳ねた。そのアリア先輩の質問は、不意打ちだったのだ。しかも、俺に目的があることを半分くらい決めつけているような鋭い聞き方が、妙にひっかかってしまう。俺はすぐには答えられない。
「無理にとは言わないよ。でも、こんな時期に、リフィア先輩に言われてここへきたことや、これまでの君のそわそわした様子を見ると、何かあるんだろうと思えてしまう。もし君が、何か叶えたい願いがあって、そのために勝ちを目指したいというのなら、私たちも少しずつ協力したい。だから、よかったら聞かせてくれないかな」
 二人で真面目なお話って、つまるところこういうことか、なんて思った。俺が参加し始めてから、行われたゲームは数回。その間の俺の挙動が、先輩には気になったと見える。
 可能性としては、十分あり得ることだった。ここへきて、ゲームのルールとシステムを知ってからの俺は、内心ではあわよくば優勝権限を利用したいと、常に考えていたのだから。それが少なからず言動に表れていたかもしれないことを、否定できる自信はない。
 そう、もしここの権限が利用できるなら、問答無用で銀杏の樹は助かるはずなのだ。
 でも…………。
「いや、目的だなんて、そんな。先輩の考えているような大それたことは、何もないですよ」
 俺の口からは、はぐらかすような答えが出ていた。
 俺の目的は、至極個人的なものだ。それに、協力は有り難い申し出だが、残念ながら時間的に余裕もないので、少しずつでは遅い。なおかつ、アリア先輩の思い出話を聞いてしまったあとでは、急いで勝ちたいとも言えないものだった。
 先輩は「本当かい?」と再度尋ねたが、俺は
「本当です。それよりも、そろそろみんな、戻ってくるんじゃないですかね?」
 なんて言葉を濁した。
 逃げるように体操座りから立ち上がり、少し前にミューが去って行った方向を見る。戻ってきた気配を察したとかではないし、もともと俺たちは待っている側だからこの場を動く必要もないのだが、それでも俺は立ち上がった。アリア先輩との会話に、一区切りつけるためだ。
 すると先輩は「そうだね」とゆっくり答えた。俺がはぐらかしたことを、わざわざ追求してくる様子はない。ただ、話を引きずりこそしないものの、以前として体操座りで真剣な表情をし、落ち着いた穏やかな声で俺に言った。
「でもね、レイ。ならば一つだけ、言っておくよ。ここのメンバーであるからには、単独行動はなしだ。君が一人で勝手に動いたら、みんな心配するんだからな」
 その念押しのような、あるいは忠告めいたものに、俺は曖昧に笑って対応することしかできない。言葉ではイエスともノーとも、言わなかった。
 しかし俺が答えなくても、先輩は対して何か反応を見せるわけでもなく、二言目を紡ぐこともなかった。
 それから結局、ミューがソラとルナを引き連れて帰ってくるまでの少しの間、無言の時間が続いた。いつものお喋りなアリア先輩は姿を引っ込め、皆との合流まで出てこなかった。もちろん全員が揃ってからは、またからりとした明るい調子の先輩に戻っていたが、始終その胸中が、俺には気になって仕方がない。
 みんなで時間いっぱいぶらついて、その日のゲームが終わっても、さらに家に帰ってもまだ、俺はどうにも上手い結論が出せずにいて。南校のチームのことや、これから俺がどうするべきかを、長々とひたすら思案し続けていた。
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