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11 いいところのレストラン
しおりを挟む――――それから無事に俺は二十歳の誕生日を迎え、父さんに祝ってもらい、母さんや兄さんに『おめでとう』とテレビ電話で言ってもらった。
そして誕生日から数日後の夕暮れ時。
俺は京助さんに指定された通り、ちゃんとした格好で京助さんの家に訪れた。
……京助さんが襟付きのシャツの格好でって言ったから一応着てきたけど、これで良かったかな? でも、服に気を使うほどそんなにいいレストランに連れてってくれるのかな。
俺はそう思いながらもチャイムを鳴らす。そうすれば、インターホンから『鍵は開いてるから、中に入って』と京助さんと返事があった。
俺は鍵のされていないドアを開けて、中に入る。
「お邪魔しまーす」
俺は一言、断りを入れて靴を脱いで中に入る。そして廊下を抜けて、リビングに入ればそこには着飾った京助さんがいた。
いつも下ろしている前髪はワックスで掻き上げられ、白のシャツに黒のスラックス、グレーのジャケットを身に纏い、そして腕に銀の時計を付けている最中だった。
「夏生、もうちょっとで用意できるから待っててくれ」
京助さんは腕に時計を付け、それから携帯と財布をズボンのポケットに仕舞う。それから窓やガス栓を確認すると俺を見た。
「待たせた。じゃあ、行くか……夏生、どうした?」
京助さんは立ち尽くす俺を見て、小首を傾げた。でもあまりの格好よさに俺は言葉も出ない。
……京助さんってカッコいい人だとはわかっていたけど、おしゃれすると本当に芸能人みたいだな。
「夏生?」
もう一度呼びかけられて俺は我に返る。
「あ、ごめん。京助さんがこんなにおしゃれしてるの見た事ないからちょっと驚いて」
俺が正直に話すと京助さんは苦笑した。
「あー、夏生にはダメな姿ばっかりみせてるからなぁ。ま、今日は特別だ」
「でも、そんなにいいところに連れてってくれるの? 俺、この格好で大丈夫? 普通のお店でも俺は全然いいけど」
京助さんがあんまりにもお洒落な格好をしているから、俺はそんなにいいところに連れてってくれるのかと思ってちょっと日和る。
「何言ってんだ。折角節目の誕生日だろ? それに今日は酒の飲み方を教えるって言っただろ」
「それはそうだけど」
……京助さんはお金をたくさん持ってるんだろうけれど、あんまり高いところは気が引けちゃうよ。出して貰うのも悪いし。
俺はそんな事を思う。でもそれが顔に出ていたのか、京助さんは笑って吹き飛ばした。
「夏生って、本当に真面目だな。こういう時は年上に甘えてついてくればいいんだよ。ほら、行くぞ。下にタクシーが来るから」
京助さんは俺を置いて先を歩く。だから俺は慌てて追いかけた。
「あ、ちょっと待って」
そうして俺は京助さんと共に家を出た。それから俺は京助さんとタクシーに乗り込み、食事をする場所に向かった。
けれど、その場所に俺は口をあんぐりと開けることになる。
◇◇
「きょ……京助さん、まさかここで食事をするの?」
俺はタクシーを降りて、目の前の建物を見上げる。
「いいところに連れてくって言っただろ?」
「だからって、ホテルのレストラン!?」
「ここならバーも入ってるからちょうどいいと思ったんだよ。ほら、予約してるからさっさと行くぞ」
京助さんは躊躇いなくホテルのエントランスに入って行こうとする。でも俺はもう一度、見上げてしまう。そこは俺でも知っている有名な高級ホテルだったから。
……いいところって確かにそうかもしれないけど、まさかホテルのレストランなんて思わなかったよ!
「俺、大丈夫かな」
粗相しないだろうか、と心配になりながらも俺はまたも京助さんの後を追いかけた。そして京助さんは慣れた様子でホテルのロビーを通り抜け、エレベーターに乗り込む。それから最上階に着くと、レストランの入り口で受付をしてホールスタッフにテーブル席へと案内された。
レストラン内は明らかに落ち着いた大人の雰囲気で、テーブルには磨かれたグラスや食器、カトラリーが輝いている。
……俺って場違いなのでは。
俺は席に座りながら周りを見て思う。だって俺と同い年ぐらいの人が一人もいないんだ。でも京助さんは平然とした顔で飲み物を尋ねに来たスタッフにワインを頼んでいた。
「夏生は飲み物、どうする?」
京助さんは俺に尋ねたけれど、ドリンクのメニュー表を見ても何がいいかなんてわからない。でも、それが顔に出ていたのか、京助さんは助け舟を出してくれた。
「とりあえずジンジャエールにしとくか?」
聞かれて俺はすぐにこくこくっと頷く。
「じゃあ、それでお願いします」
京助さんが言うと、スタッフの人は「畏まりました」と恭しく言ってメニュー表を受け取り、キッチンの方へ去って行った。そして京助さんと言えば、手慣れた仕草でテーブルの上にセットされたナプキンを取り、膝にかける。
なので俺も同じようにナプキンを膝に乗せ、それからようやく今まで黙っていた俺は京助さんに声をかけた。
「京助さん、俺、マナーとかよくわからないけど大丈夫かな!?」
「ん? 別にそこまで堅苦しく思わなくて大丈夫だろ。ま、カトラリーを端から使っていけば、あとは問題ない」
「そういうもの?」
「そういうもんだ。それにみんな食事と話に夢中で、他の客の事なんか見てないだろ」
京助さんは涼しい顔してそう言うけれど、他の席に座っている女性たちの色めき立った視線を感じる。
……そりゃ、こんなカッコいい人がいれば見ちゃうよね。
俺は目の前に座る、自分の格好良さに無頓着な男を見る。
「なんだ?」
「京助さんて罪な男だな、と思って」
「何の事だ?」
「ううん、こっちの話」
俺の返事に京助さんは何か言いたげだったが、そこに京助さんが頼んだ赤ワインと俺のジンジャエールが運ばれてきて、言うタイミングを逃していた。
「では、失礼します」
スタッフの人が去ると京助さんはとりあえずグラスを掲げ、俺にも持つように目で合図した。なので俺はシャンパングラスに入れられたジンジャーエールを片手に持つ。
「じゃあ、夏生の誕生日を祝って」
「ありがとうございます」
そう会話を交わして、京助さんは乾杯をしてくれた。そして京助さんは一口、赤ワインを口に含む。その色っぽい仕草に俺は見惚れてしまうが、折角乾杯をしてくれたので俺もジンジャエールを一口。
中身はソフトドリンクだけど、ちょっとお酒を飲んでいる気分。
「で、どうだ? 二十歳になった感想は」
京助さんに聞かれて俺は少し考える。でも、よくわからない。
「特に何も変わりないって感じかな。お酒を飲める年にはなったけど」
「ま、実際はそんなもんだよな。まだ大人のスタート地点ってところだし」
「スタート地点、か」
……じゃあ、ゴールってどこにあるんだろう? いくつ年を取ったら、胸を張って大人ですって答えられるのかな。
俺は明らかに大人な京助さんを見ながら、ぼんやりと考える。俺も京助さんみたいになんでもスマートにこなせる日が来るのだろうかと。
でも、そんな俺に京助さんは笑った。
「けど、これから色々と経験していけばいいさ。今日の事も、いずれ役に立つ時がくるだろ」
「……いずれ役立つ。そんな時がくるイメージが沸かないんだけど」
「今はそうだろうけど、きっと今日この日を思い出す日があるはずだ」
……そんな日がくるかな?
俺はうーんと考え込む。でも京助さんは何も言わないで俺を見ていた。まるで未来を見通すように。だから、京助さんの目に見えている未来の俺はどんな風なんだろうか、とちょっと思う。
「でも、夏生は育ちが良さそうだから、こういうところに来た事があると思ってたよ」
京助さんに突然言われて俺は驚く。
「え、俺が!? 俺、全然ふつーだよ?」
……育ちが良いって、いいところの子供ってことだよね?
俺は思わず豪邸に住んでいるお嬢様なんかをイメージしてしまう。でも俺の家は普通のマンションの一室だ。
「そうか? 両親ともに医師で、兄も医者なんだろう? それに礼儀正しいし」
「別に家族が医者なのはたまたまで。別にいうほど礼儀正しいわけでも」
「俺の目には十分育ちよく見えるよ」
京助さんはそう言ったけど、でもそれを言うなら京助さんだってそうだ。京助さんは普段質素に暮らしているけど、本当はお金持ちなんだと思う。
なんだか、こういう所に来慣れている気がするし。
……まあ、あれだけ本が売れて、小説がドラマや映画、グッズになってたらお金は沢山入ってくるよね。
俺は目の前に座っている人がベストセラー作家の春野秋雪だと思い出す。
……けれど、まさかあんなボロボロの姿になりながら書いてるなんて誰も思い浮かばないだろーなぁ。
俺はついこの前もぼさぼさの髪で寝室からのそっと出て来た京助さんを思い出して心の中でちょっとだけ笑う。でも同時に、目の前にいるこんなに格好いい人のそんなダメな姿を俺は知っていると思うと胸の奥がこそばゆい。
「なんだ?」
俺がじっと見るからか京助さんは俺に問いかけた。
「ううん、なんでもないよ」
そう答えれば京助さんは怪訝そうな顔をした。
「何でもないって顔じゃないけどな。……それより夏生は週末に祖母の家へ行くって言ってたよな?」
「ん? そうだけど」
俺は突然京助さんに聞かれて、頷く。
実は電車で一時間ほどの田舎に父方の祖母が住んでいて、『夏休みに入ったら遊びにおいで』と誘われてて、久しぶりに顔を見せに行く事になっているのだ。
でもこの話はもう先月から決まっていた事で。
「京助さん、先週も俺に聞いてたよ?」
「一応確認だ。その日は夏生に助けを求められないからな」
「不養生はダメですよ」
俺が注意すると京助さんは「わかってるんだけどな」と子供の様に言い訳をした。だから俺は思わずちょっと笑ってしまう。
……京助さんって時々ちょっと子供っぽいところがあるよな。でも、そんなところも好きだと思う俺って相当かも。やっぱ、これって惚れた弱みってやつなのかな。
俺は心の中で自分に問いかける。
けれど、そこに前菜の料理が運ばれてきた。綺麗に飾り付けされた、おいしそうなサーモンとサラダの一皿だ。
「とりあえず、料理を楽しむか」
京助さんに言われ、お腹の空いた俺は「うん」と答えた。
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