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10 煙草の味
しおりを挟む―――それから俺は夏休みを利用して、夏季限定のビアガーデンのバイトもしつつ、悶々と、そして自責の念を感じながら日々を過ごしていた。
でも花火大会から二週間も経った頃、京助さんから連絡が入った。
『ヘルプ』
その一言だけで俺は色々と察し、買い物をして久しぶりに京助さんの家へ訪れた。
◇◇
「……こんにちはー、お邪魔しますよーっ」
俺はおやつ時に訪れ、玄関で靴を脱ぎながら声をかけた。でも返事はない。
……京助さん、先週から執筆で籠るって言ってたからなぁ。大丈夫かな。
俺は心配に思いつつも家の中に入った。
京助さんは筆が乗ると誰にも会わず、家から出なくなる。そして、その時は週一のバイトもお休みだ。なので、リビングに入れば……。
「今回もすごいな」
俺はリビングに入って思わず呟く。
ソファには使ったであろうタオルや脱ぎっぱなしの服、キッチンのシンクには汚れた食器達がこんもり。そして部屋の隅は埃が溜まっていた。
初めてこの家を訪れた時のような状況に俺はふぅっと息を吐く。
……京助さんって執筆に集中しちゃうと、他の事がぜーんぶ疎かになっちゃうんだよなぁ。普段は綺麗好きなのに。
俺はそう思いながらキッチンに立ち、冷蔵庫の扉を開ける。そして中を見れば、食べ物はほとんど入っていなかった。なので俺は京助さんに頼まれて買ってきた食材を補填する。
それから暑いけど窓を開けて空気の入れ替えをし、腰に手を当てて部屋を見渡した。
……とりあえず、京助さんが起きてくるまでさっさと掃除をしますか!
俺は意気込み、京助さん家に置いている自前のエプロンを付けて掃除をし始めた。
――――それから三時間後。
京助さんが寝室からようやく起きてきた。ラフなシャツとズボンの寝巻、そしてぼさぼさの髪に不精髭を生やした姿で。
そして、くわっと大きなあくびをすると、くんくんっと匂いを嗅いでキッチンに立つ俺を見た。
「いい匂いだな」
「リクエスト通りの生姜焼きだよ。もうできるけど、すぐに食べる?」
俺が作りながら尋ねれば、京助さんは「ああ」と答えて、のそのそと洗面所に向かった。ひとまず顔を洗ってくるのだろう。
なので、その間に俺は焼けた生姜焼きをお皿に盛り、出来立てのご飯とインスタントの味噌汁にお湯を注ぐ。そうしていると京助さんが戻ってきて、ダイニングテーブルのいつもの席に座った。
俺はトレーに料理の皿を置いて、そのまま京助さんの元へと運んだ。
「はい、普通の生姜焼き定食」
京助さんの目の前に置けば、京助さんは深呼吸した。
「あー、うまそうな匂い。夏生、ありがとな」
京助さんはそう言うと早速お箸を手にして、「いただきます」とがっつくように食べ始めた。ここ数日、まともなご飯は食べていなかったのだろう。
その様子を見ながら俺は不思議に思う。
……ホント、京助さんだけなのかわかんないけど、作家って変な生き物だなぁ。こんなになるまで話を書いてるんだから。
でも以前、その事を言及したら京助さんに『不思議と話がのってる時に書かないと書けなくなるんだよ。話ってのは生き物なんだ』とよくわからないことを言っていた。
……だからって毎回こうなのは体に悪いような気がするけど。本当、俺が来る前はどうやって復活してたんだろ?
そう思いつつもご飯をおいしそうに食べる京助さんを見て、俺は内心ちょっとホッとしていた。勝手にキスした手前、気まずさで京助さんに対してうまく接することができないんじゃないかと思っていたから。でも意外と普通に京助さんの顔が見れている。まぁ、胸にある罪悪感は消えたわけじゃないけれど。
……あー、なんで俺ってばあんなことしちゃったのかなぁ。ごめん、京助さん。
俺は心の中で何度も謝罪する。けど、ご飯を食べる京助さんの唇を見ていたら、その唇の柔らかさを思い出して、性懲りもなく胸がざわついてきた。なので、俺は早々にこの場から離れることに。
「京助さん、寝室のシーツを替えてくるね!」
「ああ、頼む」
京助さんはご飯を食べながら返事をし、俺は許可を得て寝室に入る。
寝室にはセミダブルのベッドとパソコンが置かれた仕事机だけ。でも部屋に入れば京助さんの濃い匂いがして、余計に胸がざわざわと騒ぎ、頭の中が煩悩にまみれそうになる。
……うっ。ま、窓開けよう!
俺は慌てて窓を開けて換気をし、ふぅっと息を吐く。それから枕カバーとシーツを取り外し、机の上に置かれた飲みかけのコーヒーが入ったマグカップと溜まりにたまったゴミを回収。
掃除機を軽くかけて、枕カバーとシーツを新しいものに取り換えて、リビングに戻ればさっきまでダイニングテーブルにいた京助さんの姿がない。
そしてテーブルの上はコップだけを残し、お皿は片付けられていた。
……食べ終わって、どこに行ったんだろう?
キョロッと部屋の中を見渡せば、京助さんはいつの間にか夕暮れを背にベランダで煙草を吸っていた。その姿を見て俺はすぐに理解する。
……京助さん、話を書き終えたんだ。
京助さんは普段煙草を吸わない。作品を書き上げた時にだけ一本の煙草を吸うんだ。丁寧に、大事に、それはまるで儀式のように。
だからか、その姿は何度見てもかっこよくて、俺もあんな風に煙草を吸ってみたいと思わせる。
……ビアガーデンのバイトしてて煙草を吸う人は良く見るけど、あんな風に吸ってる人はいないもんなぁ。でも、これって好いた欲目ってやつでカッコよく見えてるのかな? いや、やっぱり京助さんだからだろうな。
俺はそう思いながらベランダに足を向け、窓を開けた。まだ暑い熱気が、クーラーで冷えた俺の体に纏わりつくけど、気にしないで俺は京助さんに声をかけた。
「京助さん」
「夏生、飯美味かった。毎度のことながら、ありがとうな」
俺はお金を貰ってやっているのに、京助さんは俺を見てすぐに感謝の言葉を口にした。その事が素直に嬉しい。でも、今はその気持ちを抑えて俺は京助さんに問いかけた。
「どういたしまして。ねえ、京助さん」
「ん、なんだ?」
「俺にも煙草を一本ちょうだい」
俺が頼めば、京助さんは「は?」と顔を顰めた。
「前から思ってたんだけど、俺もその煙草、吸ってみたい」
「何言ってんだ。煙草は二十歳からだ」
「もう来週には誕生日を迎えるからいいじゃん。ね、一本ちょうだい」
俺が頼めば京助さんは吸っていた煙を俺にフーッと吹きかけて意地悪した。当然、突然の煙に俺はむせる。
「わ! ご、ゴホッゴホッ、なにするんだよ」
「お子ちゃまが何言ってんだ。わざわざ綺麗な肺を汚すことない。二十歳を超えても吸わない方がいい。絶対にな」
京助さんはそう言いながらも、俺の前で悠々と煙草を吸った。なので、言ってることとやってる事が全然違うんですけど! と俺はムッとする。
「京助さんは吸ってるくせに」
「俺はいいの。大人だから」
「こういう時だけそう言う……京助さんはズルい大人だ」
「今頃気がついたのか?」
京助さんは前髪を片手で掻き上げると、口角を上げてフッと笑って言った。その笑い方がカッコよくて、俺の胸が変にぴょこっと踊る。
……不意打ちでカッコよく笑うの、本当にやめて欲しい。俺の心臓が持たない。
そう思いつつも俺はムッとした顔のまま京助さんに尋ねた。
「じゃあ、吸わない方がいい煙草を京助さんはなんで吸ってるの。煙の何が良いの?」
俺が問いかければ、京助さんは煙草を口に咥えたまま顎に手を当てた。
「何にも良くない。まあ、人によってはおいしいって言う人もいるけどな」
「じゃあ、京助さんはどうして」
俺が詰め寄って聞けば、京助さんは答えをはぐらかした。
「さあ、どうしてかな」
「わからずに吸ってるの?」
「煙草なんて、そんなもんだよ。まあ、俺のは習慣的なとこがあるけど。でも夏生は吸うなよ?」
京助さんは煙草を吸い切り、フーッと最後の煙を吐いて、携帯灰皿に煙草を片付けた。それを眺めながら俺は口を尖らせる。
「吸うなって言われたら、吸ってみたくなるんだけど」
俺が文句を言えば京助さんは苦笑した。
「そう言うなって。お前も俺の年になれば、どうして引き留めたかわかるから」
「俺が京助さんの年って」
……あと二十二年しないとわかんないって事?
俺はあんまりに遠い未来に口を曲げる。けれど京助さんは断言した。
「きっとわかるさ」
ハッキリとした物言いに、俺はもうそれ以上反論することはできなかった。
「……わかったよ。じゃあ、煙草がダメならお酒は?」
俺が何気なく聞くと京助さんは思い出したように俺に聞き返した。
「ああそうだ、夏生。月末は空いてるか?」
突然聞かれて俺は「え?」と首を傾げる。そして頭の中で予定を思い出す。
「別に予定は何も入っていなかったと思うけど?」
「じゃあ、月末に飯を食いに行こう。二十歳の祝いに」
京助さんの誘いに俺は目を瞬かせる。
「え、お祝いしてくれるの?!」
「ああ、折角だしな。そこで酒も飲もう」
「……煙草はダメでも、お酒はいいんだ」
「良くはないけど、酒は付き合いで飲むこともあるからな。今後の予習ってとこだ」
京助さんはそう言いながらサンダルを脱いで、リビングに戻った。俺は窓を閉めながら「予習」と呟く。そんな俺に京助さんは振り返ってニッと笑った。
「いいところに連れてくつもりだから楽しみにしとけ」
「いいところって、どこに連れてってくれるの?」
「それは行ってからのお楽しみだ」
「行ってからのお楽しみ……」
……一体、どこに連れてってくれるんだろう? お酒を飲むってことだから、居酒屋とか、かな? でも京助さんがいいところって言うぐらいだから、レストランとか?
俺はどこに連れてってもらえるのかわからなくて、想像をめぐらす。でもそんな俺を見て京助さんはぽつりと呟いた。
「しかし夏生ももう二十歳か」
感慨深そうに京助さんは言い、俺は「そうだけど?」と何気なく答えた。すると京助さんはなぜか少し寂し気な顔を見せる。
「時の流れってのは早いもんだな」
京助さんはしみじみと言い、俺はそうかな? と心の中で思う。
けれど、この言葉の意味を知るのは俺がもっと大人になってからだった。どういう気持ちで京助さんが呟いたのかを―――――。
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