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追いつかれた夜
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トワコとトワコの兄さまは「名無しの列」に加わった。皆、お面をつけて、白装束をつけている。列に加わっている間は、知り合いと分かっても口を利いてはならない。
前日、目と空気穴だけが開いている、真っ白いお面を、トワコは持ってきた。
「これに、お願い事をかくの。心からの願いを込めて、かくの」
願い事は、お面の裏に文字で書いても構わないが、絵で描いても構わないのだという。
「せっかく上手にかいても、隠れてしまうのか」
「名無し、だもの」
トワコは面白そうに言った。お面の裏に、筆を使ってペタペタと何かをかいている。文字を書いているのか、絵を描いているのか気になって、覗き込もうとすると、隠そうとする。もっとよく覗き込もうとする仕草をすると、トワコはお面を必死に胸に抱きながら、嫌々とするように首を激しく振るのだが、その顔はくすぐったそうに笑っていた。
トワコの兄さまは、お面の裏に、「トワコの幸い」と文字で書いた。
お面に特徴はない。皆、同じ場所に穴が開いていて、つるりとしている。白装束の着物も、気味の悪い真っ白い植物が、揺れているようだった。ただ、提灯の灯りは、鮮やかだった。薄い紙に色をつけて、黄色や緑、白の灯りがぼんやりと浮いて見える。自身の健康や長寿を願う人は緑の提灯、安産や子どもの健やかな成長を願う人は黄色の提灯、それ以外、例えば、遠く離れた恋人の健康や、遠い昔に離れ離れになってしまった人との再会を願う人は、白の提灯を持っている。トワコとトワコの兄さまは、白い提灯を持ったから、トワコの願いも「それ以外」なのだろう。ふっと、目についた黄色の提灯を持っている人は、髪型や衣装の形から女性と分かるが、清女ではないだろうか。小さな男の子を、二人連れていて、確かに、そうだと思う。上の男の子は元気のいい印象だが、今日は大人しく、しっかりと弟の手を引いている。黙って、歩き続けるのはこの年頃の子らには苦痛のはずだが、駄々をこねることもなく、大人しい。下の子は提灯を持っていないが、上の子は白い提灯を持っている。彩女も近くにいるだろうと思ったが、大伯母の手を引いて、ゆっくりと歩いているのが見えた。彩女は緑の提灯を持っている。彩女の大伯母は白の提灯だった。時蔵の姿も探してみようと思ったが、これは分からなかった。全体的に見ると、子どもを持つ家族はやはり、黄色の提灯を携えているが、白の提灯を持っている人が、一番多いらしく「それ以外」の願いを抱いている人が自分たち以外にも思ったよりたくさんいることを、トワコの兄さまは思わされた。
この「名無しの列」が、最初は口減らしをされた子どもを弔う為の列だったということを、トワコの兄さまは年寄りの大工から聞かされた。最初は、もう少し決まり事が厳格で、家に七つ以下の子どもがいる人は「名無しの列」の一週間前から子どもの料理の煮炊きは他の家族と別にしなければならない、とか、切り火をしなければならない、とか、当日は肉を口にしてはならない、とか、大きな物音を立ててはいけない、とか、色々とやかましかったらしい。しかし、年を経るごとに段々とそんな決まり事を厳格に守る家が少なくなり、今では切り火をする家が数軒あるくらいで、どこまで決まり事を守っているのか怪しい、とその年寄りの大工は言っていた。その人は、自分がそうだったからと、家族の者らに決まり事をやかましく言って、嫌々ながら守らせてはいたが、孫が生まれると甘くなり、それほど厳格ではなくなってしまった。ただ、切り火をすることと、肉を口にしないことは守らせている。
森の奥を進むと、湖がある。ここで火を燃やして、お面と提灯を焼くのだった。
火の中に、トワコの兄さまは「トワコの幸い」と書かれた自分のお面を投げ入れた。トワコも、トワコの願いを書いたお面を投げ入れた。白い提灯も、投げ入れた。トワコの白い顔が、火に照らされて、赤く染まっていた。頬がキラキラと光っていて、トワコが泣いていたらしいことに、トワコの兄さまは気が付いたが、何も言わなかった。
火は、高く、天を刺すように燃え続けた。光に誘われた蛾が数匹、火の粉に当たって、燃えた。
火が消えた。
火の中に入ったものは、全て焼けたわけではなかった。いくつかは、その形を残していた。
別の提灯に火をつけながら、一人、また一人と帰っていった。ボツボツと、話し声も聞こえてきて、もう、口を利いてもいいらしい、と思う。トワコの兄さまの脇を小さな男の子が駆けて行く。その後ろを、もっと小さな男の子が泣きながら追いかけていく。初と、龍次の兄弟らしい。自分たちのお面がしっかりと焼けたのか確かめたかったらしいが、焼け跡の中に手を突っ込もうとして、危ないからと、大人たちに引き留められている。
「焼けた?焼けた?」
初が、母の清女に抱きかかえられながら、言った。その目が、見開かれている。龍次は、母の着物の袂を掴んで、じっとしていた。
「焼けていなかったら、神様に願いが届かないんだろう。焼けた?」
「トワコ」
トワコの兄さまは、トワコに手を握られた。
「トワコ、どうしたの」
焼け跡をぼんやり見つめたまま、トワコの兄さまはトワコに問うたが、答えがなかった。
「……トワコ、神様なんていないよ」
「兄さま」
トワコの兄さまの手を握るトワコの手に、力が籠った。
「それでも、兄さまは、トワコの神様だと思うの」
「馬鹿なことを言うのはやめなさい」
恐ろしいことを言う、と思った。
「トワコ、お面や提灯と一緒に、角も燃やしてしまえば良かったね」
「嫌」
「兄さまの角なんか、持っているからそんなことを言う」
「兄さま、嫌」
「捨ててしまいなさい」
トワコの兄さまは吐き捨てるように言って、トワコを見下ろした。トワコは、大きな目を見開いている。その両目から、大粒の涙が零れて、トワコの頬を濡らしていた。唇が震えて、トワコが、トワコの兄さまに、何か訴えようとしている。きっと、大切なことを。
しかし、その夜、トワコの口から、その言葉が出ることはなかった。
温い風が吹いて、暗く、湿ったものが、トワコの兄さまの肌に纏わりついた。
追いつかれたのである。
ここまで必死に逃げてきたのに。
前日、目と空気穴だけが開いている、真っ白いお面を、トワコは持ってきた。
「これに、お願い事をかくの。心からの願いを込めて、かくの」
願い事は、お面の裏に文字で書いても構わないが、絵で描いても構わないのだという。
「せっかく上手にかいても、隠れてしまうのか」
「名無し、だもの」
トワコは面白そうに言った。お面の裏に、筆を使ってペタペタと何かをかいている。文字を書いているのか、絵を描いているのか気になって、覗き込もうとすると、隠そうとする。もっとよく覗き込もうとする仕草をすると、トワコはお面を必死に胸に抱きながら、嫌々とするように首を激しく振るのだが、その顔はくすぐったそうに笑っていた。
トワコの兄さまは、お面の裏に、「トワコの幸い」と文字で書いた。
お面に特徴はない。皆、同じ場所に穴が開いていて、つるりとしている。白装束の着物も、気味の悪い真っ白い植物が、揺れているようだった。ただ、提灯の灯りは、鮮やかだった。薄い紙に色をつけて、黄色や緑、白の灯りがぼんやりと浮いて見える。自身の健康や長寿を願う人は緑の提灯、安産や子どもの健やかな成長を願う人は黄色の提灯、それ以外、例えば、遠く離れた恋人の健康や、遠い昔に離れ離れになってしまった人との再会を願う人は、白の提灯を持っている。トワコとトワコの兄さまは、白い提灯を持ったから、トワコの願いも「それ以外」なのだろう。ふっと、目についた黄色の提灯を持っている人は、髪型や衣装の形から女性と分かるが、清女ではないだろうか。小さな男の子を、二人連れていて、確かに、そうだと思う。上の男の子は元気のいい印象だが、今日は大人しく、しっかりと弟の手を引いている。黙って、歩き続けるのはこの年頃の子らには苦痛のはずだが、駄々をこねることもなく、大人しい。下の子は提灯を持っていないが、上の子は白い提灯を持っている。彩女も近くにいるだろうと思ったが、大伯母の手を引いて、ゆっくりと歩いているのが見えた。彩女は緑の提灯を持っている。彩女の大伯母は白の提灯だった。時蔵の姿も探してみようと思ったが、これは分からなかった。全体的に見ると、子どもを持つ家族はやはり、黄色の提灯を携えているが、白の提灯を持っている人が、一番多いらしく「それ以外」の願いを抱いている人が自分たち以外にも思ったよりたくさんいることを、トワコの兄さまは思わされた。
この「名無しの列」が、最初は口減らしをされた子どもを弔う為の列だったということを、トワコの兄さまは年寄りの大工から聞かされた。最初は、もう少し決まり事が厳格で、家に七つ以下の子どもがいる人は「名無しの列」の一週間前から子どもの料理の煮炊きは他の家族と別にしなければならない、とか、切り火をしなければならない、とか、当日は肉を口にしてはならない、とか、大きな物音を立ててはいけない、とか、色々とやかましかったらしい。しかし、年を経るごとに段々とそんな決まり事を厳格に守る家が少なくなり、今では切り火をする家が数軒あるくらいで、どこまで決まり事を守っているのか怪しい、とその年寄りの大工は言っていた。その人は、自分がそうだったからと、家族の者らに決まり事をやかましく言って、嫌々ながら守らせてはいたが、孫が生まれると甘くなり、それほど厳格ではなくなってしまった。ただ、切り火をすることと、肉を口にしないことは守らせている。
森の奥を進むと、湖がある。ここで火を燃やして、お面と提灯を焼くのだった。
火の中に、トワコの兄さまは「トワコの幸い」と書かれた自分のお面を投げ入れた。トワコも、トワコの願いを書いたお面を投げ入れた。白い提灯も、投げ入れた。トワコの白い顔が、火に照らされて、赤く染まっていた。頬がキラキラと光っていて、トワコが泣いていたらしいことに、トワコの兄さまは気が付いたが、何も言わなかった。
火は、高く、天を刺すように燃え続けた。光に誘われた蛾が数匹、火の粉に当たって、燃えた。
火が消えた。
火の中に入ったものは、全て焼けたわけではなかった。いくつかは、その形を残していた。
別の提灯に火をつけながら、一人、また一人と帰っていった。ボツボツと、話し声も聞こえてきて、もう、口を利いてもいいらしい、と思う。トワコの兄さまの脇を小さな男の子が駆けて行く。その後ろを、もっと小さな男の子が泣きながら追いかけていく。初と、龍次の兄弟らしい。自分たちのお面がしっかりと焼けたのか確かめたかったらしいが、焼け跡の中に手を突っ込もうとして、危ないからと、大人たちに引き留められている。
「焼けた?焼けた?」
初が、母の清女に抱きかかえられながら、言った。その目が、見開かれている。龍次は、母の着物の袂を掴んで、じっとしていた。
「焼けていなかったら、神様に願いが届かないんだろう。焼けた?」
「トワコ」
トワコの兄さまは、トワコに手を握られた。
「トワコ、どうしたの」
焼け跡をぼんやり見つめたまま、トワコの兄さまはトワコに問うたが、答えがなかった。
「……トワコ、神様なんていないよ」
「兄さま」
トワコの兄さまの手を握るトワコの手に、力が籠った。
「それでも、兄さまは、トワコの神様だと思うの」
「馬鹿なことを言うのはやめなさい」
恐ろしいことを言う、と思った。
「トワコ、お面や提灯と一緒に、角も燃やしてしまえば良かったね」
「嫌」
「兄さまの角なんか、持っているからそんなことを言う」
「兄さま、嫌」
「捨ててしまいなさい」
トワコの兄さまは吐き捨てるように言って、トワコを見下ろした。トワコは、大きな目を見開いている。その両目から、大粒の涙が零れて、トワコの頬を濡らしていた。唇が震えて、トワコが、トワコの兄さまに、何か訴えようとしている。きっと、大切なことを。
しかし、その夜、トワコの口から、その言葉が出ることはなかった。
温い風が吹いて、暗く、湿ったものが、トワコの兄さまの肌に纏わりついた。
追いつかれたのである。
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