その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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断章 19

  閑話 4 渇望の王、王宮の魔女

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 王城コンクエストム 王太子府 王太子執務室。 



 細長い窓から、精霊祭に賑わう街並みを見下ろすウーノル王太子が佇んでいた。 その瞳は濃く ” 蒼 ” に染まり、憂いを含んだ表情は、ややもすると弱弱しくも感じられた。 何時になく、気弱になっていると、侍従長は気を揉む。 あれほど確固たる自信を持ちつつ、未来に向かって邁進まいしんしていた、王太子が迷い、憂い、悩んでいるように見受けられるからだった。


「殿下…… 如何なさいましたか? 御宸襟の内、御見せに成りませぬか?」


 呟く様に、侍従長は彼には聞こえぬ様に、そっと口に言葉を載せる。 控えているのは遥か彼方。 その言葉は到底ウーノル王太子には届かない。 視線は切らぬ様に、彼の身の回りを整え、次に王太子殿下より発生られる命令を受ける為、待機している様なモノだった。

 遠くの街並みを見ながら、ウーノル王太子は、そっと息を吐き出し、やがて何かを決めたように、声を挙げる。


「カービン。 王宮魔導院に命じよ。 魔導院、特務局 第三位魔術士 ” ティカ ” を呼び出せ。 聴き質したい事がある。 控えの間に来るように。 尚、当該の間の ” 掃除 ” は厳とせよ。 人払いも…… お前たちも含め、立ち入る事は許さない。 よいか」

「御用命では御座いますが…… それでは、御身に……」

「魔術師ティカの権能に、王族の護衛がある。 制度的にも、わたしの安全を鑑みても、なにも問題は有るまい? お前たちの献身は理解している。 が、少々内密に話がしたい。 これは、” 願い ” では無く、” 命令 ” であることを伝え置く」

「御意に…… では、早速」


 長らく王太子付きの侍従長を勤め上げ、更に、『王家の見えざる手』の首魁しゅかいとして、カービン=ビッテンフェルト宮廷伯は、これ程強い言葉を発した、ウーノル王太子を知らない。 彼の中に何が起こったのか。 そして、それは、この国の未来に何をもたらすのか。 困惑を抱えながらも、王太子の命に従う。 

 各所に連絡を取り、王太子府、王太子執務室に連結されている、特殊な小部屋の ” 掃除 ” も、徹底させた。 魔術的に完全に隔離された、その小部屋の用意が出来る頃……

 魔術士ティカが王太子執務室に姿を現した。



「王宮魔導院、特務局。 第三位魔術士ティカ。 お呼びにより、罷り越しました。 御取次頂きたく存じます」



 王太子府に伺候する際に着用している、” ニトルベイン大公家の御令嬢 ” のドレス姿ではない、王宮魔導院の高位魔術士のローブを身に着けた彼女。 翡翠色の瞳には底光りする、意思の光が宿り、そして、表情はいつもの和やかな、” 貴族の淑女 ” としての笑みは無い。

 凛として、酷薄な表情を浮かべる彼女にカービンは、気圧される。



「魔術士ティカ様。 ウーノル王太子殿下が、最奥の小部屋にてお待ちに御座います。 御先導仕ります」

「よしなに。 時に、侍従長。 ウーノル王太子殿下の ” 御用 ” とは、何で御座いましょうや? あまりにも突然の御用命…… お聞きに成っておられますでしょうか?」

「……いいえ。 ただ、ティカ様を御呼びに成られたのです。 小部屋の ” 掃除 ” を厳命されまして御座います。 故に、内密なお話と、愚考いたします」

「まぁ…… 畏れ多い事に御座いますね。 それに、少し怖いですわね」



  口にする言葉と、相反するようなティカの表情。 彼女にとって、ウーノルの考えている事など、お見通しなのであろうと、ビッテンフェルト宮廷伯は思う。 いかな『王家の見えざる手』の首魁であっても、王宮魔導院の高位の魔術士に太刀打ちできるモノでは無い。 

 まして、彼女は ” ニトルベイン大公家 ” の娘。 その一点に於いても、ファンダリア王国内では、比肩しうる者は居ない。 さらに、自身の研鑽により、王宮魔導院特務局の第三位の地位を得た女性。 その能力、権能は、王宮内に於いても、陰然たる権能を持っていると言わざるを得ない。


 ―――― ただ、それを表立って、顕わさないだけ。


 肌が泡立つ様な感覚に陥るビッテンフェルト宮廷伯。 彼女を最奥の小部屋に案内し、扉の前に立つ。 固く閉じられた扉をノックすると、中から ” 入れ ” の声。 勿論その声の主は、ウーノル王太子。 外部と切り離される様に、厳重に ” 掃除 ” されているこの小部屋の中には、現在、ウーノル王太子しか、居なかった。

 そっと、扉を開け、声を張り、ビッテンフェルト宮廷伯は魔術士ティカの来訪を告げる。


 「王宮魔導院 特務局。 第三位魔術士 ティカ様。 殿下のご用命を受け、ご来訪されました。 入室致します」



   -----



 王太子府にしては、質素な設えの小部屋。 余計な装飾を極力排した、ただの小部屋。 窓も無く、明かりは天井の魔法灯のみ。 必要最小限の応接用のローテーブルと、ソファ。 部屋の片隅に置かれるお茶の道具だけが、この部屋に存在を許される者が、とてつもなく高貴な者であることを物語っていた。



「殿下、直言の許可を賜りたく、存じます」

「魔術士ティカ。 直言を許す。 あぁ、茶も、淹れて欲しい。 話は…… 長くなりそうだからな」

「御意に」



 部屋の片隅に設えてある、茶道具の元に行き、手際よく茶を淹れ始めるティカ。 珍しく、高価な茶葉では無く、焙煎された黒豆を挽き始める。 カリカリと云う、独特の音が小部屋に広がり、それと共に香気もまた広がる。 時間を掛け挽き終わると、専用のネルに居れ、湯を注ぎ黒茶を淹れ始める。

   ――― 更なる香気が広がる。

 十分に ” 掃除 ” され、清冽な空気となっていた、小部屋の中に、黒茶の香りが満たされて行く。




「珍しいな。 黒茶…… か」

「お砂糖…… 如何いたしましょうか? 乳もありますが?」

「いや、そのままで十分だ」

「まぁ、あの子みたいですわね」

「……あの子?」

「本日、この王都より出発する、あの子ですわ」

「…………そうか。 今日だったか」

「ええ、そうですわ。 お見送りに行くつもりでしたのに…… 突然のお呼出し、ちょっと、御恨み申しますわよ?」

「済まない……」

「あら、お謝りになるの? 珍しいわ」

「そうか? …………そうだな。 王都より出す事など、考えもしていなかった。 それも、北の荒野になど、行かせるつもりなど、さらさら…… 何故だ、ティカ。 何故行かせた。 …………姉上は、もう十分に王国に尽くしてくれたのではないか。 アンネテーナ共々、後宮にて平穏に暮らして行くべき方なのだぞ? ティカ姉上。 貴女は何をご存知なのか。 その記憶に何が有るのか。 あの日より、ずっと考えていた。 私だけが、繰り返したのだと、そう思っていた。 人払いも、掃除も済んでいる。 聴かせて貰えないだろうか? ティカ姉上の記憶と…… そして、エスカリーナ姉上の事を……」



 黒茶をローテーブルに置くティカ。 ウーノルは視線でティカにソファーに座る様に促す。 溜息と共に、ティカは云う。



「長き話に成るようですね。 ウーノル。 貴方は、何処まで覚悟を決めているの?」

「覚悟…… ですか。 この国の未来を引き寄せる為に成すべきを成すと、そう決めております。 たとえそれが、血塗られ、憎悪にまみれようと…… わたくしの成すべきは、ファンダリア王国の民の安寧と、に御座います、姉上」

「そうなりますわね。 きっと、そう御決断されるであろう事は、幾度も繰り返した世界の中、わたくしも感じて居りました。 そう…… たとえ、血塗られ ” 親殺し ” の悪名を受けるとしても……」

「……王位の簒奪と罵られようと、わずかな未来に続く道なれば…… 愚かな王を戴く国に、未来など在りはしません。 幾つかの決断が、王国を死国に追いやる事は間違いないのですから」

「……わたくしも、お茶を頂いても?」

「勿論です姉上。 ……此処にエスカリーナ姉上が居ないのが、残念でなりません」

「あの子にはあの子のなすべき事柄が有ります。 それが、貴方の思う未来にも通じます。 わたくしの悔恨も、聞いて下さいますか?」

「ティカ姉上にも、悔いる事が有るのですか?」

「勿論です。 特に、あの子に関しては。 ずっと…… ずっと、利用ばかりして来たのですもの。 その命を贄に捧げた様に…… 悔恨以外に、私の心の中には有りません。 だから…… わたくしは、あの子を王都より出しました。 本来、あの子がなすべき事を、あの子自身の意思を以て、あの子がなす為に。 今は、祈るしかありません。 あの子には辛く、重い荷を背負わせてしまいました。 だから、この…… 悔恨はあの子の助力に変えます。 あの子が北の大地で何を成そうとも、わたくしは、わたくしに出来る限りの助力を彼女に与えます。 王都にて、王都の護りを固める事はわたくしの ” 使命 ”。  ですが、余力は全て、あの子に注ぎ込む所存に御座います」

「成程…… さぁ、お座りください。 ティカ姉上のお話を伺う前に、これから、わたくしが成そうとする事もお聞き頂きたく。 姉上に助力を乞いたかったのですが…… きっとそれは叶えられますまい。 ならば、わたしが成すべきを、最初にお知らせしておくべきかと、思います」

「判りました。 ウーノル。 存念を吐き出しなされませ。 わたくしからのお話は、その後で。 幾度も繰り返した世界の中で…… この様な事は一度たりとも起こりませんでした。 貴方には、なぜ刻が繰り返されたのかも、理解できなかったでしょう。 わたくし達、繰り返す世界の記憶を持つ者同士。 その記憶を見詰め直す事により、が可能となりますでしょうから……」

「ティカ姉上…… 返す返すも、エスカリーナ姉上の出発が悔やまれます」

「……ウーノル。 あの子には予断にしかなりません。 だから…… この場に居る訳には行かぬのです。 この世界の為にも…… いずれ…… 刻が進み始め…… 未来に繋がる道が出来た時には…… また、一緒に茶会を開きましょう。 ええ…… そうですね。 わたくし達、で」



 酷薄な表情のティカに、憂いと、優しさと、慈しみと、哀しさ が綯交ないまぜになった表情が浮かぶ。 そんな未来が来ることが、限りなく薄い可能性でしかない事も理解しては居た。 だから、だからこそ…… 彼女は祈らざるを得ない。 

 ティカが茶を持ち、ローテーブルに付く。

 沈黙は、ウーノル王太子の言葉に破られる。



「ファンダリア王国、国王陛下に於かれては、北の大地にて御崩御して頂く。 王国軍は、獅子王陛下の御遺志により、『動かない』。 ガングータス国王陛下の馬周りは、全て聖堂騎士団とデギンズ枢機卿で固め、ゲルン=マンティカ連合との戦端を開いた時点で宣言いたします」



 紡がれる言葉。 確固たる意志。 その深い『 蒼い 』 瞳に炎の如き力が揺らめく。







   ――― 戦乱を呼び寄せる、愚者は王に能わず。 我、ウーノル。 此処に王座を奪取する ―――







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