652 / 713
断章 25
閑話 黒瑪瑙の間の出来事
しおりを挟む王城コンクエストム 離宮と呼ばれる、隔離された登楼。 最上階に存在する、『黒瑪瑙の間』。 王族が表舞台を去り、心から精霊様への祈りを捧げる場所として、用意されたそんな部屋。
勿論、そんな場所に、有力な王族は送り込まれることは無い。 つまりは、幽閉場所とも云える。 建前上、王族を幽閉するなどとは言えぬ場合、この離宮が用意される。 扱いに、困った王族の行きつく場所。
例えば、酒色に溺れた王子。 例えば、王家の使命を忘れ私利私欲を優先する王女。
…………例えば、王妃の権能を全く理解していない、ファンダリア王国、王妃の位に付きし者。
―――― ファンダリア王国 王妃フローラル=ファル=ファンダリアーナ殿下
彼女が、離宮 『 黒瑪瑙の間 』の住人になったのは、困難な状況に陥っているファンダリア王国の上層部の心の安寧には必要不可欠の処置であったのかもしれない。
王太子 ウーノル=ランドルフ=ファンダリアーナの厳然とした宣下により、王妃はこの部屋に送られた。 表向きは、親征に向かった国王、ガング―タス=ファル=ファンダリアーナ陛下の無事の帰還を精霊様にお願いする為と…… そう偽りの理由を以て。
ウーノル王太子の処置は、あまりに厳しかった。 離宮に出入り出来る者を、聖堂教会の神官長パウレーロの配下の者に限定したのもその一環。 年老いた『神官』のみが、外界との窓口となるべく、調整されていた。 つまり、以前の様に栄耀栄華を貪る事を禁じたのだった。
―――― 荒れた。
「 黒瑪瑙の間 」 に於いて、王妃フローラルは荒れた。
豪奢な贅を尽くした食事も、宝石で彩られた華麗なドレスも、見目の良い侍従、女官も、そして、舞踏会、晩餐会にて、甘く自分に囁いてくれる、様々な役職の見目麗しい ” 男達 ” も…… 誰も、何も、そこには存在していなかったから。
ただひたすらに、ガング―タス国王陛下の無事の帰還を祈る為だけに、質素にして、静謐を求め続けられていた。 心の赴くままに生きてきた王妃フローラルにとって、そこは、彼女のいるべき場所では無いと心の底から信じていた。
ガング―タス国王が親征に赴いてから、既に一月以上。 その間、一歩も「黒瑪瑙の間」を出る事も叶わない。 許された外界との接触は、聖堂教会の年老いた神官のみ。 そこには、目を楽しませる、優美な ” 人 ” は居らず、ただ、ただ、厳格な神官の姿しかなかった。
既に、彼女は狂い始めていたのかもしれない。 「黒瑪瑙の間」付きの、王宮女官は日々のフローラル王妃の動向について、詳細な報告を執政府に上げていた。 年老いた女官の目から見て、フローラル王妃の行動は、奇異に映り疑問が心を覆いつくす。
” 何故にこの方は、王妃の役割を解されない。 ファンダリア王国の安寧を第一に考えるべき立場なのに、何故、己の感情を優先される? 所作にしても、そのお考えにしても…… 到底、王妃の位に付いていた尊き人とは、思えない ”
王妃には完璧を求めるのは、王城に勤める者にとっては、当たり前の事。 そして、フローラル王妃は、その心構えすら出来ていないと、判断してしまう。 改めて、老王宮侍女は、執政府から取り寄せた、フローラル王妃に付いての報告書の束を読み込む。
フローラル王妃が王城コンクエストム、後宮に入宮してから現在に至るまで、彼女を取り巻く者達は、全て彼女に甘く、まるで稚児を相手にするかのようであったと、報告書に記載されていた。
王妃教育も中途で投げ出し、ただ、王子、王女を生み続け、自身の容姿と権威に最大限の意識を使い…… まるで、箱入りの御人形の様に…… その自身の血を分けた王子、王女に対しても、自身の権威を補足する為の道具の様にしか接していない。
一人の高貴なる淑女が、それも、母となった女性の在り様では無いと、老王宮女官は切実に心を寒くしていた。
そんなフローラル王妃は、今日も又、老王宮女官には、理解できない事を叫びながら、「黒瑪瑙の間」を足音も荒々しく歩き回っている。 狂を発せられたとも…… そう、報告を上げようかとも、思えるほどに……
柱の陰から、そんな荒れ狂うフローラル王妃を望み、嘆息する。 何が、彼女をして、そう為さしめているのか。 なにが、彼女の心を占めているのか……
――― 何故、精霊様に対し、呪詛を吐くような、そんな不敬な真似をするのか?
小さく頭を振り、ただ、王妃の動向を認めていく老王宮女官。 そこには、憐憫まで浮かび上がっている。 もう、王妃はこの部屋を出る事は無いであろう事に。
フローラル王妃にとっては質素とも云える装い。 祈りを主体にする生活に於いては、それでも豪奢とも云える装いの彼女は、錯乱の間際にいた。 「黒瑪瑙の間」の広間に於いて、地団太を踏むように、そして、目は虚空を見詰め、呪詛の様な言葉を吐き続ける。
血走り、揺れる目。
かき回され、乱れた髪。
辺りを揺さぶる、強烈で甲高い声。
狂人かと、思えるほどの振舞を成し、近くに誰も近寄れるような状態でも無く。 ただ、ただ、遠巻きにされて居た。 声は更に高く、話す言葉は呪詛に近く…………
「なんでよ!! なんでよ!! もう! もう!! なんでよ!! 上手くいってたじゃないのよ!! ガンちゃんも居ない、デギンズの居ない。 こんな場所に押し込まれて、美味しくない食事ばかりで!! 私は幸せに生きるんじゃなかったの? 『女神』!! 出てらっしゃいよ!! ほら、何時もの通り、リセットよッ! リセット!! もうヤダ…… どこから、おかしくなったのよ!! こんな事、無かったじゃない!! 私はヒロインなのよ!! 何時までも幸せに生きていけるの筈なのよ!!
女神!! どうして!! なんで、出てこないの!! 今すぐリセットしなさいよ!!
………………えっ? 無理? どうして? なんで? 祈りが失われた? どう云う事?
そ、そんなぁ…… あんたは、黙って、リセットすればいいんだ!! 出来ないってどういう事よ!!
…………誰?! 誰なの…… なぜ、私をそんな目で見るの!! 何故、私を追い出そうとするの?? そ、そんな…… あんたは…… あんたは…… フローラル=フォス=ニトルベイン? 今頃になって、なんで、出てくるのよ!! あんたは、あんたは…… もう、ここには…… 死んじゃった筈よ!! 私が中に入ったから、消えてなくなったんじゃないの?? えっ、どうして? なんで? やめて! やめなさいよ!! やだぁ~~ やめてぇ~~ ア”ア”ア”ア”ッ………………!!!」
バタリと倒れ込むフローラル王妃。 そして、ピクリとも動かない。 異常な状況に、老王宮女官は慌てる。 それまでの言動とも違う異常な状況。 怖いという感情が彼女を占める。 自分には、どうする事も出来ないと、そう判断すると、急ぎ執政府に連絡を取る。
老神官が数名、急遽駆け付け、フローラルの様子を伺う。 「黒瑪瑙の間」の広間に倒れ微動だにしない王妃。 傍らに侍り、脈を取り、深く頭を垂れる。 そして、老王宮女官を前に、口にする言葉。
「フローラル王妃は、意識を失われて居られます。 寝台に。 我等にも治癒師の仲間が居りましょう。 ウーノル王太子殿下の御命令もありますが故、我等のみで王妃殿下を見守る事となりましょう。 宜しいですね」
「はい。 しかし…… どう云う事で御座いましょう?」
「私どもが知る殿下は…………もう…… フローラル殿下の魂は…… 失われ、別の方の魂が、その中にお入りに成られた…… 神官として、初めての事に御座います。 我等とて、困惑を感じるしか他に御座いません。 ただ……」
「ただ?」
「…………収まるべきところに、収まった。 そう感じて仕方ないのです」
「左様に御座いますか。 収まるべき場所に……、収まった……と」
老王宮女官は、胸の前に腕を組み、真摯に祈りを捧げる。 ” 叶うならば、意識を失った王妃に心の安寧を ” と。 老神官達も、彼女と同じように…… いや、それ以上に真摯に精霊様方に祈りを捧げる。
―――― 何が起こったか。
それは、彼等も判る筈が無い。 フローラル王妃を寝台に横たえ、暖かくし、脈を取る。 ただ、ただ、精霊様の慈悲に縋り付くしか、強く、尊き、王妃 ” フローラル殿下 ” を、取り戻す術は無いと……
老神官達は、深く精霊様に祈るのであった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
6,837
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。