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広がる荒野に
しおりを挟む荒野は、広かった。
果ても見えないほどに、広かった。
龍の起こした風で晴らされた大地を、光の珠の中で見下ろしながら、シュシュリは言葉を失っていた。
『どうした……驚きに声も出ぬか。儚き人の仔らよ』
龍は傲岸に言葉を紡ぐ。
「さ、さすがです……龍神様」
ようやく声を発せたのは、アヤリだった。
それもまだ明瞭とはいえず、賛美というには簡潔だった。
『ふん。まぁよかろう……。さぁ、我が力は理解できたな。捧げるのはどちらだ』
龍がシュシュリとアヤリに詰め寄る勢いで、三人を入れた光の珠を覗き込む。
シュシュリとアヤリがお互い顔を見合わせていると。
「おい……洞窟のある辺り、火の手が上がっているぞ!」
「なんだと!?」
「まさか……!」
ヨエが叫んだ。
シュシュリとアヤリに緊張が走る。
ヨエが指差す方角。
テン族の隠れ里となった洞窟のある渓谷の方で、確かに奇妙な火の手が上がっているのが晴れ渡る視界に見えた。
「龍神様! お願いします。テン族の皆が危ないの! 皆にもしものことがあったら、私たち、あなたに捧げる理由も契る理由もなくなってしまいます!」
『なんだと……』
アヤリの言葉に龍が剣呑な声で凄んだ。
「龍よ……! あなたのその力強さなら、あの距離も一っ飛びにできるのではありませんか? お願いします。テン族をお救いください。それさえ叶えば、契りなどいくらでも!」
シュシュリが引き継いで龍に懇願する。
龍はますます唸った。
唸りに唸り、なおも唸り、その唸り声が新たな鳴動となって地響きを呼ぶ。
やがて。
『おのれ……人間ども! 約束だぞ!』
龍はそう言うと、ゴォッと渦巻く風に乗り飛んだ。
***
シュシュリたちが渓谷に着くと、そこに広がる光景は恐ろしいものだった。
盛大に崩れ落ちた崖で渓谷は半分ほどが埋まり、谷間が消えている。
洞窟の入り口も崩れた土壁に埋まり、見つけられない。
「そ、そんな……」
アヤリが息を飲み、目を見開く。
「な、なんだ……どうなってる、これは。なんでこんなことに!」
ヨエが声を絞り出す。
「火の手は……」
シュシュリは、見えた火の元がなんなのかを探して視線を彷徨わせた。
崖崩れに巻き込まれた者たちが持つ松明がチラチラと燃え残り、視界に映る。
シュシュリは眉を寄せる。
微かに突き出た、松明を握る手は。
「円華の……兵士……?」
「なに!? …………ほ、ほんとうだ」
シュシュリの呟きに、ヨエがよく目を凝らし見て呻いた。
崩れた崖の土砂に巻き込まれていたのは、円華の兵士たちばかりのようだった。
消えずに残った松明があちこちに燃え移り、小さな火事を生んでいた。
「で、でも……どうして? どうしてここに円華の兵士がいるの?」
アヤリが衝撃からようやく立ち直ったようにぽつりとこぼす。
「あいつだ……燕白だ。やっぱりあいつが円華軍を手引きしたんだ!」
ヨエが憎しみを込めて言った。
アヤリもシュシュリも、それを完全に否定しきることはできなかった。
『おい……汝ら、いつまできゃんきゃんと内輪揉めしているつもりだ? 我は望み通り連れてきてやったのだぞ』
龍が痺れを切らしたように声をあげる。
「だ、だが……龍よ。肝心のテン族が。土砂崩れに里の出入り口が塞がって、閉じ込められているのかもしれない。まだ助かっていません。それでは約束が果たせない」
シュシュリが慌てて言葉を継ぐ。
龍は今度は吼えた。
その咆哮がまたもや大地を揺らす。
その振動で、ドッ、ガラガラと緩んだ崖が更に崩れていく。
「まさか、この崖崩れは……」
ヨエがぼそりと呟き、シュシュリとアヤリを見た。
どうする? とその目が言っていた。
シュシュリは、果たしてどうすべきか決めあぐねていた。
里が塞がり、皆が生き埋めになっているのならもう一度、龍に願わねばならないだろう。
シュシュリが思い切って口を開きかけた時だった。
「おい、見ろ。あれを!」
ヨエがまた声を上げる。
その視線の先に、ばさりと翻るもの。
色鮮やかな布を幾重にも重ねた、テン族伝統の祭り装束。それを旗の代わりにして、振り回している一際大きな体躯の男は、シュシュリたちの仲間のイシオスだった。
「おーい……おぉーい……」
崖の上の少し盛り上がった小高い丘の上で、旗代わりの装束を振り回すイシオスと数名の戦士仲間たちが手を振っていた。
***
シュシュリたちは、龍に頼み込んで地上に降り立つと、一目散にイシオスたちの元へ駆けた。
「イシオス……! いったい、なにが……どうして!?」
息急き切って走り込んできたシュシュリに、イシオスがまぁまぁ落ち着けと宥めるそぶりをする。
ほかの仲間たちが水を差し出すのを受け取りながら、しかしシュシュリはどうしたって落ち着くことはできなかった。
「色々あって……洞窟は引き払ったんだ、俺たち。急いでいたし、全部埋まっちまったろう? 暗号も残せなくて。きっとおまえたちが戻って来るはずだから、交代でこの辺で旗振って待っておけって。エンハク様が言ってなぁ」
シュシュリはゴホッと水に咽せた。
追い付いて共に話を聞いていたヨエの顔色が変わる。
「おい……! どういうことだ? なんだよその、エンハク様ってのは!?」
イシオスの胸倉に掴みかかりながらヨエが詰め寄る。
「よ、ヨエ……ヨエ落ち着け!」
イシオスの顔色が悪くなっていくなか、ほかの仲間たちがヨエを宥めすかして引き離すと。
「つ、つまりな……」
イシオスは話し出した。
ことは、シュシュリたちが旅立った三日目頃に起こった。
魔獣を狩りに出た戦士らが、渓谷近くで円華の軍の痕跡を見つけたと報告したのだ。
長老はそれを聞くと、戦士たちを集め言った。
「この洞窟は天然の要塞のようなもの。それにこの谷底にまで円華の軍もやってはこれまい。安心せよ」
と。
しかし、それに燕白が反対した。
「楽観視はいけません、長老殿。……わしが円華の兵の長なら、魔獣狩りに出た戦士らの痕跡からこの隠れ里を見つけることでしょう。貴殿らが彼らをそうして見つけたように」
「むぅ。……では、円華にわしらの居所が知られたと?」
「知られたか、早晩知られるか。……いずれにせよ、枕を高くして安眠はできますまい。ここはさっさと引き払って、新たな安住の地を探すべきでしょうな」
燕白の提案に、長老を始めとしてテン族はみな渋った。
既に村を一度引き払い、ようやくここに落ち着いたところである。老人や病人、幼な子もいる中、この荒野のどこに安息の地があるというのか。
「そもそも、円華の将たるお主を信じられるわけがない」
長老は燕白の提案を突っぱねた。
一度は。
しかし、次の新しい報せにより状況は変わった。
「た、大変です長老! 円華の軍が、渓谷の入り口に陣を敷いて……!」
それは、もう間もなく円華軍がここに攻め入ってくるだろうことを示唆する報告だった。
テン族に動揺が走る。
少ない戦士たちだけで、円華軍に敵うはずはなかった。
一刻も早く逃げなければならないが、その猶予も行き場もない。
悲痛な沈黙と覚悟がテン族に満たされようとしたその時。
「……火薬はございますかなぁ?」
燕白が、長老に言ったという。
「どうせ死ぬかもしれんほど追い詰められておるなら、ダメでもともと。ひとつ、わしの話に乗ってみませんかな?」
結果。
燕白の指示で各所に仕掛けられた爆薬が、円華軍の進軍の上で炸裂し、盛大な崖崩れを引き起こして兵士たちを飲み込んだのだという。
巻き込まれた兵士たちと崩れた土砂によって道を塞がれ、それ以上進軍できなくなった円華軍をしりめに、テン族の皆は洞窟を捨て新天地に旅立った。
上がった火の手は、燕白の指示により脂を撒いて火矢を放った後の残り火であったらしい。
それから数日。
昼も夜も延々と篝火を焚き交代で見張りをしながら、張った天幕の中でテン族みなが一塊になって休んだ。
七日目に大地が大きく振動し、燕白は言ったという。
「巫女殿がことを為されたようだぞ。おそらく戻って来るはずだ。合流できるよう、旗でも立てて目印にしてやろう」
テン族は、もはや燕白に対して否やはなかったそうだ。
***
イシオスの説明に、シュシュリもアヤリもヨエも、なにも言葉を発せなかった。
『人間ども……いつまでも我を待たせるようなら、もはや容赦せぬぞ!』
龍が何度目かの怒りの咆哮を轟かせる。
「け、けれど……龍神様! ……いまやっと、テン族の皆の無事がわかったところです。契りを新たにするには、テン族の皆と無事に再会できてから……それに、皆も、龍神様に感謝を示したいに決まっております!」
アヤリが龍を宥めようと声を張り上げる。
『……ぬぅぅぅう!』
龍は、テン族皆からの感謝、に心くすぐられたらしい。ややおとなしくなると、鬣を逆立てながら言った。
『ならば早くしろ!』
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