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ヨエ
しおりを挟む月も高く昇り、湖水を渡る夜風が身に染みるほどに冷たくなってきた頃。
シュシュリと燕白はどちらからともなく離れた。
ほんの少しの物足りなさや寂しさが、シュシュリになかったといえば嘘になる。
だが、燕白からなにかを求めてくることはなく、シュシュリもそこまでの勇気は持てずにいた。
そうして中途半端に持て余したような気持ちに燻りながら、自分にあてがわれた居室に戻ろうと通路を歩く途中のことだった。
ヨエが、壁に凭れて腕を組み佇んでいた。
翡翠色の瞳が、篝火を反射して暗闇の中で煌めき、シュシュリに向いている。
その挑むような、刺すような眼差しに、シュシュリは思わず剣の届く間合いの外で立ち止まった。
「ヨエ……どうしたんだ、こんな時間に」
「おまえこそ。どうしたんだよシュシュリ」
ヨエの声音はぶっきらぼうでそっけない。それはシュシュリに対するヨエの常だった。
しかし、それがなぜか妙に引っ掛かりもする。どこか剣呑で、常通りのはずなのにそうではない。その理由がわからず、シュシュリは困惑していた。
「どうって……夜風にあたってた。地底湖もすごかったけど、この荒野にこんな広くて大きな湖ができるなんて思わなかったから。龍のおかげで穢れも払われて、空もよく見える。ヨエも見た? 月も星も綺麗で」
「やつと会っていたんだろ」
シュシュリの言葉を途中で遮りヨエが言う。
その声の鋭さに、シュシュリはぞくりとする。
「ヨエには……関係ないだろう」
「シュシュリ、俺はおまえの相棒だ。ずっとおまえとやってきた。関係ないわけあるか。……相棒が、胡散臭い円華人にたぶらかされそうになってるんだぞ」
「たぶらかされてなんかいない!」
シュシュリは思わず強く反駁した。
カッと顔に熱がともる。その様子に、ヨエはますます不快そうな、怪訝そうな顔をした。
「シュシュリ……おまえ、どうしちまったんだよ。やつを連れて戻ったときから、おかしいぞ。おまえ」
ヨエが距離を詰め、翡翠色の瞳を丸く見開いた。
「おまえ……まさか、やつと寝たのか」
「はっ……!? な、なぜそんなこと……どうして、そうなる!?」
ヨエの言葉にシュシュリは狼狽えた。それこそが肯定になりそうなほどに。
「まさか……珠を手に入れるのに、体を売ったのか。誇り高いテン族の女戦士が!」
ヨエの手がシュシュリの腕を掴んだ。
憤然と詰め寄るヨエに、シュシュリは言葉を失う。
違う。そんなことはしてない。そう言いたい気持ちと。
だが結果的にはそういうことになるのではないか、という自らへの不審。
それがシュシュリの口を閉ざさせた。
問答無用で燕白を切り捨てるべきだったのか。拷問で聞き出すべきだったのか。
珠をやる、後生だからとテン族の掟まで持ち出して求めてきた燕白に、或いは戦士として負けたことになるのか。
シュシュリは混乱していた。
ヨエの強い力が、ギリギリと腕に食い込む。
「……違う。私は、誇りにそむくようなことはしてない」
絞り出したシュシュリの言葉に、ヨエの力は一瞬緩んだ。
「なんで、未だにやつを気にする。やつは円華人なんだぞ。わかってるのか? 二十年前俺たちテン族から御珠を奪い、土地を奪った。俺の親父もその時の怪我がもとで死んだ。今までだってずっと、俺たちがこの穢れた荒野で暮らさなきゃならないのは奴らが……!」
「だがテン族の皆を助けた!」
シュシュリはヨエの手を振り払う。
「私も円華帝国は嫌いだ。円華人も嫌いだ。でも……」
「やつは、違うって? シュシュリ、それがたぶらかされてるっていうんだ。おまえも長老も皆も!」
ヨエの強い力がシュシュリの肩を押した。ドッと壁に押し付けられる。体格差と筋肉差はいかんともしがたく、シュシュリはヨエの力の前にはなかなか抜け出すことも難しかった。
「寝たから情が移ったんだシュシュリ。あんなやつに体を許して、心まで許す気か!? 目を覚ませシュシュリ。俺がいるだろ!」
「っ……!? ヨエ……?」
シュシュリは眉をひそめ、ヨエの顔を見た。
なにを言っているのか、すぐにはその意味も飲み込めない。
「嫁の貰い手を気にしてるなら、俺が貰ってやる。シュシュリ」
「な……、ば……ばかに、するな!」
「ぅぐっ!?」
つい頭に血が昇り、シュシュリはヨエの股間に膝蹴りを喰らわせた。
どれほど日頃鍛えていようと、この痛みにはいかなる戦士も堪えることはできなかった。
ヨエの体がくの字に曲がり、苦悶の声をこぼす。
それを見下ろして、シュシュリはやや申し訳ない気持ちになった。
「ヨエ、ごめん……やりすぎた。……でも、いまの言葉は許せない。失礼だ! そんなことを言うヨエは嫌いだ! 頭を冷やせばか!」
最後の方は子供の喧嘩の捨て台詞のようになりながら、シュシュリは通路を駆けていく。
まだ痛みに呻くヨエの声を背にして。
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