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黒の帳 『一つ目の帳』
雅弘さんとの約束 〔金曜日〕
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コトコト、コトコトと、鍋の音が聞こえる。
「…………」
「……だから……」
「……ふふ……ですから…」
それと、誰かの話し声。
「…ん…」
「あ、黒猫ちゃん」
「鈴っ、起きたか。ああ急に起き上がるな、ゆっくり、ゆっくりだ」
目の前に居た人物に驚き、体を起こそうとすれば、その人に止められた。起き上がろうとする力が無かったことに気づき、大人しく首だけを動かした。
「根谷さんは心配性ですねぇ…、彼、もう高校生でしょうに」
「この子は体が弱いんだ」
「真冬の早朝に乾布摩擦できる人に言わせてしまえば、誰だってそうなるでしょうに…。ああはいはい、持ってきますよ…もう、睨まないでください」
「睨んでなどおらん」
雅弘さんと、氷川さんだ。
周りを見渡せば、ここが私の寝室だと分かった。どうやら私は自分のベッドに寝かせてもらっていたらしい。
二人は床のカーペットの上に座っている。雅弘さんはスーツ姿だ。氷川さんは制服ではなく、シャツにスラックスと楽な服装だった。
「…あの、雅弘さん、私は…」
「氷川の息子から、学校に来ていないと連絡を受けてな。…玄関を開けたら、お前が倒れていたんだ。肝を冷やしたぞ」
「………すみません。新しい環境で、ちょっと疲れてただけです。あの、もう大丈夫です。早くお仕事に行かれた方が」
「大丈夫か、そうか。起き上がれないのにか?」
バレていた。
雅弘さんは、忙しいんだ。窓の外は明るい、こんな時間にこんな場所に居ていい人じゃない。たかが、一高校生の面倒を見ている場合じゃないんだ。
でも、目の前の雅弘さんは、心配で心配で堪らないという顔をして、私の頬を撫でている。雅弘さんの手って、こんなに冷たかったかな。そこで漸く、私は何だか熱っぽいことに気づいた。
氷川さんが、湯気の立つお椀を持って、寝室に戻って来た。
「先程測った熱は37.9。微熱の範囲だと思うんですけどねぇ?まあ…辛そうですし、私よりは体が弱いんでしょう」
「鈴、卵がゆだが…起き上がれないのだったら、水分だけでも取るといい。汗をかいているから、着替えもしなさい。出来そうにないなら手伝ってあげるから。それから…、何だ涼、その顔は」
「…氷と呼ばれる根谷さんがここまで喋るなんて。これは貴重な光景ですね~」
ホカホカで美味しそうな卵がゆだ。雅弘さんの料理の腕は……筆舌に尽くし難い、勿論良い方の意味ではない。作ってくれたのは、氷川さんかな。
起き上がれず、食べたいのになあ…と机の上のお椀を見つめていたら、氷川さんがゼリー飲料のキャップを開けて渡してくれた。冷えているゼリーが火照った体に心地好くて、コクコクと飲んでいると、雅弘さんが話を始めた。
「……やはり、あの高校は辞めた方がいい。大丈夫だ、今すぐにでも転校の手配を」
「んっ、んぐ!?そんな、こと、ないです。辞めたく、ない…、友達、出来たんです」
「チヤホヤ囲むおバカさん達、イジメっ子、自己保身ばかりのオタク、追いかけ回すおバカさん…そして、小学校の時の親友。最後の一人以外、どうすれば友達と呼べるのやら。調べていけばまあ気味の悪いことばかり出てくるじゃないか、ねえ?」
学校を辞める?
そんなの、絶対嫌だ。
話してみることで悪い人じゃないと分かる人だって居る。
皆に騒がれて囲まれることには少し困らされたけど、龍牙が声をかけてくれたから、もうそんなことない。クリミツは中学の時いじめられたけど、もう今はニコニコ笑ってくれる。不良さんが怖いなら黒宮君たちのビビりようだって頷けるし、逃げる私を助けてくれたんだ。天野君だって初対面こそ最悪だったけど、その後条件付きとはいえ助けてくれた。
それから、大親友の龍牙。
折角会えたのに、一緒の学校に行けないなんて嫌だ。クリミツと龍牙が居るのに、どうしてあの高校から離れられるだろうか。
でも氷川さんは、辞めたくないという言葉を聞いて、鼻で笑った。
「…イジメっ子と、友人のように過ごすだなんて。まさかあの様子を見て、誰もマロン君が君をいじめていたとは思わないだろうね。脅されているのかな?もう一人の友人にはイジメの事実を隠しているみたいだし、それもどういう了見なのか、さっぱりだ。それと、渡来達のことも踏まえると、君があそこで過ごすのは無理があるんじゃないかな?と僕は思うよ」
「きょ、協力を、惜しまないって…」
「ん?」
「私には、協力を惜しまないって、言いましたよね?男に二言はないですよね?だったら一緒に雅弘さんを説得してくださいよ。私は、絶対、あの学校に行きます」
私がそう言って見つめると、氷川さんはやれやれといった様子でため息をついた。
「…はァ、仕方ないなあ。一回言っちゃったもんな。根谷さん、どうなさいます?」
「…鈴」
雅弘さんが真剣な顔で私を見ている。
「……お前は、それで、本当に後悔しないんだな?」
「はい。大親友が二人もいて、それなのにそこに居られないなんて、そっちの方が後悔します」
「人に傷つけられる怖さは充分分かっただろう。……何故自分から飛び込む」
「…あの人達は勘違いしてたんです。私が、仲良くしてくれるわけないから、と言ってました。私はそんなことないです。誰とだって仲良くしたいですし、相手もそう思ってくれているのなら、尚更仲良くなりたいです」
「お前は…どうして」
雅弘さんが言葉を続けようとした途端、どこかからか電子音楽が鳴った。どうやら雅弘さんの携帯に電話がかかってきたらしい。
雅弘さんは電話を終えると、氷川さんと二言三言交わした。沢山話したからか、頭がクラクラする。ついでに眠気も訪れた。ぼんやりする頭で二人を見れば、どうやら急用が入ったらしく、帰り支度をしている。
「…鈴、すまないな」
「急なお仕事。黒猫ちゃん、一人でも大丈夫?」
立ち上がった二人が、心配そうに私を見ている。
心配させちゃダメだ!
笑顔を作って、二人に声をかけた。
「はいっ、大丈夫、です!」
「「………」」
二人が怪訝な顔になり、雅弘さんが私に近づく。
「…鈴、約束を覚えているか」
「前髪で、顔隠すのと、この部屋に住むのと、人の喧嘩に首を突っ込まない…」
「もう一つ」
「……強がらないこと。でも、私、つよがって、なんか…ないです…」
本当は寂しい。心細い。
でも、こんな感情は気のせいだ。熱で体が弱っているから、心も少し弱っているだけ。熱が下がればあっという間に無くなるだろう。
だから、一人でも大丈夫。
そう思っているのだけど、二人は私の言葉を聞いて、心配そうに私を見た。
「…上手に甘えられないお子さんですねえ」
「全くその通りだ」
お子さん?
私、もう高校生なんですが!
「わたし、もう、こども、じゃ…ない…」
だけど、その抗議をすることは出来ず、私は睡魔に負けてしまった。
ゆったりと狭まっていく視界に、困ったように笑う雅弘さんの顔が写った。
「…………」
「……だから……」
「……ふふ……ですから…」
それと、誰かの話し声。
「…ん…」
「あ、黒猫ちゃん」
「鈴っ、起きたか。ああ急に起き上がるな、ゆっくり、ゆっくりだ」
目の前に居た人物に驚き、体を起こそうとすれば、その人に止められた。起き上がろうとする力が無かったことに気づき、大人しく首だけを動かした。
「根谷さんは心配性ですねぇ…、彼、もう高校生でしょうに」
「この子は体が弱いんだ」
「真冬の早朝に乾布摩擦できる人に言わせてしまえば、誰だってそうなるでしょうに…。ああはいはい、持ってきますよ…もう、睨まないでください」
「睨んでなどおらん」
雅弘さんと、氷川さんだ。
周りを見渡せば、ここが私の寝室だと分かった。どうやら私は自分のベッドに寝かせてもらっていたらしい。
二人は床のカーペットの上に座っている。雅弘さんはスーツ姿だ。氷川さんは制服ではなく、シャツにスラックスと楽な服装だった。
「…あの、雅弘さん、私は…」
「氷川の息子から、学校に来ていないと連絡を受けてな。…玄関を開けたら、お前が倒れていたんだ。肝を冷やしたぞ」
「………すみません。新しい環境で、ちょっと疲れてただけです。あの、もう大丈夫です。早くお仕事に行かれた方が」
「大丈夫か、そうか。起き上がれないのにか?」
バレていた。
雅弘さんは、忙しいんだ。窓の外は明るい、こんな時間にこんな場所に居ていい人じゃない。たかが、一高校生の面倒を見ている場合じゃないんだ。
でも、目の前の雅弘さんは、心配で心配で堪らないという顔をして、私の頬を撫でている。雅弘さんの手って、こんなに冷たかったかな。そこで漸く、私は何だか熱っぽいことに気づいた。
氷川さんが、湯気の立つお椀を持って、寝室に戻って来た。
「先程測った熱は37.9。微熱の範囲だと思うんですけどねぇ?まあ…辛そうですし、私よりは体が弱いんでしょう」
「鈴、卵がゆだが…起き上がれないのだったら、水分だけでも取るといい。汗をかいているから、着替えもしなさい。出来そうにないなら手伝ってあげるから。それから…、何だ涼、その顔は」
「…氷と呼ばれる根谷さんがここまで喋るなんて。これは貴重な光景ですね~」
ホカホカで美味しそうな卵がゆだ。雅弘さんの料理の腕は……筆舌に尽くし難い、勿論良い方の意味ではない。作ってくれたのは、氷川さんかな。
起き上がれず、食べたいのになあ…と机の上のお椀を見つめていたら、氷川さんがゼリー飲料のキャップを開けて渡してくれた。冷えているゼリーが火照った体に心地好くて、コクコクと飲んでいると、雅弘さんが話を始めた。
「……やはり、あの高校は辞めた方がいい。大丈夫だ、今すぐにでも転校の手配を」
「んっ、んぐ!?そんな、こと、ないです。辞めたく、ない…、友達、出来たんです」
「チヤホヤ囲むおバカさん達、イジメっ子、自己保身ばかりのオタク、追いかけ回すおバカさん…そして、小学校の時の親友。最後の一人以外、どうすれば友達と呼べるのやら。調べていけばまあ気味の悪いことばかり出てくるじゃないか、ねえ?」
学校を辞める?
そんなの、絶対嫌だ。
話してみることで悪い人じゃないと分かる人だって居る。
皆に騒がれて囲まれることには少し困らされたけど、龍牙が声をかけてくれたから、もうそんなことない。クリミツは中学の時いじめられたけど、もう今はニコニコ笑ってくれる。不良さんが怖いなら黒宮君たちのビビりようだって頷けるし、逃げる私を助けてくれたんだ。天野君だって初対面こそ最悪だったけど、その後条件付きとはいえ助けてくれた。
それから、大親友の龍牙。
折角会えたのに、一緒の学校に行けないなんて嫌だ。クリミツと龍牙が居るのに、どうしてあの高校から離れられるだろうか。
でも氷川さんは、辞めたくないという言葉を聞いて、鼻で笑った。
「…イジメっ子と、友人のように過ごすだなんて。まさかあの様子を見て、誰もマロン君が君をいじめていたとは思わないだろうね。脅されているのかな?もう一人の友人にはイジメの事実を隠しているみたいだし、それもどういう了見なのか、さっぱりだ。それと、渡来達のことも踏まえると、君があそこで過ごすのは無理があるんじゃないかな?と僕は思うよ」
「きょ、協力を、惜しまないって…」
「ん?」
「私には、協力を惜しまないって、言いましたよね?男に二言はないですよね?だったら一緒に雅弘さんを説得してくださいよ。私は、絶対、あの学校に行きます」
私がそう言って見つめると、氷川さんはやれやれといった様子でため息をついた。
「…はァ、仕方ないなあ。一回言っちゃったもんな。根谷さん、どうなさいます?」
「…鈴」
雅弘さんが真剣な顔で私を見ている。
「……お前は、それで、本当に後悔しないんだな?」
「はい。大親友が二人もいて、それなのにそこに居られないなんて、そっちの方が後悔します」
「人に傷つけられる怖さは充分分かっただろう。……何故自分から飛び込む」
「…あの人達は勘違いしてたんです。私が、仲良くしてくれるわけないから、と言ってました。私はそんなことないです。誰とだって仲良くしたいですし、相手もそう思ってくれているのなら、尚更仲良くなりたいです」
「お前は…どうして」
雅弘さんが言葉を続けようとした途端、どこかからか電子音楽が鳴った。どうやら雅弘さんの携帯に電話がかかってきたらしい。
雅弘さんは電話を終えると、氷川さんと二言三言交わした。沢山話したからか、頭がクラクラする。ついでに眠気も訪れた。ぼんやりする頭で二人を見れば、どうやら急用が入ったらしく、帰り支度をしている。
「…鈴、すまないな」
「急なお仕事。黒猫ちゃん、一人でも大丈夫?」
立ち上がった二人が、心配そうに私を見ている。
心配させちゃダメだ!
笑顔を作って、二人に声をかけた。
「はいっ、大丈夫、です!」
「「………」」
二人が怪訝な顔になり、雅弘さんが私に近づく。
「…鈴、約束を覚えているか」
「前髪で、顔隠すのと、この部屋に住むのと、人の喧嘩に首を突っ込まない…」
「もう一つ」
「……強がらないこと。でも、私、つよがって、なんか…ないです…」
本当は寂しい。心細い。
でも、こんな感情は気のせいだ。熱で体が弱っているから、心も少し弱っているだけ。熱が下がればあっという間に無くなるだろう。
だから、一人でも大丈夫。
そう思っているのだけど、二人は私の言葉を聞いて、心配そうに私を見た。
「…上手に甘えられないお子さんですねえ」
「全くその通りだ」
お子さん?
私、もう高校生なんですが!
「わたし、もう、こども、じゃ…ない…」
だけど、その抗議をすることは出来ず、私は睡魔に負けてしまった。
ゆったりと狭まっていく視界に、困ったように笑う雅弘さんの顔が写った。
応援ありがとうございます!
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