その距離は、恋に遠くて

碧月あめり

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「那央くんで頼りになるかなー」

 ほかの女子生徒が葛城先生を呼ぶときの呼び方を真似て、ふっと息を吐くと、彼が顔をしかめた。


「その呼び方やめろよな。おれ、いちおう教師なんだけど」
「なんで? 可愛いじゃないですか」
「おとなの男をつかまえて、可愛いはないだろ。岩瀬も本当はおれのこと舐めてたんだな。今、わかった」

 ほとんどの生徒が葛城先生のことを慕って「那央くん」と呼んでいるけど、彼からしてみれば不服らしい。唇を尖らせた葛城先生の横顔が、ほんとうに少し可愛いと思った。


「舐めてないですよ。むしろ、他の先生よりは信用してます」
「ふーん」

 葛城先生が疑わしげな目で、斜め上から見下ろしてくる。


「だから、ここでサボってたことは、担任や義父ちちには秘密にしといてください」
「別に、ちょっと授業サボってたくらいで誰にもチクらないよ。そんな気分の日もあるだろ」
「結構、寛容なんですね」
「まぁね。でも、もしおれの授業サボったら、そのときはたっぷり課題出すから」
「うわ、横暴」

 わざとらしく顔をしかめると、葛城先生が笑う。


「とりあえず、次の授業は教室戻れよ」
「わかってます」

 だけど、次の授業まではここでのんびりしていよう。

 腕を上げて伸びをしてから、ぐでんとテーブルに伏せる。そのまま目を閉じかけたとき、ギギッと椅子を引く音が聞こえてきた。

 テーブルに顎を預けて顔を上げると、真向かいに座った葛城先生と目が合う。


「那央くんもサボり?」
「違うよ。次の授業の準備。ちょっと調べときたいことがあって。ていうか、那央くんて言うな」

 そう言いながら、葛城先生が手に持っていた本を開いた。


「那央くんて、一年だけの非常勤でしょ。意外に陰で努力するタイプなんですね」

 真面目な顔付きで分厚い専門書を開く葛城先生を眺めながらボソリと訊ねると、彼が本から視線を上げた。


「非常勤だろうが、正規職員だろうが、授業で曖昧なこと教えられないから」
「案外マジメなんだね、那央くん」

 感心してそう言ったのに、葛城先生は少し不機嫌そうな表情でわたしを見てきた。もともと微妙につり上がっている彼の眉尻が上がる。


「だから、呼び方な」

 葛城先生が、低い声で諭してくる。

「そんなに嫌ですか? 『那央くん』って呼ばれるの」
「別に、すごく嫌ってわけではないけど……」
「じゃぁ、いいじゃないですか。那央くんで。わたしもこれから、那央くんて呼ぼうっと」

 にへらっと笑うと、那央くんが困ったように息を吐く。


「一年限定でも、ケジメって大事かなーって思うわけ。言っても、誰も聞いてくれないけど」
「やっぱり、マジメだ」
「ほっとけ」

 ハハッと声をあげて笑うと、那央くんがわたしの頭に手を置いて上から雑に押してきた。

 顔からテーブルに軽く押し付けられて、葛城先生の表情が見えなくなる。

 彼が今、困っているのか、少し怒っているのかはわからないけど、頭に載せられたままの手は優しくてあたたかい。その温もりに触れていたら、自分と他人が「平等」がどうかなんて、どうでもよくなった。

 少なくともこの手は、わたしに対して公正だ。


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