青春ヒロイズム

碧月あめり

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1.微かな希望

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「新しい環境で学校生活を始めることは、ともさんにとっても良いことだと思います。我が校では――」

 お父さんと同年代くらいに見える優しそうな雰囲気の校長先生の隣で、生徒指導担当だと名乗った強面の先生がお母さんの顔を見ながら神妙に頷いている。

「生徒の意見が学校に届きやすい風通しの良い校風ですから――」

 抑揚のない穏やかな声で話す校長先生の話は、長くて少し退屈だ。

 私にとっては面白くもなんともない話を、お母さんはやや前のめりになって、真剣な表情で聞いている。そんなお母さんの横顔を冷めた目でしばらく見つめたあと、応接室の壁に何気なく視線を向けた。

 私たちが通された応接室には、透明なガラス戸の付いた棚が二つ置いてあって、そこに沢山のトロフィーが飾ってある。

 歴代の生徒たちが部活の大会で納めてきた功績なんだろう。それらは特に整理されている様子もなく、古いものから新しいものまで、乱雑に飾られていた。

 退屈しのぎにトロフィーを端からひとつずつ数えていたら、校長先生を筆頭に、大人たちが椅子から立ち上がった。

「それでは、新学期からどうぞよろしくお願いします」

 どうやら、大人の話は終わったらしい。お母さんが校長先生に深々と頭を下げていた。

「はい。お待ちしております」

 穏やかな笑みを浮かべて会釈した校長先生が、ふと私に視線を移す。弾かれたみたいに慌てて椅子から腰を上げると、校長先生が優しい目をして頷いた。

深谷みたにともさん、また新学期に会えるのを楽しみにしていますね」

 人の良さそうな校長先生だけれど、本心でそんなことを思ってくれているのだろうか。

 校長先生の顔を見るのなんて、始業式か週一回ある朝礼のときくらいで、普段の学校生活で会うことなんて、まずないのに。次に会ったときには、私の名前なんて忘れてるに決まってる。

 そんなことを思いながら、一応の社交辞令として、無言で小さく会釈した。

「雰囲気の良さそうな学校でよかったわね。校長先生も親身にお話を聞いてくださったし。ここなら友ちゃんも、高校生活の残り二年間を楽しく過ごせるんじゃないかな」

 諸々の編入手続きを終えて学校を出ると、お母さんがほっとしたように笑いかけてきた。
 
 私の少し前を歩くお母さんの声が弾んでいる。心なしか、お母さんの黒のヒールが地面を打つ音が、ここへ来るときよりも軽くなっているような気がした。

 高校生活の残り二年間を楽しく……、か。お母さんが私を励ますつもりでそう言ってくれたことはよくわかっている。

 でも、訳あって高校二年生の四月から地元の公立高校に編入することになった私は、少しも前向きな気持ちになれずにいた。

 どんなに校長先生が優しそうでも、校風が良さそうでも、編入先の高校での生活が楽しめるとは思えない。

 ため息をつきたい気持ちでいっぱいだったけど、せっかく明るい気持ちになっているお母さんをがっかりさせたくはない。余計な心配もかけたくない。

 だから、俯いたまま我慢した。

「新しい制服やカバンを用意しないとね。あと靴も」

 明るい声で話し続けるお母さんの言葉をぼんやりと聞き流す。

 制服、か。お母さんと一緒に校門に向かって歩きながら、コートの裾からひらひらとのぞく、前の学校の制服のスカートに視線を落とす。

 グリーン系のチェックのスカート。大きな金ボタンのついた紺のブレザーとグリーンのボウタイ。つい最近まで在籍していた私立校の制服は、私のお気に入りだった。

 私が通っていたのは、中学受験をして入った中高一貫の女子校で、制服も中学と高校ではデザインが違っていた。

 高校の制服は、中学校の地味な紺色のセーラー服とは違って、大人っぽくて可愛くて。学内ではもちろん、周囲の学校の生徒達からの評判も良い、人気の制服だった。

 高校に進学して憧れの制服に袖を通したときは、自分が少し大人になったような気がしてすごく嬉しかったのを覚えている。それなのに……。

 卒業どころか、高校に進学してから一年も経たないうちに、お気に入りだった制服が着られなくなるとは思ってもみなかった。

 小学生のときに必死に勉強して、中学受験で入った私立の進学校だった。

 成績優秀で高等部を卒業できれば、有名大学への推薦枠が取れる可能性だってあった。

 小学生のときの私は、正直そこまでのことは考えていなかったけれど、両親からしてみれば、ひとり娘の私の将来を見越してお金と時間と労力を注ぎ込んだ中学受験だったと思う。

 それなのに……。人生何が起こるかわからない。私は若干十六歳で、そのことを身をもって知ってしまった。

 お母さんの後ろをのろのろと歩いていると、校庭から生徒たちの快活な声が響いてきた。

 二月の終わり。寒空の下、校庭では体育の授業が行われている。

 あんなことがなければ、私だって今頃普通に授業を受けていたはずだ。

 所属していたバレー部の活動も、春からは、二年生になる私たちが主導になることが決まっていたし、春休みに行われる予定の他校との合同試合にだって出られるはずだった。そう思ったら、校庭を暢気に動き回っている、名前も知らないこの学校の生徒たちが恨めしくなる。

 あのとき、正しいと思ってとった私の行動は間違っていた。

 誰にとってもマイナスにしかならない、無意味なことだった。あの子は、余計なことをして騒ぎを大きくした私のことを、きっと恨んでいると思う。

 一方で、結果的に被害者になった彼女は、私がいなくなって清々していることだろう。もしかしたら、新しく見つけた別の子を、次の暇つぶしのターゲットにして楽しんでいるかもしれない。

 考えているうちに、得体の知れないモヤモヤした感情が胸に湧き上がってきた。

 過ぎたことを考えても仕方ないし、早く割り切ってしまいたいのに。前の学校を辞めて数週間が経っても、なかなか気持ちの整理がつけられない。

 あの子や彼女の顔が残像となって何度も脳裏に思い浮かび、いつまで経っても消えてくれない。

 たぶん私は、心のどこかできちんと納得できずにいるのだ。

 私が……、私だけが責任を取らされることになった今の結果に。
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