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4.イチゴミルクの奇跡
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「これ」
ふたりの先輩たちがいなくなると、星野くんが持っていた財布を私に差し出してきた。すぐに受け取ろうとしたけれど、指先が痺れるように小さく震えてしまう。
先輩たちと対峙しているときには自覚がなかったけれど、自分でも思っていた以上に恐怖を感じていたらしい。
星野くんが気付いてくれなかったら、どうなっていたか……。想像するだけで、背筋が冷えた。
「二年からの転入で知らないだろうけど、あの先輩たち、あんまり評判良くないから。気を付けろよ」
震える手を一度ギュッと握りしめてから財布を受け取ると、星野くんが不愉快そうに眉を顰めた。
「ていうか、深谷ならあんなの一言毒吐けば撃退できたんじゃねーの? この前みたいに、生理的に無理とか言ってやればよかったのに」
助けてもらったのにすぐにお礼を言わなかった私は、星野くんの目に感じの悪い、嫌なやつとして映ったのだろう。
星野くんの言い方は、嫌味っぽくてトゲがあった。
すぐにお礼の言葉が出なかったのは、状況整理に頭が追いついていなかったせいなのだけど……。あとから何を言っても、言い訳にしかならない。
それに、どうせ星野くんには嫌われているんだ。そう思ったら、わざわざ取り繕うのも面倒だった。
「そっちこそ、嫌いな女子のことなんてほっとけばよかったのに」
ますます嫌われることを承知で嫌味を返すと、星野くんが苦々しげな表情を浮かべた。
「だからって、困ってるやつをほっとくのはまた別の問題」
「へぇ。星野くんて、意外に正義感強いんだ」
私のことを嫌ってるくせに、困ってることに気付いて助けてくれた。本当はそのことが嬉しいのに、口から出てしまうのは、星野くんの反感を買うような言葉ばかりだ。
星野くんは案の定、不快そうに顔を顰めている。
「別に。そこの中庭で練習してたら、たまたま深谷が先輩たちに絡まれてるのが見えたんだよ。そんだけ嫌味言えるなら、俺が出るまでもなかったな。次は自分で撃退しろよ」
不機嫌な声でそう言った星野くんが、私に背を向ける。
けれど、私の足元に潰れたイチゴミルクの紙パックが落ちていることに気付くと、ピタリと足を止めた。
「なあ、あれってもしかして、智ちゃんに?」
イチゴミルクに視線を落としたまま、星野くんが私に訊ねてくる。
無言で財布を受け取ったときの私の手の震えや、私が抱えていた恐怖心には少しも気付かなかったくせに。イチゴミルクは、すぐに村田さんにリンクするんだ……。
星野くんと村田さんの仲の良さに、今さら嫉妬するつもりはない。だけど、私の気持ちが星野くんに全く伝わらないことが悲しくて、もどかしかった。
「さすが、村田さんのことはよくわかるんだね」
乾いた声で笑って、潰れたイチゴミルクとカフェオレ、それから先輩に放り投げられたポケットティッシュを拾う。
カフェオレは私の分だからいいとしても、これはもう村田さんには渡せない。買い直そうと顔を上げたら、自動販売機から、ガコッとジュースが落ちる音がした。
「よくわかるっていうより……、深谷がクラスでまともに会話してる女子って、智ちゃんくらいしかいないじゃん」
自動販売機からジュースを取り出した星野くんが、呆れ顔で振り返る。
「正義感が強かったのは、俺じゃなくて深谷だろ」
ひとりごとみたいに小さくつぶやくと、星野くんが買ったばかりのジュースをふたつ私に差し出してきた。
「ん」
星野くんの手には、イチゴミルクとカフェオレがひとつずつ握られている。
意味がわからず戸惑っていると、星野くんが私の持っていた潰れたジュースとそれらを入れ替えた。
「これ……」
「俺もちょうど飲み物欲しかったから。交換」
「え、でもそれ……」
潰れてるし、汚れてる。
戸惑っているうちに、星野くんが私を置いて先に歩いて行ってしまう。
「あの、星野くんっ!」
咄嗟に呼び止めたら、星野くんが立ち止まってゆっくり振り向いた。
怪訝な表情を浮かべる星野くんの反応が怖かったけど、今言わなければもう一生言えない。そう思ったから、頑張って勇気を振り絞った。
「え、っと。ありがと……」
私の言葉にきょとんとした星野くんが、次の瞬間くしゃっと笑う。その笑顔は今まで見たことがないくらい柔らかくて、まるで手のひらできつく握り潰されたみたいに、心臓がギュッとした。
「初めて深谷にお礼言われた」
クスリと笑う星野くんの声が、心なしかいつもより優しい気がする。
「そんなことは……」
反論の言葉をうまく返せないでいるうちに、星野くんが私を置いて歩き去って行く。その背中をドキドキして見つめながら、私はしばらくそこから動けなかった。
ふたりの先輩たちがいなくなると、星野くんが持っていた財布を私に差し出してきた。すぐに受け取ろうとしたけれど、指先が痺れるように小さく震えてしまう。
先輩たちと対峙しているときには自覚がなかったけれど、自分でも思っていた以上に恐怖を感じていたらしい。
星野くんが気付いてくれなかったら、どうなっていたか……。想像するだけで、背筋が冷えた。
「二年からの転入で知らないだろうけど、あの先輩たち、あんまり評判良くないから。気を付けろよ」
震える手を一度ギュッと握りしめてから財布を受け取ると、星野くんが不愉快そうに眉を顰めた。
「ていうか、深谷ならあんなの一言毒吐けば撃退できたんじゃねーの? この前みたいに、生理的に無理とか言ってやればよかったのに」
助けてもらったのにすぐにお礼を言わなかった私は、星野くんの目に感じの悪い、嫌なやつとして映ったのだろう。
星野くんの言い方は、嫌味っぽくてトゲがあった。
すぐにお礼の言葉が出なかったのは、状況整理に頭が追いついていなかったせいなのだけど……。あとから何を言っても、言い訳にしかならない。
それに、どうせ星野くんには嫌われているんだ。そう思ったら、わざわざ取り繕うのも面倒だった。
「そっちこそ、嫌いな女子のことなんてほっとけばよかったのに」
ますます嫌われることを承知で嫌味を返すと、星野くんが苦々しげな表情を浮かべた。
「だからって、困ってるやつをほっとくのはまた別の問題」
「へぇ。星野くんて、意外に正義感強いんだ」
私のことを嫌ってるくせに、困ってることに気付いて助けてくれた。本当はそのことが嬉しいのに、口から出てしまうのは、星野くんの反感を買うような言葉ばかりだ。
星野くんは案の定、不快そうに顔を顰めている。
「別に。そこの中庭で練習してたら、たまたま深谷が先輩たちに絡まれてるのが見えたんだよ。そんだけ嫌味言えるなら、俺が出るまでもなかったな。次は自分で撃退しろよ」
不機嫌な声でそう言った星野くんが、私に背を向ける。
けれど、私の足元に潰れたイチゴミルクの紙パックが落ちていることに気付くと、ピタリと足を止めた。
「なあ、あれってもしかして、智ちゃんに?」
イチゴミルクに視線を落としたまま、星野くんが私に訊ねてくる。
無言で財布を受け取ったときの私の手の震えや、私が抱えていた恐怖心には少しも気付かなかったくせに。イチゴミルクは、すぐに村田さんにリンクするんだ……。
星野くんと村田さんの仲の良さに、今さら嫉妬するつもりはない。だけど、私の気持ちが星野くんに全く伝わらないことが悲しくて、もどかしかった。
「さすが、村田さんのことはよくわかるんだね」
乾いた声で笑って、潰れたイチゴミルクとカフェオレ、それから先輩に放り投げられたポケットティッシュを拾う。
カフェオレは私の分だからいいとしても、これはもう村田さんには渡せない。買い直そうと顔を上げたら、自動販売機から、ガコッとジュースが落ちる音がした。
「よくわかるっていうより……、深谷がクラスでまともに会話してる女子って、智ちゃんくらいしかいないじゃん」
自動販売機からジュースを取り出した星野くんが、呆れ顔で振り返る。
「正義感が強かったのは、俺じゃなくて深谷だろ」
ひとりごとみたいに小さくつぶやくと、星野くんが買ったばかりのジュースをふたつ私に差し出してきた。
「ん」
星野くんの手には、イチゴミルクとカフェオレがひとつずつ握られている。
意味がわからず戸惑っていると、星野くんが私の持っていた潰れたジュースとそれらを入れ替えた。
「これ……」
「俺もちょうど飲み物欲しかったから。交換」
「え、でもそれ……」
潰れてるし、汚れてる。
戸惑っているうちに、星野くんが私を置いて先に歩いて行ってしまう。
「あの、星野くんっ!」
咄嗟に呼び止めたら、星野くんが立ち止まってゆっくり振り向いた。
怪訝な表情を浮かべる星野くんの反応が怖かったけど、今言わなければもう一生言えない。そう思ったから、頑張って勇気を振り絞った。
「え、っと。ありがと……」
私の言葉にきょとんとした星野くんが、次の瞬間くしゃっと笑う。その笑顔は今まで見たことがないくらい柔らかくて、まるで手のひらできつく握り潰されたみたいに、心臓がギュッとした。
「初めて深谷にお礼言われた」
クスリと笑う星野くんの声が、心なしかいつもより優しい気がする。
「そんなことは……」
反論の言葉をうまく返せないでいるうちに、星野くんが私を置いて歩き去って行く。その背中をドキドキして見つめながら、私はしばらくそこから動けなかった。
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