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二章 一人ぼっちの少女
17 心と心をつなぐ
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「これが、うちの子です。可愛いでしょ?」
ひみこと同年代の少年が、ステージに三毛猫の3D動画を表示させる。猫の泣き声もちゃんと聞こえる。
三毛猫といえば、ひみこのパートナーだったタマ。少女は消えてしまった猫を思い出しながら、「へー、やっぱり未来っぽいなあ」と感心する。
二十一世紀の文化で生きてきたひみこは、たびたび「未来っぽい」と口にしてきた。
やっぱり今の時代のプレゼンはすごいなあ、と、動く猫や音楽に気を取られる。ひみこはこの先の展開を予想しワクワクした。
この猫ちゃんが難病になり、お医者さんを探し回るのかな?
それとも引っ越し先がペット禁止マンションで、泣きながらお父さんお母さんを説得するのかな?
がんばって引き取ってくれる人を探し、別れを噛み締めるのかな?
最後は、命の尊さを訴えるのだろうか? 動物のお医者さんになりたい、って誓うのだろうか?
こういうコンテストに出るぐらいだから、そういう展開だよね……と、前世紀のドラマ文化にどっぷり浸っていたひみこは、期待に胸を膨らませる。
が、その期待は裏切られた。
プレゼンターは、いかにうちの子が可愛いか、どんな餌を食べるか、ただただ転げまわる猫を愛でているだけだった。
「ということで、終わります」
・・・・・・ひみこは、何か救いを求めるような顔を、アレックスに向けた。
「そういう反応になるのも無理ない。脳チップがなければ、理解できないだろうから」
が、ひみこは気を取り直した。これはプレゼンコンテストと言っても地方大会だ。当たり外れはある。
参加者は二十人もいるのだ。
が、いずれも「キャベツスープを作ったら美味しかった」「メタバースゲームで二回戦進出」「脳チップのバージョンアップ」など、自分の趣味や日常の報告をするだけで、盛り上がりポイントが何もないようにひみこは感じた。
プレゼンターの中には、視覚障害者、聴覚障害者もいる。こういう障害のある人も同じステージで戦うんだ、すごいなあと感心した。が、中身は「お気に入りのロボット・パーラ」で相変わらず盛り上がりがない。せっかくだから、障害による苦労や乗り越えた話をすればいいのに。
ひみこの心に響かないプレゼンが続くなか、ようやく、納得できるプレゼンが登場した。
タイトルは「鳥取砂丘旅行」。
ひみこがドラマで知っている「鳥取砂丘」より今の鳥取砂丘は縮小し、砂丘の存続が危ぶまれている。プレゼンターは、旅行先で、砂丘の保全活動について現地の担当者に話を聞き、驚いたとのこと。
自然保護の在り方を問いかける点が、彼女の知っているプレゼンらしく好印象だった。
すべてのプレゼンが終わり、その場で審査結果が発表された。それぞれの発表に審査員がコメントをする。
「キャベツを切る時の触感や、スープの味付けまで体感できて、再現が素晴らしかった」
どうもひみこにはわからない。「ザクザク切りました」「おいしかった」としか言ってなかったのに、再現が素晴らしい?
「メタバースゲームの再現にリアリティがありました。ゲーム世界への没入感がすばらしかったですね」
ゲームへの没入感? 「ドキドキした」「ワクワクした」としか言ってない気が……。
「それでは続いて『鳥取砂丘旅行』についてですが」
これは、珍しくまともなプレゼンだったとひみこは思った。旅行体験だけではなく、自然保護について調べて問題定義をしている。
「長距離旅行をテーマに選ぶというのはどうでしょうか。ご存じのように、地球には温暖化に資源の枯渇といった問題があります。みなさん気をつけているように、輸送機を使った長距離移動は極力避けよう、という原則があります。移動しなくてもVRで体験できますから」
え? プレゼンってそういうところが突っ込まれるの? 盗んだとか殺したなんて犯罪を堂々と告白するならテーマの選択そのものが問題視されるだろう。でも、旅行って悪いこと? ひみこの頭の中に、「?」マークが飛び交う。
「砂丘の自然保護活動について調べていますが、これ現地に行かなくても、担当者に確認できますよね? 長距離輸送というリスクを犯してまで得る情報なのでしょうか?」
ひみこが一番感動したプレゼンは、審査員から手厳しい評価を受けた。
「それでは、優勝は『うちの子、可愛いでしょ?』に決定です! 何よりも、猫ちゃんの肉球のプクプク感を忠実に再現したところが素晴らしかった! ぜひ『北海道大会』そして世界を目指してください!」
場内は歓声に包まれた。アレックスも満面の笑みで拍手を送っている。
会場では、最後の日本語族が一人、取り残された。
ひみこは脚を止め、ホール隣の時計台を見上げた。
「何か、あたしみたいだ、この子」
超高層ビルに取り囲まれ小さくなっている建物。三百年以上前からそこにいる。
「どうしたんだい?」
アレックスが少女の背中に声をかけ、背中をポンと軽く叩く。
反射的にひみこは振り返り、慌てて笑顔を作った。
ホテルのリビングで、ひみこは不満げな顔をアレックスに向ける。
「あのプレゼンは、『ウシャス』がない限り、意味がないからね」
「ウシャス?」
その言葉は、アレックスから何度か勧められたから、ひみこも知っている。
男がモニターのある壁に顔を向けると、目の前に3D映像が表示される。
「君のバックボーンは二十一世紀だから……当時の研究は……なるほどね」
ぶつぶつと独り言ちたあと、アレックスはひみこの左手を取る。
「難しいから、通訳を入れていいよ」
ひみこは、親指の付け根を押し、シート・デバイスの通訳アプリを起動した。
「二十世紀の終わり、ブレイン・マシン・インターフェース──BMI、脳と機械を接続する技術が始まった。この二百年間、科学も含め社会が後退した時期もあったけどね」
アレックスの瞼、そして指の動きに合わせ、ひみこの目の前の映像は、モデル化した大脳にコンピュータや回る地球と、目まぐるしく変化する。
「ラニカ・ダヤル、僕の母がね、心と心をつなぐ脳に埋め込むチップの軽量化に成功したんだ。チップは脳情報をダイレクトに送信し、同じチップ装着者は受信できる……空腹感だったり、青空の美しさだったり……ダヤル社はチップを含めた通信システムを『ウシャス』と名付けて展開した」
彼の母親自慢は散々聞かされてきたが、初めて映像で見た。
目の色は違うが、肌や髪の色、彫りの深い顔つきが、息子を連想させる。
「もともと重度障害者のコミュニケーションツールとして開発されたんだ。が、脳同士のコミュニケーションは便利だからね。『ウシャス』は瞬く間に普及したよ」
ひみこは、重要なことに気がついていた。
「ということは、考えていること、バレちゃうの?」
「あははは、この小さな頭に、どんな悪だくみを考えているんだい?」
男は少女の黒髪に指を滑り込ませる。
「過去にそれらの問題があった。だから、僕らのチップ『ウシャス』は厳格な審査と基準で設定し装着する。伝えたいことは伝わるが同時に『ウシャス』には秘密を保護する機能もあるんだ」
アレックスの青い眼が微かに濁りを帯びる。彼が装着するチップ『ウシャス』は、それらの秘密を簡単に暴くことができるのだから。
「わかっただろうが、あのプレゼンテーションで真に問われていたのは、君がわからなかった部分……チップ『ウシャス』でこそ受信できる感覚の表現力だ。彼らは確かに、キャベツの切る感触、スープの匂い、猫の柔らかさをダイレクトに『ウシャス』を通して伝えてきたよ」
「じゃ、目が見えない人や耳が聞こえない人が一緒に参加できたのも、チップのおかげなんだ」
「ひみこは賢いね」
「そうすると、言葉を話す必要ないんだね」
しばしアレックスは目を閉じる。
「そういつも使うわけではないよ。脳情報の送受信は大脳に甚大な負担をかけるから、『ウシャス』の使用条件は厳密にコントロールされている。さきほどのプレゼンテーションは審査の関係でかなり機能を制限されたが、通常は、集中的な学習が必要な時、それこそ本物のプレゼンテーションぐらいしか使わない」
なるほど、謎だったプレゼンテーションの審査基準が、掴めてきた。アレックスが何度も勧めてきた理由も納得できる。
ひみこはクイっと頭を上げ通訳アプリを切った。
「アレックス、私に『ウシャス』を着けてください。そうしないとプレゼンコンテストに参加できません」
少女の細い黒目がいっそう鋭く輝く。
「いい顔だ」
男は彼女の額にキスを贈った。
ひみこと同年代の少年が、ステージに三毛猫の3D動画を表示させる。猫の泣き声もちゃんと聞こえる。
三毛猫といえば、ひみこのパートナーだったタマ。少女は消えてしまった猫を思い出しながら、「へー、やっぱり未来っぽいなあ」と感心する。
二十一世紀の文化で生きてきたひみこは、たびたび「未来っぽい」と口にしてきた。
やっぱり今の時代のプレゼンはすごいなあ、と、動く猫や音楽に気を取られる。ひみこはこの先の展開を予想しワクワクした。
この猫ちゃんが難病になり、お医者さんを探し回るのかな?
それとも引っ越し先がペット禁止マンションで、泣きながらお父さんお母さんを説得するのかな?
がんばって引き取ってくれる人を探し、別れを噛み締めるのかな?
最後は、命の尊さを訴えるのだろうか? 動物のお医者さんになりたい、って誓うのだろうか?
こういうコンテストに出るぐらいだから、そういう展開だよね……と、前世紀のドラマ文化にどっぷり浸っていたひみこは、期待に胸を膨らませる。
が、その期待は裏切られた。
プレゼンターは、いかにうちの子が可愛いか、どんな餌を食べるか、ただただ転げまわる猫を愛でているだけだった。
「ということで、終わります」
・・・・・・ひみこは、何か救いを求めるような顔を、アレックスに向けた。
「そういう反応になるのも無理ない。脳チップがなければ、理解できないだろうから」
が、ひみこは気を取り直した。これはプレゼンコンテストと言っても地方大会だ。当たり外れはある。
参加者は二十人もいるのだ。
が、いずれも「キャベツスープを作ったら美味しかった」「メタバースゲームで二回戦進出」「脳チップのバージョンアップ」など、自分の趣味や日常の報告をするだけで、盛り上がりポイントが何もないようにひみこは感じた。
プレゼンターの中には、視覚障害者、聴覚障害者もいる。こういう障害のある人も同じステージで戦うんだ、すごいなあと感心した。が、中身は「お気に入りのロボット・パーラ」で相変わらず盛り上がりがない。せっかくだから、障害による苦労や乗り越えた話をすればいいのに。
ひみこの心に響かないプレゼンが続くなか、ようやく、納得できるプレゼンが登場した。
タイトルは「鳥取砂丘旅行」。
ひみこがドラマで知っている「鳥取砂丘」より今の鳥取砂丘は縮小し、砂丘の存続が危ぶまれている。プレゼンターは、旅行先で、砂丘の保全活動について現地の担当者に話を聞き、驚いたとのこと。
自然保護の在り方を問いかける点が、彼女の知っているプレゼンらしく好印象だった。
すべてのプレゼンが終わり、その場で審査結果が発表された。それぞれの発表に審査員がコメントをする。
「キャベツを切る時の触感や、スープの味付けまで体感できて、再現が素晴らしかった」
どうもひみこにはわからない。「ザクザク切りました」「おいしかった」としか言ってなかったのに、再現が素晴らしい?
「メタバースゲームの再現にリアリティがありました。ゲーム世界への没入感がすばらしかったですね」
ゲームへの没入感? 「ドキドキした」「ワクワクした」としか言ってない気が……。
「それでは続いて『鳥取砂丘旅行』についてですが」
これは、珍しくまともなプレゼンだったとひみこは思った。旅行体験だけではなく、自然保護について調べて問題定義をしている。
「長距離旅行をテーマに選ぶというのはどうでしょうか。ご存じのように、地球には温暖化に資源の枯渇といった問題があります。みなさん気をつけているように、輸送機を使った長距離移動は極力避けよう、という原則があります。移動しなくてもVRで体験できますから」
え? プレゼンってそういうところが突っ込まれるの? 盗んだとか殺したなんて犯罪を堂々と告白するならテーマの選択そのものが問題視されるだろう。でも、旅行って悪いこと? ひみこの頭の中に、「?」マークが飛び交う。
「砂丘の自然保護活動について調べていますが、これ現地に行かなくても、担当者に確認できますよね? 長距離輸送というリスクを犯してまで得る情報なのでしょうか?」
ひみこが一番感動したプレゼンは、審査員から手厳しい評価を受けた。
「それでは、優勝は『うちの子、可愛いでしょ?』に決定です! 何よりも、猫ちゃんの肉球のプクプク感を忠実に再現したところが素晴らしかった! ぜひ『北海道大会』そして世界を目指してください!」
場内は歓声に包まれた。アレックスも満面の笑みで拍手を送っている。
会場では、最後の日本語族が一人、取り残された。
ひみこは脚を止め、ホール隣の時計台を見上げた。
「何か、あたしみたいだ、この子」
超高層ビルに取り囲まれ小さくなっている建物。三百年以上前からそこにいる。
「どうしたんだい?」
アレックスが少女の背中に声をかけ、背中をポンと軽く叩く。
反射的にひみこは振り返り、慌てて笑顔を作った。
ホテルのリビングで、ひみこは不満げな顔をアレックスに向ける。
「あのプレゼンは、『ウシャス』がない限り、意味がないからね」
「ウシャス?」
その言葉は、アレックスから何度か勧められたから、ひみこも知っている。
男がモニターのある壁に顔を向けると、目の前に3D映像が表示される。
「君のバックボーンは二十一世紀だから……当時の研究は……なるほどね」
ぶつぶつと独り言ちたあと、アレックスはひみこの左手を取る。
「難しいから、通訳を入れていいよ」
ひみこは、親指の付け根を押し、シート・デバイスの通訳アプリを起動した。
「二十世紀の終わり、ブレイン・マシン・インターフェース──BMI、脳と機械を接続する技術が始まった。この二百年間、科学も含め社会が後退した時期もあったけどね」
アレックスの瞼、そして指の動きに合わせ、ひみこの目の前の映像は、モデル化した大脳にコンピュータや回る地球と、目まぐるしく変化する。
「ラニカ・ダヤル、僕の母がね、心と心をつなぐ脳に埋め込むチップの軽量化に成功したんだ。チップは脳情報をダイレクトに送信し、同じチップ装着者は受信できる……空腹感だったり、青空の美しさだったり……ダヤル社はチップを含めた通信システムを『ウシャス』と名付けて展開した」
彼の母親自慢は散々聞かされてきたが、初めて映像で見た。
目の色は違うが、肌や髪の色、彫りの深い顔つきが、息子を連想させる。
「もともと重度障害者のコミュニケーションツールとして開発されたんだ。が、脳同士のコミュニケーションは便利だからね。『ウシャス』は瞬く間に普及したよ」
ひみこは、重要なことに気がついていた。
「ということは、考えていること、バレちゃうの?」
「あははは、この小さな頭に、どんな悪だくみを考えているんだい?」
男は少女の黒髪に指を滑り込ませる。
「過去にそれらの問題があった。だから、僕らのチップ『ウシャス』は厳格な審査と基準で設定し装着する。伝えたいことは伝わるが同時に『ウシャス』には秘密を保護する機能もあるんだ」
アレックスの青い眼が微かに濁りを帯びる。彼が装着するチップ『ウシャス』は、それらの秘密を簡単に暴くことができるのだから。
「わかっただろうが、あのプレゼンテーションで真に問われていたのは、君がわからなかった部分……チップ『ウシャス』でこそ受信できる感覚の表現力だ。彼らは確かに、キャベツの切る感触、スープの匂い、猫の柔らかさをダイレクトに『ウシャス』を通して伝えてきたよ」
「じゃ、目が見えない人や耳が聞こえない人が一緒に参加できたのも、チップのおかげなんだ」
「ひみこは賢いね」
「そうすると、言葉を話す必要ないんだね」
しばしアレックスは目を閉じる。
「そういつも使うわけではないよ。脳情報の送受信は大脳に甚大な負担をかけるから、『ウシャス』の使用条件は厳密にコントロールされている。さきほどのプレゼンテーションは審査の関係でかなり機能を制限されたが、通常は、集中的な学習が必要な時、それこそ本物のプレゼンテーションぐらいしか使わない」
なるほど、謎だったプレゼンテーションの審査基準が、掴めてきた。アレックスが何度も勧めてきた理由も納得できる。
ひみこはクイっと頭を上げ通訳アプリを切った。
「アレックス、私に『ウシャス』を着けてください。そうしないとプレゼンコンテストに参加できません」
少女の細い黒目がいっそう鋭く輝く。
「いい顔だ」
男は彼女の額にキスを贈った。
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