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一章 僕は彼女を忘れない

16 魔法使い養成プロジェクト

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 ふうーと軽く息を吐いて、力を抜く。眉間にしわを寄せるより、瞼を少し開けるぐらいの方がいいようだ。
 雑念をはらい、一つのイメージに集中する――僕は、森の奥で薪をくべた。パチパチと弾け炎が大きくなる。赤い炎が僕の顔を照らす。手足が温まってきた。
 その時。
 ぎこちなく揺らめく炎が現出した。パチパチという音はなかったが。
 大雑把な輪郭で描かれた、赤い曲線の集合だったが。

 頭に思い浮かべたイメージが僕の脳から飛び出して、姿を見せたのだ。
 僕は筆もマウスも使わず念じただけなのに、ディスプレイには炎と呼べなくもない赤い図形が表示された。


「三好君、いーねー。炎の魔法、レベル1ッて感じじゃん?」

 ニコニコしているおばさんは、僕のマンション二階の住民である、葛城奈保子先生だ。

「これ、レベルあるんですか?」

 葛城さんは、ディスプレイの脇にある灰色の大きな筐体を撫でた。

「あんたじゃなくてこの子に経験値を積んでもらって、レベルアップさせないとねー」

 葛城先生は、紫色のラメがまぶしいTシャツを着て笑っている。研究室だと、普通のおばさんでも先生に見えるから不思議だ。
 ユニークな体験をさせてもらえたのはありがたいが、今、大いに不満があった。

「ところで、なぜ僕はこんな恰好なんです?」

 僕はヘッドギアを被っている。それは当然だ。コンピューターが僕の脳波を読み取るために必要だから。
 不満なのは、チープな魔法使い風の紫色のローブを被らされていることだ。高校文化祭の執事カフェ以来のコスプレだ。

「形からっていうじゃん。三好くん魔法使いの衣装似合ってるよ」

「これのどこが、BMIの研究なんです!」

 僕は、ペラペラ光るポリエステルの生地を握りしめ抗議した。

「今、あんたの脳波をデコーディングして、ここに表示してるんだよ。ブレイン・マシン・インタフェースそのものじゃん」

 工業大学工学部情報工学科、葛城奈保子准教授の研究室には、コンピュータにディスプレイ、何十本ものコードを従えたデバイスのほか、魔法使いコスプレセットが転がっていた。


 BMI――ブレイン・マシン・インタフェースは、世界中で研究開発が進められている分野だ。イーロン・マスクやザッカーバーグも力を入れている。
 脳と機械を接続する技術は目覚ましく進歩している。頭に思い浮かべた文字を画面に表示させる、思い浮かべた音楽や画像を当てる……VRMNOの実現は近いかもしれない。

 この大学にBMIに関連した研究室はいくつかあり、葛城研はその一つだ。いずれ訪ねてみたいと思っていた。
 まさか同じマンションの住民とは思っていなかった。

「映像を僕の脳波から読み取って、映像を再現する技術は、すごいと思います……で、魔法使いのコスプレと、どう関係するんです」

 おばさん……失礼、葛城先生は、ニヤニヤして腕を組んだ。

「魔法みたいでしょ? 考えただけで、絵や音、言葉がわかるんだよ。脳波を使ったドローン操作の大会もあるし、脳波で文字のタイピングもできるんだよ」

「そうですね。身体が動かせず意思表示ができない人にとって、必要ですよね」

 先生が大きく頷く。

「あんた、よく勉強しているみたいだねえ。あたしは、いろんな人にこの感覚を体験してほしいんだ。だからさ」

 先生は腕を高く上げ天井を指さしてクルクル円を描いて、僕をビシッと指さした。

「魔法の修業、これからよろしく!」

 思わぬところで、大魔法使いに弟子入りすることになってしまった。


 僕はヘッドギアと魔法使いのコスプレから解放され、准教授室でお茶をいただいた。

「あんたのお母さんから『先生がこの大学にいるから安心ですわ』なんて言われちゃってね~」

 母があのマンションを勧めた理由はわかった。僕の通う大学の先生がいるからだ。

「母が変なこと言ってすみません」

 葛城先生のいる情報工学科は南館エリアにある。僕ら一年が受ける講義は、主に本館エリアで開かれるから会わなかったのだ。学生は一万人、教官は千人いる、それなりの規模の大学だ。
 中学や高校とは規模が違う。当然、すべての先生と顔見知りになれるわけではない。母はなぜそんな基本がわからないのだろう?

 あの人のことはどうでもいい。ユニークな体験ができたからよしとする。僕は手を動かすことなく思い浮かべるだけで炎を出現させたのだ。大魔法使いの指導の下で。

「僕がレベル1の魔法使いだとすると、先生はレベル90のウィザードですね」

「いやははは、三好君、ジョーズだねえ。君は見た感じからしてモテるよね。お母さんが心配するのわかるわ。マンションに女の子連れ込んでないか、気にしてたよ」

「やめてください!」

 思わずパイプ椅子をガチャンと鳴らして立ち上がった。

「先生、すみません……」

「いや~ごめんごめん、あたしが悪い。セクハラだった。心配しなくても、あたしはあんたに干渉する気はないよ。十八歳は立派な成人だしね」

 十八歳は成人と言われてもピンとこない。酒やタバコはニ十歳から……そうだ、篠崎あいらはもう二十歳なんだ。彼女が酒を飲んでタバコを吸う? せっかく先生の研究室で魔法使いを体験したのに、彼女のことを思い出してしまった。


 昼休み、またまた僕は、堀口宗太のおごりでティラミスを口にした。

「マサハルく~ん、線形代数のレポート、助かるわ~」

「ソータ。演習や実験のレポートを貸すのはいいが、講義のテストは手伝えないぞ」

「スマホ使ってなんとかならねーの?」

「そんなことしたら、お前だけじゃなく僕も退学だ」

 スマホを使った不正受験。大学入試でそれをやったバカがいる。不正入試で入学してもその後が辛いのに。ちゃんと試験をパスした人間ですら、大学の勉強に着いていくのは大変だ。目の前の宗太も一般入試を潜り抜けたのに、僕のレポートに甘えている。
 そう簡単に不正受験されてはたまらないが……いや、あの技を使えば、できるかもしれない。

「そのうち、頭で考えたことを直接伝えられるようになるかもね」

「なにそれ、テレパシー? SFじゃん」

「まさにそれだよ」

 僕は、葛城研での体験を宗太に伝えた。

「すげーなー。お前は何でも持ってるねー。魔法も使えるのか」

「誰でも魔法使いになれる技術の開発に、付き合うって話さ」

「そういう先生とコネがあるってのもそうだし、あいらちゃんだってそうだよなあ」

「ソータしつこいぞ。篠崎さんは実験パートナーだ」

 宗太が目を細めてニタニタ笑っている。

「篠崎さんねえ、ま、いいか……と、マサハルは、これから法学だっけ?」

 僕と宗太は多くの演習と講義が被っているが、人文教養科目は分かれている。

「ソータは科学史か。さすがに別の講義のレポートは手伝えないから、がんばれ」

 テーブルを立って僕らは廊下に出た。

 宗太の受ける科学史は人気科目で、受講生は五百人もいる。単位が取りやすいというのもあるが、科学史という内容が工業大学の学生の興味にフィットするのだろう。
 僕は敢えて少し科学から外れた科目を選んだ。どの業界に行くにも法律は重要だ。

「心配すんな、いざとなったら、あいらちゃんに教えてもらうさ」

 え? 何だって? どうしてあいらの名前が出てくる?
 宗太は僕の困惑を置いてきぼりにして、科学史の講義が行われる講堂へ行ってしまった。
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