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二章 僕は彼女を離さない

30 圧迫面接

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 ポーチで鉛直方向に正しい姿勢を取る母。
 僕は、おもちゃの恐竜みたいに口をぱっくり開け、お手本のような発音で「あ」と発声する。
 篠崎あいらが、オレンジ色のワンピースを花のように広げて背を丸めている。
 硬直している場合ではない。僕は彼女に合わせてしゃがみ「ごめん!」と、肩を抱き寄せ耳元で囁く。

「やめなさい! あなたたち、何してるの!」

 母の叫び声が、僕の頭上から落ちてきた。
 何をしているか? 答えられるわけがない。
 僕はハーフパンツ以外何も着けていないし、あいらのワンピースのボタンは、全て外れている。
 答えるまでもなく、母は、僕らが何をしていたか、正確に把握しているはずだ。


 僕ら二人は寝室に戻り着替えた。母はリビングで待機している。

「あいらはすぐ帰るんだ」

 が、彼女は「お母さんに、謝らないと」と言って首を横に振る。その言葉通り、リビングのカーペットに座る母の前に膝を進め、彼女は「ごめんなさい」と頭を下げた。
 床に伏したままのあいらを、僕は無理矢理起こした。

「母さん、もういいだろ?」

「マーちゃん、私はその子とお話がしたいの」

 母の声は先ほどとは違い冷静そのものだ。恐ろしいほどに。

「話すことなんかない。話なら僕がする。あいらは帰るんだ」

 僕は彼女を立たせようと腕を掴む。が、掴んだ柔らかい腕は、僕の手を振り払った。

「わかりました」

 きっぱりとあいらは顔を上げ、母に顔を向けた。母はあいらの視線に答えるかのよう、尋問を始めた。

「あなたのお名前は?」

 僕が一度も聞いたことがない、中年女の声だ。声色は変わらないが、口調が全く違う。

「名前なんか、どーだっていーだろ!」

 が、あいらは僕の前に右腕を伸ばして、静かに首を振った。

「篠崎あいら、です」

「どちらにお住まいかしら?」

「母さん、やめろ!」

 あいらは僕には構わず、母のぶしつけな数々の質問に答えていった。

「お母様のお仕事は?」

「近くのデパートで裏方の仕事をしています」

 ゆっくりと母が首を傾げた。

「あら、裏方といっても色んなお仕事ありますよね。どんなお仕事かしら?」

 あいらの唇がプルプル震えた。

「そんなの関係ないだろ!」

「……デパートの……清掃です」

 え? あいらの母親がデパートで働いていることは知っていたが、清掃とは知らなかった……いや、そんなことはどうでもいい。

「素晴らしいお母様ですね。私にはそんな仕事、とても務まりませんもの」

 僕の全身の血が煮えたぎる。自分の母がこんな恥ずべき言葉を発する人間とは、信じられない。信じたくない。

「こんなのに付き合うことない!」

 捨て猫のように震えるあいらを、強引に立たせた。床に置いたリュックを持たせ、玄関まで小さな体を押しやる。

「マーちゃん、私はまだ篠崎さんとお話し中なのよ」

 母が立ち上がり、近づいてきた。

「三好君! 私、大丈夫よ。お母さん、私、何でも話します」

 僕の腕の中で、あいらが訴えた。

「篠崎さんって素直な方ね。お父様とお母様が羨ましいわ。あと一つだけ教えてくださる?」

 一つの質問で彼女を解放してくれるならと安堵し、僕は腕の力を緩めた。あいらは、母の前に立った。緊張のため、顔が強張っている。

「お父様のお名前は?」

 あいらの唇が、ぶるぶると震えた。

「……ヨシヒコです」

「お父様は、篠崎ヨシヒコさんとおっしゃるのね?」

「あ……え……そ、その……」

 彼女の口は、金魚のようにパクパク開閉を繰り返すだけで、言葉が出ない。なぜあいらが答えに窮するのかわからないが、それより僕の怒りが限界を超えた。

「くそババア黙れ! 出てけ! 二度とこの部屋に来るんじゃねー!」

「マーちゃん、ひどい! なんて汚い言葉!」

「駄目だよ! お母さんにそんなこと言っちゃ……お母さん、本当にごめんなさい!」

 あいらがペコっとお辞儀をして、潰れたスニーカーを突っ掛け出ていった。僕はすぐさま追いかける。

「あいら、ごめん! 今日は本当にごめん!」

 全て僕が悪い。来訪者の正体に気がついていたのに、何も手を打たなかった。結果、最悪の事態を招いてしまった。

「三好君、大丈夫よ。もう、ここにお邪魔しないから」

 顔を真っ赤に染めている。今にも泣きだしそうだ。駆け出す彼女を追いかけ腕を取るが、「本当にいいから」と振り払われた。
 彼女はエレベーターではなく階段を降りていった。そのまま僕も後を着いていく。エントランスで引き留めた。

「バイバイ。今までありがとう」

「親のことは、なんとかするから!」

 篠崎あいらは、小さく首を振り、僕に背を向けた。エントランスの自動ドアがすっと開く。
 彼女は振り返ることなく、僕の視界から消えた。
 追いかけたかったが、思い出してしまった。マンションのカードキーを忘れたことを。カードを持たないでマンションを出ると、戻れなくなることを。

 なぜ、カードキーのことなんか思い出した?
 思い出さなければ、ずっと篠崎あいらを追いかけただろう。いつまでもどこまでも。その結果、マンションに入れず、自分に呆れかえり、道端で笑いこけたまま一晩を過ごすんだ……その前に、帰ってきた葛城先生に「だから実家に帰れっていったじゃん」と叱られるか。それも悪くない。

 僕は、忌々しい女が待っている部屋に戻った。
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