31 / 77
二章 僕は彼女を離さない
30 圧迫面接
しおりを挟む
ポーチで鉛直方向に正しい姿勢を取る母。
僕は、おもちゃの恐竜みたいに口をぱっくり開け、お手本のような発音で「あ」と発声する。
篠崎あいらが、オレンジ色のワンピースを花のように広げて背を丸めている。
硬直している場合ではない。僕は彼女に合わせてしゃがみ「ごめん!」と、肩を抱き寄せ耳元で囁く。
「やめなさい! あなたたち、何してるの!」
母の叫び声が、僕の頭上から落ちてきた。
何をしているか? 答えられるわけがない。
僕はハーフパンツ以外何も着けていないし、あいらのワンピースのボタンは、全て外れている。
答えるまでもなく、母は、僕らが何をしていたか、正確に把握しているはずだ。
僕ら二人は寝室に戻り着替えた。母はリビングで待機している。
「あいらはすぐ帰るんだ」
が、彼女は「お母さんに、謝らないと」と言って首を横に振る。その言葉通り、リビングのカーペットに座る母の前に膝を進め、彼女は「ごめんなさい」と頭を下げた。
床に伏したままのあいらを、僕は無理矢理起こした。
「母さん、もういいだろ?」
「マーちゃん、私はその子とお話がしたいの」
母の声は先ほどとは違い冷静そのものだ。恐ろしいほどに。
「話すことなんかない。話なら僕がする。あいらは帰るんだ」
僕は彼女を立たせようと腕を掴む。が、掴んだ柔らかい腕は、僕の手を振り払った。
「わかりました」
きっぱりとあいらは顔を上げ、母に顔を向けた。母はあいらの視線に答えるかのよう、尋問を始めた。
「あなたのお名前は?」
僕が一度も聞いたことがない、中年女の声だ。声色は変わらないが、口調が全く違う。
「名前なんか、どーだっていーだろ!」
が、あいらは僕の前に右腕を伸ばして、静かに首を振った。
「篠崎あいら、です」
「どちらにお住まいかしら?」
「母さん、やめろ!」
あいらは僕には構わず、母のぶしつけな数々の質問に答えていった。
「お母様のお仕事は?」
「近くのデパートで裏方の仕事をしています」
ゆっくりと母が首を傾げた。
「あら、裏方といっても色んなお仕事ありますよね。どんなお仕事かしら?」
あいらの唇がプルプル震えた。
「そんなの関係ないだろ!」
「……デパートの……清掃です」
え? あいらの母親がデパートで働いていることは知っていたが、清掃とは知らなかった……いや、そんなことはどうでもいい。
「素晴らしいお母様ですね。私にはそんな仕事、とても務まりませんもの」
僕の全身の血が煮えたぎる。自分の母がこんな恥ずべき言葉を発する人間とは、信じられない。信じたくない。
「こんなのに付き合うことない!」
捨て猫のように震えるあいらを、強引に立たせた。床に置いたリュックを持たせ、玄関まで小さな体を押しやる。
「マーちゃん、私はまだ篠崎さんとお話し中なのよ」
母が立ち上がり、近づいてきた。
「三好君! 私、大丈夫よ。お母さん、私、何でも話します」
僕の腕の中で、あいらが訴えた。
「篠崎さんって素直な方ね。お父様とお母様が羨ましいわ。あと一つだけ教えてくださる?」
一つの質問で彼女を解放してくれるならと安堵し、僕は腕の力を緩めた。あいらは、母の前に立った。緊張のため、顔が強張っている。
「お父様のお名前は?」
あいらの唇が、ぶるぶると震えた。
「……ヨシヒコです」
「お父様は、篠崎ヨシヒコさんとおっしゃるのね?」
「あ……え……そ、その……」
彼女の口は、金魚のようにパクパク開閉を繰り返すだけで、言葉が出ない。なぜあいらが答えに窮するのかわからないが、それより僕の怒りが限界を超えた。
「くそババア黙れ! 出てけ! 二度とこの部屋に来るんじゃねー!」
「マーちゃん、ひどい! なんて汚い言葉!」
「駄目だよ! お母さんにそんなこと言っちゃ……お母さん、本当にごめんなさい!」
あいらがペコっとお辞儀をして、潰れたスニーカーを突っ掛け出ていった。僕はすぐさま追いかける。
「あいら、ごめん! 今日は本当にごめん!」
全て僕が悪い。来訪者の正体に気がついていたのに、何も手を打たなかった。結果、最悪の事態を招いてしまった。
「三好君、大丈夫よ。もう、ここにお邪魔しないから」
顔を真っ赤に染めている。今にも泣きだしそうだ。駆け出す彼女を追いかけ腕を取るが、「本当にいいから」と振り払われた。
彼女はエレベーターではなく階段を降りていった。そのまま僕も後を着いていく。エントランスで引き留めた。
「バイバイ。今までありがとう」
「親のことは、なんとかするから!」
篠崎あいらは、小さく首を振り、僕に背を向けた。エントランスの自動ドアがすっと開く。
彼女は振り返ることなく、僕の視界から消えた。
追いかけたかったが、思い出してしまった。マンションのカードキーを忘れたことを。カードを持たないでマンションを出ると、戻れなくなることを。
なぜ、カードキーのことなんか思い出した?
思い出さなければ、ずっと篠崎あいらを追いかけただろう。いつまでもどこまでも。その結果、マンションに入れず、自分に呆れかえり、道端で笑いこけたまま一晩を過ごすんだ……その前に、帰ってきた葛城先生に「だから実家に帰れっていったじゃん」と叱られるか。それも悪くない。
僕は、忌々しい女が待っている部屋に戻った。
僕は、おもちゃの恐竜みたいに口をぱっくり開け、お手本のような発音で「あ」と発声する。
篠崎あいらが、オレンジ色のワンピースを花のように広げて背を丸めている。
硬直している場合ではない。僕は彼女に合わせてしゃがみ「ごめん!」と、肩を抱き寄せ耳元で囁く。
「やめなさい! あなたたち、何してるの!」
母の叫び声が、僕の頭上から落ちてきた。
何をしているか? 答えられるわけがない。
僕はハーフパンツ以外何も着けていないし、あいらのワンピースのボタンは、全て外れている。
答えるまでもなく、母は、僕らが何をしていたか、正確に把握しているはずだ。
僕ら二人は寝室に戻り着替えた。母はリビングで待機している。
「あいらはすぐ帰るんだ」
が、彼女は「お母さんに、謝らないと」と言って首を横に振る。その言葉通り、リビングのカーペットに座る母の前に膝を進め、彼女は「ごめんなさい」と頭を下げた。
床に伏したままのあいらを、僕は無理矢理起こした。
「母さん、もういいだろ?」
「マーちゃん、私はその子とお話がしたいの」
母の声は先ほどとは違い冷静そのものだ。恐ろしいほどに。
「話すことなんかない。話なら僕がする。あいらは帰るんだ」
僕は彼女を立たせようと腕を掴む。が、掴んだ柔らかい腕は、僕の手を振り払った。
「わかりました」
きっぱりとあいらは顔を上げ、母に顔を向けた。母はあいらの視線に答えるかのよう、尋問を始めた。
「あなたのお名前は?」
僕が一度も聞いたことがない、中年女の声だ。声色は変わらないが、口調が全く違う。
「名前なんか、どーだっていーだろ!」
が、あいらは僕の前に右腕を伸ばして、静かに首を振った。
「篠崎あいら、です」
「どちらにお住まいかしら?」
「母さん、やめろ!」
あいらは僕には構わず、母のぶしつけな数々の質問に答えていった。
「お母様のお仕事は?」
「近くのデパートで裏方の仕事をしています」
ゆっくりと母が首を傾げた。
「あら、裏方といっても色んなお仕事ありますよね。どんなお仕事かしら?」
あいらの唇がプルプル震えた。
「そんなの関係ないだろ!」
「……デパートの……清掃です」
え? あいらの母親がデパートで働いていることは知っていたが、清掃とは知らなかった……いや、そんなことはどうでもいい。
「素晴らしいお母様ですね。私にはそんな仕事、とても務まりませんもの」
僕の全身の血が煮えたぎる。自分の母がこんな恥ずべき言葉を発する人間とは、信じられない。信じたくない。
「こんなのに付き合うことない!」
捨て猫のように震えるあいらを、強引に立たせた。床に置いたリュックを持たせ、玄関まで小さな体を押しやる。
「マーちゃん、私はまだ篠崎さんとお話し中なのよ」
母が立ち上がり、近づいてきた。
「三好君! 私、大丈夫よ。お母さん、私、何でも話します」
僕の腕の中で、あいらが訴えた。
「篠崎さんって素直な方ね。お父様とお母様が羨ましいわ。あと一つだけ教えてくださる?」
一つの質問で彼女を解放してくれるならと安堵し、僕は腕の力を緩めた。あいらは、母の前に立った。緊張のため、顔が強張っている。
「お父様のお名前は?」
あいらの唇が、ぶるぶると震えた。
「……ヨシヒコです」
「お父様は、篠崎ヨシヒコさんとおっしゃるのね?」
「あ……え……そ、その……」
彼女の口は、金魚のようにパクパク開閉を繰り返すだけで、言葉が出ない。なぜあいらが答えに窮するのかわからないが、それより僕の怒りが限界を超えた。
「くそババア黙れ! 出てけ! 二度とこの部屋に来るんじゃねー!」
「マーちゃん、ひどい! なんて汚い言葉!」
「駄目だよ! お母さんにそんなこと言っちゃ……お母さん、本当にごめんなさい!」
あいらがペコっとお辞儀をして、潰れたスニーカーを突っ掛け出ていった。僕はすぐさま追いかける。
「あいら、ごめん! 今日は本当にごめん!」
全て僕が悪い。来訪者の正体に気がついていたのに、何も手を打たなかった。結果、最悪の事態を招いてしまった。
「三好君、大丈夫よ。もう、ここにお邪魔しないから」
顔を真っ赤に染めている。今にも泣きだしそうだ。駆け出す彼女を追いかけ腕を取るが、「本当にいいから」と振り払われた。
彼女はエレベーターではなく階段を降りていった。そのまま僕も後を着いていく。エントランスで引き留めた。
「バイバイ。今までありがとう」
「親のことは、なんとかするから!」
篠崎あいらは、小さく首を振り、僕に背を向けた。エントランスの自動ドアがすっと開く。
彼女は振り返ることなく、僕の視界から消えた。
追いかけたかったが、思い出してしまった。マンションのカードキーを忘れたことを。カードを持たないでマンションを出ると、戻れなくなることを。
なぜ、カードキーのことなんか思い出した?
思い出さなければ、ずっと篠崎あいらを追いかけただろう。いつまでもどこまでも。その結果、マンションに入れず、自分に呆れかえり、道端で笑いこけたまま一晩を過ごすんだ……その前に、帰ってきた葛城先生に「だから実家に帰れっていったじゃん」と叱られるか。それも悪くない。
僕は、忌々しい女が待っている部屋に戻った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
16
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる