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Book 10

「わたしを狙わないで」③

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 ケヤキ並木の青山通りを一人で歩きながら、ここ最近の「暮らしぶり」を思い返す。

 愛想のよい王子さまスマイルで、シンちゃんは今やご近所のオバサマたちの「アイドル」となっていた。
 山田のおばちゃんなんか、大好きな大衆演劇を観るために浅草へ出る回数が減ったとまで言っているくらいだ。『シンちゃんを見てるだけで目の保養だわよぅ』ということらしい。
 おかげさまで、シンちゃんを「伴侶」としてゲットしたわたしまで『よくやった!』とやんやの喝采だ。

 しかし——

『……このまま、あの人たちにウソをついてることが心苦しいな』
 とうとう、シンちゃんが沈痛な顔でそう言うようになった。

『……そうですよね。だったら、そろそろ……』
 わたしが申し訳なさと居たたまれなさから「終わりにしましょう」と言いかけたら、シンちゃんは、わたしの言葉をさくっと遮って、きっぱりと言い切った。

『だから、もっと「本物の夫婦」に見えるように、僕も櫻子も努力しないとね』

『……はい?』

 そして、唖然とする顔のわたしをきゅっ、と抱きしめたのだ。明らかに、この前された「ふんわり」した「ハグ」よりも、バージョンアップされていた。


 それ以降、わたしはシンちゃんから、朝起きたとき、出勤するとき、帰ってきたとき、夕飯前、夕飯後、お風呂上がり、就寝前、と頻繁に抱きしめられるようになった。

 しかも、「初めて」のときには「ふんわり」だった「ハグ」が、明らかに日を追うごとに……
 きゅっ→ぎゅっ→きゅーっ→ぎゅーっ、というふうに、わたしを抱きしめる「強度」が増していってるような……?

 真生ちゃんにはこっ恥ずかしくて、口が裂けても言えなかったけれども、『新婚さん感』を出すための『おいおい慣れていかなければならない』ことを、シンちゃんは着々と実践していた。

 ——そして、その最たるものが……


『……はい、櫻子、「行ってらっしゃい」のチュウは?』
 ハグが「定番化」された翌朝、玄関先で革靴を履き終えたシンちゃんが、いきなり言った。

『ちゅ……チュウぅっ!?』
 わたしは生まれて三十二年間発したことのない、怪鳥のような周波数の声で叫んでいた。

『「行ってらっしゃいのチュウ」は新婚家庭の必須アイテムじゃないか』
 シンちゃんがさも当然のように言う。

『でっ…でもっ!「行ってらっしゃい」は言えませんっ!だって、わたしも「行ってきます」ですもんっ!!』
 これから、わたしだって出勤するのだ。
 だから、二人とも「行ってきます」だ。

 すると、シンちゃんはくくっ、と笑って、
『じゃあ、櫻子が先に「行ってらっしゃい」って、ちゅっ、ってしてくれたら、今度は僕がきみに「行ってらっしゃいのチュウ」をしてあげるよ』
 さもおかしそうな調子で言う。

 ——いやいやいや……それこそ、おかしいから。そんなの、ホンモノの新婚さんじゃないと、頭沸いてるから。

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