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とてつもなく嫌な予感しかしません
しおりを挟む香月は、目の前に並ぶ五つの同じ顔を見比べて、どうするか思案していた。
蝋梅殿で夏淑妃に依頼されたのは、この五つ子の支度だった。五人全員が宮女として宮入りし、揃って蝋梅殿に勤めることになったと言う。
聞くと楽の名手の一家らしく、五人もそれぞれに楽器を演奏するらしい。
夏淑妃曰く、
「折角天長節もあるんだし、この子たちが太耀殿下に見初められる絶好の機会ですの。だから、存分に可愛くしてあげて欲しいの」
との事だ。確かに十五歳と、太耀と年齢も近いため狙いに行くのもわかる。
だが、香月はどうしたもんかと思い悩んでいた。
何故なら……
「化粧師さん、私を一番に可愛くしてくださらない?」
「ちょっと一花、抜け駆けはだめよぅ」
「四萌ったら、そんな胸元はだけちゃってわかりやすいんだから」
「五織に言われたくないわ!」
「みんなガツガツしてて恥ずかしくないのかしら?」
五人五色、しかし全員が野心に溢れていて、我一番と主張してくる系の五つ子だったからである。
衣装は天長節用のものらしく、蝋梅のような柔らかい黄色の襦裙は五人お揃いのものである。
「みなさんは、天長節で演奏されるんですよね?」
「ええ、五人でお披露目させていただくわ。だから化粧師さん、わたくしを一番に…ね?」
「ちょっと一花!」
なるほど、小競り合いをしている五人を置いておいて、どうしたもんかと香月は思案する。
恐らくお揃いの衣装を見る限り、夏淑妃は今まで、この五人の『五つ子であること』を強みとして押し出して来たのだろう。
確かに五つ子は大変珍しいため、五人ひとまとめに押し出す方が目立つ。ただ、果たして五つ子が皇太子に見初められたからといって、五人全てが寵姫になるかというと…。
香月は太燿の顔を脳裏に浮かべて、首をゆっくり横に振った。太燿が五人まとめて侍らせている姿は想像出来ない。
継承権云々を置いておいても良いのであれば、第一皇太子という選択肢もあるが、ほとんど表舞台に現れないらしいことを考えると現実的ではない。
――そういえば。
香月はふと、第一皇太子・昊天(こうてん)について何も知らないことに気付いた。後宮で働いていても、その存在について話を聞くことはほとんど無いのである。
派閥争いに多少なりとも関わってしまっている訳なので、きちんと知識を得ておく必要はあるだろうから、あとで水晶や俊熙に訊ねてみよう。
香月はそう決めると、未だ小競り合いを続けている五つ子に声をかける。
「みなさん、太燿さまにお会いしたことはございますか?」
五つ子は一瞬きょとんとして、
「あるわけないでしょぉ?」
「だから貴方に支度をお願いしたんですの」
「初めてお目にかかる天長節で、わたくしが一番に輝けるように!」
香月の問いを、口々に否定した。
同じ宮女(一応香月は女官であるが)で、しかも香月の方が圧倒的に歳上であるにも関わらず、どこか高飛車で上に立つ者然とした応対なのは、良家の出であるからだろうか。
香月は苦笑しながら言葉を返す。
「かしこまりました。では……」
先程思いついた案を提案すると、五つ子の顔が驚きに変わって、そして、嬉しそうな笑みになった。
香月が行ったのは、今までの『五つ子であること』をウリにしない支度だった。
まずお針子を五人呼んでもらい、長女からひとりずつ話を聞きながら支度の方向性を決め、大胆にも衣装を大きく縫い直したのである。
「四萌さんは身体の線がよく映える衣装が良いですね」
四女の襦裙は腰を太めの帯で締め、前の合わせを肩まで広げて固定した。鎖骨と胸元が綺麗に見える着方である。
「二菜さんは脚の形が綺麗なので、見せるようにしましょう」
次女の長い襦裙は裾に長く切り込みを入れ、動く度に脚が美しく見えるように縫い直した。
「三葉さんは腕が綺麗なので、半袖にして手首に装飾と、いくつか花の紋様を描きましょう」
三女の腕には黄色と橙で蝋梅を模した紋様を筆で描き、袖は短く切り落とした。
こんな感じで、五種五様に装飾や衣装をがらりと変えてしまったのである。
袖や裾に鋏を入れる度にお針子たちはハラハラした様子だったが、五つ子は初めての『お揃いではない支度』に、大いに喜び、期待しているようであった。
化粧もそれぞれに似合うものを施した。
先程までは流行りの眉の長さ、流行りの頬紅の色と五人が統一されたものだったが、香月はそれを全て落とし、零からそれぞれのための化粧をした。
支度が終わった頃には、五つ子はお互い顔を見合わせながら、紅の色が似合うだの眉の長さが違うだのと盛り上がっていたのである。
支度が終わり夏淑妃のもとへ五つ子と共に向かうと、夏淑妃はかなり驚いた様子で香月を見遣った。
「香月さん、これは…どういうつもりかしら」
お揃いの蝋梅色の襦裙は、この殿の、ひいては『淑妃の』売り込み作戦であったのだろうが、それを香月は見事に崩してしまったのである。こう聞いてしまうのも仕方がない。
「恐れ入りますが夏淑妃さま、それぞれに『似合った』支度をさせていただいた次第でございます」
香月が堂々とそう返すと、夏淑妃はもう一度五つ子を見比べて黙り込む。
「五人それぞれに、なりたい姿がありました。ただ、『五人でいること』が当たり前過ぎて、それに気づいていませんでした。だから…私が、その可能性を少しだけ、紐解いてみたのです」
五つ子は生まれた時から『五つ子』として見られていたらしい。貴族に生まれ社交が増えると、いかに目立つかが重要になってくる中で、五つ子という武器は大層強かった。
けれど、五つ子はこれから先、それぞれがそれぞれ一人の人生を歩むのである。
「恐れながら、太燿さまは『五つ子だから』といって囲われるような、浅慮な方とは思えません。ならば…それぞれの良さで、勝負するのが筋かと」
香月が五つ子を見ると、それを受けて五人が夏淑妃に言葉を投げる。
「嶺依さま!わたくし達、とっても嬉しいんです!」
「今までこんなに『私らしく』居られたことがありませんでした」
「同じ服を着ているからこそ、どこかで私の方が良い、私の方が悪い…なんて考えがあったような気がしますわ」
「でも今はそんなことちっとも思いませんわぁ!だって、私たち全員、違う人間ですものぉ」
「それに…見てください嶺依さま、私たち…髪の結い方はおんなじなんです!」
最後に五女の五織が、後頭部を見せながらそう言うと、残りの姉も同じ体勢をとった。
そう、香月はそれぞれの個性を出しながらも、『五つ子であることもまた個性』として、髪型を全く同じにしたのである。
「私たち頭蓋骨の形が全くおんなじらしくって、ほら、後ろから見ると瓜二つ…いえ、瓜五つでしょう?」
四萌がそう言うと、少し間が空いて、夏淑妃がたまらず声をあげて笑った。
「ふふふ、確かにそうね、そっくりだわ」
その笑顔を見て、香月はようやくホッと一息吐いた。ここまで緊張していたが、どうやら五つ子のおかげで乗り越えられたようである。
「後ろから見ると五つ子、でも前から見ると…五人の素敵な淑女なんですよ、夏淑妃さま」
にこりと笑ってそう締めると、夏淑妃は吹っ切れたような満足げな表情で香月を見た。
「素晴らしい支度だったわ、香月さん。今度の天長節では、この支度で挑みましょう」
数刻後、陽も暮れなずみ後宮が茜色に染まるころ、香月は充実感の中で蝋梅殿を後にしていた。
無事に夏淑妃からの信頼を得ることが出来た。夏家は第一皇太子派だと聞いていたが、夏淑妃の言動や五つ子の話からも、第一皇太子の昊天についての何かしらの思惑は読み取ることが出来なかった。むしろ第二皇太子である太燿にどう見初められるかに夢中だったことを踏まえると、おそらく娘の夏嶺依にはその家の思想は受け継がれなかったのだろう。
ここまで俊熙の言う通りに、後宮内で権力のある二妃の信頼を得ることが出来た訳だが、大目的はあの宮女を探すことである。
一応今回も周りを伺いながら蝋梅殿を歩いてはいたが、それらしい宮女はいなかった。
やはり後宮にはいないのだろうか。
香月はほーっと長めのため息をつく。
蝋梅殿から桔梗殿へ向かって長い中庭を進んでいると、目の端で遠くの植え込みの辺りに人影が見えた気がして思わず立ち止まる。
今はどこも夕餉の時間だろうに、なぜ中庭に人がいるのだろう。
少し怪訝に思い目を凝らすと、中庭の四半里(百メートル)先に、人目を忍んで進む背中が見えた。
あれは――宮女だ。
揃いの宮服を着ていて、それぞれの殿にちなんだ色でもないことから、恐らく宮入りしたての宮女と思われた。
新入りとすれば、尚更この時間にこんな中庭に居るのは不審である。
香月は迷うことなく、そっと後を尾けることにした。
はじめは桔梗殿に向かうのかと思ったが、次第に廊下から逸れて、宮の出入口に向かっているようだった。
「もしかして脱走…?」
年に何度かはある宮女の脱走だが、その理由のほとんどは駆け落ちである。許可なく宮の外へ出ることは禁じられているため、見つかってしまったが最後なのだが、如何せん脱走した宮女のその後を知らされることはほぼ無いというのが怖いところだ。
危険しかない行動だが、それでも駆け落ちを選ぶ宮女は居なくならないというのも後宮の闇だろうか。
香月が何となくそんなことを考えながら新入り宮女を追いかけていると、その背中は後宮の門まで辿り着いてしまった。
もしかしてここで駆け落ち相手が現れてしまう…!?
香月が脱走を止めるべきか逡巡していると、しかしその宮女は誰かを待つ素振りもなく門へ近づいていく。
あれ?
そう思った時には宮女は門番に何かを告げて、開門させてしまっていた。
「許可ありの外出だったのかしら」
それにしても不審ではあったのだが、門番が通したということは許可証があったという事だろう。遠い位置なので手元までは見えなかったが。
何だか無駄な時間を使ってしまったな――と、香月が踵を返そうとした時、
「……っ!!」
香月は息を飲んだ。
門を潜り、その宮女が何気なく振り返ったのだ。閉まり行く門の隙間から見えたその顔は――あの、毒入り水差しを持ってきた宮女だった。
「っま、待って!」
思わず香月が叫んだが、一瞬遅く門は閉まってしまった。
化粧道具をガタガタ言わせながら香月は門番の元へ駆け寄る。
「ま、待ってください、!」
門を施錠した門番は、駆けてくる香月に気づいて驚く。それはそうだ、大荷物で必死の形相のまま駆け寄ってくるのだから。
「ど、どうした?」
「あのっ、今の宮女…!」
門に辿り着くと、香月は門番に問う。
「今の宮女、外出許可証持ってましたか!?」
「あ、ああ……だから通したんだ」
「どこの印でしたか!?」
許可証には、仕える殿の印を捺す制度になっているはずだ。それがどこか分かれば、手がかりが掴めるかもしれない。
「え、ああ……桔梗殿だったよ」
「……え……?」
しかし思わぬ答えに、香月は耳を疑った。
「え…桔梗殿、ですか…?」
「ああ、桔梗の紋様だった」
桔梗殿。
つまり、香月の仕える、張梦揺の住まう殿である。
これまで桂花殿、蝋梅殿と調査のために赴いて根回しをしていたが…
「こんな近くに…?」
背筋に悪寒が走り抜けた。
香月に、いや、太燿に毒を盛ろうとした手がかりは、桔梗殿にいた?
「……ありがとうございます、……ご苦労さまです」
何とかそう告げて踵を返し、桔梗殿へと向かうが、脳の中は謎が渦巻いていてうまく纏まらない。
なぜ桔梗殿にいたのか。
――これから、何が起こるのか。
「やばい……とてつもなく嫌な予感しかしないんですけど」
そろそろ護身術とか学んだ方がいいかもしれないと、香月は頭の端でそんな呑気なことを考えた。
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