後宮化粧師は引く手あまた

七森陽

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もう二度と会いたくないと思った人

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 何度も頼んでみたが、郎官は一向に香月の申し出を受け入れてくれなかった。
「お願いします、緊急事態なんです!劉俊熙さまにお目通りをお許しください…!」
「だから、許可の無い者を東宮に通す訳にはいかないと言っている!」
「その官服、桔梗殿だな?張修媛殿はご存知なのか?」
 その郎官の言葉で、いよいよ難しいかと香月は一旦引くことにする。何も知らされていない梦瑶に迷惑をかけるわけにはいかない。
「…無理を申してすみませんでした、後日改めます」
 ぺこりと一礼し、香月は踵を返した。が、諦めた訳では無い。一目散に目指したのは、数日前に色々な召し物を隠していた空き部屋だ。
 毒を盛られてから七日、ようやく件の宮女を見つけたのである。どうにかして俊熙にこれを伝えなくてはならない。
「雲嵐さまがいらっしゃれば一番早いんだけど」
 いつも何処かに潜んでいる影の者であればコソッと接触を計ることも出来そうではあるが、ここは如何せん後宮である。いくら天井裏という移動手段があろうとも流石に許可はされていないようだ。
 となると、一度単身で東宮に入ることが叶った『あれ』しかない。
 香月は目当ての空き部屋に到着すると、周りをサッと見渡し誰もいないことを確認してから入り込む。雑多な机にある蝋燭に火をつけると、急いで先程まで抱えていた化粧箱を広げた。
「えっと、確か『紫丁香』は…」
 鏡を覗き込みながら急いで自身に化粧を施していく。下地と粉底でささっと基礎を整え、紫を基調とした眼影で目元に陰影をつける。
 たれ目を隠すように眼弦笔を長めにひき、眉をいつもより太めにすると大枠は完成だ。
 あとは部屋の奥に隠していた『紫丁香』の衣装を身につけ、ひっつめた髪を解き前髪をわざとざっくり後ろに流した。まるで「急いで呼ばれた」かのように見せるため、髪は結わないのだ。
 薄紫の羽織を肩にかけ用意していた栞を腰紐に忍ばせると、周りを窺いながらそっと部屋を滑り出し背筋をピンと伸ばして歩き出した。
 再び東宮の正門に辿り着くと、郎官の片方は交代したのか先程とは別人だった。
「こんばんわ」
 七日前と同じように、優雅にそう声を掛ける。
 目の前に現れた思わぬ予定外の人物に、郎官は目を見開いた。
「紫丁香と申します。あの、急ぎ今夜のお相手をということで殿下に呼ばれたのですが…通していただけますか?」
 急で少し困っている風を装い、小首を傾げてそう言うと、当然何も聞かされていない二人の郎官は対応に困り出した。
「えっと…いや、我々はそんな話は…」
「確認してみないと…」
「本当にたったさっきなのです。私も大急ぎで参りましたから、ほら、髪も結えていなくって……みっともないでしょう?」
 未だかつてこんな話し方なんぞした事がないが、とにかく香月は必死に『紫丁香』を演じていた。
 この場をなぁなぁにしてとにかく東宮に入れさえすれば、最悪雲嵐には会えるだろうと踏んでの行動である。
「…いや、みっともなくは…」
 紫丁香の色気にあてられているのかどうなのかはわからないが、郎官の様子が絆される方に傾いているのがわかる。
 よし、あとひと押し。
「まぁでも……どうせ髪なんて、ほら、滅茶苦茶になっちゃいますもんね……?」
 精一杯の上目遣いと吐息感で畳み掛けると、郎官たちは「あ、ああ……」と上擦った声をあげた。よし、今だろう。
「ねぇ、殿下をお待たせしているから、早く開けてくださいません…?」
「そ、そうだな、承知した」
 空気に呑まれたのか、郎官は頷くと素直に門を開けてくれる。
 ほっと安堵しつつも、こんなので簡単に突破出来てしまって大丈夫なのかという不安も産まれる。まぁ一度正式に派遣された身ではあるから良いのだろうととりあえず納得はするが。
 しばらくしゃなりしゃなりと歩いて門から遠ざかると、ふぅとひと息ついて辺りを見回す。
 日が長くなってきたとはいえ、もう辺りはすっかり暗い。おそらく女官たちも宿舎に戻り、官吏もそれぞれ家路に着く頃だろうか。
 せめて雲嵐に会えればと思うが、そう言えば今まで俊熙側から接触されて成り立っていた関係のため、こちらから接触する手段を持たないことに今更ながら気づく。
 えっどうしよう。
 東宮の内観をひとつも知らない為、例えばどこに執務室があるのかはもちろん、七日前に訪れたあの閨のある寝室さえもどう行けば良いかわからない。
 誰もいない、やけに広くてがらんどうな邸。
 夏の虫の声が何処からか聞こえて、そんなはずはないのに何故だか肌寒さを感じる。
 とにかく誰か人に会わないことには始まらない。
 関係ない人に出会ったら『紫丁香』で押し通そう、後からどうせうまく俊熙たちが誤魔化してくれるだろうし。
 そんな楽観的観測で、香月は再び歩き出した。
 ぼんやりと夜空に灯りが反射している方へ行けばきっと人は居る。
 妙な肌寒さに羽織の前をぎゅっと握り込む。
 ふと、視線を感じた気がして振り返ったが誰もいない。ただ薄ぼんやりとした闇が漂っているだけである。目を凝らしてみるが、ただの何の変哲もない廊下と壁だ。
 ふぅ、ひと息ついてまた前に向き直ると―――
「っ!!」
すぐ目の前に、真っ黒い高い壁があった。
 ――いや、壁ではない。大きな、人だ。
「……っ」
 驚きで息を飲んだ瞬間、口元に布を当てられる。
 やばい、これはよくわからないけどめっちゃやばいやつ!
「――んーっ!」
 出来る限りの抵抗をしてみるが、目の前の人影か別の人物かわからないが上腕を抑え込まれ、身動きが取れない。
 そうこうしているうちに、布から漂うツンと刺す臭いのせいで意識が朦朧としてくる。
 意識が無くなる前にと、香月はそっと指先で隠していた栞を探ると、足元から壁に向かってするりと滑り落とした。
 誰か、見つけて…!
 こうなるとわかっていた訳では無いが、ここ数年嫌な予感はばっちり当たるのだ。念の為を準備しておいて良かった。
 あとはあの栞がこの人物に見つからないよう祈るしかない。
 消えてゆく意識の中でふと思い浮かんだのは、最近心を乱して仕方ない、あの無愛想な顔だった。



「まだ姜さん来ないのか?」
「いや、早馬は出してるんすけど…」
「早くしないと目覚ましちまうぞ」
 くぐもった男の声で、香月は意識を取り戻した。薄く瞼を開けると、月の明るい夜空が目に飛び込んでくる。ぼんやりと霞んだ頭で、窓から見える満月が綺麗だなぁ、すっかり夜だなぁ、と考えて――
「……っ!?」
自分の身に何が起こったのかをようやく思い出した。
 身体を動かさず、視線だけで辺りを確認する。
 特に高級感のある造りではない部屋。窓枠の木が少し朽ちているところから、築年数の経った場所だとわかる。
 身体を横たえているのは寝台という訳ではなく、ただ長椅子に布を敷いただけの硬い感触だ。
 丁寧な扱いはしてくれなさそうだということが分かった。
「やばいな、そろそろマジで目覚ますかも」
「もっかい薬嗅がしときます?」
 扉の向こうからか、男のくぐもった声が聞こえる。そうか、この声で目を覚ましたのかと理解する。
 ギィ――
 扉の軋む音がして香月は咄嗟に目を瞑った。たぶん目を覚まして居ないふりをした方が良い。
「どうだ……?」
「いや、多分まだ大丈夫だな」
 先程目を覚ました時、身体を起こしたり身動ぎしていなくて良かったと安堵する。身体を動かしていれば、先程と羽織の皺など変化していて、目敏い人ならば気づかれていたかもしれない。
「一応吸わせとくか」
 ゴソゴソと衣擦れの音がして、何かが顔に近づいてきているのがわかった。話からするに、東宮で嗅がされたのと同じ薬品の染みた布か。
 案の定口と鼻を布で覆われ、香月は咄嗟に息を止めた。ただ、このまま肺が膨らんでいないと怪しまれるだろうと、息を吸わずにお腹の辺りを膨らませてみる。
「…お、吸ったな」
「いや、もう少し当てておけ」
 布を押し付けている男ではない方がよほど慎重らしく、一度吸い込んだフリをしたくらいでは安心しなかったようで、香月は内心焦る。
 このままだと息が続かず本当に吸い込んでしまう。
 どうしよう、とりあえずもう一度お腹を………と思った時、ガヤガヤと遠くでざわめきが聞こえてきた。
「ん…なんだ?」
 気を取られたのか、口元と布の間に隙間が空く。その隙を狙って香月は細く息を吸った。
「…ようやく姜さんのお出ましかな」
 慎重派の男がそう言う。
 姜さん。
 香月はその名前を聞いて、とてつもない悪寒が背中に走るのを感じた。
 刹那、
――バターーン!!
少し遠くで、扉が突き破られたのかと思うほどの轟音がした。
「チッ」
 近くにいたどちらかの舌打ちと、駆け出す足音がする。薄目を開けるとそれは慎重派の方だとわかった。
 香月に布を当てがっていた男は、すっかり立ち上がって扉の向こうを窺っている。
「っオイ姜さん、乱暴にすんなって言ってんだろ!」
 諌めている声は慎重派の男か。
 香月はどんどん近づいてきている豪傑のような足音に、鼓動と息が荒くなっていくのを感じる。
 姜さん。
 もしや。
「うっせーなァ、壊れてねンだからいいだろ」
「!」
 聞こえた声に、香月は息を止めた。
 間違いない、この声は。
「ここか?例の女は」
 もうすぐそこに聞こえる声に、その主が今まさに目の前に現れようとしているのだと察する。
 もはや眠ったフリは出来なかった。
 目を見開き、扉の方を凝視する。
――ギィ――
 その扉が開き、逆光で真っ黒の大きな体躯が部屋へ押し入ってきた。
「…………」
「…………」
 その黒い影と、目が合った。
 途端、ニヤリとその口が歪んだのがわかった。
「なんだよ、使えそうな女ってコイツかよ」
「……っ」
 姜さんと呼ばれた男。
 香月はそのギラついた目から視線を逸らせない。
「久しぶりだなァ香月。お前そんな色気あったっけかァ?」
 そこに居たのは、香月がもう二度と会いたくないと思っていた男、姜子豪(きょうしごう)だった。



 
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