光のもとで1

葉野りるは

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第九章 化学反応

35話

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 頭の中に散らばるクエスチョンマークを放置して、座ったまま手早く着替えて車椅子に乗った。でも、身体を起こすのはまだ早かったみたい。
 車椅子に乗るなり前かがみになり、
「藤原さん、横になりたい……」
「じゃ、病室へ戻りましょう」
 私たちはドライヤーを持って病室へ戻った。
 身体を起こしていると血の気が下がる、というのは典型的な起立性低血圧の症状。ショック症状ではないので、治療はない。ただ、横になって数値が安定するのを待つだけ。
 転がりこむようにベッドへ横になると、藤原さんは点滴を再開すべく作業に移る。私は点滴のルートが接続されるのをぼーっと見ていた。
「横になったまま髪の毛を乾かしましょう」
「お願いします」
 ドライヤーの温風は、熱いというよりも首をあたためられている感じがして心地いい。私は目を瞑りながら、雑音のようにも聞こえるドライヤーの音を聴いていた。
 髪の毛を乾かし終わっても、まだ身体を起こせる状態にはなく、ご飯を食べるのは無理そうだった。そんな折、
「さて、御園生さんの疑問に答えましょうか?」
 藤原さんに微笑まれて、再確認する。
 きれいな人だとは思っていたけれど、本当に隙のない美人さんだった。
「何が知りたい?」
「えぇと……」
 今まで、誰に言われたわけでもないのに、思い込んでいたことがある。
 私は藤原さんが藤宮の人だと思い込んでいた。けれども、宮川さんが甥ということは、私の認識が間違っているのか、宮川さんも藤宮の人ということになるのか――
「……藤原さんは藤宮の人ですか?」
「半分正解で半分不正解」
 半分正解で半分不正解……? 藤宮の人であって、藤宮の人ではないということ?
「藤原は藤宮の分家よ。でも、私には藤宮の血も分家の血も流れてはいない」
 ……それはどういうことだろう。 結婚して藤原姓になったということ……?
 考えて首を捻る。
 どうしてか、「結婚」という言葉が藤原さんにしっくりとこないのだ。
 病院に寝泊りをしていると聞いたときから、藤原さんは独身だと思っていた。でも、結婚以外に苗字が変わる出来事なんてないだろうし……。
「……結婚して藤原さんになったんですか?」
「あら、私が結婚しているように見える? 自慢じゃないけど、家庭がある人間に見られたことは一度もないの」
 にこりと微笑まれ、たじろいでしまう。
 結婚じゃないのなら何……? それに、何をどうしたら宮川さんが半分甥になるのか……。
「私、苗字が二回変わっているの。最初が関水、次が桜森、今が藤原」
 藤原さん自身が結婚していないのなら、考えられるのはご両親の離婚と再婚……?
「両親に育児放棄されて、父と父の前妻との間に生まれた異母姉に引き取られて桜森になったの。そののち、紆余曲折あって藤宮の分家に養子入りしたのよ。蓮は異母姉の息子なの。だから、半分甥」
 とても明快な説明だったため、苗字が二回変わったいきさつは理解できた。けれども、「育児放棄」という言葉があまりにも強烈で、どう会話を続けたらいいのかがわからなくなる。
 そこへ、
「何がどうして身の上話になってんですか?」
 頭を掻きながら病室へ入ってきたのは昇さんだった。
「あら、寝なかったの?」
「一時間くらいは寝ましたよ」
 昇さんは、「ありがとうございます」と腰を折る。
「翠葉ちゃん、この人おっかねーんだぜ? 養子とはいえ、年配の医師陣も一目置いているくらいだ」
「……でも、藤原さんは病院に籍はあるけど普段は違う仕事をしてるって……」
 昇さんなら教えてくれるかな、と思った。けれども、昇さんが口を滑らせることはなく、
「ってことは、翠葉ちゃんはまだ聞いてないんだな?」
「……はい。どなたかの専属医師であることしか聞いていません」
「じゃ、それは俺から言うべきことじゃない」
 昇さんはごまかすように笑ってから、「飯食ってくるー」と病室を出ていってしまった。
「私が誰の専属なのか、そんなに気になる?」
「……気になります。だって、藤原さんが私についてくれているのはその方のお口添えがあってのことなのでしょう? それなら、お礼が言いたいです……」
「きっといつか会えるわ」
 私はそれを待っていればいいのかな……。
 思いながら、少し前の話題に意識を戻す。
「苗字のお話、立ち入ったことを訊いてしまってごめんなさい……」
「おかしな子ね? 最初に蓮が半分甥って言ったのは私よ」
「でも……」
「ま、少し驚きはしたけれど……。蓮が甥であることよりも、私が藤宮の人間であるのかを先に訊いてくるあたり、御園生さんのセンサーって侮れないわね」
「……すみません」
「そんなに気にする必要はないわ。私、自分が不幸な生い立ちだとは思っていないの。むしろ、あのまま両親のもとにいたほうがひどい人生を歩んでいたかもしれないわ。そのくらい、桜森での暮らしは幸せだったし、藤原に移って現在に至るまで、何不自由なくやらせてもらってる」
 藤原さんがそう言うのだからそうなのだろう。でも、何ひとつ家庭に問題がない自分からしてみたら、ひどく壮絶な人生に思えた。
「ほら、そんな顔しているほうが失礼よ?」
「っ……ごめんなさいっ」
 藤原さんは故意的ににこりと笑みを浮かべ、
「御園生さんは表情が豊かね」
 言われて両手で頬を押さえる。
「ほかに訊きたいことは?」
 ほか――?
「あのっ、すごく変なことを訊いてもいいですか?」
「何かしら?」
「藤原さんが幸せを感じるときはどんなとき?」
「……また突発的ね」
「ごめんなさい……。でも、藤原さんは自分の足で立っている人に見えたから……」
「自分の足で……っていうのは、仕事に就いているってことかしら?」
「……そうかもしれません。私には自立した格好いい人に見えます」
「格好いい、か。たぶん御園生さんは私のことを勘違いしているのよ」
「勘違い、ですか?」
「私、人を信じることができないの。ここまで誰のことも頼ってこなかったとは言わない。でも、自分でできるなら全部自分でどうにかしたい。そう考えてきた人間。だから、人よりも自立心は強かっただろうし、そういうのが現れているのかもしれないわ」
「どうして……」
「これといった理由はないわね。……もしかしたら、両親がどうしようもない人たちだったからかもしれない。両親に育てられた記憶はないし、私を引き取ってくれた異母姉とはいい関係を築いてきたと思ってる。でも、何かしら欠如しているんでしょうね。それが結婚しない理由かも」
「……え?」
「人に期待ができないし、人を信じることができないから結婚しない。早い話、伴侶と呼べるようなパートナーが作れないの」
 すごく衝撃的な話に私は呑まれていた。
「さ、そろそろ身体を起こせるかしら?」
 ゆっくりと身体を起こしてみると、吐き気も眩暈も襲ってはこなかった。
「大丈夫みたいね。じゃ、朝食をあたためなおして持ってくるわ」
 藤原さんの背中を見送り、ひとりになった病室でポツリ、と口にする。
「藤原さん……人を信じられないのに、どうして人を救う仕事をしているの?」
 私には、とてもちぐはぐしているように思えた。
 人を信じられる信じられない、というのは、人を好きか嫌いかという問題とは別なのだろうか。
 でも、私は知っている。
 信じたくても信じられない気持ちや、人を信じるということが、どれだけ勇気が必要で怖いことなのかも……。それでも信じたくて――その狭間にいるのがどれだけつらいことなのかは知っている。
 藤原さんは、本当はどこに立っているのかな……。
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