光のもとで1

葉野りるは

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07~09 Side 司 01話

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「司はすぐ図書棟?」
 前の席の優太に訊かれる。
「その前に翠をピックアップ予定」
「ふーん……じゃ、俺と嵐子は飲み物を買ってから行くよ。なっ?」
 隣の席の嵐に声をかけると、話を聞いていた嵐が「うん」と笑った。
「何それ……」
「いや、司が翠葉ちゃんとふたりがいいかなー? と思って」
「なんたって、『ツカサ』って呼ばれてるしね~?」
 嵐がにやつきながら言う。
「何が言いたい?」
「何も~? ね、優太?」
「そうそう、別に何も言いたくないよな? ただ、ふたりでいたいんじゃないかと思っただけだよな?」
「じゃ、お先にー!」
 ふたりはそそくさと教室を出ていった。
 別に……ふたりだろうと人がいようと何も変わらない思うけど……。
 席を立ち教室を出ると、やたらめったら人の視線がうるさく感じた。それは女子の視線も男子の視線も。
 自分の何がおかしいのか、と廊下にある姿見で自分の頭からつま先まで確認してみたが、何かおかしなところがあるわけではないようだ。
 うるさい視線の中階段を下りれば、すぐそこに一年B組の教室がある。
 どこのクラスもホームルームを終えており、教室のドアは開け放たれている。
 階段の目の前にある後ろのドアから教室を見渡せば、黒板の前、教卓の手前で海斗と話している翠がいた。
「翠」
 呼べば振り向く。
 ――『あ、ツカサ……そうだった』。
 声が聞こえたわけではない。読唇したまで。
 翠は俺が迎えにくることをすっかり忘れていたのだろう。
 海斗たちと行動しているのなら心配は最小限で済むわけだけど、ここまで迎えに来てそれもどうかと思う。だから待機。
 教卓の前に座る男が俺を見て翠を見た。そして何か話しかけているようだ。
 受け答えをする翠の背後で、簾条が海斗に隠れて笑っている。しかも、俺とそのふたりを交互に見ながら。
 残念ながら、後ろ姿の男を読唇することはできない。翠は海斗や佐野を見てはその男に返事をする。
 しかし、それまで見えていた唇も、海斗たちを振り返ったことから角度が微妙に変わって読めなくなった。
 そんな状態を数分も見ていればイライラしてくる。
「翠、まだ?」
 気づけば催促を口にしていた。
 翠ははっと顔を上げ、そんな翠に向かって海斗が、
「早く行ったほうがいいぞ~」
 翠は慌てて廊下に出てきた。
 走るな、とも言いたかったけれど、焦らせたのが自分とあらば怒るわけにもいかず……。
 だったらもっと余裕を持って出てこい、とも言いたくなるけどそれも言わない。ただ、「遅い」とだけ言わせてもらった。
 翠は「ごめんなさい」と頭を下げる。
「……頭を下げられるほど怒ってない」
 廊下を歩きだし、
「さっき何話して――やっぱなんでもない」
 言いかけてやめた。
 訊きたいとは思ったけれど、こういうことを訊くこと事体が自分らしくない気がして。
「さっき、何……?」
 翠の視線が痛い。ここで話さなければ、「自分は私に話せって言うくせに」と言われてしまう。
 そんなやり取りは夏休み中に何度もした。だから、仕方なく訊く。
「いや……何話してたのかと思って。後ろで海斗や簾条が俺を見て笑ってたから」
 翠は「え?」って顔をしたけれど、すぐに会話の内容を話してくれた。
「河野くんがね、ツカサと付き合い始めたのかって訊くから、違うよって話をしていたの。名前を呼び捨てにするとそう思われるものなの?」
「……さぁ」
 優太にしても嵐にしても、翠のクラスの人間にしても、そんなことまで気にしてくれるな。ついでに、翠にそういうことを吹き込まないでくれ。
 そういうのは全部俺に返ってくる。たとえばこんなふうに――
「ツカサ先輩に戻したほうがいいのかな?」
 ふざけるな……。
 歩く速度に感情が反映される。
「ちょっと待ってっ! 足の長さが違うんだからそのあたり考慮してよっ」
 きっと、名前の呼び方が戻ったとしても、こういう話し方までもとに戻るわけではないだろう。それくらいには近づけたと思っている。
 でも――もう、これ以上距離が開くのは嫌なんだ。
 テラスに出るガラス戸の前に立ち、失敗したと思う。
 ガラス戸の向こうにゆらりと立ち上がる陽炎の様から、外の暑さをうかがい知ることができた。
 人がまったくいないことからしても、テラスは相当暑いに違いない。ガラス戸に背を向けると、翠が「ん?」と不思議そうに俺を見る。
「何?」
「ルート間違えた」
「え?」
「いいから、こっち……」
 来た道を戻り校内の階段まで来ると、翠はかばんを右手に持ち、左手を手すりに沿わせてゆっくりと下りる。
 一歩一歩確かめるように、一歩一歩粗雑にならないように。自分に返ってくる振動が極力小さく済むように……。
 校内には各校舎の両端にエレベーターがある。ひとつは運搬用で少し広めのもの。そしてもうひとつは標準的なエレベーター。
 それらは学校から使用許可が下りないと使うことはできない。
 翠は申請していないのだろう。知ってはいるのだろうか……。
 いや、姉さんがついているのだからそのくらいの情報は得ていてもおかしくない。だとしたら、これが翠の選択。
 集団の中で浮かないように、特別扱いの枠に入らないように――

 図書棟に続く桜林館の外周廊下はテラスよりはまし、そんな違いしかなかった。
 それでも炎天下よりは日陰のほうがいいだろう。それに気づいた翠が俺の前に出て顔を見上げてくる。
「二階のテラスはもっと暑かったよねっ?」
「たぶんね……。別に翠のためじゃない、俺だって暑いよりは涼しいほうがいい」
 とはいえ、自分ひとりだったらあのままテラスを突っ切っていただろう。
 途端、翠の表情が曇る。
「ありがとうくらい言わせてくれてもいいのに……」
「あぁ、それなら今からでもかまわないけど?」
 笑顔を添えて答えると、さらにむすっとした顔になった。
 それも束の間。どうしたことか、嬉しそうな表情に変わる。理由は不明。
「司くんっっっ」
 もう少し翠の観察をしていたかったのに、知らない女子が目の前に並ぶ。まるで俺たちの行く手を阻むように。
「何か用?」
 ここしばらく、こんな呼び止められ方をすることはなかった。
「夏休みに毎日図書館でデートしてたって、すごい噂……。あれ、本当なの?」
「その場を見ていた人間がいるなら、デートとは思わないはずだけど? それに毎日じゃない」
 急に呼び止められてそんなことを話すいわれはない。 
 第一、毎日ってなんだよ……。あんなバカと毎日会っていたらこっちの頭まで腐る……。
「でも、確かめた人なんていないし……。噂、すごく広まっているし……」
 あぁ、どっかで見たことあるな、この顔……。確か中等部のとき同じクラスになった気がしなくもない。
 その程度の認識しかない人間に、なんでこんなことを訊かれなくちゃいけないんだか……。
「噂をいちいち確認しに来られるの迷惑。でも……何をどう思われてもかまわないけど、アレだけは噂で勘違いされるのも不愉快だ」
 女子五人、避けるのも面倒で真ん中を突っ切った。
「えっ? ツカサっ!?」
 後ろから焦った翠の声が聞こえた。
 まずい、翠がいることを忘れていた。
 後ろから翠が追いつくのを少し待ち、翠が追いついたとき、我慢できずに愚痴を零した。
「なんでこんなことまでいちいち訊かれなくちゃいけないんだっ」
 冗談じゃない……。今日のうるさい視線の原因がその噂かと思えばもっと気分が悪くなる。
「だいたいにして、あんな人間と二度と会うかっ」
 二度と会わない、絶対会わない、金輪際関わらない――

 図書棟の一階に入ってすぐのところにあるエレベーターに乗り込む。ここのエレベーターだけはカードキーが無くても使える仕様。
 わざわざ炎天下の階段を上るなんてことをしなくてもいい。翠もそのほうが楽なはず。
 エレベーターが上昇を始めたとき、翠が口を開いた。
 言おうかどうしようか――そんな空気は狭い箱の中だとよりいっそう濃厚に感じる。
「さっきの先輩たちは知りたかっただけだと思うよ? ……普通に、期間限定家庭教師、って教えてあげたら良かったのに……」
 なんでその話……?
「……翠、課題テストや全国模試の準備できてるのか? もしできてないなら、俺が面倒見るけど?」
 笑みを添えれば、「スミマセン」と謝る。……なら、最初から口にするな。

 図書室には誰もいない。
 たぶん優太あたりが茜先輩たちにも連絡したのだろう。少し遅れていこうとかなんとか。漣はもともと遅刻魔だし……。
 翠とふたりだからといって何かが変わるわけでもないのに無駄なことを……。
 図書室でキスをしているおまえらとは違う。何、変な気を回してるんだか。
 名前の呼び方が変わっただけで、その他、関係上大きな進展などない。ただ、翠の中に少し踏み込むことができただけだ。
「今日は何をするの?」
 翠は少し不安そうな顔をしていた。
 そういえば、翠は生徒会の集まりに参加するのは初めてだったか……。
「今日は二学期にある行事に関する打ち合わせ。全国模試と課題テストが終わったあと、二十四日には球技大会がある。それ自体は学期ごとに必ずあるイベントだから準備することは少ない。十月の中間考査が終わると月末には紅葉祭がある。そっちはハロウィンパーティーとも絡めるから色々と決めることが多い。今日話し合うのは紅葉祭に関することだろうな」
 図書室に置きっぱなしになっているノートパソコンを立ち上げていると、奥の仕事部屋から秋兄が出てきた。
「翠葉ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
「体調は大丈夫?」
「はい。秋斗さんはこれからお出かけですか?」
 手にはアタッシュケースとスーツの上着。本社で会議か……。
「これから本社で会議があるんだ。それさえなければ翠葉ちゃんをお茶に誘うんだけどね」
 声だけでわかる。翠仕様の笑顔で話しているであろうことが。
 ちらりと翠を見ても、顔を赤らめてはいなかった。
 意外……。あの笑顔には弱かったはずなのに。
 あぁ、違う……。ほかに意識が逸れているんだ。
「どうかした?」
 秋兄の問いかけに、
「あ……アナログの鍵はないんだな、と思って……」
 翠の意識は、仕事部屋のドアに釘付けだった。
「ここに入るには声紋認証と指紋認証、網膜認証が必要。俺が中にいればインターホンっていう手もあるけどね」
 と、秋兄はインターホンのカメラを指差した。
「その先は未知の空間ですね?」
 秋兄はクスクスと笑いながら、
「そうでもないかもよ?」
 翠はあの部屋の中のことも覚えてはいない。あの中が自分の部屋と似通ったつくりだと知ったら、また同じような反応をするのだろうか。それとも――視覚から得た情報で記憶が呼び起こされたりするのだろうか。
「今度、未知の空間に招待するよ。じゃ、司、あとの戸締りは頼む。俺が戻るのは六時を回るから」
 前半は翠に向けて、後半は俺への指示。
 秋兄とは八日以来まともに話をしていなかった。翠がマンションに戻ってきたときに顔を合わせたのと、始業式前日、空調のことで連絡をしたくらい。それだけだった。
「ねぇ、ツカサ……? どうして戸締りがツカサなの?」
「雇われてるから」
「え……?」
「俺のバイト先、そこだから」
「そういえば、昇さんが秋斗さんのところでお仕事お手伝いしてるって言ってた……」
「それ」
 人のいないところで何話してるんだか……。
 そんなことを思いながら生徒会宛にくるメールのチェックを開始する。と、
「戸締りがお仕事?」
 は……?
「そんなわけないだろ? ほかの仕事のついでが戸締り。別に毎日じゃないし、秋兄がいれば俺がやる必要はない」
 だいたいにして、そんなことで金がもらえるってどれだけ時給の低い仕事なんだ。 
 程なくしてメンバーが集れば、そこは夏休み明けの再会の場と化すわけで……。
 茜先輩や会長の行動を規制する人間がいる今は、俺がずっと見ていなくてはいけないわけではなかった。
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