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第二章 ~少年期・前編~

第二十六話 「和平」

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「命を救ってくれたことに感謝する。蛮族よ」
「無事に完遂できてよかったです」
「みどりっ!」

 アイリスは目の前にいる長ゴブリンを見て、目に付く特徴である肌の色の感想を叫んだ。

 魔力を打ち込んでいない状態なので、ドラゴンの言葉をゴブリンは理解していない。
 ただ吼えられているように感じているのだろう。
 アイリスがなにか話すたびに、長ゴブリンがびくっとしたり少し後ずさったりするのが見ていて少し気の毒である。

 子供ドラゴンであるアイリスはいま俺に抱っこされているので、俺と話すと同時にアイリスまで会話に参加してくるという構図だ。

「では、改めて話を聞こう。蛮族の長よ」

 いま、俺とユウベルトとクルーアとランドル、そしてアイリスはゴブリンの住処である東の山に来ている。
 ドラゴンから命じられた望みを代わりに叶えれば、人間とゴブリンが交渉のテーブルにつくという話で進めていて、それを実現させようと早速赴いたということだ。

「ユウリ、いま彼はなんと?」
「はい父様。『どういった交渉がしたいのか、詳しい話を聞きたい』と言っています」
「……そうか。では彼にこう伝えてくれ――」

 セントリアの代表である父。
 そして山の民の代表である長ゴブリン。
 両者の言葉を伝えるため、俺は翻訳に勤しむ。

 まず、ユウベルトが提案したのは鉱山からとれる資材と、セントリアでとれる食料との物々交換だった。

 この会合に赴く途中に、ユウベルトからその意図を聞いて、なるほど堅実だと思ったものだ。

 人間と魔物。
 生活スタイルが違えば、その価値観も違う。

 人間は通貨を用いて食料や労働に対する報酬、物価全般の価値観を統一しているが、種族が違うことでその常識が通じなくなってしまうとユウベルトは考えた。
 だから人間世界での通貨ではなく、物々交換で価値観のすり合わせを行っていく。

 これが第一段階。
 人間が持っている価値観と、ゴブリンが持っている価値観を互いが少しずつ理解していき、交渉の前に用意した資材の価値の推測や計算ができるようにする。

 そして徐々に互いへの警戒心を薄め、信頼関係を築いていく。
 すぐには受け入れることはできない。これは話し合っているうちにゴブリン側も同意してきたことだった。

 俺を通して言葉を交わすことができ、無闇に襲われないことを理解し始めたユウベルトやクルーアならいいが、セントリアの領民はまだ魔物に対して恐怖心や敵愾心しか抱いていない。
 これはゴブリンの人間側に対する思いも同じである。

 互いが互いを、言葉の通じない暴力的な生き物だと考えている。

 これをすぐに解消することは難しいと、ユウベルトは言った。
 この世界の人間と魔物の争いの歴史を知らない俺も、それはすぐに納得できた。

 だから交渉の最初期をセントリアの領主であるシュタットフェルト家だけで通し、領民には魔物と交渉していることの説明はするが接触させないよう配慮する。
 窓口はシュタットフェルト家が請け負い、領民には通貨で、ゴブリンには物で渡すという、中間業者の役割をするという提案をした。
 そして徐々に領民の魔物に対する忌避感を失くしていき、徐々に窓口も広めていく、という方法を取りたいらしい。

 これにも、ゴブリン達は同意した。
 ゴブリン達からは、長ゴブリンと数名の幹部たちが交渉役につくらしい。
 だが代表以外のゴブリン達には、できることならずっと人間と接触して欲しくないというのが、長ゴブリンの主張だった。

 やはり種族間での対立は、根が深いらしい。
 翻訳可能な俺が結局は人間だというのも、今一歩踏み込みきれない要因であると思われた。

 だけど、これでセントリアと山の民の間に通商条約が結ばれたことは確かなのだ。
 細かい取り決めなどはこれからだが、まずは第一歩踏み出した。

 ドラゴンとの問題とは違って、これには時間制限がない。
 ゆっくりと、良き隣人として歩み寄っていけばいい。

「これで、すぐに食べたいものが食べられるようになるさ。よかったな」
「ふ、ふん……別に、あんたに感謝なんかしないからね! 父ちゃんが頑張ったから神様に会えたってこと忘れちゃダメよ! ユウリ!」
「ああ、そうだな。お前の父さんは勇気あるよ」
「みどりぃ!」
「ひぃっ、ご、ごめんなさい! 食べないでぇ!」

 多くのゴブリン達が住処である洞窟から出てこない中、ゴブリン姉は人間との交渉の席に姿を現していた。
 声を聞くまでゴブリン姉かどうかわからなかったけど。だってゴブリンたち見た目同じなんだもの……。

 ちなみにゴブリン姉もアイリスが恐いらしく、話しかけはするが俺に近づいてはこなかった。

 やっぱりドラゴンって種族は、それだけで畏怖の対象になるんだな……。
 ジョギングしている最中もアイリスは俺についてきたがるが、なんとか我慢してもらっている。
 街の人にも、少しずつアイリスを紹介していかないとな……今はその姿を見ると、ぎょっとされてそのまま固まってしまうからな。

「ユウリ。では今回はこれくらいで帰ろうか」
「えっ、は、はい。父様」
「彼らに持ってきたものを渡してから、セントリアに戻ろう」

 ランドルはその言葉を聞いて、荷台に積み込んで持ってきていた野菜各種をゴブリン達に差し出した。

「これは?」
「えと、お近づきの印に、というやつです」
「……そうか」

 長ゴブリンはそれを見ていぶかしむが、やがて納得したのか無事に受け取ってくれた。
 そして俺たちがセントリアに戻ろうと準備を進めている際――

「待て、蛮族。これを持って行け」
「……? これは……?」

 長ゴブリンは、森に入ろうとする俺に声をかけ、何か手渡してきた。

 それは、一振りのナイフだった。
 刃渡り20センチメートルほどのもので、とても精巧な作りをしている。

 というか、これゴブリンたちが作ったのか……?

 そういえば最初にここにきたとき、多くのゴブリンは武器を所持していたな。
 あれも全部、自分たちの手で作成したのか。

 そういった技術も高いのか。鉱山を住処にしているだけあって、鍛冶技術などはお手のものなのかもしれない。

 ただ手渡してきたこのナイフは、凡庸なものとは違う特別製であることが容易に窺い知れるほど作りが細かく、相当の値打ち物だということが一目で伝わってきた。

「貰いっぱなしというのは、よくないと考えた」
「で、でもこれ……多分あの量の野菜とは価値が合わないと思いますが」
「構わん。それには、命を救われた対価も含まれている」
「……そう、ですか。わかりました。では有り難く受け取ります」
「ああ、その刃を我々山の民に向けないよう注意してくれ」

 そうして、一度目の人間とゴブリンの交渉が終わった。

「……ユウリ、それは魔物から貰ったものか」
「はい先生。つい先ほど頂きました。ドラゴンから命を救ってもらったお礼だそうです」
「そうか、よかったな。これからはそれを使いこなせるよう訓練していこう」
「はい!」
「……少し、その小刀を見せてもらってもいいか?」
「はい、どうぞ」

 セントリアへ続く森の中を進んでいると、クルーアは俺が貰ったナイフに興味を示した。

「……ユウリ。これは、あの魔物たちが作ったのか……? 人間が作ったものを奪い取ったわけでは、ないよな」
「え? は、はい。多分……そうだと思いますが、どうかしたのですか?」
「…………」
「……先生?」
「……これは、魔鉱石で作られている。刀身だけじゃなく、柄や持ち手の部分まで魔鉱石が多く使われているようだ……」

 魔鉱石。
 そうだ。ゴブリンの住処に一泊したときに、クルーアが言ってきた鉱石だ。
 魔力を通し、蓄えることができる鉱石だという。
 クルーアが所有している剣も、魔鉱石が使われているということだったな、だから剣を通して魔法が使用できると。

「希少、なのですか?」
「……おそらくこの一振りだけで、王都に屋敷が建てられるな」

 凄いな!!
 そんなに値打ちがあるものなのか。
 王都って、要するにこの国の首都だろう?
 荷台いっぱいの野菜との交換ではあまりにも安すぎる。
 いや、これは俺たちがドラゴンへ会いにいったことへの報酬だ。
 う、うん。命懸けで頑張った対価だと思えば、十分だろう。

 だがしかし、それだけの価値があるものなのだ。
 ドラゴンの元へ赴いた全員の共有財産にするべきではなかろうか。

「ぼ、僕が持っていていいのでしょうか。父様に渡したほうが……」

 おろおろしながら、ユウベルトに確認をとった。

「ふふ、価値を知って恐くなってしまったのかな? 君が頑張ったんだから、それは君のものだよ。あの魔物たちだって、そういうつもりで渡したんだろうしね」
「は、はい……有り難うございます」

 ユウベルトは、柔和な笑みを浮かべながら俺の頭を撫でた。

 しかし、我が家族ながら出来た人だな……。
 それだけの価値があるものなら、自分のものにするか、預かろうとしてもよさそうなものだが……ユウベルトは、極端と言っていいほど息子の俺を縛り付けない。
 とにかく自由に行動させようとするのだ。見ようによって甘やかしである。

 信頼されていると思えば嬉しいが、少し放っておかれているようで寂しい気持ちもあるな。
 事故で妻を亡くした影響か、それとも元々の教育方針なのか。

 転生してきた俺には知りようがない問題だった。

「あの、先生」
「どうした、ユウリ」
「先生はどうやってこれが魔鉱石で作られているとわかったのですか? 見るだけでわかる基準がなにかあるとか……」
「いや、違う。魔鉱石の見た目は鍛冶職人の加工によってほとんど鉄と変わらなくなる。あたしがわかったのは、手にしたときに魔力が吸われるような感覚があったからだ。普通の金属ならそんなことはないからな」
「……それって、持っているだけで魔力がどんどん吸い取られているということですか? 大丈夫なんでしょうか」
「そこまで激しくない。なんというか、だな……感覚的なものだから上手く説明はできない。あたしは魔鉱石の扱いに慣れているから、なんとなくわかるだけだ。後は実際に魔力も少し通してみたしな。ユウリ、お前もやってみるといい」
「は、はい……!」

 クルーアからナイフを返してもらい、手に取った。
 そして魔力を通そうと力を入れてみたのだが……。

「あの、よくわかりません……これは魔力が通じているのでしょうか?」
「……いや、おそらくできていない。これも訓練の項目に加えるべきだな」
「はい」

 やっぱり、できていなかったか。
 というか、持ってみてもやっぱり魔力が吸われている感覚なんかわからないしな。

 ……ん?
 そういえば――

「ゴブリン達には魔力がないそうですが、どうして魔鉱石で武器を作るんでしょう? 使えないなら……意味がないように思えるのですが……」
「……おそらくとしか言えないが、いいか?」

 クルーアは、俺の質問に対して少し考えるような素振りを見せる。
 ……確かに、ゴブリンの事情は人間にはわからないよな。

「はい、お願いします」
「……魔鉱石は単純に鉄鉱石よりも頑丈だ。刃こぼれなどもしにくくなる」
「なるほど……武器として鉄を使うより有能になるんですね」
「魔力を通した状態だと、もっと使いやすくなる。錆びることなどもほぼないし、劣化しにくい。もちろん手入れは必要だが。……手入れの仕方も、後で教えてやろう。自分の獲物は、自分で管理できていたほうがいい」
「はい、ありがとうございます!」

 俺たちは森の中を歩きながら、セントリアに着くまで色々なことを話した。

■ ■ ■

 こうしてセントリアとゴブリンの間に経済が生まれたが、最大の問題はやはり使用する言語が違うということだった。

 代表同士が直接会話することができないのだ。間に必ず翻訳魔法を使う俺が入ることになる。
 毎度、交渉のたびに俺が出張るのは非効率だし、なにより回数も制限されてしまう。

 最初の内はまだいい。
 ゴブリンが人間の街へ赴くことがない頃は。

 だが俺の目的の一つである、橋の建設には多くの労働力が必要である。

 このまま順当にいけば、資金は徐々に貯まっていくかもしれないが、領民は簡単に増えない。
 まだ温泉施設も作れていないし、外部からこの街に訪れる理由がないからだ。
 温泉施設を作り、そこに行くまでの道中の整備、そして宿泊施設などの充実だって重要なことであった。

 やはり、ゴブリン達が気軽にセントリアへ訪れることができるようにしたかった。

 だがそうするためには、やはり言葉が通じないというのは問題にしかならない。
 相手に意思や目的を伝えることができないというのは、簡単に争いの種になるからだ。

 魔法が使えない状態で、相手が互いに考えを伝える方法。

 そこで考えついたのが――『文字』だった。

 いわゆる筆談である。
 人間側で使われる文字をゴブリンが覚えてくれれば、筆談でコミュニケーションがとれるようになる。

 そう考えて、ユウベルトに提案すると『最初は絵から覚えてもらうのが簡単じゃないか』と提案された。

 確かに、視覚情報だけでわかりやすい絵で説明するのはいい考えだ。
 というわけで教育係をカルベラに頼み、絵と文字という文化を少しずつゴブリン達に浸透させていくことにした。

 その場には俺も同席し、翻訳すると同時に自身の勉強にもなる。
 いいこと尽くめだ。

 ジョギングやクルーア先生との訓練で体力や技術を向上させて、ゴブリン達と共にこの世界での文字を覚えていく。

 そんな生活が二年ほど続いたあと――

 ついに、セントラル川に橋を架ける計画が始まったのだ。
 温泉施設も、まだ男女で分けた二つしかできていないが、なんとか完成に至った。

 俺こと、ユウリ=シュタットフェルト。

 ――現在七歳の、いまだ若々しい少年である。
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