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第二十九話 座長の決心
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寿三郎が考え込んでいると、天道が上体を起こした。
「なんしか、今日の舞台はお休みや。せっかく来てもろて悪いけど……わしちょっと動けそうにないし」
お福もそれに同意して頷いている。
「しゃあないね……。せっかく勢いが乗ってきたところやったけど……座長が動けへんとお芝居はでけへんし」
吉祥は責任を感じているのか、俯いたまま動かない。だが今日襲ってきた二人組が、まだあの三人組の男と決まったわけでもない。寿三郎は顔を上げた。
「三人とも、掛け小屋で寝泊まりするのはやめろ。今日から俺の裏長屋に来い」
一瞬間が空いて、天道が声を出す。
「え……、いや、いくらなんでも……そこまで厚かましくは……ないで?」
「分かってるだろうが、俺は貧乏だ。四畳半の部屋にはなにもない。一人一畳、てんとうはおまけの半畳。十分寝泊まりできる」
いつもならここで軽口を付け加えて笑うところだが、状況が状況なだけあり皆が眉を下げている。
「しっかりしろ、お前らはいつも笑っていろ。いつも賑やかな連中がしぼんでいると、周囲がやりづらくてかなわん」
「寿三郎さん……アンタ……」
天道が言おうとしていた言葉を呑み込み、別の言葉を吐き出した。
「アンタほんんんまにお人好しやな!?」
「む」
「わははは! ……あいたたた……」
大口を開けて笑った天道は、紫になっている頬骨あたりを押さえて蹲る。
「分かりました……ありがたくそうさせてもらいます。ほなこの掛け小屋は引き払って、寺でやろか。宮地芝居なら遠慮なくできるし、こないに人様にお世話になっとるんやさかい……お天道さんにお返しせぇへんと罰が当たる」
てんとうが首を傾げる。
「お寺さんに、勧進収めるんか……?」
「せや。天道一座の勧進興行や」
お福も確認した。
「座長が? 寄付?」
「せやで」
吉祥もそれに続く。
「あかん、悪いことが起きる前触れや……」
「なんやそれ! わしかて一生に一度くらいは寄付くらいするわ! あいたたた……」
「いつも空き地の隙間でこそこそやってたからねー……」
お福の暴露に寿三郎が呆れる。
「勧進興行なのに、一度も寄付したことなかったのか……?」
「あんなもん口だけや。やっとる奴らの方が少ないもんやで」
「威張るな」
「ひひっ」
てんとうがやっと笑った。大人たちはそこでほっと胸のつかえがとれた気持ちになる。そのてんとう、今し方起きた恐ろしかった出来事が穏和され、一つの違和感に気がついた。
「あれ? 今日長次、おらへんの?」
「ああ……」
寿三郎が言いづらそうに口ごもると、吉祥が話に割り込んだ。
「そう、それなんやけど……、座長、長次は今日休みもらおうと思うてて」
「なんや……なんかあったんか」
「長次のおとん、体調悪いねん……」
「具合ようなってへんのや?」
寿三郎に視線が流れると、不器用な侍は困ったように答える。
「それが……昨日、黒い血を吐いてな……」
天道を含め、お福とてんとうも息を呑む。
「それ……」
「いつまで生きれるか分からん……」
ほんの少し前、ようやく笑ったてんとうの表情が崩れていく。
「長次は……?」
「父親の側についてる。今日は置いて来た」
皆が俯いてしまい、再び場の空気が重くなった。
「分かった……こうしよか」
天道はこう見えて一座の座長、言わば頭である。物事を決定する立場で、行動を起こして命じる役回りだ。絞り出した答えがこれなのだろう。
「これから長屋で世話になる。わしらは腐っても一座の者や。世話になっても、それしかお返しできへん。やったら、己が思うた役どころを演じてみようやないか」
てんとうが首を傾げる。
「どゆこと?」
「どうやったら、ここの長屋の人らに恩返しできるかってことを考えて、各々演じてみればええっちゅうこっちゃ」
「演じる……」
何も知らない者から聞けば奇妙な話だが、この数日ここで働いていた寿三郎はその意図が何となく理解できる。
「何でもええの?」
「せや。強いて言うなら……『べらぼう旅一座、お江戸笑心』て演目やな」
吉祥が顔をしかめた。
「傷心……? らしくもない、嫌なお題やな」
「ちゃうちゃう。笑う心と描いて、しょーしんや。江戸っ子が好きそうな響きやろ?」
「なんや、地口かいな。しょーもな」
吉祥の横でその話を聞いていた寿三郎の何とも言えない表情を見て、天道が困ったように笑う。
「相変わらず、しけた顔やな寿三郎さんよ」
「……すまん」
天道たちは、こうでもしないと笑えなくなるのだろう。寿三郎もそれを分かっていたのでどう返して良いか分からず、ただそう答えるしかできなかった。
「早速で悪いんやけど、荷車借りてきてもらえへん? 長屋に向かいがてら、芝居道具を損料屋に返してけぇへんと。あと、わしを乗せてって。まだ目眩がして歩けそうにない」
お福が言う。
「ほなうち、掛け小屋返してくるわ。寿三郎さん連れて買い物行こかと思うてたから、かんとだきの材料買ぉてへんかったけど、不幸中の幸いやったねえ」
そこで吉祥が思い出して嘆く。
「ああ……そういや、かんとだき目当てでなんも食べてへなんだ……。流石に腹減ったわー……」
天道の様子を見ていたてんとうが言った。
「ほなうち、煮売り屋でなんか買ぉてくるわ。お昼みんなで食べよ」
「ええね」
ぼんやりしている寿三郎をつつき、吉祥が袖を引く。
「ほら、行くで。何個か荷物持って。借りてる物多いから、何回か往復せなならん」
「あ、ああ……」
こういう時、何か目的があるというのは頼もしいものだ。どんな局面でも逞しく生きているのは見習いたい。寿三郎は吉祥を連れて掛け小屋を出て、両国の損料屋に歩き始めた。
「なんしか、今日の舞台はお休みや。せっかく来てもろて悪いけど……わしちょっと動けそうにないし」
お福もそれに同意して頷いている。
「しゃあないね……。せっかく勢いが乗ってきたところやったけど……座長が動けへんとお芝居はでけへんし」
吉祥は責任を感じているのか、俯いたまま動かない。だが今日襲ってきた二人組が、まだあの三人組の男と決まったわけでもない。寿三郎は顔を上げた。
「三人とも、掛け小屋で寝泊まりするのはやめろ。今日から俺の裏長屋に来い」
一瞬間が空いて、天道が声を出す。
「え……、いや、いくらなんでも……そこまで厚かましくは……ないで?」
「分かってるだろうが、俺は貧乏だ。四畳半の部屋にはなにもない。一人一畳、てんとうはおまけの半畳。十分寝泊まりできる」
いつもならここで軽口を付け加えて笑うところだが、状況が状況なだけあり皆が眉を下げている。
「しっかりしろ、お前らはいつも笑っていろ。いつも賑やかな連中がしぼんでいると、周囲がやりづらくてかなわん」
「寿三郎さん……アンタ……」
天道が言おうとしていた言葉を呑み込み、別の言葉を吐き出した。
「アンタほんんんまにお人好しやな!?」
「む」
「わははは! ……あいたたた……」
大口を開けて笑った天道は、紫になっている頬骨あたりを押さえて蹲る。
「分かりました……ありがたくそうさせてもらいます。ほなこの掛け小屋は引き払って、寺でやろか。宮地芝居なら遠慮なくできるし、こないに人様にお世話になっとるんやさかい……お天道さんにお返しせぇへんと罰が当たる」
てんとうが首を傾げる。
「お寺さんに、勧進収めるんか……?」
「せや。天道一座の勧進興行や」
お福も確認した。
「座長が? 寄付?」
「せやで」
吉祥もそれに続く。
「あかん、悪いことが起きる前触れや……」
「なんやそれ! わしかて一生に一度くらいは寄付くらいするわ! あいたたた……」
「いつも空き地の隙間でこそこそやってたからねー……」
お福の暴露に寿三郎が呆れる。
「勧進興行なのに、一度も寄付したことなかったのか……?」
「あんなもん口だけや。やっとる奴らの方が少ないもんやで」
「威張るな」
「ひひっ」
てんとうがやっと笑った。大人たちはそこでほっと胸のつかえがとれた気持ちになる。そのてんとう、今し方起きた恐ろしかった出来事が穏和され、一つの違和感に気がついた。
「あれ? 今日長次、おらへんの?」
「ああ……」
寿三郎が言いづらそうに口ごもると、吉祥が話に割り込んだ。
「そう、それなんやけど……、座長、長次は今日休みもらおうと思うてて」
「なんや……なんかあったんか」
「長次のおとん、体調悪いねん……」
「具合ようなってへんのや?」
寿三郎に視線が流れると、不器用な侍は困ったように答える。
「それが……昨日、黒い血を吐いてな……」
天道を含め、お福とてんとうも息を呑む。
「それ……」
「いつまで生きれるか分からん……」
ほんの少し前、ようやく笑ったてんとうの表情が崩れていく。
「長次は……?」
「父親の側についてる。今日は置いて来た」
皆が俯いてしまい、再び場の空気が重くなった。
「分かった……こうしよか」
天道はこう見えて一座の座長、言わば頭である。物事を決定する立場で、行動を起こして命じる役回りだ。絞り出した答えがこれなのだろう。
「これから長屋で世話になる。わしらは腐っても一座の者や。世話になっても、それしかお返しできへん。やったら、己が思うた役どころを演じてみようやないか」
てんとうが首を傾げる。
「どゆこと?」
「どうやったら、ここの長屋の人らに恩返しできるかってことを考えて、各々演じてみればええっちゅうこっちゃ」
「演じる……」
何も知らない者から聞けば奇妙な話だが、この数日ここで働いていた寿三郎はその意図が何となく理解できる。
「何でもええの?」
「せや。強いて言うなら……『べらぼう旅一座、お江戸笑心』て演目やな」
吉祥が顔をしかめた。
「傷心……? らしくもない、嫌なお題やな」
「ちゃうちゃう。笑う心と描いて、しょーしんや。江戸っ子が好きそうな響きやろ?」
「なんや、地口かいな。しょーもな」
吉祥の横でその話を聞いていた寿三郎の何とも言えない表情を見て、天道が困ったように笑う。
「相変わらず、しけた顔やな寿三郎さんよ」
「……すまん」
天道たちは、こうでもしないと笑えなくなるのだろう。寿三郎もそれを分かっていたのでどう返して良いか分からず、ただそう答えるしかできなかった。
「早速で悪いんやけど、荷車借りてきてもらえへん? 長屋に向かいがてら、芝居道具を損料屋に返してけぇへんと。あと、わしを乗せてって。まだ目眩がして歩けそうにない」
お福が言う。
「ほなうち、掛け小屋返してくるわ。寿三郎さん連れて買い物行こかと思うてたから、かんとだきの材料買ぉてへんかったけど、不幸中の幸いやったねえ」
そこで吉祥が思い出して嘆く。
「ああ……そういや、かんとだき目当てでなんも食べてへなんだ……。流石に腹減ったわー……」
天道の様子を見ていたてんとうが言った。
「ほなうち、煮売り屋でなんか買ぉてくるわ。お昼みんなで食べよ」
「ええね」
ぼんやりしている寿三郎をつつき、吉祥が袖を引く。
「ほら、行くで。何個か荷物持って。借りてる物多いから、何回か往復せなならん」
「あ、ああ……」
こういう時、何か目的があるというのは頼もしいものだ。どんな局面でも逞しく生きているのは見習いたい。寿三郎は吉祥を連れて掛け小屋を出て、両国の損料屋に歩き始めた。
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