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鍵を掛け忘れた部屋
しおりを挟む「妊娠はしていません。お体に異常も見当たりませんでしたよ」
「そうですしたか、ありがとうございます」
見てくれた医者の言葉が私の耳に響いた。
「このままの状態で問題はありません。体調が悪化しない限り、無理に痩せる必要はないと思います」
「そうですか……」
その言葉に私は安堵の息をついた。妊娠していないことが確認できた瞬間、安心感が広がった。準備が整っていない自分には未知の体験が怖すぎた。母親になる覚悟が心のどこかでまだできていなかったからだ。
それでも心の奥底には別の感情が渦巻いていた。
この先も子供を産むことができないなら、私の存在には一体どれほどの価値があるのだろうか? ヴィクトル様にとってその役目すら果たせなければ無意味な存在になってしまうのではないか。
別の恐怖が膨れ上がった。もし私が子供を産むことができなければ私という存在はただの無駄になってしまうのではないだろうか? ヴィクトル様にとって、ただの妻として存在していることにどんな意味がある?無力で子供も産めない私に果たして何の価値が残るというのだろう。
その思考は頭の中でぐるぐると回り、私を圧迫してきた。
もし私が妊娠しないままでいたら、エレノアお姉様がその役目を果たすことになるのだろう。
きっと何の苦もなく公爵夫人としての役目を全うし、ヴィクトル様にも相応しい存在として映るはずだ。
エレノアお姉様がヴィクトル様の妻になることが何も不思議ではないような気がしてきた。
私がミーティアお姉様の代わりになれないのであればエレノアお姉様がその役目を担うのは当然のことのように思える。ヴィクトル様が求めるものを私が与えられないなら、エレノアお姉様がその期待を超えて満たすのだろう。無能な私はどうしようもなく存在価値を失っていく。
その恐れが私を沈み続ける。無力さと虚しさに呑み込まれそうになりながら、私は自分を責め続けた。自分に残されたものが何もないように感じ、心の中でその深い闇に引き込まれていくようだった。
◆
今日は手紙を書いている。リディア様との手紙のやり取りが許されているので一文一文に時間をかけて丁寧に心を込めて書くことにしている。
手紙のやり取りと言っても貰う時と送る時は必ずヴィクトル様の目を通してから渡される。
つまり、私たちのやり取りすらも完全に監視されているのだ。きっとリディア様の方が私以上に厳重にチェックされていることだろう。
当たり障りのない言葉を慎重に選びながら返事を書き終え、それを封筒に入れる。使用人に頼んでヴィクトル様に渡してもらおうと私は鈴を鳴らしてみた。しかし、待てど暮らせど誰もやって来ない。
「誰か……」
私はつぶやきながら、少し不安げに部屋の扉を開ける。
周りに使用人の姿は見当たらず、遠くで足音だけがかすかに聞こえてくる。あまり騒がしく動き回るのはよくないが、少しだけなら外を歩いても許されるだろうと思い、使用人を探しながら屋敷の中を歩いているとふと目に留まったのは綺麗な箱を手にしたメイドだ。
彼女は『あの部屋』の前で足を止め、鍵を開けて中に入っていった。私はその姿を見て、見つからないように花瓶の後ろに隠れて眺めていた。
少しの間が経過し、メイドが布に包まれたを抱えて慌てて部屋から出て行く様子を目撃する。その時、ふと気づく。
「あ……鍵、掛けてない……?」
あのメイドは急いでいたせいで鍵を掛けずに部屋を出て行ったのだ。
「……ちょっとだけ……」
私は誰にも気づかれないように廊下を静かに歩きながら、その部屋へと近づいた。扉はまさに今開かれている。普段から見たくても決して見ることのできなかったあの部屋だ。
恐る恐る扉を開けてみるとその部屋には何か懐かしい雰囲気が漂っていた。
窓枠や壁紙と床には華やかな色合いの壁紙が施され、小さな木製のテーブルと椅子が一つ、置かれている。
部屋の隅には大きなベッドがあり、その上にはシーツが掛けられていた。誰かが使用した痕跡は一切見当たらない。まるで新しい部屋のようだった。
そして、部屋のあちこちには誰かから贈られたと思われる宝石箱やぬいぐるみが並べられており、棚にはいくつかの写真立てが並んでいる。
私はその中の一枚に目を奪われ、驚きで足が止まった。
それは幼い頃の私とミーティアお姉様の写真だった。さらに軍服姿のヴィクトル様の写真や、学園を卒業した時のミーティアお姉様と学友と思われる人物が一緒に写っている写真もあった。
「ミーティアお姉様の部屋だ」
その瞬間、私はこの部屋の懐かしい雰囲気の正体に気がついた。壁紙の色合いや家具の配置が実家のミーティアお姉様の部屋とよく似ている。
ここはきっとお姉様のために整えられた部屋だったのだ。だからヴィクトル様はこの部屋に私を近づけさせなかったのだろう。この部屋は死んだミーティアお姉様の為に作られた部屋なのだ。
運ばれてきたプレゼントはヴィクトル様がかつてミーティアお姉様に贈りたかったものであり、彼女に渡すことができなくなったからこそ、この部屋に置くしかなかったと予想をする。
あの人の胸の中にある未だ消えぬ悲しみがこうして物として残されているのだと感じた。
ヴィクトル様がミーティアお姉様を忘れられないことはわかっている。私が生きていることを、かわりに死ねばよったと思っていることも理解している。そんなことを知りながらもこのように形として残されている部屋を見るのは辛かった。見なければよかったと後悔をした。
「お、奥様!こんな所で何を……」
立ち尽くしていると巡回中のメイドと目が合い、彼女は驚いた様子で立ち止まると慌てた様子で声をあげた。
「こ、ここは奥様が入られてはなりません!」
「鍵が開いていたので、ごめんなさい。それと……」
先ほど自分が見たメイドが何かを抱えて鍵を掛け忘れて出て行ったことを話すと彼女は少し悩んだ後に「調べてみます」と言った。
その後、手紙をメイドに託してから部屋に戻されることとなった。私があの部屋に入ってしまったのはヴィクトル様に黙っていてほしいと、お互いのためにもそれを約束をした。
そして後日に知ったのはあの部屋の鍵を掛け忘れたメイドのことを報告された。彼女はその部屋から宝石を盗んでいたということだった。盗みが発覚すると彼女はすぐにクビにされてしまったのだった。
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