七月の夏風に乗る

白野よつは(白詰よつは)

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■5.ほんっとお前って、そういうとこな ◆浅石佑次

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「今から綿貫先生のところにお見舞いに行くんだよ」
「は?」
「会って直接顔見たいんだろ? 話したいこともあるんだろ? そう思ってんなら、なにも我慢することねーじゃんか。行こうよ。俺らと一緒に、今から行こう」
 佑次の言葉に、会長の顔がみるみる蒼白に、強張っていく。やっぱり、さっきノンフレームが言ったとおりだ。会いに行きたいが、変なフラグを立ててしまった負い目があるから、自分には会いに行く資格がないと思い込もうとしている、そんな顔。
「……っ」
 すると彼女は、そのまま無言でノンフレームに目をスライドさせた。
 今の佑次の言動から、はっと思い当たったんだろう。どういうこと? と責めているその目は、けれど思いのほか弱々しくて、まるで迷子のようだ。教頭に怒っていたときとはまた違う充血した瞳が、あれからまた伸びた日の茜を受けてきらきらと心許なさげに光る。
「あのな、箱石。気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、悔しいけど俺もこいつに賛成なんだ。引っ張ってでも先生のところに連れていかなきゃって思う。箱石は面倒くさがり屋のくせに、なんでもかんでも自分で背負い込みすぎなんだって。器用なやつでもないけど、だからこそ誰かに頼んないと。先生になら、俺らに言えないことも言えるだろ?」
「……」
「俺には黙ってることしかできなかったけど、たぶん箱石には、こいつみたいに強引に引っ張っていくようなやつと関わることも大事なんだと思う。だってこいつ、リスクなんて微塵も考えてないんだぞ。手を変え品を変え、石橋を叩いてマネジメントしてやってんのはこっちだっていうのに、『そうだ、京都へ行こう』みたいなノリでこれなんだ。なんだか真面目にやってるこっちのほうがバカらしく思えてくるだろ。……なあ、行こうよ箱石」
 会長は、そう言ったノンフレームを見上げてしばし口を閉ざした。なんて返したらいいんだろう、という迷いがそのまま表れているような沈黙が、西日を受ける三人の間に流れる。
 ノンフレームの言い方だと、微妙にけなされているような気がしないでもない。でも、伝えたいこと、言いたいことは佑次にもなんとなくわかる。会長のほうにも、誰かにこんなふうに強引に連れ出してほしいと思っていてほしかった。図らずもそれは向こう見ずで無鉄砲な佑次が役割を果たすことにはなったが、本当はノンフレーム自身がやりたかったことだろうと思う。……好きなんだな、きっと。真面目で不器用なこの子のことが。
 ふたりの様子を固唾を飲んで見守りつつ、佑次はもう一方でそんなことを考えていた。付き合いは短いが、見ていればなんとなくわかる。青春だ。青臭くて鼻がムズムズする。
「……わかったよ。着替えてくるから、一〇分待ってて」
 やがて彼女は根負けしたようにそう言い、身を翻した。普段は下ろしている肩甲骨あたりまで伸ばした髪がポニーテールに結ばれていて、歩くたびに左右に揺れる。
「一〇分って、けっこう長くね? なにして待ってよう?」
「いや、女子の一〇分は十分マッハだと思うぞ? 汗臭くても全然平気、むしろそれこそ男臭くて格好いいべ、みたいなところがある自惚れ屋な俺らと違って、女子はエチケットの段取りが多いからな。俺らにはどうでもいいようなことでも、こだわりがあるんだろ」
 揺れながら小さくなっていくポニーテールを見送りながら尋ねると、さっきまでとは打って変わって冷静沈着な様子のノンフレームが眼鏡を押し上げながら言う。当然だろ、という口調だが、その寛容さはいったいどこから得たものなのだろうか。こういう部分でも達観している感じが、なかなかの末恐ろしさを感じさせる。
ほんっとお前って、そういうとこな。
 心の中だけで言って、佑次はこっそり微苦笑した。案外こいつも可愛いところがあるじゃないか。なんだかんだ言いつつ待ってやるところなんか、特に。
 そうしてきっかり一〇分後。
 制服に着替え、なにやらいい匂いを漂わせた会長が、またポニーテールを揺らしながら戻ってきた。……彼女もノンフレームと並んで、なかなかにポーカーフェイスだと思う。
「さ、じゃあ、ちゃっちゃと行こうか。市立の総合病院でしょ? 面会時間が終わるまでに着かないと、わざわざ部活を抜けてきた意味がなくなっちゃう」
 さっきまでの迷子のような瞳は幻だったのか、はきはきした口調でそう言い、さっさと自転車のチェーンを外してカラカラとペダルを漕ぎだしてしまった。
 ほんっとお前って、そういうとこな。
 キッと睨みつけられるか怒られるかするので、もちろんそんなのは口には出さなかったが、佑次もノンフレームも、思ったことはどうやら一緒だったらしい。ふたりで目を見合わせ薄く笑い合うと、ぐんとペダルに体重をかけてポニーテールを追いかける。
 市立病院までは、普通に自転車を漕ぐと、だいたい二〇分くらいだろうか。ポニーテールを待つ間にホームページで面会時間を調べると、午後六時までとあった。今は五時半を少し過ぎたところなので、少し急いだほうがいいかもしれない。
「ちょっとスピード上げるぞー」
 先頭を行くポニーテールに呼びかけると、無言で漕ぐスピードを上げられた。……ほんっとお前って、そういうとこな。今日、何度心からしみじみ思ったかわからないそれは、けれどポニーテールから漂ってくる制汗剤の女子らしいフローラルの香りや、佑次のすぐ近くを走るノンフレームの笑い顔に、すぐに笑顔に変わった。

 *

 ギリギリで病院に着き、綿貫先生の見舞いだと告げて病棟のほうへ入れてもらうと、ベッドの上の先生は佑次たちを見て目を丸くし、やがて申し訳なさそうに微笑んだ。
 ここは大部屋なので、ということでラウンジに向かい、丸テーブルを四人で囲むと、先に自動販売機のほうに行っていた先生が佑次たちにジュースを差し入れてくれた。三人で顔を見合わせつつ「いただきます」と缶のプルトップを開けて一口飲む。けっこう頑張って自転車を漕いできたから、ピリピリとした炭酸と冷たさが舌に喉に心地よかった。
 三人全員がジュースに口をつけたところで、先生が言う。
「すみませんね、さあこれからという矢先に倒れてしまって。みなさんにも迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ないことをしたなと思っていたんですよ。でもまだ退院できそうになくてですね。毎日、あなたたちの顔を思い浮かべては、心の中で謝るだけでした」
「そんなっ。先生はなにも悪くないじゃないですか。謝る必要なんて、どこにも……」
「そうですよ、俺らは俺らでなんとかやってますから。まあ正直、心配しないでくださいとは胸を張って言えないんですけど。でも、吹奏楽応援に向けて今までにないくらい真剣に頑張ってますから。どうか先生は自分のことだけ考えて養生してください」
 眉尻を下げる先生に、会長、ノンフレームがふるふると首を振る。線の細い先生だと常々思ってきたが、そんなに悪いのだろうか、少し見ないうちにややほっそりしてしまったように見えて、佑次の胸はぐっと詰まった。心なしか顔色も優れないようで、胸が苦しい。
「ははは。八重樫君はなかなか正直でよろしいですね。箱石さんは? なにか困っていることや先生に話しておきたいことはありますか? なんでも聞きますよ」
 鷹揚に笑って先生は会長に体を向ける。会長は先生の左隣の席に座っている。佑次から見れば正面に先生、右に会長、という並びだ。会長の正面にノンフレームが席を取り、静かにジュースをすすりながら先生と会長の様子を見守っている。
「……あ、あの、浅石君の発案で、明日からビラ配りをすることになったんです。楽器の予算がなかなか下りなくなってしまって、生徒のみんなからは不安に思う声が上がりはじめているんです。それで、なんとかしようってことになって、まずはビラ配りから、って」
 しかし会長は、顔を俯かせたまま、ぽそぽそと現状報告をするだけだった。言いたいことはそれじゃないだろう、と、ほんの少しだけ椅子からお尻が浮きかけた佑次だったが、目だけで制してくるノンフレームに窘められてぐっと口を噤む。ぎりぎりと歯痒い。
 けれど、なかなか踏ん切りがつけられない気持ちもわかる。まして会長は、自分が変なフラグを立てたばっかりに先生の具合が悪くなってしまったと思っているところがある。炭酸をちびりちびりと口に含みながら、佑次は静観するしかなかった。
「そんなことになっていたんですね……。いや、本当に面目ない限りです」
「あっ、違うんです、先生を責めているとか、そんなつもりは……っ」
「ふふ、わかっていますよ。ラスボスは強敵です」
「え」
「顔に出ていますよ、あの教頭めって。君たちもそう思っていますでしょう? 実はここだけの話、先生も何度となく、あの教頭めって思ってるんです。同志ですね」
 そう言って茶目っ気たっぷりにウィンクした先生に、そこで三人の肩から力が抜けた。ふっ、という吹き出し笑いとともに場が一気に和み、一番つらそうにしていた会長の顔にも、徐々にいつもの凛々しさや、安心感から華やかさが戻っていく。
 先生はわかっているのだろう。会長の微妙な表情の変化やノンフレームの言葉の端々から、教頭に阻まれてなかなか上手くいっていないこと、そのせいで心が疲れきってしまっていること、だから自分に会いに来たいと思ってくれたこと。
 言葉にはしなくとも、長年、教育現場の最前線に立って教鞭を振るってきたのだ。その間にたくさんの生徒を見てきただろう。胸が震えて、なんだか少し泣きそうだ。
 それから少し雑談をして、おもむろにトイレに立ったノンフレームに続いて佑次もトイレへ向かった。気持ちばかりの用を足して、洗面台の前の鏡で、特に手入れも必要ないが、一応時間稼ぎのためにうねうねの髪を撫でつけてみる。
「会長、ちゃんと言えたかな」
「さあ、どうだろ。こればっかりは、人を食ったような性格の俺にもわからん」
「……お前、案外根に持ってんね」
「はは。でも、これでも浅石には感謝してんだぞ。言えたかどうかも重要なんだろうけど、きっと先生の顔を見に行くことこそが、箱石にとって一番重要なことだったんじゃねえかかと思う。俺もまだまだだね。ときには強引さも必要――肝に銘じておくよ」
「お前にそう言われても、なんか微妙に嬉しくないのはなんでだ?」
「人を食ったような性格だからじゃない? 素直に喜んでよ、褒めてんだからさ」
 隣の洗面台で、同じく短髪を整えているノンフレームと鏡越しにやり合う。一応これも時間稼ぎのつもりなのだが、やっぱりなんだか微妙に嬉しくないのはなぜなんだろうか。
 たっぷりの時間を使ってトイレから戻ると、先生が会長の頭を優しく撫でていた。泣いているようにも見える会長の背中からそっと目を逸らし、ノンフレームとふたり、並んで近くの壁に背中を預ける。
 あからさまに顔を見合わせて笑ったりはしなかったが、病院らしく真っ白い床に目を落として自身のつま先をじっと見つめるノンフレームが満足そうに微笑していたので、佑次も満足して宙に視線をさまよわせる。
 どうやらちゃんと言えたようだ。これで少しは胸のつかえが取れるといいのだけれど。

 *

 丁重に礼を言って病院を出ると、外はすっかり暗くなっていた。それぞれの家の方向に別れる最後まで会長はなにも言わなかったが、彼女のすっきりとした顔を見ると、ツンばっかりの女子も、これはこれで可愛いものがあるな、と思えてくるから不思議だった。
 全然タイプじゃないし、ノンフレームの気持ちにもなんとなく気づいてしまったので、どうこうするつもりはまったくないのだが。でも、ただの怖いやつだとは、もう思えない。
 ポニーテールが弾みながら夜の街の中へ遠ざかっていく。
 スマホを見れば、武徳伝ではまだ部員たちが弓を引いている頃だった。途中までノンフレームと並んで自転車を漕ぎ、このまま真っすぐ帰るという彼とは、交差点で別れた。
 今日、先生に会いに行ったことで、佑次もいい意味で気持ちがリセットされたように思う。教頭は相変わらずラスボスだし、生徒の間にも吹奏楽応援を不安視する声はある。けれど、佑次の鞄の中には、コピー用紙の束と極太ペンがある。その重みが今はひどく心地いい。
「さーて、徹夜前に弓でも引いて気合い入れっかぁー」
 信号が青になるのを待って、勢いよくペダルを漕ぎだす。
 最初の一漕ぎ目は重かった。でも、走り出したら、もう軽かった。
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