鬼系上司は甘えたがり 苦手な主任が私にだけ独占欲も甘えたがりも鬼並みな件

白野よつは(白詰よつは)

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■4.鬼の心、下僕知らず

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「あれ、知らなかった? 主任、もうずいぶん前から薪ちゃんのこと好きだよ」
「へっ⁉」
「あ、その反応だと、全っっっ然気づいてなかったみたいだね」
「……」
 十一月も半ばに差し掛かり、外を歩くときは厚手のコートやマフラーなどの防寒具、社内ではカーディガンやブランケットが必須アイテムになりつつある冬の訪れ――薪はさっそく、真紘のその鬼並みの独占欲を知ることとなる。

 事のはじまりは、薪が真紘に、一緒に仕事をはじめてから様子がおかしくなっていった理由や、その後、紆余曲折ありつつも付き合いはじめたことを「由里子には話しておきたい」とお願いしたことだった。
 かなり参っていた薪を見兼ねて、由里子にとってはきっと鬼でしかないだろう真紘に『薪の何を見ているんだ』と啖呵を切ってくれたことも、薪のほうからも改めてお礼がしたかったし、何より、散々、心配をかけてしまったこともあって、由里子にはちゃんと話さなきゃと思ったからだ。
 けれど、真紘ときたら『麻井はダメだ』の一点張りで、何度、理由を尋ねても教えてくれなかった。ようやく嫌々と、本当に嫌々と『……俺のことが嫌にならないって約束できるなら、麻井と話してきてもいい』と許可をもらったのは、説得をはじめてから約半月ほどと、お互いにだいぶ粘った結果だったと言える。
 その間に薪の体調はみるみる回復し、すっかり元通りになったものの、真紘がそこまで嫌がる理由に心当たりなんて少しもない薪は、仕事に精を出しながらも、ずっと、どうしてだろうと首を傾げることとなったのだった。
 社内恋愛禁止の会社ではないとはいえ、編集部の人たちには気を遣わせることも多いだろうからと、今はまだ打ち明けないでおこうという話で落ち着いているけれど、どうも由里子のことに関してだけは違うような気がする。まさか〝あの〟真紘が、ただの同僚でしかないはずの由里子に弱みを握られているわけでもあるまいし、いくら薪と由里子が仲がいいといっても、真紘の『俺のことが嫌にならないって約束できるなら』という言葉がやけに引っかかる薪だった。

 そうして冒頭に戻るわけだけれど――。
 まだまだ仕事が山積みではあったけれど、真紘にも許可をもらい、定時上がりで由里子とふたり連れ立って金曜日の夜に繰り出した薪は、向かったダイニングバーであの日の謝罪と、その後、真紘と付き合いはじめたことを報告し終えた。
 すると、開口一番、形のいい唇にふんわりと笑みを浮かべた由里子にそう言われ、薪は目をまん丸に見開いたまま声も出なくなっているというわけだ。
 ――だいぶ前から好きって。全然わからなかったんだけど……。
 とはいえ、真紘は何度も『俺にとっては〝やっと〟なんだ』と言っていたので、由里子の言葉と矛盾はない。申し訳ないほどに薪にはわからなかっただけで、度々、真紘の態度や言葉に出ていたのかもしれないし、そうではなくても、薪と近い関係にある由里子には、第六感的に感じるものがあったのかもしれない。
 でも、そうなると今度は、由里子への報告を半月も粘って有耶無耶うやむやにしようとしていた真紘のあのびっくりするほどの嫌がりようと、嫌々ながら仕方なく折れたときに出された『俺のことが嫌にならないって約束できるなら、麻井と話してきてもいい』という謎の条件がひどく気になってくる。
 だってそれは、言い換えれば〝あの〟鬼が由里子のことを苦手に思っているということだ。そう思っても仕方がないほどに、今になって思い返すと、真紘は薪と由里子をふたりにしたくない様子が顔にも半月の粘りにも素直に出ていた。
 ――由里子は一体、主任の何を知っているの……?
 事もなげに爆弾を落とした由里子に返す言葉も見つからないまま、薪の心境は次第に、きっと真紘も抱いただろう戦々恐々としたものになっていった。
「じゃあさ、私が知ってること、教えてあげるね」
 そう言うと、由里子は飲んでいたカクテルをテーブルに置き、ふわりと微笑む。
 その顔が真紘以上に鬼に見えたのは幻だろうか。
「う、うん……」
 ごくりと唾を飲み込み、薪は頷く。
 けれど、頷いたはいいものの、薪の胸は、この際、全部教えてもらって早く楽になりたい気持ちと、それでもやっぱり、どんなふうに真紘が自分のことを好きでいたかを知りたくないと思う気持ちの間で、たっぷり三十秒は揺れ動いたのだった。

「まず手始めに。薪ちゃんによーく思い出してみてほしいんだけど、主任がほかの編集部の人や社内の人を下の名前で呼んでるの、見たり聞いたりしたことある?」
「えっ。……う、ううん。ざっと思い返してみても、私くらい……じゃない?」
「そう、それ! それってつまり、主任が薪ちゃんを好きな証拠、その一なわけ」
「はいっ⁉」
 そんな中はじまった由里子の話は、薪にとっては呼ばれ慣れすぎて当たり前の感覚以外の何物でもなかった〝下の名前でばれる〟というところがまず、真紘が薪を〝好き〟だという証拠であるという考察から幕を開けた。
 由里子は名探偵さながらに薪の返事に相槌を打ったけれど、薪のほうとしては、それが好きな証拠だと言われても驚いた声しか出てこない。しかも〝その一〟だというから、これから由里子にどんなことを教えられるか、またしても話の先を聞くのが怖くなってしまう薪だ。
「そんなにびっくりしなくたっていいじゃない。編集部の人たちがどれだけ気づいてるかはわからないけど、薪ちゃんのことを名前で呼びはじめたのって、たぶん、私たちが入社して一年くらい経った頃からだったと思うんだよね。まあ、薪ちゃんの名前は薪割りと同じ〝薪〟だから、毒舌な主任には何かやらかすたびに『火にくべて燃やすぞ』って言いやすかったんだろうけど、普通に考えたら即アウトの発言でしょう? セクハラだのパワハラだの、たとえ薪ちゃん本人からじゃなかったとしても、周りがそう判断したら上に言うわけだし。それでも名前で呼び続けるって、主任はその頃から相当、薪ちゃんにマーキングしてたと思うんだよね」
 すると由里子は一息にそう言い、カクテルを口に含む。
「マーキングって……」
「でもそうだよ? だから今、主任は、やっと念願叶って幸せなんじゃないかな」
「……うん」
 薪も自分のカクテルに口を付けながら、でも由里子の言う通りだなと思う。
 付き合いはじめてからの真紘は、プライベートで一緒にいるときは、ほんの少しだって薪から離れたがらないし、なんなら全身から幸せが滲み出ている。薪が何をしていても近くでずっと眺めているし、自分の視界に薪が入っているだけで満足だという気持ちが雰囲気にダダ漏れていて、薪はけっこうな頻度で照れくさかったり恥ずかしい思いをしつつ、そんな真紘のことを可愛いなと思うことに忙しい。
 いつも手料理を振る舞ってもらってばかりでは申し訳ないからとハンバーグを作ったときなど、真紘はやれ『肉はハート形がいい』だの、買った肉が多いと見るや、やれ『全部焼け。あとで俺が食うから残りは冷凍だ』だのと、口調は普段とさほど変わらなかったものの、薪が作った料理にも独占欲が剥き出しだった。
 私の前だから安心して甘えられるんだなと思う場面も多く、薪は真紘に甘えられるたび、心の底から嬉しさや愛おしさが込み上げてくる、ここ半月ほどだった。
 すると、由里子の表情が少し曇る。
「でもさ、後悔してるっていうか、薪ちゃんに申し訳なく思ってることがあって」
「ん?」
「私はほら、主任が薪ちゃんを好きだって気づいちゃってたからさ。主任が薪ちゃんに『火にくべて燃やすぞ』って言うたびに〝薪ちゃん大好き〟にしか聞こえなくて、主任は不器用が過ぎるって思ってたんだけど。……でも、私、薪ちゃんの気持ちを考えてなかったなって反省してるんだよね。だって、一番重要なのは薪ちゃんがどう思うかだったり、どう感じたりするかじゃない? そこのところをあんまり考えてなかったなって思ってて。……ごめんね」
「由里子……」
「だから、さっきは主任は念願叶って幸せだとか言っちゃったけど、薪ちゃんがちゃんと主任のことが好きで付き合ってるんだってわかって、安心した」
「……うん、ありがとう。私が好きだから付き合ってるの」
「うん」
 じわじわと胸の奥が温かくなっていくのを感じながら、薪は俯き加減ではにかみ、改めて自分が真紘のことを好きだから付き合っていることを伝えた。
 由里子や真紘や、それから度々見聞きしていた編集部の人たちのために言っておくと、薪は特に『火にくべて燃やすぞ』と言われても、それイコール、いわゆる上に報告するほどの問題という認識を持ったことはなかった。
 厳しいし毒舌なのはわかっていたことだし、真紘はいつも薪のフォローをしてくれた。話しかけたとき、あからさまに不機嫌な態度を取られたこともなかったし、嫌いだからそういう発言をするんだとは一度も思ったことはない。
 鈍いと言われればそれまでだけれど、頼りになる面も、結局は優しい面もたくさん知っているから、薪はずっと平気だったくらいだ。だから、由里子が謝る必要なんて少しもないし、真紘や編集部の人たちも何も後ろめたく思うことなんてない。
 こうして種明かしをされた今なら、あれもこれも〝好き〟の裏返しだったんだなと気づくことは多いものの、たとえ知らないままだったとしても、由里子に真紘が苦手だと泣きつくことはあれど、その〝苦手〟に思う気持ちが〝嫌い〟に変わることなんてあり得るんだろうかと、逆にそちらのほうを疑ってしまうほどだ。
「じゃあ、もっと言っちゃって大丈夫だね」
「お、お手柔らかに……」
 すっかり調子を取り戻したらしい由里子に、テーブルに両肘を付いて身を乗り出しながら言われた薪は、若干、椅子の背もたれに身を引いてしまいつつ、またカクテルに口を付ける。なんとなく手持ち無沙汰なのもあるけれど、何かそれらしい動作をしていないと、これから明かされるだろう〝その二〟や、きっとある〝その三〟をまともに聞ける気がしなかった。
 そんな薪に、にっこりと目を細めた由里子は、形のいい唇にも同じ笑みを作る。
「社員旅行のときも、そう。主任ったら、夜の食事会で薪ちゃんにばっかりお酌させて、片想い中から関白宣言かよって感じでさ。私、近くの席から見てて笑いを堪えるのに必死で……っ。だって、どうして私ばっかりなんだろうって困り顔の薪ちゃんと、涼しい顔をしながらテーブルの下で小さくガッツポーズをする主任だよ? たまたま見えちゃったんだけど、そのとき私、面白すぎるって思ったのと同時に、ああよっぽど好きなんだなって感動しちゃって。ということで、それにまつわる出来事が、主任が薪ちゃんを好きな証拠、その二かな」
「え、待って。いろいろびっくりだけど、まつわるって、どういうこと……?」
 けれど、またしても一息に言った由里子とは反対に、薪は社員旅行に〝まつわる〟という気になりすぎる言葉に一瞬のうちに背筋がぞわりとしてしまった。
 由里子が言った通り、二年に一回、十一月に希望者を集めて行われる社員旅行に去年初めて由里子とともに参加した薪は、夜の食事会でなぜか真紘に付きっきりでお酌させられ、なかなかに強烈な記憶として頭にしっかり刻まれている。
 困っていたのも本当で、部長をはじめとする編集部の人たちや他部署の人へのあいさつ回りが済んで自分の席に戻ろうとしたところを、真紘に〝鬼と下僕の主従関係〟よろしく『薪はこっち』と呼び止められ、ちっともわけがわからないまま、ずっとそばに置かれてしまった。……真紘にも一度、お酌に回ったというのにだ。
 テーブルの下でガッツポーズを作っていたのはわからなかったけれど、今となっては、去年のそれも真紘の独占欲の表れだったと言い切ることができるだろう。
 そのときの薪の心境としてはもちろん、下僕だから仕方がないという諦めの気持ちしかなかった。真紘に憧れや恋心を抱いている他部署の女子社員からの身も竦むような視線を浴びながら、なぜかそばに置かれ、延々とお酌するという面も含めて、薪は、どうして私なんだろうとほとほと困り果てたというわけだった。
 ――あれは私のことが好きだから、だったのね……。
 とはいえ〝まつわる〟というくらいだ、薪が知らないだけで、社員旅行での真紘の薪に対する独占欲はこんなものではなかっただろうことは確定である。
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