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第二部
最後の賭け
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見下ろしてくる瞳を見上げた。実際にそういうことはなかったみたいだからその可能性は限りなく低いのに。優しい人なのよね、口は悪いしだらしなく見えることもあるけれど。
「私のことは、気にしないでください」
「すまねぇ。はっきりするまではと思っていたんだが……」
あと十日ほどで月のものが来るはずだけど、その時間もままならないってこと? そこまで急がなきゃいけないの?
「いつ……発たれるのですか?」
嫌な予感が増して声が思ったよりも掠れてしまった。
「明日の朝だ」
「あ、明日って……そんな!」
いくら何でも急すぎるわ。いえ、前々からその予定だったのかもしれないけれど。
「すまねぇ。だがこれは最後の賭けだ。王女よりも先にエーデル王と話がしたいんだ」
「王女殿下よりも?」
噂では半月後にはエーデルに向かうとも言われているわ。冬になるとこの地方は雨が増えて移動に適さないからと。
「王女は兄王子の助命をエーデル王に願い出るだろう。王が王女に絆される前に片を付けたい」
確かに王女殿下がそう願い、エーデル王が聞き入れたら彼の命が危うくなるわ。ダーミッシュ領だってどうなるか……
「しょ、勝算は、あるのですよね?」
祈るような思いでそう尋ねた。いつものように、戦時中のように言ってほしい。俺に任せておけと、心配することは何もないと。その言葉を待ったけれど彼は困ったような弱い笑みを浮かべるだけだった。この表情には見覚えがあるわ。戦時中に一度だけ見たことがある。あの時は……ぞっとするほどの寒気に背中を覆われた気がした。
あれは終戦の二年ほど前、彼が英雄と讃えられるきっかけになった戦いだったわ。ダーミッシュとエーデルの国境付近で起きた戦いはエーデルの圧倒的な展開で、その場にいた彼の部隊は全滅寸前だった。その中に私もいたわ。私たちは数えきれないほどの怪我人を治療するために何日も不眠不休で駆けまわっていた。援軍の当てもなく、物資も底を突いて久しく、薬草もなく応急処置をするのが精一杯の中、疲れ切った頭でもこのまま死ぬのだろうと覚悟を決めずにはいられないほど悲惨な状況だった。
そんな絶望的な中、僅かに残った兵をかき集めてエーデルを奇襲したのがギルベルト殿だった。そんな余力などないと油断し、また夜更けに攻撃など仕掛けて来ないだろうと高を括っていたエーデル軍は突然の襲撃に驚き、混乱している間にギルベルト殿は敵の将を倒してしまったのだ。ギルベルト殿は援軍がいるように見せかけていたとかで、長を失ったエーデル軍は慌てて撤退していったという。
「こんなに上手くいくとはなぁ……」
後に怪我をした彼の手当てをしていた時、彼はそう言って頭をかいていた。あの時は自分たちを囮にして皆を逃がすつもりだったと、勝算はなかったのだと彼は確かにそう言っていた。そして今の表情は奇襲をかける前に見たそれに近かった。それはつまり、死を覚悟していると、死ぬことも想定しているということ。勝算がないか、あってもかなり低いと……
「い、行かないでください!」
思わず彼の胸元の服を掴んでいた。今ここで手を離したらこの人は二度と戻ってこないような気がしたから。
「そういうわけにはいかねぇ。早くエーデル王を説得しねぇとここが危ねぇんだ」
「だけど、上手くいかなかったら……」
そうなった時、この人の命はどうなるの? ダーミッシュなど要らないと突っぱねられたら? 今のダーミッシュは戦乱で畑も荒れて望むほどの収穫は得られないわ。それにエーデル国民の感情も。この人を仇と恨む人だって少なくないはず。
「ダーミッシュをエーデルに編入させる。それは親父の、いや、数代前からの当主の悲願でもあるんだ。もうリムスの理不尽な要求に従っていられねぇからな。エーデル王は計算が出来る男だ。ダーミッシュを手に入れりゃ大量の穀物が手に入る。戦争さえなきゃここほど豊かなところはねぇんだからな」
そう言ってにっと笑った。彼の言うことは一理あるし、確かにエーデルに編入して平和になれば今よりもずっと豊かになるわ。説得が成功すれば、の話だけど。
「だけど、行ったら殺されるかもしれないんですよ! それがわかっていて行くなんて……そんなの無駄死にと同じじゃないですか! 無駄死にはしない主義じゃなかったんですか!」
一年半前のあの時だって死ぬ気はねぇと、無駄死になんかする気はねぇと言っていたわ。だけど後であれはハッタリだった、自分にそう言い聞かせていたんだと笑っていたの、忘れていないわよ。あの時は笑い話に出来たけれど、今回もそうとは限らないわ。
「心配いらねぇよ。エーデル王は話が分かる御仁だと……」
「せっ、責任取るって言ったのは嘘だったんですか?」
どうしても行くと、気持ちは変わらないというの? だったらあの言葉はどういう意味なのよ。
「は? 何を……」
「責任取るって言ったじゃないでですか。それって子が成人するまで援助するって意味ですか? まさか、その程度で終わらせる気じゃないでしょうね!?」
上着を掴んだまま詰め寄ったら後ろず去りしたけれど逃がす気はなかった。こうなったらどんな手を使ってでも行かせないわ。
「い、いや、そんなつもりは……」
「じゃ、どうするつもりだったんです?」
思いっきり怖い顔で睨みつけたけれど、下からだと迫力に欠けるかしら。身長差が恨めしいわ。同じくらいだったらもっと効果が望めたのに。
「私のことは、気にしないでください」
「すまねぇ。はっきりするまではと思っていたんだが……」
あと十日ほどで月のものが来るはずだけど、その時間もままならないってこと? そこまで急がなきゃいけないの?
「いつ……発たれるのですか?」
嫌な予感が増して声が思ったよりも掠れてしまった。
「明日の朝だ」
「あ、明日って……そんな!」
いくら何でも急すぎるわ。いえ、前々からその予定だったのかもしれないけれど。
「すまねぇ。だがこれは最後の賭けだ。王女よりも先にエーデル王と話がしたいんだ」
「王女殿下よりも?」
噂では半月後にはエーデルに向かうとも言われているわ。冬になるとこの地方は雨が増えて移動に適さないからと。
「王女は兄王子の助命をエーデル王に願い出るだろう。王が王女に絆される前に片を付けたい」
確かに王女殿下がそう願い、エーデル王が聞き入れたら彼の命が危うくなるわ。ダーミッシュ領だってどうなるか……
「しょ、勝算は、あるのですよね?」
祈るような思いでそう尋ねた。いつものように、戦時中のように言ってほしい。俺に任せておけと、心配することは何もないと。その言葉を待ったけれど彼は困ったような弱い笑みを浮かべるだけだった。この表情には見覚えがあるわ。戦時中に一度だけ見たことがある。あの時は……ぞっとするほどの寒気に背中を覆われた気がした。
あれは終戦の二年ほど前、彼が英雄と讃えられるきっかけになった戦いだったわ。ダーミッシュとエーデルの国境付近で起きた戦いはエーデルの圧倒的な展開で、その場にいた彼の部隊は全滅寸前だった。その中に私もいたわ。私たちは数えきれないほどの怪我人を治療するために何日も不眠不休で駆けまわっていた。援軍の当てもなく、物資も底を突いて久しく、薬草もなく応急処置をするのが精一杯の中、疲れ切った頭でもこのまま死ぬのだろうと覚悟を決めずにはいられないほど悲惨な状況だった。
そんな絶望的な中、僅かに残った兵をかき集めてエーデルを奇襲したのがギルベルト殿だった。そんな余力などないと油断し、また夜更けに攻撃など仕掛けて来ないだろうと高を括っていたエーデル軍は突然の襲撃に驚き、混乱している間にギルベルト殿は敵の将を倒してしまったのだ。ギルベルト殿は援軍がいるように見せかけていたとかで、長を失ったエーデル軍は慌てて撤退していったという。
「こんなに上手くいくとはなぁ……」
後に怪我をした彼の手当てをしていた時、彼はそう言って頭をかいていた。あの時は自分たちを囮にして皆を逃がすつもりだったと、勝算はなかったのだと彼は確かにそう言っていた。そして今の表情は奇襲をかける前に見たそれに近かった。それはつまり、死を覚悟していると、死ぬことも想定しているということ。勝算がないか、あってもかなり低いと……
「い、行かないでください!」
思わず彼の胸元の服を掴んでいた。今ここで手を離したらこの人は二度と戻ってこないような気がしたから。
「そういうわけにはいかねぇ。早くエーデル王を説得しねぇとここが危ねぇんだ」
「だけど、上手くいかなかったら……」
そうなった時、この人の命はどうなるの? ダーミッシュなど要らないと突っぱねられたら? 今のダーミッシュは戦乱で畑も荒れて望むほどの収穫は得られないわ。それにエーデル国民の感情も。この人を仇と恨む人だって少なくないはず。
「ダーミッシュをエーデルに編入させる。それは親父の、いや、数代前からの当主の悲願でもあるんだ。もうリムスの理不尽な要求に従っていられねぇからな。エーデル王は計算が出来る男だ。ダーミッシュを手に入れりゃ大量の穀物が手に入る。戦争さえなきゃここほど豊かなところはねぇんだからな」
そう言ってにっと笑った。彼の言うことは一理あるし、確かにエーデルに編入して平和になれば今よりもずっと豊かになるわ。説得が成功すれば、の話だけど。
「だけど、行ったら殺されるかもしれないんですよ! それがわかっていて行くなんて……そんなの無駄死にと同じじゃないですか! 無駄死にはしない主義じゃなかったんですか!」
一年半前のあの時だって死ぬ気はねぇと、無駄死になんかする気はねぇと言っていたわ。だけど後であれはハッタリだった、自分にそう言い聞かせていたんだと笑っていたの、忘れていないわよ。あの時は笑い話に出来たけれど、今回もそうとは限らないわ。
「心配いらねぇよ。エーデル王は話が分かる御仁だと……」
「せっ、責任取るって言ったのは嘘だったんですか?」
どうしても行くと、気持ちは変わらないというの? だったらあの言葉はどういう意味なのよ。
「は? 何を……」
「責任取るって言ったじゃないでですか。それって子が成人するまで援助するって意味ですか? まさか、その程度で終わらせる気じゃないでしょうね!?」
上着を掴んだまま詰め寄ったら後ろず去りしたけれど逃がす気はなかった。こうなったらどんな手を使ってでも行かせないわ。
「い、いや、そんなつもりは……」
「じゃ、どうするつもりだったんです?」
思いっきり怖い顔で睨みつけたけれど、下からだと迫力に欠けるかしら。身長差が恨めしいわ。同じくらいだったらもっと効果が望めたのに。
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