86 / 107
語りかける
しおりを挟む
翌朝、私はエリーとジョエル、アルノーとエドガール様、そして犬を二頭伴って屋敷を発った。これはオーリー様が居なくなった時のメンバーと同じだ。どうしてもあの時のことを思うとこの人選になってしまう。単なる私の自己満足だ。
「アン、わかっているとは思うけれど……」
馬を駆りながら、出発の際にお祖母様がためらいがちにかけた言葉を思い出した。あれは今回を機に諦めるようにという意味だろう。既に王家は次の相手を決めていた。今度は公爵家の三男で有能な文官だという。
オーリー様があのまま寝たきりだったら私の好きな相手と子を成せばいいと言われていたけれど、その前提のオーリー様がいなくなってしまった。となれば王家は国のためにも次の相手を見繕う必要があり、既に父がやらかした我が家に断る選択肢はない。
半年前の夜会で紹介された相手は、私よりも一つ年下の穏やかそうな青年だった。数字に明るいと評判の彼に財政難の我が領の立て直しとお考えなのだろう。結界が完全に修復された今、次の課題は慢性的な財政難だから。
(悪い人じゃないけど……)
実際、候補者は穏やかで理知的で、第一印象は悪くなかった。最初に紹介されていたらすんなり受け入れただろうし、いい人でよかったと思っただろう。もしオーリー様と二人同時に示されたら彼を選んだろうなとも思う。それくらい、最初のオーリー様の印象はよくなかった。ううん、はっきり言って悪かった。どうして私がそんな事故物件を……と思ったくらいには。
(このまま、そっとしておいてほしいのに……)
それが今の私の気持ちだった。まだオーリー様を想う気持ちは薄れそうもない。私が自覚したのが居なくなった後なのだから性質が悪い。どうしてもっと早くに気付かなかったのかと後悔してもし切れないし、そうなれば見つかったらああしたい、こうしたいとの願いが増すばかりなのだ。リファールにいるとオーリー様の魔力を感じるから、居なくなった気がしないのも私が思い切れない一因でもあった。
馬を駆って一日目には一番目の結界の要に着いた。特に変化はなく、そのまま二番目の要に向かった。着く頃には辺りは暗くなっているだろうか。
二番目の要に着いたのは、すっかり辺りが闇に包まれた頃だった。それでも何度も何度も通ったここの地形は頭に入っているし、目印もつけた。既にこの三年の間に哨戒を繰り返しているから敵兵が潜んでいる可能性はほぼない。危険なのは野生の獣や夜盗だろうか。それもこのメンバーなら滅多なことはない。私もあれから結界魔術を学んだから、野営の間身を護るくらいは出来るし。
(オーリー様……)
ジョエルたちが野営の準備をしている間に、私はエドガール様を伴って要の元に向かった。三年前と同じ、私たちが近づかなければ藪の中でその姿は見つけ難いけれど、魔力を辿れば直ぐに分かる場所だ。
「オードリック様、そろそろ出て来て下さい。そうでなければアンジェリク様が他の婿を迎えてしまいますぞ」
迫る数多の想いに立ち尽くしていると、小声でエドガール様が要にそう話しかけているのが聞こえた。片膝をついたその姿は真剣で、本当にオーリー様に話しかけている様に見える。彼が私を心配してくれているのを感じて心が温かくなった。
「オーリー様、本当にエドガール様の言う通りです。二か月後の夜会では、私、多分次の婚約者を決められてしまうんです。そうしたらオーリー様が帰る場所、なくなってしまいますよ」
そう、私が結婚したらこの地にオーリー様の居場所はなくなってしまう。父がああなって後継者は私一人だけ。養子を迎えるにも父は一人っ子で、お祖父様の弟のところも子が出来なかった。どうしても私が子を産むしかないのだ。
「そうですぞ、オードリック様。いつまで寝ているのですか? 隠れているのですか? 早くしないとアンジェリク様を掻っ攫われますぞ!」
いつものオーリー様を嗜める口調に、思わず笑みが込み上げてきた。それでも心が晴れる筈もない。そんな彼だって新しい婿が来たら居場所がなくなってしまうのだ。伯爵家の後継者の地位を弟に譲ってオーリー様に従ったエドガール様にはもう帰る家もないのだから。
「ふふっ、オーリー様。私、結界魔術も習っているんですよ」
ようやく最近、直接魔石に術式を組み込んで魔力を流せるようになった。この先何十年か経って、今回交換しなかった魔石が割れた時、私が修復出来るようにと習ったのだ。
「まだまだオーリー様には及ばないけれど、ほら、魔石に魔力を送ることだってできるようになったんですよ」
そう言いながら魔石に刻まれたオーリー様の術式をなぞって、そっと魔力を流し込んだ。途端に魔石がふわっと淡い光を浮かべて星が瞬くように輝いた。同時に結界が少しだけ揺れるのを感じた。私の魔力がオーリー様のそれと同化したからだろうか。
結界が僅かに光を帯びて、闇の中に淡い光が揺れた。昼間は見えなかったそれも、夜なら見えるらしい。
「アンジェリク様?」
「魔力を、流したのよ。夜だとこんな風に見えるのね。昼間だったからわからなかったわ」
「そ、そうでしたか」
魔力が見えないエドガール様には、結界に浮かんだ光だけが見えたのだろう。何とも幻想的な光景で、こんな風になるなんて私も知らなかった。もう一度見たくてさっきよりも少し多めに魔力を流した。
「アンジェリク様!」
二度目に浮かんだ光はさっきよりもずっと明るくて長く続いた。まるで風に揺れるレースのカーテンのように軽やかで儚い。
「アンジェリク様!!」
空に揺れるカーテンを見つめる私に、エドガール様の鋭くも驚く声が届いた。そんなに驚くことはないだろうに。そう思いながらも光が消えるのをまって振り向いた私は、息を止めた。
「アン、わかっているとは思うけれど……」
馬を駆りながら、出発の際にお祖母様がためらいがちにかけた言葉を思い出した。あれは今回を機に諦めるようにという意味だろう。既に王家は次の相手を決めていた。今度は公爵家の三男で有能な文官だという。
オーリー様があのまま寝たきりだったら私の好きな相手と子を成せばいいと言われていたけれど、その前提のオーリー様がいなくなってしまった。となれば王家は国のためにも次の相手を見繕う必要があり、既に父がやらかした我が家に断る選択肢はない。
半年前の夜会で紹介された相手は、私よりも一つ年下の穏やかそうな青年だった。数字に明るいと評判の彼に財政難の我が領の立て直しとお考えなのだろう。結界が完全に修復された今、次の課題は慢性的な財政難だから。
(悪い人じゃないけど……)
実際、候補者は穏やかで理知的で、第一印象は悪くなかった。最初に紹介されていたらすんなり受け入れただろうし、いい人でよかったと思っただろう。もしオーリー様と二人同時に示されたら彼を選んだろうなとも思う。それくらい、最初のオーリー様の印象はよくなかった。ううん、はっきり言って悪かった。どうして私がそんな事故物件を……と思ったくらいには。
(このまま、そっとしておいてほしいのに……)
それが今の私の気持ちだった。まだオーリー様を想う気持ちは薄れそうもない。私が自覚したのが居なくなった後なのだから性質が悪い。どうしてもっと早くに気付かなかったのかと後悔してもし切れないし、そうなれば見つかったらああしたい、こうしたいとの願いが増すばかりなのだ。リファールにいるとオーリー様の魔力を感じるから、居なくなった気がしないのも私が思い切れない一因でもあった。
馬を駆って一日目には一番目の結界の要に着いた。特に変化はなく、そのまま二番目の要に向かった。着く頃には辺りは暗くなっているだろうか。
二番目の要に着いたのは、すっかり辺りが闇に包まれた頃だった。それでも何度も何度も通ったここの地形は頭に入っているし、目印もつけた。既にこの三年の間に哨戒を繰り返しているから敵兵が潜んでいる可能性はほぼない。危険なのは野生の獣や夜盗だろうか。それもこのメンバーなら滅多なことはない。私もあれから結界魔術を学んだから、野営の間身を護るくらいは出来るし。
(オーリー様……)
ジョエルたちが野営の準備をしている間に、私はエドガール様を伴って要の元に向かった。三年前と同じ、私たちが近づかなければ藪の中でその姿は見つけ難いけれど、魔力を辿れば直ぐに分かる場所だ。
「オードリック様、そろそろ出て来て下さい。そうでなければアンジェリク様が他の婿を迎えてしまいますぞ」
迫る数多の想いに立ち尽くしていると、小声でエドガール様が要にそう話しかけているのが聞こえた。片膝をついたその姿は真剣で、本当にオーリー様に話しかけている様に見える。彼が私を心配してくれているのを感じて心が温かくなった。
「オーリー様、本当にエドガール様の言う通りです。二か月後の夜会では、私、多分次の婚約者を決められてしまうんです。そうしたらオーリー様が帰る場所、なくなってしまいますよ」
そう、私が結婚したらこの地にオーリー様の居場所はなくなってしまう。父がああなって後継者は私一人だけ。養子を迎えるにも父は一人っ子で、お祖父様の弟のところも子が出来なかった。どうしても私が子を産むしかないのだ。
「そうですぞ、オードリック様。いつまで寝ているのですか? 隠れているのですか? 早くしないとアンジェリク様を掻っ攫われますぞ!」
いつものオーリー様を嗜める口調に、思わず笑みが込み上げてきた。それでも心が晴れる筈もない。そんな彼だって新しい婿が来たら居場所がなくなってしまうのだ。伯爵家の後継者の地位を弟に譲ってオーリー様に従ったエドガール様にはもう帰る家もないのだから。
「ふふっ、オーリー様。私、結界魔術も習っているんですよ」
ようやく最近、直接魔石に術式を組み込んで魔力を流せるようになった。この先何十年か経って、今回交換しなかった魔石が割れた時、私が修復出来るようにと習ったのだ。
「まだまだオーリー様には及ばないけれど、ほら、魔石に魔力を送ることだってできるようになったんですよ」
そう言いながら魔石に刻まれたオーリー様の術式をなぞって、そっと魔力を流し込んだ。途端に魔石がふわっと淡い光を浮かべて星が瞬くように輝いた。同時に結界が少しだけ揺れるのを感じた。私の魔力がオーリー様のそれと同化したからだろうか。
結界が僅かに光を帯びて、闇の中に淡い光が揺れた。昼間は見えなかったそれも、夜なら見えるらしい。
「アンジェリク様?」
「魔力を、流したのよ。夜だとこんな風に見えるのね。昼間だったからわからなかったわ」
「そ、そうでしたか」
魔力が見えないエドガール様には、結界に浮かんだ光だけが見えたのだろう。何とも幻想的な光景で、こんな風になるなんて私も知らなかった。もう一度見たくてさっきよりも少し多めに魔力を流した。
「アンジェリク様!」
二度目に浮かんだ光はさっきよりもずっと明るくて長く続いた。まるで風に揺れるレースのカーテンのように軽やかで儚い。
「アンジェリク様!!」
空に揺れるカーテンを見つめる私に、エドガール様の鋭くも驚く声が届いた。そんなに驚くことはないだろうに。そう思いながらも光が消えるのをまって振り向いた私は、息を止めた。
127
あなたにおすすめの小説
追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・
青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。
婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。
「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」
妹の言葉を肯定する家族達。
そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。
※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。
【完結】妹に全部奪われたので、公爵令息は私がもらってもいいですよね。
曽根原ツタ
恋愛
ルサレテには完璧な妹ペトロニラがいた。彼女は勉強ができて刺繍も上手。美しくて、優しい、皆からの人気者だった。
ある日、ルサレテが公爵令息と話しただけで彼女の嫉妬を買い、階段から突き落とされる。咄嗟にペトロニラの腕を掴んだため、ふたり一緒に転落した。
その後ペトロニラは、階段から突き落とそうとしたのはルサレテだと嘘をつき、婚約者と家族を奪い、意地悪な姉に仕立てた。
ルサレテは、妹に全てを奪われたが、妹が慕う公爵令息を味方にすることを決意して……?
そんなに妹が好きなら死んであげます。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』
フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。
それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。
そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。
イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。
異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。
何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧井 汐桜香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる