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第四十二話『君もいずれは』
しおりを挟む対局が決したとみたオレは地面に仰向けに倒れたアンナに歩み寄る。
「お前にとって、この世界は本当に何もないものだったのか?」
「ふん、知らんな」
呆然と空を眺めながら彼女はつまらなそうに言った。
そんなもんなのか。
お前は自分の生まれた世界で誰にも巡り合えなかったのか。
……オレは力を持っている。
オレがその気になれば、そこに住まう人々を生命活動ができないようなところへすっ飛ばして全滅させることだってできるような強大な力を。
無論、そこまでできることは誰にも口外していなかったけれど。
喋っていたらオレは厳重な監視のもとで行動を制限されていたはずだ。
オレにはオレを理解してくれる人がいた。
そのおかげでオレはこの力を使って世界を壊さずに済んだ。
姫巫がいる世界を壊せば、あいつが悲しむから。
だから踏みとどまれた。一線を越えなくて済んだ。
元の世界ではオレと同じくらい強力な力を持ちながらきちんと周囲に受け入れられているやつだっていたから、オレがこの能力のせいで友人ができなかったというのは甘えに過ぎないのかもしれないけど。
「……まだだッ。まだ私は負けてはいない!」
オレが少々感傷的な気分に浸っていると、諦めたと思っていたアンナの瞳が力強く再点火した。
そして未だ消沈して項垂れているロキの元へ狙いを定めて走り出した。
「……ちっ、わかんねえやつだな」
瞬時に移動したオレは背後からアンナの左の肩甲骨付近を――ちょうど心臓のある辺りを――まっすぐ手刀で突いた。
突き刺したオレの右腕は彼女の背中を抜けて胸部を貫通する。
「ぐはっ……」
彼女の身体を通り抜けた手の平の中にはキューブ状の透明で小さい箱が握られており、そこでは真っ赤な心臓がどくんどくんと生を感じさせる脈動をしていた。
もちろんこの心臓はアンナ・エンヘドゥ、彼女のものだ。
「あっ……あっ……」
背中越しなので恐らく驚愕に彩られているだろう女騎士の表情を見ることは叶わない。
ふむ、横着しないでちゃんと正面に回り込めばよかったかな。
するりと腕を引き抜くとアンナはへなへなと腰を落としてへたり込んだ。
「安心しろ。別に抉り取ったわけじゃねえから死にはしねえよ」
場所は異なっているが血管は繋がったままだし、断面も見えてるけど空間は凍結されてるから出血もない。
ただ、あるべきところとは違うところで機能を果たしてるだけだ。
「言ったろ? オレの能力は次元移動と空間移動。だからこうやって心臓付近の次元を切り取って手に収めたりもできる」
ハンバーグのタネを形作るように両の手の平の上で交互にアンナの心臓を転がす。
「知らん! 聞いていない!」
「あ、口に出してはなかったっけ」
「ひぎぃ!」
アンナは胸を押さえて痙攣を起こす。
「こうやって握りしめてやれば痛みはしっかり押し寄せるからよく覚えておけよ」
完全に心を折るために命の手綱を握っている現実を理解させる。
身を持ってしっかり、精神の奥深くに刻みつけるように。
「わ、私には人質がいる!ここにはいない騎士たちに使用人を押さえさせているんだ! 人死にを出したくなければ私に心臓を返せ!」
心臓を返せって、こうやって聞くとすげえ台詞だな。
とっておいてなんだけど。
「残念ながら、その人質とやらはもういませんよ」
そんな言葉とともに暗がりの向こうから姿を現したのはアキレスだった。
若干の距離を置いてエイルやヴェスタたちの姿も確認できる。
「アキレス! 貴様、なぜここにいる! 貴様は――」
アンナの目が驚きに満ち、見開かれる。まるで死人と立ち会ったかのような反応だった。
「始末したはずだ、とそう言いたいのかな?」
すっと目を細めて冷たい声音で告げる。
「いやはや、実にショックだな。本当に君の指示だったとは。……ちなみに私を襲おうとした彼らは今頃、洞窟の地面を布団にスヤスヤ寝ていると思うよ」
「この化け物め……。なら人質の解放は貴様が……?」
「いや、それもすべてジゲン殿がすべて済ませてくれていてね。私はその確認をしただけだよ」
そう、オレはここへ来る前に囚われの身になっていた使用人たちをすべて救い出していた。
人質というのは実力差があっても身動きが取れなくなる厄介なカードだ。
戦いを優位に進められてもそこを押さえられていては最後にひっくり返されかねない。
案の定、アンナは窮地の切り札でそれを持ち出そうとしてきた。
最初に潰しておいてよかったぜ。
そのせいでロキの救出が間一髪になってしまったけど。
ああ、見張りをしていた騎士どもは例のごとく地下の水源にすっ飛ばしておいた。
今頃は後に送った連中も含めて浜辺でエンジョイしているだろう。
「そういうわけだ。もう諦めろ。アンナ・エンヘドゥ」
オレは空っぽになった左胸を押さえながら頭を垂れているアンナに敗戦を告げた。
「……君もいずれは私の母と同じ末路へ行きつくかもしれんぞ。王族の連中は傲慢で勝手な連中だ。何も頼るべきものがない異世界で、着の身着のまま放り出されることがどれほどの苦難か。この世界で君は異物なのだ。いざというときにこの世界のやつらは何もしてくれない」
「エイルはオレを元の世界に帰してやるって言ってくれたぜ。そんな女が身勝手だと思うのか?」
「……そんなのは帰れるわけがないから適当に言っているだけだ」
「そうかもしれない。けど、オレはそう言って味方になってくれるあいつにだいぶ救われてるよ」
「甘いな。甘すぎる。それは付け込まれて一方的に搾取される側の考え方だ」
憎い仇を見るような恨みの込められた視線をぶつけながら、もどかしいものを見る目で言った。
お前は何もわかってはいないと、そういう意図の込められた瞳の色をしていた。
「搾取されそうになったら全部ぶっとばしてやるから心配いらねえよ。オレにはそういう力がある」
オレがそう言うと彼女は呆気に取られたように口を開けた。
アキレスは『さすがですね』と本気なのか冗談なのかよくわからない感想を口に出した。
「ジゲン、ロキ!」
エイルたちも安全が確認できたからか、こちらに向かって一直線に走ってきている。
どうやらこれで、この厄介だった騒動も終わりを迎えてくれるみたいだった。
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