どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第一章 夜の女王とミミズク

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 カリレーヌ令嬢に誘惑されたあと、いたたまれずに、ぐるぐると回廊を歩いていた。ギスランは、側で見ていたくせに、非難の声をあげなかった。カリレーヌ令嬢が、私の腕に纏わりつくのを見つめていただけだ。
 ギスランの反応にしては異常だ。今は、私について回りながら、手に残るギルの花を弄んでいる。

 ……サガル、どうしたらよかった? 
 貴族との触れ合いなんて、ろくに知らない。
 考えついた言葉に、一瞬で絶望する。
 サガルと共にいた頃は、サガルを介して貴族と付き合っていた。サガルがこの人と付き合いなさいと、選別して会わせてくれたのだ。それでも、話すのに行き詰まったり、呆れさせてしまったり。特に令嬢達との交流は最悪だった。
 サガルのことばかり詮索する彼女達が嫌いで、絶対に会いたくないとサガルを困らせるはめに。
 今は、頼りにしていたサガルもいない。そもそも、サガルを頼りにしていた時間は少なかった。何を縋っているのだと自分でも思う。
 暗闇のなかを疾走している気分だ。灯りを探しているのに、どこにも、光はない。
 私は貴族をたしなめる方法を知らない。カリレーヌ令嬢にからかわれて、むっつりと声も出せずにいた。
 研磨すれば、人との交流に活路を見出せるのか。誰もが、修練すれば甘やかな声で擦り寄ってくる女性を軽くいなせる?
 だいたい、彼女が言っていたお客様という言葉はなんだ?
 私が、お客様に……。
 もしかして、麻薬や魔薬の売人としての権利を、カリレーヌ令嬢は譲渡されている?
 ならば、私に魔薬を買う顧客となって欲しかったのか?

 深く思考の海に潜っているときだ。
 軍靴のような硬い足音がした。
 顔を上げ、しゃちほこばった歩き姿を捉え、驚く。
 鳶色のモーニングコートを着こなした紳士は、杖をつき、夜会で競りの主催だった清族を連れていた。
 私と目が合うと驚いたように目を剥き、早足で近付いてきた。腕一本、入るか入らないかというほどの距離で私の目の前に止まり、じろじろと検分される。
 眉間に深い溝が刻まれた。
 目の前にいる上等な紳士は、サラザーヌ公爵令嬢の父、サラザーヌ公爵だ。大四公爵家当主の一人。南に広大な土地を持つサラザーヌ領の統治者。父王の側近の一人であり、相談役として諫言もする。
 ギスランがいうには、女装癖があるというが、微塵もそんな感じはしない。恰幅がよく、どこか陰気な表情が似合う軍人気質の貴族だ。
 首を傾げると、細い眉を顰め、サラザーヌ公爵は私の顔をなぞるように見つめた。
 彼の顔の中心にある鷲鼻がひくつく。

「マリー?」
「……マリー?」

 鸚鵡返しに繰り返すと、サラザーヌ公爵は目を見開き、首を軽く振った。

「これは……失礼、カルディア姫、少し疲れていたようです。お忘れいただきたい」
「……ごきげんよう。どうしてここにいらっしゃるの?」

 杖を小脇に抱え、サラザーヌ公爵は私を蛇のように威圧的な眼差しで捉えた。

「娘に会いに来たのですよ」

 侍女の真似事をしたサラザーヌ公爵令嬢のことが頭をよぎった。公爵は、自分の娘が、あんな屈辱的な立場になっていることを知っているだろうか。

「ごきげんよう、サラザーヌ公爵」

 ギスランは、私とサラザーヌ公爵を引き離そうとばかりに、私の肩を引き寄せ、挨拶を交わした。

「おや、ロイスター公爵の息子ではないか。息災であったか? 会うのは先月ぶりか」
「ええ、公爵。このところ、よく学舎にお見えになるようですね?」

 サラザーヌ公爵の視線がギスランに移る。すうっと目が細まり、頬に緩く笑みが浮かぶ。

「いや、なに、目に入れても痛くない愛娘に会いに来ているのだよ。結婚先も決まってしまったのでね」
「先方にも気に入られたようで喜ばしいことです」
「いや、本当に。子爵は幼いミッシェルも愛らしいと気に入ってくれた」
「ええ。子爵はとてもよい男ですよ。サラザーヌ公爵令嬢を、飢えさせはしない」

 表面的にはにこやかなのに、二人の間にはばちばちと火花が散っていた。
 サラザーヌ公爵家。ロイスター公爵家。ザルゴ公爵家。そして、私の母の実家であるバルカス公爵家。
 大四公爵家のなかでも、現在最も勢いがあるのは、ロイスター公爵家だ。
 次に、伯父が当主を務めるバルカス公爵家。ザルゴ公爵家は落ち目で、サラザーヌ公爵家は、金欠に喘いでいる。
 こう考えると、大四公爵のなかでも、差がある。
 サラザーヌ公爵令嬢の婚約、いったいどういう経緯を経て決まったのだろうか。
 公爵は、サラザーヌ公爵令嬢と子爵を結びつけたいと、考えていたとは思えないが。

「さて、あまり話し込んでもいられない。私はここで失礼させていただこう」

 サラザーヌ公爵は礼儀正しく礼をとると、貴族の寄宿舎へ、清族を引き連れ去っていく。

「サラザーヌ公爵、前にも来ていらっしゃったの?」
「……ええ。カルディア姫がリナリナとはじめて会った日に」
「そうなの? 全然知らなかった」

 ギスランは軽く苦笑すると胸ポケットから懐中時計を取り出した。
 文字盤を見つめるギスランの姿を見ているうちに、頭のなかにぼんやりと朧げな風景が浮かんできた。
 ハルとの一件があって、こういうことが増えた。白昼夢というのだろうか。ぼおっと変な映像が頭に浮かぶ。いっとき改善していた視力も落ちてきている。精神的なもののような気がするのだが、医者かダンに相談すべきだろうか。
 ぼんやりした風景が急に鮮明になる。
 目を開く。
 視界は暗い。おそらく夜だ。月に分厚い雲が掛かった宵闇。
 そのなかで、黒く塗りつぶされた人型が無数も浮かび上がる。それらは、食事をしている。
 星に似た不穏な煌めきを持つ歯が骨を砕き、肉を引きちぎっている。まるで肉食動物の捕食だ。
 牛の吼える声のようにいびつな叫声が次々に上がる。だらだらと、口端から血が流れ落ち、血が線をつくり、道をつくっていく。血で築かれた線の上を、のそりのそりと人型達が歩く。
 誰かが囁く。あれが人間だ、あれこそが人間だ。
 だからこそ、神は人間をお許しにはならないーー。

「カルディア姫?」

 目の前にいるのは、ギスランだ。さっきの不気味な幻影ではない。
 ぎこちなく笑いかけると、ギスランは片眉を上げ、背後を見るように振り返った。

「なんだと?」

 腑に落ちないと言わんばかりに、ギスランは眉を寄せる。
 何かいるのか? 私には、ギスランが何もないところを振り返っただけに見えるのだが。
 ギスランの視線がこちらを向き直り、私の額にぺたりと冷たい手をあてる。

「なにをしているの?」
「熱はない。……カルディア姫、体に不調はおありではない?」
「いったい、なんだというのよ?」

 ギスランは目を私から逸らし、言い淀んだ。

「いえ。顔色が優れないようでしたので」
「問題ないわ」

 ギスランに心配をかけるわけにはいかない。こんなもの、精神的なものだ。すぐにまた良くなるに決まっている。

「そう、ですか。……カルディア姫、リスト様のところに行ってもよろしい?」
「お前が、リストのところに? 珍しいわね」
「……少しばかり、用はありますので」

 そういえば、リストに夜会で置いて行ったことについて、言い訳をしていなかった。よし、ついて行ってやろう。
 ギスランは、少しだけ困ったように私を見て、ついと言わんばかりに頬を緩めた。



「マリーというのは、公爵の亡き奥方のことだな」

 リストに夜会のことを説明した。リストはほとんど、承知していた。少しばかり気まずくなったので、サラザーヌ公爵が学校を訪問しており、彼に間違えて呼ばれた名前のことを話した。マリー。その名前に覚えはないかと尋ねるとリストは、俺になぜ訊くと言いながらも、答えてくれた。
 私はそういう面倒見のいいリストのことは好きだ。

「知らなかったわ」
「ギスラン・ロイスターは知っていただろう?」

 足元に跪くギスランへ目線を落とす。今日のギスランは、リストよりもこの部屋の持ち主らしい。それぐらい、銀髪と紫の瞳。青い貴族服がこの真っ青な部屋に調和している。
 ギスランは私を見上げ、首を傾げた。知らなかったのかと言わんばかりの顔だ。
 知らないというか、時期の問題だろう。私の幼い頃の記憶はあやふやだ。特に母が死んだ時期は、混乱がひどい。

「まあ、いい。俺がこの学校に入る三年前ほどだ。記憶がないのも当然かもしれんな」
「病死だったの?」
「いや、殺害された」
「殺害!?」
「屋敷に押し入った賊にな」

 なんでもないことのように言ってくれる。
 サラザーヌ公爵令嬢は私と同じように、母を殺されていたのか。

「その夜、サラザーヌ公爵はオペラ観劇をしに家族でオペラ座へ。夫人は気分が悪いからと先に帰っていた」

 サラザーヌ令息。サラザーヌ公爵令嬢の兄ということになるのだが、彼は病弱な人だったはずだ。とても跡目にはなれないと、サラザーヌ公爵令嬢は女公爵として白羽の矢が立ったときいている。

「サラザーヌ公爵が屋敷に戻れば、屋敷中の使用人は殺され、夫人も死んでいた」

 留守を狙った賊と、気分を悪くした夫人が不幸にも出会ってしまったのだろう。

「……そう」


 サラザーヌ公爵令嬢に安っぽく同情している自分が嫌だ。彼女の不幸と自分の境遇を比べたり、重ねたりするのも、吐き気がしそうだ。似ているといっても他人の人生だ。
 母を殺された者同士。それだけで、サラザーヌ公爵令嬢のことを、隣人のように思う。
 リストやギスランが平静を保っていられるように、賊に殺されることは高位の者にとって、珍しいことではない。位が高いほど妬まれやすく、血生臭いやり取りも多い。
 肉親同士で啀み合うのも、日常茶飯事だ。

「賊は、捕らえたの?」
「いや、サラザーヌ公爵が斬り殺してしまわれた。あの方は、剣の腕がたつからな」

 サラザーヌ公爵が帰還した時には、まだ賊が屋敷の中にいたのか。真夜中に、夫人の無残な死体を発見した公爵の姿を思い浮かべる。どんなに無念だったことだろう。言葉を失った私に、ギスランが軽い口調で噂話を話した。

「サラザーヌ公爵夫人には、いろいろな疑惑があったのですよ、カルディア姫。特に有名なのは、サラザーヌ公爵令嬢は下賤な男娼の血をひいているという話ですね」
「サラザーヌ公爵令嬢のゴシップ嫌いの原因ね」

 疑惑はよく囁かれるものだ。私も、サガルもサラザーヌ公爵令嬢と同じような疑いがある。私は伯父と母の子供で、サガルは宰相の血をひいているという、事実無根の噂だ。だが、本当のことのように風潮される。

「まあ、十中八九、嘘でしょうが。疑念には、少しの真実が紛れているものです」
「……そういえば、ギスラン・ロイスター。その手に持っている花はなんだ」

 ギスランは立ち上がると、リストにギルの花を差し出した。
 受け取ったリストは、厄介ごとが増えたとばかりにギルの花をぽいと投げ捨て、目を瞑り、眉を顰めた。

 そのまま前屈みになり、両手を合わせて、口元を隠した。

「カリレーヌ令嬢からです。リスト様はご慧眼だ。おっしゃる通り、木を隠すならば森に隠せ。花は花園に、ですね」

 馬鹿にするような称賛にリストが舌打ちした。

「……こちらも、トーマから清族が消えていると報告があった」
「やはりですか」

 トーマ? 清族が消えた?
 それに、花園に、ってなに?

「なにを話しているの?」

 口を挟むと、二人揃って、渋い顔をした。
 空気を読むと言わんばかりだ。

「なに?」
「女が関わるべきことではない」

 政治関係と言いたいのか。

「ギスラン、教えて」
「ご褒美、下さる?」
「おい!」

 よし、ギスランからならば聞き出せそうだ。

「あげる」
「今、すぐ?」
「じゃないと、教えてなどくれないのよね?」
「ええ」

 頷き、なにをしろというのと目で問う。
 ギスランは、急にきらきらし始めて、頬に手をやり、そのまま指を唇へ滑らせた。

「口付けて」
「……おい」
「リスト様、うるさい。今、すぐ、して? カルディア姫」

 ギスランはにこにこしている。リストは、すごく不機嫌そうだ。
 こいつ、さきほどお茶会で囁いたことを本当にしようとしているな。
 一息吐き、覚悟を決める。素早く頬に口付けると、ギスランの頬がぷくりと膨らんだ。

「意地悪」
「そう、私はそういうものだから、許しなさい」
「……駄目。唇にして下さらなかったから、教えぬ。カルディア姫には、刺激が強すぎることでもありますし?」
「よし、唇にする。だから、詳らかにしなさい。私に隠し事などないというまで、何もかも聞き出してあげるわ」

 隠し事を詳らかにされてしまう……! とギスランはなぜか恥じらいはじめた。こいつの思考回路は奇怪過ぎて付き合いきれないぞ。
 リストが、破廉恥娘めと言わんばかりに冷ややかに私を見つめていた。
 口を貝のように閉ざすそちらが悪い!

「……分かった、話す」

 諦めも肝心だ。
 リストは襟を寛げながら、立ち上がり、私に近付いてきた。驚いたことに、ギスランのように私の足元に跪き、ドレスの上から膝を探し当てて頭を乗っける。
 ギスランの視線が厳しく翳った。

「だが、二つ約束しろ」
「なにを?」
「一つ目、このくだらん話し合いが終わったら俺の部下を花園に案内すること」
「……花見でもするというわけ?」
「あの花園にはギルの花ーー麻薬の元が植えられている。悪用させぬため、摘み取る。お前は、花園によく出入りしていた。ギルの花が咲く場所の検討もつくだろう?」
「カルディア姫にさせるのですか?」
「カルディア、サラザーヌ公爵令嬢は、どこから、麻薬を仕入れていたと思う?」

 ギスランが猫のように軽く、無視するリストの髪先をぺしぺし叩いている。
 じわりと手に汗が滲む。
 ギルの花。嫌な予感はしていたのだ。ギスランから、ギルの花は麻薬に用いられると聞いた時から。カリレーヌ嬢が寄越したギルの花は、花園から取ってきたのだろう。
 煩わしそうに頭を振り、リストが続けた。

「空賊の連中だ。一部の頭ゆるゆるな平民どもには義賊と讃えられている」
「義賊……」

 新聞に、その名が書かれていた。空賊のことだったのか。かちかちと忙しなく頭の中で時計が鳴っている気がする。はやく真実に辿り着けと、急かすようだ。
 リストは私を一瞥し、ふっと息を吐いた。

「二つ目、今日の夜お前は、サガルのいるレゾルールに行け」

 サガルという名前に心音が早まる。

「行く必要などないわ」
「サガルに会うのが怖いのか?」
「そうではなく。レゾルールには用はないもの」
「いいや、用はあるさ。レゾルールは俺達の母校になるのだからな」

 リストは何を言っているのだ。
 互いの学校は意識し合っている。対抗心があるのだ。私だって愛校心ははある。鞍替えしたりしない。そもそも、産まれた時期によって学校が分かれているのだ。母校になるはずがない。

「この学校では、血が流れ過ぎた。貴族達は、この学校から出たがっている。もちろん、他の階級の者も」

 ギスランはリストの髪をいじめるのを諦めて、私の肩に寄りかかってきた。耳の裏に顔を滑り込ませる。髪の毛が首筋にあたりくすぐったい。
 構われたと思ったのか、ギスランの相貌が崩れた。

「清族はこの学校は、有史以来より重要かつ神聖な場所だからと転居を拒むが。先ほど、国王陛下より、書簡が届けられた」
「国王陛下が?」
「かの国での疫病の広がりは予想外に早い。そのため、ご帰還されることとなった」

 疫病。コリン領で発病が認められたというあれか。
 国王が病魔に襲われてはかなわないと側近達が判断したのだろう。
 そういえば、サラザーヌ公爵は、国王についていかなかったのか。彼は、父王のお気に入りで、どこに行くにも連れ立っていたはずなのに。

「今までとて、こちらの学校で過ごしてきたではないの」

 移動するならば、鳥人間後に素早くやってしまえばよかったではないか。今更、移動するのもおかしな話だ。
 怪訝な私を落ち着けさせるように、ギスランが首筋に口付け、後ろ毛を撫でた。
 リストが片眉を吊り上げる。

「人血が流れ過ぎた場では、界があやふやとなります。この学校は、ただでさえ死の門と近い。下手をすれば、死に神の領分に足を踏み入れかねません」
「死の門って?」
「ファミ河が干上がると現れるといわれていますね」

 そういえば、ミミズクが森で語っていた。
 ーー門番であるミミズクを眠らせ、地下へ進もう。

「水は大地と黄泉を繋ぐ門……」

 ギスランは、驚きながら、こくりと頷く。

「ファミ河は、確かに王都を分断するように流れているけれど、ここは、そこまで近かった?」
「清族どもは昔、この学校の地区がすっぽりと水にのまれていたと考えているらしい」
「地学の見地から、この学校が水路であったのは確かなことです」
「百歩譲りここが沈没していたとしよう。だが、死の門だと? 科学生きるこの時代、神秘的なものばかり崇める気にはならないな。死に神だの死の門だの、煩わしい。祈りを捧げるのは、彫刻や壁画、絵画の神々へのみで十分だ」
「リスト様は妖精の姿も視覚できないのですから、信心を持てぬのもしかたがない」

 リストは、女神への信仰心が薄い。祈りを捧げるのも、信心深いからというよりは、過去の美術品に敬意を払っているという感じだ。
 天帝や女神のことも、本当にいるとは思っていないよう。
 一方、ギスランは妖精やそれに準ずるものを見ることが出来る。口には出さないが、清族と同じように信心深い。
 口では、不埒を撒き散らすが、根は聖職者達と同じぐらい清らかなのではないだろうか。現に、ギスランはなんだかんだと言いながらも女神への敬意を持っている。
 ギスランは言い聞かせるように、リストを見つめた。

「大量の血が流れたというだけで逃げれば、この学校にいる妖精達は我らを見捨てるのかと憤る。ただでさえ、リスト様のように無神を気取る者達の存在が、人ならざるもの達を苛立たせるというのに」
「見えないものは見えない。俺には、お前達は狂人のように映る時がある。幻を、こちらに押し付けているだけではないのか?」

 リストがギスランに注ぐのは懐疑の視線だ。ギスランが小さく唸り声を上げた。

「私の目玉を取り出し、リスト様に透かしてみせてやりたくなる」
「ほう、そうしたら幻想生物がみえるのか。試す価値はありそうだ」

 ギスランとそりが合わないのは仕方がないが、話が脱線しすぎだ。ギスランの目を抉り出すという物騒な話は関係ないはず。私が二人を睨み付けると、ギスランはばつが悪そうに顔を背け、リストは咳払いをした。

「……論争は、不要だったな。国王陛下は自らが王都へ帰着するまでに学徒達をレゾルールへと通わせよとご命令された。俺達はそれに従うしかなかろうよ。カルディア、お前のためにオートモービルを用意してやる。それに乗って、レゾルールへ今日のうちに向かえ」

  父王の命令は絶対だ。
 文句を言いたくなったが、リストに言ったところで無駄だ。全て、御方の御心のまま。王族と言えども、国王の臣下である。膝を折り、至言に屈するしかない。
 だが、なぜ、今日なんだ?
 黙り込んだ私へ軽く頷き、リストがまとめた。

「この二つ、必ず行えよ?」
「分かったわ。それで、清族が消えたってどういうことなのよ?」
「……この学校にいた五人の清族が失踪した」

 私に言葉を挟ませず、リストは続けた。

「それだけではない。貧民や平民、貴族から、合わせて五名、消息不明者がいる。清族を含め、全員男だ」
「男……」

 そうだ、カンド。イルが探していると言っていた。まだ見つかっていないのだとしたら、カンドも消息を絶った一人なのか?

「国王陛下が送ってくださった書簡には、ヴィクター・フォン・ロドリゲスの走り書きか添付してあった。曰く『次は本物。気を付けられよ。死体は意味を持ち、動き出す』と」

 死体が、意味を持つ?
 神秘的な言葉だ。どこかで似た物語を読んだ気がする。

「……待って、まさか、鳥人間のこと?」

 博士は、鳥人間を、死体を継ぎ接ぎして創り出した。次こそ、意味を持ち動き出す本物。ならば、今度は機械ではなく、人の死体を継ぎ接ぎした本物の鳥人間が現れる?
 考えすぎなのだろうか。二人の表情からは、なにも読み取ることは出来ない。

「失踪者達は、鳥人間に関係ある?」

 そいつらの死体を使って、鳥人間を創り出すと言わないよな?

「……どうなのだろうな」

 リストは、時間をかけて、ゆっくりとそう言った。

「ヴィクター・フォン・ロドリゲスの走り書きがどれほど的を射ているか分からん。だが、失踪者の捜索はするつもりだ」
「もしかして、今日、突然レゾルールに行くことになったのも、それが原因?」
「一つではあるな。これ以上この学校で大殺戮が行われても困る。……人間の死体を継ぎ接ぎしたものが動き回るなど、悪夢以外のなにものでもないが」

 一ヶ月ほど前に校内を鳥人間が歩き回っていた手前、強く否定出来ないのか、リストは言葉を吐きつつ、思案するように視線をずらした。

「他の生徒達にも逃げるように手配している?」
「ああ、先ほど通達させた。今頃、皆、荷物の整理でもしているだろうよ」
「国王陛下は、いつ頃戻られるの?」
「一週後だ。それまでには、この学校にいる学徒はレゾルールへ転居していることが望ましい」
「私だけ、今日中に移動する必要はないのでは?」

 難色を示す理由をすぐに思いついたのか、リストは、大きく溜息を吐いた。

「サガルに会いたくないならそう言え」
「ち、違う!」
「違わないだろう」

 断定的な口調に怒りが湧いてくる。
 リストは、家族関係が良好だ。兄にも姉にも、可愛がられている。だから、この複雑な気持ちが分からない。
 私だってサガルに会いたいし、甘えたい。けれど、サガルにとって私は憎い女の腹から這い出た子だ。そのことが、心に杭のように刺さっている。
 母を助けてと縋っても、決して助けてはくれなかった。私のことを疎んじているのかもしれない。

「サガルは密かに、国王陛下から打診を受けている。次期の王となるのは、あいつかもしれない」
「レオン兄様がいらっしゃるでしょう」

 レオン兄様は、私達兄妹の長子だ。王太子であり、次期国王候補。宰相のように堅実な政策を好み、貴族達からも一定の評価を得ている。

「レオンは統治者として才がある。しかしそれは安定期の王としてのもの。蠍王の出現により、動乱の幕は開いている。国王陛下はレオンではなく、サガルが時代に愛されたと」
「サガルは王になれないわ。従うべき人々が失神し、惚け、使い物にならなくなる。美によって国が傾く」
「サガル様は、類稀なる美貌の持ち主ですからね」

 ギスランが、リストと私をさりげなく引き離しながら、真面目な口調で同意した。

「美貌など、どうとでもなるものだ。分かってはいると思うがカルディア、サガルが王となる場合、お前の立場は危うくなる」

 憤りが血流に乗って全身を流れていく。
 長子のレオン兄様は、私に対して穏健な態度を取っている。ギスランとの婚約も、容認しているのだ。
 だが、サガルの後ろには、正妃の影がちらついている。
 サガルは、ギスランと私の結婚を認めていない。
 もしも、サガルが王となれば、私の進退は不明瞭だ。サラザーヌ公爵令嬢のようになる可能性すらある。

「俺としても、お前が不遇の扱いを受けるのは目覚めが悪いからな。いざという時のためにサガルと交流を深めろ」
「簡単にできるわけないじゃない」
「片方とはいえ、同じ血が流れているだろう。それに、幼い頃お前達は半身のように側にいた。どうにか出来るだろう」

 リストはそう言うと、私の隣に腰掛けた。

「カルディア、お前は人との交流をあまり好いてはいないな?」
「……だったら、なに?」
「俺は、身分不相応な奴と付き合うのは是としないが、見合った地位の交友は必要だと思うぞ」
「リスト様は、なにをカルディア姫に吹き込まれているのか」

 反対側にいるギスランは体を屈ませ、じとりとした眼差しを向ける。
 リストはその視線を跳ね飛ばして、私の手を握った。

「ギスラン・ロイスター、お前はカルディアを孤立させたいようだが、それはこいつをますます傲慢に、狭窄に、導くことになる。もっと他人との交流を重ねるべきだ。勿論、階級は選ばねばならないが、カルディアには他人が必要だ」
「リスト様はカルディアの親だったのですか? 干渉が過ぎる。カルディア姫は、自分で物事をしっかりと区別できる年齢ですが」

 刺々しい口調のギスランが、私に寄りかかりながら指摘した。だが、リストは意に介さない。

「干渉しなければならぬほど、こいつはぽんこつだ。俺は忠告に飽きた」
「ぽんこつですって?」
「お前が友を選ぶとろくなことにならない。記憶をたぐり、思い出してみるといい。お前が連むのはろくな連中ではなかっただろう」

 ハルやココのことを言いたいらしい。
 ココはともかく、ハルはろくな人間、などではない。

「サガルはある意味では厄介だが、素性は一流だ。あいつの周りは狂信の類が多いが、有能で優秀な奴らばかりだしな」
「サガル様にカルディア姫に見合う相手を見繕わせるおつもりですか? ……体調がお悪い? 熱が、ある?」

 ギスランはおどけた様子でリストを見上げた。リストが不機嫌そうに見つめ返すと、髪をかきあげ、真剣な顔をつくる。

「それぐらい狂った提案だと申し上げている。サガル様が用意した人間をカルディア姫に近付けるなど、私を殺すおつもりか。私が選んだものをお側に置いた方が、まだ安心できます」
「お前の目は信用していない。ギスラン・ロイスター」
「それをいうならば、こちらの台詞だ。貴方が一番信用ならない」
「ほう? カリレーヌ令嬢を近付けたお前がよく言うものだ。あの女、貴族の癖に看護婦などと抜かし、医者の真似事をしているそうではないか」

 医者は男の仕事。女は、その召使いとして、看病をするしか許されていない。病に関わることゆえ、下女が行う仕事が看護婦だ。卑しい職業の一つとされている。

「国王陛下にも目をかけられているご令嬢ですが」
「陛下は奇異なものに目がないだけだ。認められているわけではない。……女王の世話をさせていた時期もあるときいた。カルディアの側に置くのは危険だ」
「分かっております。だが、危険はありませんよ」
「呆れた男だ。いつもならば、危険に晒す気かと怒鳴りつけるのはお前の方だろうに。そこまでしてどうすると?」
「それ相応の罰は必要でしょう? ……心配ならばされずとも、たとえ命をとしてもお守りします」
「口だけならば、鳥でも囀れるな」
「私を軸に、言い争うのはやめてくれるかしら?」

 二人の口論に割って入る。
 喧嘩口調なのはいつものことだ。しかし、今のやり取りは二人とも殺気立っていた。特にリストは、抜刀しそうだったぞ。私がよく起こすヒステリーと、よく似た緊張感があった。交わしている言葉も、変な違和感があったし。
 お互いのなにがそんなに気に入らないのか知らないが、私のことで喧嘩され、怪我を負って貰っては困る。自分を巡って諍いが起こるのは、馬鹿げたことだ。私のために争わないで……! と悲劇のヒロインを気取れる女ではない。二人揃って馬鹿なの? と呆れることしか出来ないぞ。

「サガルに私の友を選定させるかはともかく、このまま不仲でいるのは具合が悪いのは確かなのよね」

 実際問題、サガルとのいざこざを三人の兄に解決してはどうかと提案されている。

「国王陛下の言われることは絶対だもの。レゾルールはサガルの牙城。うまく付き合っていかないと、よね」
「ああ、そうだな」
「……あまり気は乗らないのだけど、レゾルールに行く準備をしなくては。そのあと、リストの部下を花園に案内する。それで、いい?」
「お前の部屋のものは全て運ばせる、心配せずともな。俺の部下の世話を先にしろ。……そうだ、しばらくギスラン・ロイスターを借りるぞ」
「ギスランを?」

 借りるって、なにに使う気だ。ギスランの手を探して、指を椅子の上で彷徨わせる。
 指の先が急に冷たくなったようだった。ギスランの人差し指に絡ませて、暖を取る。
 リストは意外そうに首を傾げると、だんだんと眉間に縦皺が寄った怖い顔をした。口が小さく動いた。言葉が拾えないまま、リストがぶっきらぼうな声を張り上げる。

「失踪者の捜索を行う」
「どうしてもギスランが必要だと?」
「ああ、捜索に参加するトーマという清族の強い希望でな。トーマは、こいつの従兄弟だしな」
「そうなの?」
 見遣ると、ギスランは真っ赤な顔をして蒸気を上げていた。わたわた顔を隠しながら、矢継ぎ早に告げる。

「ええ。トーマは、血縁者です。良き男ですよ。頭も良いし。リスト様の依頼ならば決して頷きませんでしたが、トーマには借りがあるので」
「もしかして、それでリストに会いたいと言ったの?」
「はい。そうでなくては、私がリスト様に会いたいなどと思うわけがないでしょう? ……それよりも、カルディア姫。これは、ご褒美? うん、大変良いと思います。毎日なされれば良いのでは?」

 手を私の指ごと上げられ、軽く揺らされる。真っ赤な顔が、ふわりと花が舞うように笑った。口付けは淫らに行う癖に、手を繋ぐぐらいで照れないで欲しい。
 ……もう、ギスランが楽しそうならば、いいかという気分になってきた。
 それにしても、ギスランに従兄弟か。清族ということは、ダンの兄妹の子供ということだよな。今まで話にも聞いたことがなかったが。
 トーマ。どんな奴だろう。

「話を脱線させるな。……ギスラン・ロイスターの代わりに俺の部下がつく。お前に危害を加えぬ奴らばかりだし、見覚えがある顔だけを選出している。異論はないな?」
「カルディア姫、他の男がいるからと誘惑してはいけませんよ? ギスラン以外の動くものはごみです。視線を向けてはいけません」
「ふざけたことを言っている場合か。カルディア、では、またのちほど」

 ギスランは、ぎゅっと私の指を握ってしばらく幸せそうにしていたが、苛立ったリストに引きずられていってしまった。
 リストの部下は、部屋の外に居たのか、リスト達が出て行ってからすぐに現れた。
 私は花園へ向かう為に、彼らを引き連れてリストの部屋から出た。

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