どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 アンナの一件以降、サガルは螺旋階段の下にある楽園に頻繁に訪れるようになった。
 だが、変なことにここにいる不具者達の数も明らかに減っているのだ。まるで貴族達を減らしているように、ここでも間引きをしているようだった。
 草木を管理する彼らはどこに行ってしまったのだろう。サガルに尋ねるのは怖くて、真実から目を背けるようにサガルに質問できずにいた。
 私は大木の幹に腰かけ、休憩をとる。サガルは問題が起こったとリュウに呼び出されていた。背中にごつごつとした節を感じながら、アンナのことを思いだす。
 正確にはアンナ周辺の事情をよく思い出した。
 サガルの隠居場所の提供をしたのが、アンナの夫になるはずだったマレージ子爵だった。サガルはご機嫌取りのためにアンナを歓待した。でも、そのアンナはすでに赤ん坊を宿していた。反応を見る限り、子爵の子供ではないのだろう。まだ、褥を共にしていない可能性すらあった。
 ここで気になるのは、その後の対応だ。アンナは勿論、婚約を破棄される。どこぞの馬の骨とも分からない人間に家督を継がせる権利を与えるわけにはいかないからだ。サラザーヌ公爵令嬢の母親とはその点では全く異なる。彼女は結婚後に子供を宿したが、アンナは結婚する前に宿してしまった。家の面子を何よりも大切にするのが、貴族という生き物だ。他国の平民――あるいは貧民生まれの歌姫を娶ろうという革新的な思想を持っていても、血の繋がらない子供を宿しているとなれば話は別になる。
 これが、連れ子なら話はもっと単純だったのだが、現在進行形で子供を宿しているとなる庇いだては難しい。
 子爵の反応は二つ考えられる。サガルに恥をかかせたと言って謝るか、サガルに恥をかかされたと言って憤るか。
 どう考えても前者だろう。サガルは王族で、子爵が対抗できるような位ではない。
 だが、あの集会でサガルはアンナの醜聞を喧伝してしまった。通常ならば内々に済ませるべき問題を表面化させてしまったのだ。普通ならば考えられない対応だ。それほどサガルはアンナの醜悪さを嫌悪していたということか?
 私にはサガルが子爵を怒らせたくてやったように思える。挑発して、火に油を注ごうとしているようにしか思えない。
 どうしてそんなことをしたのか。考えられるのは隠居の別荘だ。サガルはアンナの一件を利用して、隠居のことをなかったことにしてしまいたいのではないだろうか。
 これは私の願望なのだろうか。
 どう思う? とギスランに問いかける。頭のなかに住み着いたギスランは、相変わらず喉から血を流して何も言わない。

「――って、聞こえますか」

 まただ。イルの声がする。私の頭はいい感じに馬鹿になってしまったようだ。壊れるのも時間の問題だ。

「おい、こら。いい加減、無視するのはやめてくれません!?」

 ぼとりと、葉っぱと一緒に男が転がり落ちてくる。
 目つきの悪い男だ。眼鏡のないイルだと気が付くのに少しかかった。
 イルの幻影まで見えるようになってしまったのか。
 よく喋って動く。我ながら想像力が豊かだ。できれば、リストも追加して欲しい。

「こっちがめそめそ泣いてたら、ガン無視って、性格悪くなってないですか? 俺が泣いてるのそんなに変でしたか」

 目の前で手が振られる。光が遮られ、目元に影ができた。ちらちらと光源が指の間からこぼれる。大木に生える葉っぱの影をイルの指だと錯覚しているのだろう。自分の想像力にほとほと呆れる。
 イルの手を取る。
 あれと首を傾げる。温かい。それに、質量がある。明らかに、枝や幹じゃない。人の指だ。

「……寝ぼけてるんですか?」

 イル?
 本当に目の前にイルが存在しているのか。信じられない。ハルと一緒に逃げ出せたのか。
 イルはずっと私に話しかけていた? なにかを伝えたくて? なのに私は彼を、妄想だと切り捨てていた。
 喉を突き上げた焦燥にえずく。イルが必死になって伝えたいことはギスランのこと以外ありえないだろう。
 指を握りしめ、じっと凝視する。真正面にいるのはイルだ。

「もしかして、声が出ないんですか」

 ゆっくり頷く。
 眼鏡のないイルは少し鋭い雰囲気がして怖い。眼鏡をかけさせたギスランの気持ちが分かる。イルは人をまっすぐに見つめがちだ。睨みつけているみたいに見えてしまう。
 イルは声も出ないほど狼狽えた。

「……ギスラン様の婚約者ですもんね。目の前で撃たれたら、そうなるか。まるで、モニカみたいだ」

 恋していたリュウを目の前で失ったと思ったモニカは声を失った。思えば、私も彼女と全く同じ境遇だった。目の前で大切な人間を失う苦痛は、誰もが思い描く悲劇よりも鉛のように重い。日常生活に支障がでるぐらい現実に食い込む。

「単刀直入に言うんですが、ギスラン様は生きてます」
「っ、……と?」

 ひゅうと息を吐きながら、必死に音を出す。
 ギスランが生きている。喉を撃たれて、即死せずに生き延びている。
 生きて、息をしている。
 あの男の吐息を思い出す。声を夢想する。カルディア姫と呼ぶ声。
 鮮明に笑顔を思い出す。照れて、私を見つめる蕩けた顔。ギスランは青ざめた顔ではなく、血を流した姿でもなく、生き生きとして蘇った。銀色の髪が風に靡いて緩く揺れる。

「った、よ……た」

 イルの顔が苦し気に曇る。喜びが急激に萎んでいく。生きている、だけなのか。

「いくら経っても意識が戻らないんですよ。一命をとりとめるためだけに魔力を回しているらしくて、魔力回路を通じて呼びかけることもできないだとか。俺にはよくわかりませんけど、状況はかなりやばいって」

 どうしようと言いながら、イルは涙を流し始めた。冷静に見てみるとイルはがりがりに痩せていた。目の隈もひどいありさまだ。ずっとギスランに付き添って寝ていないのかもしれない。

「どうして、貴女が側にいてやらないんだ。ギスラン様にとって貴女だけが喜びなのに。幸福なのに。貴女の幸せを一番願ってるのは、ギスラン様ですよ。他の誰でもない、あの人だ。報いてやって下さいよ、お願いだから」

 悲痛な叫びに胸が締め付けられる。私も今すぐにギスランの元に行きたい。寝顔の前で泣いて、早く戻れと叫びたい。
 この楽園は居心地がいい。けれど、ギスランはいない。
 それだけで、物足りないものになってしまった。私の妄想のギスランをかき消す。喉から血を流し横たわったままの彼はもういらない。現実のギスランの元に飛んでいきたい。
 今だけミミズクなりたい。翼を生やして、空を駆けて飛んでいきたかった。地面を踏みしめる足はいらない。翼だけが欲しい。

「行き……た、行きた……い。ギスランの…ところ……、連れて……いっ……て」
「今すぐに、と言いたいところですが、俺だけじゃ難しいです。サガル様のーーサガルの使用人どもがうじゃうじゃいる。入るのはなんとかなりましたが、貴女と一緒に逃げるのはハル以上の困難があるでしょうね」

 出るためにはイル以外の力が必要だということか。
 すぐに頭に浮かんだのは仮面をつけた男だ。金を払えばなんでもやるランファの蘭王。 

「まあ、手がないわけじゃないですよ。あと数日すればあてがありますから。それまで逃げる準備をしていて下さい。間違ってもサガルを刺激して警備を厳重にしないように」
「っ……イル」
「分かってるんですよね?」
「生き…っ…ていて…くれて、ありがと…う」

 顔を覆うように手を広げ、イルは押し黙った。言葉を封じ込めるように口を横に一線引く。

「はいはい、その台詞はギスラン様に言ってあげて下さいよ」

 樹の背を蹴り上げ、するするとイルが木を登っていった。

「では、近日中に必ずお迎えにあがりますよ。それまで首洗って待っていて下さいね」
「不穏っ……な、こと、言わな……で」

 暗殺しに来るみたいに言うな。眼鏡をしていないイルが言うと、本物の暗殺者みたいでひえっと体が冷える。くすりと笑って、赤い目をごまかすようにイルは姿を消した。
 相変わらず、神出鬼没で、身軽な男だ。
 ぱんと頬を叩く。ゆったりとしていられない。幹からむくりと立ち上がり、サガルが消えた先へ足を運ぶ。まずは情報収集だ。情報は黄金に値する。
 私を毒殺しようとした侍女も、挙動がおかしいという周囲の言葉から分かった。何事も、聞き耳を立てなければ身が危ない。
 だが、途中で顔が二つある男に止められてしまう。その先は危ないと言われてしまえば、好意を無碍に出来なかった。彼はお腹がすいたと思ったらしい。綺麗な青い飴玉を手渡してくれた。

「それ、美味しい。姫も満足」

 喋ったのは右の顔だ。左の顔は無表情で私を見つめていた。
 飴玉を口の中に入れる。青い、綺麗な飴玉は何故か苦かった。吐き出すと、二つ顔の片方がぴくりと眉を顰めた。口の中を急いですすぐために通りを流れる川の中に顔を突っ込む。
 毒か? まだ、飲み込んでいない。大丈夫。大丈夫。
 水の中から顔を出して、口の中の水を吐き出す。指を喉に突っ込んで唾液ごと外に吐き出した。
 張り付いた髪が邪魔臭い。右の顔の男はうろうろしている。もう片方が勝手にやったことなのだろう。
 察しは悪くないのか、なんてことをしたのだと右の顔が左の顔を責め始めた。左の顔はイライラした様子で片方を怒鳴りつける。

「こいつ、来てから、サガル様変わった! みんな、居なくなる。こいつのせい」
「だからって……! 酷い、酷い!」
「うるさい。こうするしか、ない! 二人で生きていくためだ!」

 騒ぎを聞きつけ、リュウとサガルがやってきた。
 ずぶ濡れの私を見るなり、びくびくと震え出した。徐々に顔が赤らみ、荒い吐息を落とす。
 サガルは素早く靴に仕込んだ鞭を取り出すと、癇癪を起こした子供のように男を嬲り始めた。

「躾のなっていない子だなあ。僕に手間をかけさせないで」
「も、申し訳、ござい、ません。サガル様、お許しください」

 リュウがてきぱきと男の上半身を脱がせにかかった。藻搔いたものの、服を脱がせられる頃にはなにもかも諦めてしまったのか、痛みをこらえるための泣き声しかあげなかった。
 服の上から鞭を振るわれた場所は赤く傷ができ、いまにも皮膚が破け出血しそうだ。
 それでもサガルはためらうことなく、裸の男に鞭を振るった。何度も何度も飽きることなく繰り返した。

「なんて馬鹿なんだろう。その二つの頭には藁が入っているの?」

 サガルは私が殺されたかけたからというよりはずぶ濡れになったのを見て咄嗟に反応しているようだった。
 我を忘れて、鞭を振るっている。紅潮した頬が、サガルの美しさをますますひきたたせているのが不気味だった。鞭を振るって暴虐の限りを尽くしているのに、絵画の中のことのように残酷的な美しさがあった。

 ――兄様は綺麗だ。鞭を振るっていても、人を虐げていても、現実とは思えないほど優美だ。

 そればかりか、息を切らせ、肩を上下している穏やかならざる姿を見ていると、じりじりと体が熱く火照っていく。さっきまで目の前で飴玉を差し出してくれた男が傷だらけになっているというのに、目が離せなかった。
 結局、男は私に毒入りの飴玉を食べさせたと知られ、処刑されることになった。右の男は罪悪感に押し潰されて舌を噛み切ってしまった。もう片方の男は、狂ったように笑いながら、死んだ男に話しかけていた。

「大丈夫だ、兄弟。俺が側にいる。二人でならどんなことだって、乗り越えられるさ。俺達は、生まれた時からずっと一緒だ。死ぬまで一緒さ」

 しばらくして、左の男も死んでしまったと聞かされた。右の男のように舌を噛み切ろうとして喉に詰まらせてしまったらしい。苦悶の顔を見たリュウは、青白い顔をしていた。
 男の無念がリュウの話を通じて伝わってくるようだった。
 けれど、サガルだけは、そうかそうかとまるで極悪人が処刑されたように嬉しそうにしていた。

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