どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 数日後、私はサガルと夜を彷徨う。
 人工の光は絞られて、月の光よりも幽かだ。螺旋階段の下にある楽園は暗闇に支配されていた。川のせせらぎが聞こえてくるだけ。人は誰もいなかった。サガルはここにいた人間を全員追い出してしまった。
 大きな木の幹の窪みにはまるように二人で隣あって座る。
 サガルの金色の髪は、白髪のように色が薄く見える。肌も、暗闇の中にあるのに光っているように真っ白だ。碧い目は色が抜けて、月長石のように濁っている。
 白いシャツにサスペンダー付きのズボン。
 童話に出てくる子供のような格好をしている。私も似たようなものだ。エプロンドレスで短い髪にカチューシャをはめている。
『女王陛下の悪徳』に子供達が森で迷って、人食い魔女に食べられる話が出てきたことがある。二人は捨て子で身寄りもない。森で狼に食べられ死ぬならばと魔女の家を訪ね、自分達を食べてもらうのだ。
 女王陛下はその健気さを鼻で笑い、こき下ろしていた。
 人間らしく死にたかったんじゃなくて、母親達に可哀想だと思われたくて人食いに食べられに行ったのよ。だって、狼が人間を食べるのは皆知っているでしょう? けれど、人間が食べたとなると話は違ってくるじゃない。そこに同情の余地が出てくるでしょう?
 その後、話に出てきた憐れな兄妹の真似をして愛人と戯れた。その時の挿絵がこんな風な格好だった気がする。

「はじめて外に出てしたことはね、清族に術をかけてもらうことだった。太陽の下に出られるような丈夫な体があの人は欲しかったみたい」

 あの人――王妃のことだろう。

「悪いことをしたら、術は解けてしまうのよと教えられて、震え上がったな。この人に逆らっちゃいけない。逆らったら、あの部屋に逆戻りだ。僕はもうあの部屋には戻らない。そう決めていた」
「……」
「お腹が空いて、死にそうだった。埃っぽい本の頁を食べて暮らすのは限界だった。嫌がらせで虫を出されたことがあったよね。あれが心底嬉しくて、夢中で食べた。思い出すだけで吐き気がするのに、あの時の僕にとってはそれがご馳走だった」

 サガルは肌の病気を患っていると思われていた。伝染するからと隔離されていた。
 侍女達は感染を恐れ、あまり近づかなかった。配膳もさぼって届けなかった日も多かった。朧げな記憶が残っている。毎日、ぐうぐうお腹が鳴っていた。当時十歳前後。育ち盛りのサガルにとって、空腹は苦痛だっただろう。

「でも、本当はそうじゃなかったんだ。外の方が、僕にとって苦痛の種だった。毎日刃で切られているようだった。人の顔も声も体も知りたくなかった。醜さや卑猥さを肌で感じたくなかった。僕は弱いから、お前のことが憎らしくなったこともある」

 つんつんと頬を突かれる。子供っぽい仕草だった。
 陰鬱な雰囲気を少しでも和らげたいのだろうか。そう思うぐらい幼い行為だった。

「サガルは外に出なければよかったと思っているの?」
「そうだよ。……声やっぱり戻っていたんだね、よかった」

 喉を湿らせながら頷く。サガルの指が何度も私の頬を撫でた。いい子と言われているようだった。

「カルディアはどうだった? 辛いことはなかった?」
「ある。いっぱい」

 鳥人間に殺されかけ、目の前でココが刺されてしまった。サラザーヌ公爵が食われ、死に神の領域で眷属のイヴァンを殺してしまった。
 王族だと隠して近付き、ハルを手酷く裏切ってしまった。
 サラザーヌ公爵令嬢が狂ってしまったのを目の当たりにし、同情と憐憫で感情がいっぱいいっぱいになったこともあった。
 テウが目の前で自殺未遂して、飛び降りた。飛び降りた時に見せた顔を今でもしっかり覚えている。
 ラーの事情を聞いて憤った。えぐい事情だったからだ。人間として扱われないおぞましさを知った。
 ハルの痕跡を探し出したが、会ったとき本人は傷だらけでぼろぼろだった。そのうえ、別れた時は瀕死状態だった。きっと生きていると思うが、きちんと怪我を治しているだろうか。
 目の前でサガルがあの女に向けて発砲したのだって、見ていて辛かった。サガルが私の知らないところで沢山傷付いて、血を吐くような痛みに耐えて過ごしていたことと知って苦しい。
 今までさまざまな辛いことを経験してきたつもりだ。この半年は特に激動だった。予想も出来ない陰部に触れ、戸惑う羽目になった。
 生きることは辛くて、外に出て行かず閉じこもっていたいと思う日も多かった。
 ……けれど。
 一番辛かったのは目の前でギスランが死にかけていたのに、なにも出来なかったことだった。
 死んだと思って、馬鹿みたいに幻覚を見て悲劇に浸っていた自分が憎い。自己憐憫に陥って、諦める日々はもう嫌だ。

「ねえ、兄様」
「サガルと呼んでといつも言っているのに。僕とお前は年が変わらないのに、兄だ妹だと言い合うのは変だよ」
「……私は外に出たい。出なくちゃいけない」
「それは駄目だよ、カルディア」

 腕に体重をかけられ、横に倒れこむ。幹が背中にあたってごりごりと背骨を擦る。サガルの体は退かせようとしても、びくともしない。捕まれた手は不快に感じるほど熱を帯びていた。
 サガルの顔は暗くて見えないのに、きらきらと星のように髪の毛だけが光っていた。

「ここから逃してあげない。カルディアは僕とここにいるんだよ」
「出て行くわ」
「駄目だ、いかせない。僕を振りほどけないくせに、どこに行けるって言うんだ」

 サガルの腕の熱さに、力強さに、身を委ねてしまいたいという欲が少しだけ顔を出す。このままサガルと一緒に暗闇の中に溶けてしまいたい。外のこともギスランのことも忘れて、たった二人だけで過ごしたい。
 サガルは、私のことを傷つけない。そして、私もサガルを傷つけたくない。二人でいれば完璧で、完成される。どんなに孤独でも耐えられる。
 それでいいのではないか。
 ああ、でも。
 ――あの男は、逃げろと言ったのだ。
 傷ついた体でも、私を逃がそうとした。私はギスランの元に行きたかった。傷つく前に駆け寄って、助け出したかった。それが出来ないならばせめて、側にいたかった。
 サガルの手に爪を立てる。肌が破れて血があふれてきても構わない。食い込む指にぬめりとした液体が付着する。
 痛みにサガルがとっさに手が引いた。その隙を逃さずに、横に転がって起き上がる。イルの名前を叫びながら走り回った。
 小川を横切る。足が濡れても構わなかった。靴を蹴り飛ばすぐらいの勢いで駆け抜ける。

「イル、イル! はやく来て! 私を連れて行って!」

 サガルが追いかけてくるのが音でわかる。呼吸音が近くなっていく。徐々に距離をつめられているのだ。焦燥感が襲いかかる。
 イルはどこにいる? あいつ、もしかしていないのか?
 あの男、私の護衛と言う割には大切な時に側にいないことが多すぎる! 

「イルのこと、気がついていないと思っていたの。ここだけは僕の思い通りに出来る場所だったんだ。少なくとも、お前が毒を食べさせられる前まではね」

 追いつかれ、地面の上にうつ伏せで倒れこむ。背中に重みを感じ、顔を後ろに向ける。サガルが私の体の上に乗り上げていた。

「ここには誰も来ないよ。カルディアだって出ていけない。僕達はここで一生暮らすんだ」
「それだけは嫌!」

 腕をばたばたと動かし、抵抗する。
 イルはいない。
 どうする? 私だけで逃げれるのか?

「そんなに、外に出たいんだ」

 違います、そんな外に出たいと思っていません。そんな言葉を引き出そうとするような支配的な声色だった。
 私は体を弛緩させ、横目でサガルを凝視する。サガルがどう出るのか読めなかった。

「なら、僕の子供を産んでくれたらいいよ」

 熱い手がワンピースのなかに入り込んでくる。ぴたりと太腿に手が置かれると、その大きさにたじろぐ。男の人の大きな手だった。ドロワーズに手を伸ばされて、やっとサガルが何をしようとしているのか気が付いた。

「なにを考えているの!?」
「なにって。僕とお前の子供を作ろうとしているんだよ。女の子がいいな。お前に似た子供がいい」

 なれた手つきでドロワーズを脱がせたサガルは、すぐに自分の指をくわえた。

「最初は痛いかもしれないけれど、すぐになれる。優しくしてあげるから」

 唾液で濡れた指が、私のあられもないところを軽く触れる。痺れるような快感が体中を駆けた。目の前がぐにゃりと歪むような、激しい悦びだった。

「あ……ぁあ」
「まずはいかせてあげる。気持ちよくしてあげるから」

 侵略する異物をどこかにやってしまいたいのに、抵抗すればするほど、抵抗を抑え込む痛いぐらいの快感を与えられる。

「サガル兄……っ様」
「僕を恋人のように想っていい。口づけをしよう。僕らが溶けあう記念に」

 太腿にあたるかたいものが分からないほど、子供ではない。サガルは酒を飲んでいるわけでもないのに私に欲情していた。リュウはサガルは興奮するために薬を飲んでいるという話だったのに、どうなっているのだろう。
 リュウの言っていたことが間違いだったのか、それとも私だからこうなっているのか。

「……い、や」

 同じ母親から産まれたわけではない。だが、母親達は姉妹だ。
 姉妹の姉を娶った王が先立たれ、妹を後妻にするというのはよくある話だが、私達の母親はそんなよくある話とは無縁だった。複雑で奇妙な関係だった。
 姉は妹に殺された。母はあの女に殺された。私にとってサガルは親の仇の息子なのだ。業を背負った私達が結ばれて、子供を産み落とす。
 恋人とは思えない。サガルは、私にとって兄だ。大切な家族だ。
 二人の間に子供を作りたくない。私達の関係は二人で完結している。これは私のエゴだ。独善的な考えだ。
 もう、逃げ出す、逃げ出さない以前の問題だった。
 サガルに抱かれたくなかった。子供を作りたくない。
 それの行為が快感をともなっていたとしても、許容出来なかった。

「私は、サガル兄様のことが大好き」
「……僕もだよ。お前のことが大好きだ」
「もうやめて」

 サガルは首を振った。
 もう後戻りは出来ないのだと主張するような指の動きに泣きたくなった。何を間違えたのだろう。サガルと私はどこからおかしくなってしまったのだろう。

「……愛しているんだ、お前のこと」

 背中にのしかかるような重さが加えられ、息を飲む。
 首筋にサガルの吐息があたる。頤を持ち上げられ、無理矢理口付けられる。頭の隅がじくじくと痛むような唾液の交換だった。滑り込んでくる舌が歯列をなぞり、歯茎を嬲る。
 大好きだからこそ、伝わらない。言葉はどうして、複雑な愛情をあますところなく伝えられないのだろう。
 心をサガルに見せられたらよかったのに。

「カルディア!」

 暗闇のなかから聞こえてきたのはイルの声ではなかった。目の前にいるサガルの声でもない。もっと低くて、硬い声色だ。
 あぁと胸の中に生まれた感嘆がこぼれそうになる。
 軍人のくせに、騎士のように駆けつけるのは反則だ。
 軍靴の音が無数に聞こえる。ぼんやりとしたランプの明かりが遠くの方で雲のようにかたまって目がくらむ。

「――リスト!」

 太陽に照らされたようにあたりが綺麗に見える。
 私の上に乗ったサガルは、私のなかから指を引き抜いた。体液のついた指で目元を擦り、ごみでも入ったように目をきつく閉じた。

「来るな!」

 切り裂くような制止の声をものともせずにリストが近付いてくる。サガルは明らかに狼狽えて、肌を掻き毟り始めた。白い肌にうっすらと痣が浮かぶ。じゅっと焼けた鉄を押し当てたような嫌な音がした。

「お前達は兄妹揃って馬鹿すぎる! 何を考えているんだ。だいたい、どうしてそんな破廉恥な格好で絡み合っている!?」
「アイラ、フュー、クロード、僕の従者達はなにをやっているんだ」
「お前の下僕達には仕置きをしている。あいつらは好き勝手にやり過ぎだ。貴族、平民、貧民、どの層からも賄賂をもらい懐を温めていた。恥ずべき行為だ」
「……そうかな。彼らに阿った馬鹿が多かっただけだろう?」

 ぎゅっと皺の寄った目元に汗が浮かび始める。リストはサガルの異変にすぐさま気がついた。

「サガル、お前は髪の色が……。それに、肌が透けるように白い。血管が浮き出ていないか? ……まるで」
「死人のようだと? ああ、嫌だなあ。僕はただ、本当の自分の姿に戻っただけだっていうのに」

 顎を伝い汗が滴り落ちていく。汗の通り道は、赤く焼け、ぷっくりと風船のように膨れていく。
 小さい頃のサガルは太陽の下に出ると肌が爛れていた。月の光があたっても痛い痛いと泣き叫んでいた。
 さっき、清族に術をかけてもらったと言っていなかったか。サガルは術をといてしまっている?

「リスト、光を消してくれないかな。痛くてたまらない」
「カルディアをこちらに引き渡せ。俺はこいつを地上に送り届ける義務がある」
「地上に連れていってどうなるの。あの女は死んでいないんだろう? ならばどうなるか分かりきっているはずだよ」
「やはり、お前が……。いや、その話はあとだ。妹を監禁するなど正気の沙汰とは思えない。カルディアを守るためにそれが最善だと?」
「僕だけが、カルディアを守ってあげられるんだよ」

 張り上げた声とは裏腹に、肌は爛れぼろぼろになっていく。

「国王の命令一つ逆らえないお前には無理だ、リスト」

 じりじりと近付いてくるリストに牽制するように、サガルは立ち上がった。首元まで火傷のような痕が広がり始めた。このままサガルは消耗戦をするつもりなのだろうか?
 ぼろぼろになってまで、私に執着してくれる。仄暗い気持ちが喉の奥までせり上がる。ぐらぐらと揺れる感情が煩わしい。
 ふと、もともと私達が体を寄せ合っていた大木の枝のなかで、異様な光の反射を見つける。ハルが撃たれた時のことが蘇った。振り返り、叫んだ時には遅かった。
 銃声が響き、弾けた。

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