どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 焼けた鉄を肌に押し付けられたような、悲痛な声が聞こえた。その声にびっくりして、目を開く。

「おぬし、何者じゃ?」

 椅子に座った少年が私に問いかける。額が熱い。脳がとろけそうだ。
 視線を巡らせ、周囲を確認する。さっきの悲鳴は幻聴なのか。それをきちんと確かめるためにも。
 豪奢なシャンデリアの下に長机が置いてあった。純白のクロスの上には前菜の皿がのっている。新鮮な野菜のサラダ。オリーブオイルのドレッシングがかけられ、黄金に輝いている。
 別の皿にはキッシュと揚げナスのトマト和え。三種のチーズ。そしてエビの丸焼き。
 貴族の晩餐会だ。だが、壁役を務める使用人が見当たらない。

「聞いておるのか、女」

 薄紫色の髪を肩口まで伸ばした小柄な少年が私に問いかけた。
 滑らかな絹の肌は日に一度もあたったことがないように白かった。子供らしく高揚した頬。左目の下に三つの並んだほくろがある。
 彼は白い軍服を着ていた。胸元にはメダル型の勲章がぶらさがっている。襟元には鷲のマーク。リストが見れば、どれぐらい偉いのか一目で分かるだろう。よく知らない私でも名のある将軍のような格好だと思った。
 声色は怜悧で油断ない。警戒しているのに取り乱したりはせずじっくりと私を見極めていた。

「こら、サン。王女をいじめるものではないよ」

 かばうように男の声が重なった。この声はザルゴ公爵のものだ。ザルゴ公爵は少年の反対側の席に座っていた。
 どこかでこういう光景を見たことがある。お互いが見合って牽制している。あれは確か、お茶会で。
 どこだったかーー。

「なに? まさかこやつがカルディアか! なるほど、そう言われれば、高級そうな服を着ている」
「前に顔が見せたことがある気がするんだけどね?」
「人の顔など覚えていられるか! 儂が何百年生きておると思っておる」
「物覚えの悪さを歳のせいにしないで欲しいけれど。まあ、いい。姫、こちらにおいで。一緒に食事をしよう」

 手で招かれる。けれど、動けない。地面に縫い付けているようだ。

「なんじゃ、影に縫い付けられているではないか。これは東方の……ほう、久し振りに見た。導師だったか? 蘭花の術師のものか」
「……悪い子と友達のようだ。カルディア、こちらに来なさい。それは解いてあげるから」

 歩きたいと思っていないのに足が出た。吸い寄せられるようにザルゴ公爵の元に近づいていく。

「突然現れたと思ったら、面倒ごとを持ち込みよって。報いを受けさせてやるぞ」
「え……あ、あの……どうなっているの、私はどうしてここに……」
「それはこちらが聞きたい。どうしてここに来れたんだ? サンのことを知っているのか?」

 サン。この少年のことだよな?
 全く見覚えがない。だいたい私はギスランの屋敷にいたはずだ。
 ふるふると首を振る。サンという少年のことも、この場所も全く知らない。

「私はギスランの看病をしていて……。ヴィクターに寝ろって言われて休んでいたはずなのに」
「ギスランとは誰だ?」
「ロイスタ―公爵の息子だよ。そちらも一度顔を見せたことがあるはずだけど」
「ほう、タイラーだったか? そやつとゆかりがある王女というわけじゃな」
「それは三代前の公爵だ。もう他界しているよ」
「なんと! 儂はあやつに金を貸したままであるぞ。無礼な奴じゃ。死ぬ前に義理を果たさぬとは」

 頭が熱いせいなのか、うまく思考が働かない。
 だが、さっきからザルゴ公爵達の言葉が引っかかっている。まるで、何百年も生きているような物言いだからだ。
 サンと呼ばれた男に対するザルゴ公爵の態度はやけに仲が良さそうなのも、気になる。ザルゴ公爵が生前、懇意にしていた友人は、そのほとんどが他界しているはずだ。存命していたとしても、四十より上のはず。けれどこのサンという少年はどう上に見ても、十代後半だ。誰かの孫だろうか? 
 一度顔を見たことがあれば頭の片隅に記憶されているはずなのに、該当者がいない。

「サンは借金取りには向いていないからお金のことはそのまま忘れたほうがいい。……こちらの席に座るといいだろう」

 ザルゴ公爵は席から立ち上がり、椅子をひいてくれた。椅子に腰かける。どうしてだか、椅子に座っているという感覚がしない。テーブルクロスに触っても感触がなかった。目の前にあるのに、蜃気楼のように姿がない。だが、座った椅子はどうしてだか温かいと思った。

「ロイスタ―の屋敷からここに来たのかい?」
「私は来た覚えはないわ……。だって、私は屋敷で寝たのよ。こんなところ知りもしない……」
「なんじゃ? 不気味なことを言いよって。気が付いたらそこにおったはおぬしであろうに。まさか、これが世にいう夢遊病というやつか!」
「それも考えられるけれど、これはそうじゃない」
「なに?」

 上擦った声で、ザルゴ公爵は私を抱きしめた。

「これはおれの予言が達成されたことを知らせる福音だ。カルディア姫、お前は見たのだろう?」

 見たって何を?

「予言じゃと? おぬしのやっておる、ごっこ遊びか」
「ごっこ遊びなんかじゃない。『売られた娼婦』はミッシェルが達成した。次はギスランだろう? 彼の目がえぐり取られた? それとも病気で見えなくなったのか? 看病をしていたというのはそういう意味だろう?」

 投げかけられた言葉に悪意はなかった。純粋な興味できいていると分かる。だからこそ悍ましい勘違いだった。ザルゴ公爵はギスランの瞳が見えなくなったのだろうと無邪気に言っている。

「『盲人の聖職者』か。おぬしの趣味の悪い絵画の通りにどこぞの聖人が瞳から光を無くしたと申すのか」
「そうだろう? カルディア」
「ち、違うわ。ギスランは盲目になっていない。やっと起き上がったのよ」
「……違うではないか!」

 おかしいなと言いながらザルゴ公爵は頭を捻った。

「妖精王とはそういう契約をしたんだけどな。予言が達成されるたび、それを一番に観測した相手の夢を乗っ取って、報告に来てもらうようにしてもらった」
「ちょっと待って。お前、とても不愉快なこと言わなかった!?」

 ここは夢なのか? 道理で、現実感がないわけだ。
 いや、これは私が見ている夢の可能性もあるのか? 
 摩訶不思議で、奇天烈な夢を見ている?

「あの胡散臭い森の王と契約を交わしたのか。奇特な奴であるな」
「普通の妖精じゃあ、おれの魔力が濃すぎるらしいからな。狂って使い物にならなくなる。余生の楽しみなんだから、あまりものをどう使おうといいだろう」
「どうでもいいが、あまり目立ってくれるな。影に隠れたい儂が、太陽下に連れ出されて焼き殺されそうだ」
「大丈夫。夢を介しているから、起きたら覚えていない。それにしても、おかしいな。ミッシェルの時は使用人の清族が来てくれた。だから、てっきりギスランが次の犠牲者だと思ったんだが」
「あの絵画はザルゴ公爵の予言なの?」

 彼らの話をきちんと理解するのは難しい。けれど、断片的なことならばつなぎ合わせることができるはず。

「……どうだろう。カルディアはどう思う? 人たる身が神を降ろさずとも予言が叶うと思うか?」
「神を降ろす?」
「神託や予言は全知全能の神が人に与えるものと相場が決まっておろう。近頃の娘はそんなことも知らぬのか」
「そんなこと、できないわ。清族だって、聖職者だって。聖地イーストンであろうとも女神を降ろしたことはないはずよ。……けれど、そういえばヴィクターが天帝の声を聞いたって」
「天帝! これはまた懐かしい名をきいた。今世の神のくせに女にうつつを抜かす怠け者。天帝の眷属に神託が下りるのはあたりまえのことだ! むしろ女神の信者どもが大きな顔をして国中に散らばっているのがおかしいのだからなあ」
「そういうサンだって女神の信者だっただろう」

 サンの言うことが分からない。まるで、女神カルディアが厄介者のような言い方だ。だいたい、サンの言うことが正しいとするならば、ザルゴ公爵の問いかけに答えは出ている。

「儂は女神に愛想を尽かしておる。それで、この女、いつ消えるのじゃ。このままでは食事にまるで集中できん」
「前のときはすぐに消えてしまったんだが。きっとまだ目を覚まさないからだろう。気長に待つしかない」
「……しかたがないの。女、儂が特別に分け与えてやろう! この儂の料理じゃ。感涙にむせび泣いて楽しむがよいぞ」

 対向にいたサンの皿がふわふわと飛んで、私の目の前に置かれた。フォークやスプーンも同じように浮遊して定位置に。
 どこに清族がいるのだろうと狼狽えて二人に何度も目配せする。
 彼らからの説明はなかった。説明せずとも自明の理だろう? と言外に臭わされている。

「……お腹は空いてないわ」
「儂の好意を無下にする気か?」
「ここはお前達に言わせたら夢なのでしょう? 腹を満たしても意味がないなら、やらない」
「ではおれ達と歓談をする? こちらの都合で出向いてもらっているのだからね、姫のご要望通りにしよう」

 二人の交わしていた会話を根掘り葉掘り聞きたいが残念なことに頭が熱くて、上手く質問がまとまらない。思考がぷつぷつと断絶したように途切れる。
 別のことを考えろ。煮えたぎるような熱の中でも正気でいられるようなことを。

「話がしたいわ。……ギスランを長生きさせる方法が知りたいの。暴力のような魔力によって体に負担がきている。どうすれば体の崩壊を止められる?」
「唐突じゃなあ。そのギスランとかいう男、清族なのか」
「清族と貴族の間の子供だよ」

「混血児か。階級も、悲しいほど安くなったものだ。だが、清族の混血児を長生きさせたいじゃと? 株を意図的に暴落させる算段より難しい命題じゃな。命欲しさに清族が数百年研究しておるが、一つの成果もない。儂らに振る話の内容ではなかろうよ」
「それはそうだが、解答がそれだけだと味気ないな」

 ザルゴ公爵は机に腕をついて、ぱちりぱちりと指を鳴らした。子供らしい仕草だった。

「ところで姫はどうして清族達の研究が上手くいかないのだと考えているのかな?」
「方法がないから上手くいかない? あるいは、研究の仕方自体を間違っているのではないの? 前提から違うと言ったような」
「清族どもは上手くやっておるほうじゃ。じゃが、選民意識が強いのが致命的。慢心はそれゆえ知識へ多大な悪影響を及ばすもの。まずは謙虚に自らを見つめ直すことが重要じゃろうよ。選ばれたのは我らではなく、死に行くのがやつらなのだとな。劣等種である自覚があやつらにはまるで足りておらぬ」
「それは……つまり清族達は死ぬしかないということ?」

 研究を進展させたいなら自分を見つめ直せって安っぽい自己啓発本のようだ。

「人は必ず死ぬものだ。例外なくね。だが、そうだね。ヒントを与えるとするならば、清族の体は遺伝子レベルで日々弱く、華奢になりつつあるんだ。それは彼らのおぞましきも美しい慣習の賜物だ。兄妹同士の交わりは手軽で容易だが、血が近過ぎるというのは考えものだ」
「しかし、二百年前はどの階級をこぞって兄妹同士で交わっていたじゃろう。儂とて覚えがあるぞ。それが長生きの秘訣。階級を保つ秘訣だと喧伝されておった。より人として形を留められるとな。それが悪かったとは思えん」
「人として形を留められる?」

 まるで、今は人としての形を保っていないような言い草だ。
 ……というか、やはり、何百年も前という言葉が気になる。彼らだけ時間の流れの中から解放されているような放埓さがある。一体なんなんだ?

「――清族は人ではないの?」

 上手く言葉を表現できなかった。正確には今を生きている人間と過去の人間は違うのか? と聞きたかった。

「人という定義はとても難しい。世によって移り変わるからだ」
「誤魔化さないで。お前達のいう人ではないのかと問うているのよ」
「……なんとも気の強い女じゃな。しおらしくするすべも知らぬようだ。儂の祖母はおぬしらのような不完全ながらくたを家畜と呼んでいたぞ」
「なんですって?」

 サンの言葉は聞く限り女性蔑視のようだった。だが、違和感があった。性別を指しているのではなく、もっと広義的な意味が感じ取れた。

「人間はどういうものだと思っておるのだ。五体が満足で、頭が冴えているものか? 倫理観がきちんとしており、法が守れるものか。儂に言わせれば、否、断じて否である。人はもっと多様なものだ。美しきものだ。お前達は数ばかり増え、多様性を切り捨てた。平等を望み、貧困に喘ぐものと品性が高きものを混ぜて、ぐちゃぐちゃにかき回して混沌を作り出してしまった。平均化、普遍化。平凡とは、醜悪な人間の心そのものよ」
「私達が変だと言いたいの?」
「変? ああ、変だとも。どうして、頭が二つない? どうして、頭が鳥ではない? どうして、異形であることを隠す? なぜ、普通をよしとする? どうして、自分と違う顔を奇怪だと忌む?」

 頭のなかに現れたのは死に神だった。腹部に顔がもう一つ。人間を模していると言っていた。人間の望む姿になるのだとも。

「清族は人間ではないのかと問うたな。その問いに答えてやろう、小娘。あれこそが人間だ。人の面をしていない悍ましき姿こそが人間なのだ」

 そのとき私はやっと気が付いた。
 熱弁を振るう少年の口が全く動いていない。
 彼の体はよくできた陶器人形だった。ガラス玉の瞳が引き攣った私の顔を映している。天井から操り糸がぶら下がり、人形の身震いが操作されていた。少年の腕が持ち上がる。つるりとした傷一つない頬を撫でた。

「おや、やっと気が付いたのか。遅かったね」

 悪戯に成功したように、ザルゴ公爵が微笑んで私の肩に手を置く。

「よく見てごらん。ここは屋敷のなかじゃない。触れてごらん。この机は机なんかじゃない」

 ぺらりとクロスを捲ると臓器のようなものが姿を現す。てらてらと粘膜で覆われていた。触ると、透明の液体が手に張り付く。

「儂のなかにようこそ、小娘!」

 ここは体のなかだ。机は臓器。椅子も同じ。だらりと背中に熱い液体がかかる。服ごと肌が溶けていく。
 サンの哄笑の渦のなかで、耳を塞ぐ。体が熱かろうと構わなかった。この耳障りな声をどうにかしたかった。
 とくりと足元が揺れる。これは心臓の鼓動だと背筋が凍った。

「儂こそが人間だ。人間のなかで、最も高尚な人間の姿だ!」

 意識が飛ぶ。恐怖で、手がかじかんだ。
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