どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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閑話 無辜の人々

火曜日は従者達が嘆く。

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「貴方がきちんとしないからよ! わたくしまで笑い者に!」

 金切り声を上げるお嬢様が可哀想だった。
 命を取り止めたテウは、それでもいくつかの骨を折っていた。しばらくは寝台の上で寝そべることしか出来ない。
 そんな彼に、女は言った。
 お前のせいだ、と。
 彼女が望む通り、サガルの下で、命令通りに頑張った。貧民の女を誘惑し、ロイスター家の嫡男の暗殺未遂まで行ったのだ。

 ――ああ、それでもまだ、足りないんだ。

 胸が疼くのは、悲しいからではない。悔しいからだ。また、望みを達成できなかった。期待されたのに、報いることが出来なかった。
 そんな自分に嫌気がさして飛び降りたのに、どうして生き残ってしまったのか。
 運命の悪戯は残酷で、無慈悲だ。

 その日、テウは再び死のうとした。重たい体を引きずって、厨房にあるはずのナイフを取りに行こうとした。けれど、それを果たす前に男に会ってしまった。
 彼はリストと名乗った。王弟の息子と同じ名前だ。
 褐色で、身なりのきちんとした紳士だった。

「おかしな子だね。奪われていた本物の地位を、取り戻したんだ。自由に振る舞ってもいいのに」

 彼はそう言って、床を這いずるテウに同情の眼差しを向けた。テウは羞恥心に顔を赤くしながら、動きだけは止めなかった。

「お前の名前はテウ・バロック。バロック家の当主だろう? どうして他家に嫁いだ女の指図を受けているんだ」
「俺は、未熟だから……」
「馬鹿馬鹿しい。人は皆未熟だ。完熟した人など存在しないよ。お前のそれは、悪辣な呪いだ。自分では何一つ出来ない愚者だと呪いをかけられている」
「そ、そんなわけ……」

 否定しながらも、根っこの部分でテウは男の言葉を肯定していた。
 暴力と暴言により、テウの過去は穢された。体に残る自我が叫んでいる。どうして嘔吐してしまう癖がついたのか。自分の料理でさえろくに食べれなくなった理由はなにか。よく考えろ。見ないふりをするな。
 つるりとした床に頬をつけて涼みたくなる。頭が熱を放って、うまく考えがまとまらず吐き気がしてくる。

「そうだ、いいことを思いついた。あの女を殺してしまおう」

 ぎょっとすることを言われ、テウは彼の顔を見上げた。

「そうしたら、お前も思い悩むことはなくなる。幸い、バロック家には資金はあるし、領土もまずまずと言ったところ。煩わしい親戚に阻害されなければ、上手く行くよ」
「お嬢様に何かする気なの?」
「もうお前のお嬢様じゃないだろう。いつまでも使用人のように振る舞うのはおやめよ。……いや、使用人ぶるなら他の女にするといい。好きな女、とかね」
「……そんなの、いない」

 艶然とした笑みでくすりと笑われる。

「カルディアは違うのかな。懐いていたようだったけど」
「お姉さんは……」

 第四王女カルディアだと知っていて、関係を持った。
 けれど、初めて会ったとき、彼女から声をかけてくれたのはまぎれもない事実だ。
 眼鏡を取って、拭いた時の変な顔を今でも覚えている。
 そして、手を貸してくれた温かさも。
 少しだけ、期待していたのは事実だ。この人は他の人とは違うのかも知れない。
 テウを救ってくれるのかもしれない。
 期待をして、飼ってくれと何度も言った。
 その度に変な顔をされた。この人は人を使うことに慣れていない。そう感じたこともあった。

 ――お姉さんに、か。

 それは無理だと瞬時に脳内の自分が否定する。当たり前だ。目の前で自殺未遂を行った。そんな相手を従わせたいとどうして思うだろうか。
 こちらから頼み込んでも無理だろう。

「何も心配することはないだろう。君は何をする必要もないよ。ただ、失意のうちに溺れている演技をしていればいい。そうしたら、カルディアが君を誘いに来てくれる」
「そんなわけない」
「嘘だと思うのかい? ならば、それでもいいよ。君にある男をあげる。執事として扱ってあげるといい。そうしたら、君にいいようにしてくれる」
「執事なんて必要はない……」
「そうか? そうならいいね」

 男の手が伸びて、テウを立たせてしまう。
 テウは男の顔をまじまじと見つめる。髪の先が血のように赤く染まっていた。よく見れば、どこか顔は若々しく、活気に満ちていた。

 四十代後半ぐらいだと思ったのに。
 三十代前半――。今は二十代後半に見える。みるみるうちに若返っているような、そんな違和感があった。

「あ、貴方は?」

 どこかで見覚えがある。だが、どこだったかはわからない。

「おれは、リストだとさっきも言ったはずだけどね。――ああ、そうだ。執事にはお前の近くに侍るように言っておく。お前はあいつにこう言えばいい。あの女を殺せとね」
「……そんなこと」
「出来ないなんて弱音は吐くな。貴族としてのし上がるために必要なのは、寛容さでも、慈愛でも、優しさでもない。打算だ、いいね?」

 諭すようなその声に、テウはただただ混乱した。
 どうしてこの男は自分に親戚を殺させようとするのだろうか。
 殺さなくてはならないような大悪党ではない。性悪だが、テウを叱りつけるだけで精一杯なただの女性だ。

「でないと次こそ、お前が死ぬよ。何度も助かるほど、人間は幸運じゃない。命を天秤にかけてみるといい。お前の命か、彼女の命か。答えは明白だろう?」
「俺に価値なんて……」
「ならば勝ち取ればいい。価値などと言うものは結局、相対的な評価によるものだ。他がいなくなれば、お前に目がいく。示してみせるといい。自分が価値あるものだとね」

 リストはそう言って、テウに鍵を握らせた。ごてごてとした宝石がついた華奢な鍵で、ギザギザと尖っている。

「王都で一番の金貸しのところに行くといい。彼にこれを見せれば、いくらでも金をくれる」
「な、なぜ、こんなことを?」
「実はお前の起こした自殺騒動で得をしてね。これは少しばかりの感謝の気持ちだよ。どうせ、使い切れないほど持っているからね、少し分け与えるだけだ」

 薄く笑みを残して消えた男は、その数日後、本当に男を差し向けてきた。
 彼の名前はラドゥと言った。
 アルジュナの産まれ。だが、言葉に訛りはなく、どこか端然とした顔つきをしていた。

「女を殺しましょう」

 ラドゥは簡単な挨拶のあと、突然提案してきた。

「毒にしかならない人間は排除した方がいい。お分かりでしょう?」
「殺して何になるの」
「とくには? でも、すっきりはしますよ」

 テウは腹を抱えて笑った。
 すっきりするために人を殺す?
 馬鹿げた話だ。だが、テウは彼女の命令のためにギスランを殺させようとした。そっちの方が馬鹿馬鹿しい。
 血の繋がった家族。お嬢様と呼ぶ存在だった。テウの心の中を占領する神々しい輝きを放つ貴族。
 支配されていた。神のように君臨する一人だった。
 それが今、引き摺り下ろされようとしている。
 殺せと命令した。それだけでよかった。
 翌日、彼女が死んだことが知らされた。首を吊って自殺。よくよく調べれば殺されたと分かっただろうが、遺書があったためにろくに調査はされなかった。
 嫁いだとはいえ、血縁だ。葬式に参列することになった。その時に、遺書を渡された。
 文面はインクで真っ黒だった。テウへの憎悪ばかりが書かれていた。ラドゥが耳打ちする。死ぬ前に書かせましたと。
 酷い真似をしてくれるものだと思いながら、棺に入れられ、河へと流されるお嬢様を見送る。
 帰りは体が妙に軽かった。
 すっきりするとラドゥが言った通り、開放されたような気分だった。人を殺すことは簡単過ぎて、罪悪感も湧かない。心が死んでいるように、後悔の念はなかった。

 そのはずだったのに。

 ーー私はお前の名前を呼ぶ。何度も、何度もよ。けれど、お前は家族に名前は呼ばれないの。今後、一度だって。

 カルディアの言葉はテウの心の奥に突き刺さった。今更、殺したことを認識したように、身体中が恐怖で震える。
 カルディアの去った部屋の中で、テウは一人頭を抱えた。ずっと同じ言葉が頭を回る。夜になっても考えがまとまらなかった。

 ――もう、名前を呼ばれることはない。家族に、テウと呼ばれない。

 そのために頑張ってきたはずだった。なのにリストという男の甘言により、全てを壊してしまった。選択したのは自分だ。責任を押し付けるつもりはない。
 殺せと頼んだのはテウだ。
 大丈夫だと言って体を慰める。だが、震えは大きくなるばかりだ。
 間違えてしまった。もう、やり直せない。死んでしまった者を蘇らせることは出来ない。
 大きく息を吸い込む。

「俺はもうおかしくなっちゃってるんだ」

 あははと声を上げて笑う。
 何を目指していたのか。何が自分の望みなのか分からない。



 突然大声で笑い始めたテウを一瞥し、ハルは顔を顰めた。

「あれが従者?」
「いやあ、カルディア姫、凄い奴を従者にしたよね。ストップかけるギスラン様も今ちょっと疎遠になってるし」

 屋根の上から見下ろしている彼らはしっかりとテウを捉えていた。部屋のなかで閉じこもり、悩む彼の姿が窓の外から筒抜けだ。

「お前の方がいいって何度も推したんだけど。まあ、リスト様に捕まっちゃったからね」
「俺がなれるわけないだろ……。でも、あれを見ると心配になる」
「正直言ってかなり不安。しかも、あのお姫様、身辺調査してないのに、自分のものにしちゃって」

 ハルは隣にいるイルを覗き見る。
 剣奴の心得を教えると言って無理矢理連れてこられたのだ。
 レゾルールは痛めつけられたことしか思い出せない場所だ。
 ここに最初、連れられて来た時は目隠しをしていたので外装は見えなかった。
 屋上へから屋根に登るとこの城がどんなに美しく、堅牢なのかが分かる。流石は籠城を考えて作られた城だっただけはある。攻め込みにくく、いたるところにトラップが仕掛けられていた。

「テウ様は、お前の変わりにサガル様が与えた男なんだよ」
「……は?」

 低い声が漏れる。
 サガル様が、与えた?
 意味がはっきり分からない。人は与えられるものではないはずだ。

「お前がいなくなった心の空白を補填しなきゃと思ったんだろうね。テウ様はもともと使用人として生きてきた人だし、仕草の一つ一つが貧民にそっくりだった」
「補填って……俺の代わりなんていない」
「いないわけないだろ。少なくとも、サガル様にとっては違う。お前はただの貧民で、カルディア姫はその物珍しさに惹かれたんだろうって見解だった」
「やけに詳しいね、イル」
「ギスラン様も同じ認識だったからな。言っておくけど、あのお姫様本当に人見知りでろくに知り合いがいなかったんだ。ハルと親交を深めてるって知って唖然としたぐらいだし」

 目を見開く。
 ハルにとってカルディアはもっと気安い人物だった。口では怒るくせに、権力を振りかざしたことはない。手を出したり、色目を使われていたハルにとって、安心出来る存在だった。

「あの人が俺のかわりだったとして、どうしてサガル……様は俺のかわりを送り込んだの? いないならいないでいいんじゃないの」
「さっきも言ったけど、カルディア姫が親密になる人間は久しぶりだったんだよ。あの人、情緒不安定なのは知ってるだろう? 特にあの時期はバッシングも酷かったしね。急激な変化で心が壊れないようにってことだろう。あっち側の詳しい事情はよく知らないけど」

 バッシング。ハルは居心地の悪さを覚えながら唇を噛む。
 根本的な原因は彼女ではなく、空賊だから尚更だ。

「けれど、箱を開けてみると、カルディア姫はお前に依存してた。ハルという個人にね。テウ様は、第二のハルにはなれなかった」
「カルディアは気がついているの。テウ様が俺のかわりだったって」
「まさか。気がついてはいないと思う。テウ様はもう元には戻れないぐらいぶっ壊れていたし、ハルとは全然違った」

 部屋の中からは相変わらず笑い声がする。正気とは思えない。カルディアはなぜ彼を従者にしたのだろう。テウの本性を見破れなかったのか。
 それとも見破ったからこそ、手元に置くことにしたのか。

「……本当はお前が従者になりたかった?」
「馬鹿言うなよ。俺じゃ無理でしょ」
「でもカルディア姫に懇願されたら引き受けていた。だろ?」
「…………」

 押し黙る。そんな夢のような話を考えたくなかった。

「うちのお姫様が、従者関係でやらかさないといいけどね。あと二人、増えそうだし」
「……その二人はどんな奴?」
「気になるの?」
「……まあ? 気になる」

 カルディアは、従者を侍らせるような人間ではない。一人の方が息がしやすいのだと思う。
 だから、その二人がカルディアの息を詰まらせるではないかと思うと胸がぞわぞわした。

「清族と音楽家。二人とも曲者なんだよなあ」
「カルディアは、二人のことどう思っているのか分かってんの」
「清族のために髪切ったらしいとは聞いた」
「はあ?!」

 大声を上げた口を慌てて塞ぐ。
 カルディアの短い髪は他の男のため。目の前が真っ赤に煮えたぎるような錯覚が襲う。髪を掻き毟って、何とか平穏を保つ。

「なに、やってんの」

 低い声が出た。髪は女の命ともいう。貴人ならば尚更切ってはならないものだ。
 母を思い出す。
 蓬髪を切り、売りに出していた。それでも生活は苦しく、体を売ってーー。
 過去の自分を慰めるように強い風が吹いた。
 自分でも見当違いな嫉妬をしていると分かってはいた。でも、苦々しく思うことを止められない。

「俺も詳しくは知らない。だけど、その時その清族に恩を売ったみたいなんだよ。あの姫様、変なところで変な男を引っ掛けてくるから」

 イルの視線を感じる。ハルもその変な男の一人だと言いたいのだろう。

「……ちゃんとしなよ。護衛なんでしょ」
「言っとくけど、それは業務外。交友関係にまで口出せないし。だいたい、俺は本来ギスラン様の護衛」
「じゃあ、もうお払い箱ってこと?」
「馬鹿、そんなわけない。テウ様は貴族でバロック家の当主。護衛ごっこは出来ない。清族も音楽家も同じこと。しばらくは俺がやる」
「じゃあ、カルディアが護衛を雇ったら?」

 皮肉げに口を吊り上げ、イルが笑う。

「俺より強いなら任せていいと思うけど」
「……意地が悪い」

 イルより強い人間を、ハルは見たことがない。拷問され爪を剥がされた状態で、失神もせず、数十人を相手に暴れ回り逃げおおせた男だ。しかも足手まといなハルを連れていた。

「意地が悪いのはハルもだ。お姫様がどんなに鈍かろうと、流石にお前がリスト様の剣奴になったからくりに気がついてると思うけど」
「……まあ、そうだろうね。俺はともかく、リスト様とは付き合いが長いだろうし」
「死ぬ気か?」
「いつかは死ぬでしょ」
「リスト様に利用されて死ぬことになる」
「あの人のことは嫌いじゃない」

 そういうことじゃないと視線で制される。最初からこの話をしたくて連れ出したのだろう。

「カルディア姫が死んでほしくないと言ったら、どうする」
「もう言われた。覚悟は伝えたつもり」
「お前、そう言って離れられるわけ? だってリスト様の提案に乗ったのだってーー」
「まだ、大丈夫」

 イルの言葉を遮り、応える。
 その先の言葉は耳に痛い。

「まだ死ねるから」
「あっそ。……ならいいけど」

 イルは情が深い男だ。ハルを死なせたくないと思い、動いてくれているのは理解している。だが、甘えるわけにはいかない。情けをかけられるような立派な人間ではない。
 眼鏡をしていないイルと目を合わせるのは緊張した。ぴりぴりと背筋が痺れる。

「カルディア姫はギスラン様とくっつくべきだと思う。二人はお似合いだから」
「そりゃあ、婚約者だし。階級的にもお似合いだろ」
「でも、ギスラン様はカルディア姫を幸せには出来ないとは思う」

 イルの顔は見れなかった。覗き込む前に、顔を空へ上げたからだ。

「雨の匂いがする」

 鼻を擽るのは確かに嗅ぎ慣れた湿った匂いだ。

「どうして、幸せに出来ないの」

 イルの言う通り、頬に雨が落ちてくる。ハルも同じように空を見上げながら、答えを待つ。

「死人は生きている人間を幸せには出来ない」

 降り注ぐ雨は霧のようだった。足を踏み外さないように足の小指を丸める。
 つるつるに濡れた屋根の上を移動する。

 ――そんなの分かってる。

 分かっているけれど、死ぬ男が変えられることはない。
 ないはずだと言い聞かせる。
 ハルにはそうする以外、膨れ上がる想いを殺す方法を知らない。


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