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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「まるで、もともとこうであったように、体の構造ごと変化していますわ。切り取ってしまうしかないと存じます」
「馬鹿を言うな。俺やカルディアはともかく、ノアは足ごと変わっているんだ。このまま斬り落とせば、歩けなくなるだろう」
「……そもそも、もう歩けてない。蛇のようにこそこそと這いずってる」
「どうにかできないのか。清族だろう?」
トヴァイスの言葉にヴィクターは口を閉ざした。
緊急事態につき、私はイルを使ってヴィクターとトーマを呼び出した。私が知る中で最も優秀で呼びやすい二人だからだ。相変わらず、トヴァイスには獣の耳が生えている。ノアも蛇そっくりな姿のままだ。
トーマは私やノアの体を触って、変わってしまった箇所を舐めるように見つめていた。二人の他に、イルと、話を聞きつけて押しかけてきたイヴァンが部屋の隅に立っていた。
「本が光って、姿が変わるなんて聞いたことねえな。どうやって変えたのかも理解不能だ。妖精の悪戯にしては脈略も利点もない。カリオストロの罠にしては凶悪過ぎる。奴らに有能な清族がいたなんて聞いたことねえし」
淡々とした口調でトーマが言い切った。
「やはり、『カリオストロ』自体に刻まれた呪いの類なのかしら。数百年前の信者が、自らの命を捧げて呪詛を仕掛けたとか?」
「だとしたら、普段は信者どもにかかることになるのでは? 信者どもも異形に変わっていたとでも? ありえんな。カルディア、お前が見た信者はこんなおかしな格好になっていなかったのだろう?」
「それはそうだけれども……」
「はにわりではありましたよ」
イルが澄ました顔で口を挟んだ。トヴァイスは嫌そうに眉を顰め、イルを見つめた。
「家具が喋るな」
「トヴァイス!」
あまりのことに名前を叫ぶ。貴族が使用人を家具扱いするのはよくあることだが、口に出して釘をさすようなものではない。上品なことでは決してないし、イルに対して直接的な侮辱だ。
イルは頭をゆっくりと下げ黙ることで、トヴァイスの機嫌を取った。
「イルは大切だと思ったから口を出したのよ。あの時助けてくれたのはイルよ。こいつが一番相手をよく知っているわ」
「功労者だから、俺達の会話に参加していいと? とんだ驕りだな」
「事情をよく知る人間が話した方がいいでしょう? まともな意見を述べているつもりだけど?」
ぴくりと獣耳が動く。じっと見つめられても頭の上にある二つのお陰で、そこまで怖くない。
「お二人とも、生産性のない痴話喧嘩はやめていただきたいですわね」
「……分かっているわよ」
ヴィクターに渋々謝る。だが、トヴァイスは顔をふいと逸らしただけだ。
この男、一度心底酷い目にあえばいいのに。
「それで、はにわり以外の変わった特徴はなかったのかよ?」
「尾骶骨らへんに縫合された傷があったぐらいですね。両性を持つというのが既に変わっていると思いましたが」
トーマの質問にイルは小声で答えた。トヴァイスを配慮してらしい。
「……俺は足を斬られても構わない。これが足だというならだけど」
「ノア、何を馬鹿なことを」
「別に、今更だと思うけど。腕は紛い物だし。足もそうなるだけ」
「トヴァイスの言う通りだわ。さすがに生活に支障が出るわよ」
斬るしかないと言われているからだろう。ノアはさっさと終わらせてしまいたいらしい。流石に、塒を巻いたまま領地に帰るわけにはいかない。だいたい、まだ領地に帰れるかどうかも分からない。国王の采配を待っている状態だ。呼び出されれば、謁見しに行かねばならない。早く解決して変な懸念を払拭したいだろう。
「そもそも、腰から変わってしまっていますからね。ノア様の場合、命の危険もあるとは思いますが」
「……やはり駄目だ。強硬手段に出るのはあとにしろ。どうにか出来ないのか」
トヴァイスは頭を振って、否定した。沈黙が場を支配する。トーマとヴィクターは最初に結論付けた答え以外の方法が思い浮かばないようだ。
嫌な雰囲気に包まれた、その時だった。
黙り込んでいたイヴァンが長い指を掲げて口を開く。
「発言してもいいかな?」
空気が弛むような、緊張感のない声色だった。
トヴァイスの視線がイヴァンに向けられる。僅かに瞳孔が開く。動揺を隠しきれないまま、苛立たしげに足を踏み鳴らした。
「処刑人の息子が、死をばら撒きにでも来たのか?」
「その差別は美しくないな。音楽家として活動している立派な国民だよ」
「どうだか。……カルディアの周りをまだうろちょろとしていたのか? 愛人にでもなるつもりか」
「おや、愛人にしてくれるの? そうならそうだと早く言って欲しかったな。恋の詩は得意じゃない。練習しなくては」
「ふざけたことを……!」
このまま、言い争いになる前に二人の間に入る。トヴァイスはイヴァンの何が気に入らないんだ?
やけに絡む。しかも、イルに向けるような軽蔑の色はない。かといって憎悪や嫌悪でもない。肌に感じるのは焦燥感だ。拳を握り、汗が噴き出すあの感じ。
「イヴァン、何を言いたかったの。教えて」
「今のイーストン伯達の姿は、別段珍しくはないのでは? と思ったまでだけれど」
「……? どういう意味?」
「清族の呪いと何が違うのか、分からなくてね」
一拍置いて、トーマが頭を抱え蹲った。頭でも痛いのか、ぶつぶつと何事か呟いている。
「違いがないとおっしゃるの?」
「ないのでは? どちらも異形に変じるのだろう? 同じ現象だ」
「馬鹿言うな。あれは呪いだ。今まさに、呪いをかけられたのだとでも?」
「違うとは言い切れないだろう。何せ、古書……しかもなにかといわつきの代物だ。清族にかけられた呪いが潜んでいても驚かないな」
「そうだとしても、どうして清族のあの姿にーー異形に変じませんの?」
イヴァンはちょいちょいと私を手招いた。誘いに乗って近付くと髪の毛を掴まれる。そのまま髪をーー花で編まれた髪を嗅いで、くすりと笑った。
「そもそも同じ異形に変じる、それ自体がおかしいのでは? 清族が基準ではなく、例外だとしたらどうだろう」
「ちょ……ちょっと待ちなさいよ。そもそも、イヴァンは呪いについて詳しいの?」
掴まれた髪の毛をやんわり離して貰いながら問いかけると、イヴァンはにこりと満点の微笑みを浮かべた。
「処刑人の家の子だからね。死体を解剖したことがある。罪を犯した清族の死体もね。まあ、ピアノを弾くようになってからやめてしまったけれど。昔から疑問に思っていたんだよ。彼らの体には個体差はあるけど、造形は同じだ。他の奇形児達とは違う」
「他の奇形児?」
「狼人間や蛇女……化物として扱われている人間は思っているよりずっと多い。そうでなくても、腕や足が多い人はたまに産まれてくる。トーマのようにね」
名前に導かれるようにトーマに視線を遣る。いつもと同じ白いローブ。体を支える杖。なんの変わりもないトーマだ。
「知らなかった? トーマは産まれたときに妹と繋がっていたんだよ。正確には、妹の足とだ」
トーマの纏う空気が変わった。世界の色が変じたような息苦しさだ。太陽の臭いが消えた。泥の臭いがする。底なしの沼。どこまでもずぶずぶと堕ちていく。
小さな声が背後からする。
――トーマの妹は死んでいるんだよ。
――はなおとめ、知っている? 清族にとって兄妹は特別な意味を持つんだよ。
誰の声なのか分からない。けれど、懐かしい気がした。くすくす笑う、太陽に照らされた花のあざやかさを思い出す。どうしてそんなことを思い出すのだろう?
「なぜ、それを知ってる」
「切り離すところを見たんだよ。執刀医と父が知り合いだったからね」
「馬鹿げたことだ」
顔からは血の気が引いていた。
トーマは私の視線に気がつき、そのまま顔を手で覆い隠した。トーマは吐き気を催している。それを隠そうと必死なのだ。
「トーマ、外に出ていなさいよ」
「っ。うるさい。指図すんな」
「馬鹿、いいからさっさと部屋を出て」
扉を開いてトーマを追い出す。また、後ろから声がした。
――足音行ったね。トーマの足音は特徴的だもの。すぐ、分かる。
――帰ってくるにはしばらくかかりそう。きっと、なかのもの全部吐き出しているよ。
「トーマの足が妹と繋がっていたってどういう意味なの」
足音が消えたのを確認してイヴァンに向き直る。
トーマのあの反応。おそらく本当のことなのだろう。だが、想像がつかない。多足だったということか?
「性器の上。ちょうど、腹と局部の中心に生えていたんだよ、足が。前屈みになれば、動きやすいだろう位置にあったんだ。彼の両親はそのもう一つの足を、妹のものだと決めつけていた。そして、そのことを証明するように、彼の妹は足が一本しかなかった」
妹は欠損を抱えたまま産まれ、死んだ。だから、トーマには妹がいない。両親に捨てられ、血縁であるダンが引き取った。
悲劇的な生い立ちがイヴァンの口から淡々と語られていく。これは聞いてよかったのだろうか。知ってしまってよかったのだろうか。トーマは聞いたといえばそうかと答えるだろうが、嫌がりそうだ。
同情は好きではないだろうから、聞かなかったことにした方がいいのではないか。
「話に戻ろう? 『乞食の呪い』は知ってる。何が気になっているのか、分からない」
ぬめりとした肉感の舌を出して、ノアが首を振る。
「鳥の頭になるというのが画一的過ぎると思っただけだよ。それに、清族だけ呪いという言葉で済ませられるのも気に入らない」
「それは……たしかにそうですわね。狼人間や蛇女のようなものは呪いとは呼ばれない」
「地位と数の問題でしょう。清族はそれなりに数がいるし、魔力という力を持っているもの」
人の違いじゃない。地位の違いだ。血脈の違い。生まれの違い。清族は力を持つ。それゆえ、呪いを生み出せる。
ギスランが清族の呪いについて教えてくれた時、書物に書かれていると言っていた。
その時は考えていなかったが、今、イヴァンの話を聞いてひらめいた。
清族は異形として生まれたことを物語の力で意味付けすることが出来る。清族だけ、物語の力で呪いをかけられた憐れで特別な存在になれる。
だが、過去のことだ。本当のことは分からない。乞食の呪いはあるのか、ないのか。
ただ、清族だけが特別に扱われているのは、彼らの数と力のおかげなのは確かだろう。
「異形達に呪いを止める薬を摂取させたことはあるの?」
「ある……と聞いていますわ」
「判然としないな」
「薬の臨床実験でときいておりますので。……とはいえ、記録を見たことはありません。トーマならば見覚えがあるかもしれませんが」
「私達が清族の薬を飲めば元に戻るかもしれない?」
さっさと戻したい。へんな声が聞こえるのだ。親しげで、聞き覚えがある子供のような音。他の誰にも聞こえない幻聴。それに痛覚がある花の飾り物なんてぞっとする。体の一部に花が咲いた。不気味すぎる。
「安全は保証できませんわ。それにあまりに早計は判断です。まずは『カリオストロ』が発した呪詛のせいではないことを確認するべきですわね」
「お前達の調査を待てと? ふざけるな。俺にはやらなくてはならないことが沢山ある。そもそも、このような醜悪な身なりで我が領地に入れるか」
「俺も、帰れないのは困る。この姿じゃあ、マフィア達に商品として売られかねない」
「でも、切断するとなればもっと問題でしょう? ヴィクターの言う通り、ここは調査を待った方が」
「横着している二人のためにも、俺は最良の方法を提示できるよ、カルディア」
イヴァンは首を伸ばして、顔を近づけた。清廉な水色の髪が淡く揺れる。耳飾りが揺れて、しゃらりと粋な音が出た。
「俺はそのためにここに来た。だけど、構ってくれないと、言う気がなくなってしまうな」
「何を、馬鹿なことを……」
「俺を愛人……おっと、従者に入れてくれないようだから。懇願したのに、色よい返事をまだ貰っていない」
「愛人じゃない! というかこっちは従者を募集しているわけではないのよ!」
勝手に志願しておいて、勝手な。
「生娘の癖に男の従者を選ぶからそうなる。猛省しろ」
「俺でも自分の女が他の男の手垢でいっぱいだったら、怒るよ」
「うるさいわね! 苦悶の末に出した結論なのよ! だいたい、手垢って何よ。愛人関係ではないのよ!」
つんつんと髪もどきを引っ張られる。そのたびにくすくすと笑い声が聞こえてくる。苛立ちを隠すためにイヴァンを睨みつけると、彼は楽しそうに喉を鳴らした。
「男と女が部屋で行う遊びは一つきりだと思うけれど」
「邪推だわ。テウには料理を振舞って貰っているだけ。だいたい、イルも付いてくるのよ」
「だからこそ、この眼鏡の彼も愛人だと言われているのだけどね? 自覚してなかったのか」
「あ、愛人……?」
なんだ、それ。私は未婚なのに遊んでいる女だと思われていたのか?
ひどい侮辱だ。というかイルにも私にも失礼だ。
「お前の男――ギスラン・ロイスターがよく黙っていられるな」
「ギスランは妬心が強い。カルディアが怒られないのが不思議だね」
「案外愛想を尽かされているのではないのか」
痛いところを突いてくる男達だ。こいつら私を虐めて楽しいのか?
「愛人なんていらない。というかそもそも欲してないのよ」
「愛人は手に余るほど欲しいと言ってくれた方が楽しいな。俺も輪の中に加わり甲斐がある」
この男……! 私がはらはらと胸を悩ませているのが愉快らしい。内心悶えていると、満足したのか、上等な背広の胸ポケットから四枚のカードを取り出した。
「構ってくれたことだし、これ以上虐めると嫌われそうだ。ほら、これをよく見て」
差し出されたカードをひったくり、書かれた文字に目を通す。
招待状だった。送り主はサンジェルマンだ。
「どうしてお前がこれを」
「顧客の一人だからだよ。俺のファンは有閑層が多い。本当は彼からの贈り物を届けるためにここに来たんだ。彼からの伝言だ。友よ、我ら語り合う日が来たようだ、と」
「なんだと?」
トヴァイスが身を乗り出して、イヴァンを睨め付ける。
「俺が知る限り、サンジェルマンは化物だ。人と交わっちゃいけない類の生き物だけど、この異常事態ならば、頼りになるだろうね」
言葉を区切り、イヴァンは部屋の中にいる皆に高らかに言い放った。
「なにせ彼は二百歳を越える異形の者なのだから」
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