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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「羊のレバーのペーストとこんがり焼いたパンの相性は抜群だよ」
「案外臭みもなくて、美味いぞ。ピクルスをのせるとさらに風味が増す」
「レバー系は特に新鮮さが命。長時間放置すると劣化しちゃうから、お姉さんも早く食べて」
内臓色のペーストが塗りたくられたパンをトーマが差し出してくる。
珍しいと思いながらそれを受け取る。トーマは滅多に自分が食べているものを分け与えようとはしない。
トーマは私に渡した瞬間、次のパンを口の中に放り込んでいた。一心不乱に食べ進めている。
……トーマなりに気遣ってくれたのかもしれない。些か不器用すぎるが。私に言われるのは業腹だろうが人と関わるのが下手過ぎないか?
「……心配をかけたわね」
パンを口に運びつつ、小さく詫びる。
口に運んで驚いた。このパンとペースト、見た目はあまり食欲をそそられないが、なかなかいける。
お酒と一緒に食べると特にいいだろう。レバーの苦味が上手くパンと溶け合っている。
咀嚼しながら、時を巻き戻す。ヴィクターと会い、魔眼の話をした。
そのあと私は図書館で気を喪ってしまったらしい。二時間後には起き上がった。
ヴィクターが言うには軽い貧血だったのだという。魔力をいじるとたまに起こるらしく、すまなさそうにしていた。
だが、私は、私だけは貧血のせいではないと知っていた。
私が体験したリストやハル、そしてあの苦痛を味わった男のことは、正直どう捉えていいのか分からない。
王族を廃嫡になったリストやハルに嫌悪感を抱いていた私を、認められない自分がいる。それに殺されても、殺せない男の存在も。
あれをどう捉えたらいいかとうんうん悩んでいたときに、テウに食事に誘われた。お茶会を兼ねた軽食会には、トーマの姿もあった。
食事につられてやってきたと漏らしていたが、向けられる視線は心配げで、どこかむず痒い。
「心配なんかしてねえ」
「そう言ってるけど、貧血に効きそうなレバーを持ってきたのはトーマだから、心配はしてるよ」
「テウっ!」
「意地張っても仕方ないでしょ」
こいつら、いつの間にやら交流を深めている。なぜ私を介して集まらない?
仲間外れにされた気がして、心外だ。
子供っぽい嫉妬心に、赤面する。従者の交流、結構じゃないか。主人としての寛容さが抜け落ちている。
らしくあろうとしたいのに、本能が拒絶している。
「……誰が、この馬鹿姫の心配なんかするか。どうせ、ろくに食事もせずのうのうとしていたツケが来たに決まってる。そういうのは自業自得、因果応報。馬鹿に付ける薬はないって言うんだよ」
「動揺してるなあ」
「してねぇ! ……くそ。んで、ヴィクターと何の話をしてたんだ? 術をかけられたらしいとは聞いてるが」
いい機会だと思い、ヴィクターと話したことーー魔眼についてを話す。
とはいえ、エルシュオン達のことは抜きだ。あの神達を入れると説明がややこしいし、私もよく分かっていないのだから。
トーマは最初こそ小馬鹿にしたように半笑いをしていたが、段々と難しい顔になり、最後にはぶつぶつと独り言を言うまで考え込んだ。
「魔眼、か。ヴィクターも解説したんだろうが、それは先天的なもの。ほとんど、奇跡に近い代物だ。曰く、女神の恩寵であると。だが、それは身の破滅を齎す吉凶でもある。人の身に余る。だから、清族だって、魔眼持ちは殆どいねえ。残ってねえと言うべきか」
「ヴィクターにも聞いたわ。妖精や魔眼目的の人間に拐われるのでしょう?」
「目玉だけでも相当の金額になる。実際、俺も保管された魔眼を見たことがあるからな」
というか、今更だが、こいつ羊を口にしている。ギスランがいれば打擲され兼ねない行いだ。羊の肉は王族が食すべきもの。内臓とはいえ、食べていいものではない。
とはいえ、こんなことで目くじらを立ててもな……。
「どうにか出来ない?」
「どうにも。むしろ、お前のような歳で、なりかけってのも珍しいぐらいだ。魔眼を持つ奴は成人前には完成して正気を喪ってる」
「ぐっ。その話、本当に怖いから詳しく話さなくていい」
「と言ってもな。貧相な食生活のせいか? 何らかの要因で魔眼が完成しなかった。今手が空いてれば、調べてやれたものを」
その物言いに驚く。何か研究をしているのだろうか。
頭のなかにまず浮かんだのは、死人を蘇らせる研究だ。水槽のなかに無数にいた母様の姿。
ぶるぶると首を振る。そうじゃない。蘭王から渡された『清族の寿命についての論文集』の解析だろう。
上手くいっていないのだろうか。ヴィクターもそんなことをいっていた。
「ヴィクターがどうにか抑えてくれているらしいけれど。魔眼についての本はないの」
「あるが、殆ど邪視に関するものだけだ。そもそも、魔眼は原始的な魔術であるとされる」
「……はあ」
「見るという行為は、それだけで力を持つからだよね。それぐらい視覚に偏った生活をしているということでもあるけど」
トーマの言葉を引き継いだのはテウだった。
「そう。よく分かってるな。そこで馬鹿面してる女より、話しやすい」
「テウと比べないでくれる? だいたい、邪視ってつまるところ呪いの一種でしょう? だから、魔術の一部ということよね」
「まあ、そうだな。間違ってねえ。邪視は初歩的な魔術だ。清族ならば誰でも出来る。故に研究もしやすく、本も多い。だが、魔眼持ちなんて奴は殆どいない」
「でも、研究した奴の本ぐらいあるでしょう? だって、その……。高値で売り買いされているのだろうし。お前だって、見たことがあると言ったじゃない」
トーマはそっと視線を外し押し黙った。
おかしな沈黙が落ちる。トーマが黙り込むのは珍しいことではないが、言い澱んでいるような雰囲気なのは珍しかった。
「……うーん。多分本はあるんだろうけど、読ませたくないんだと思う」
「読ませたくない?」
「だって、ほら、お姉さんよく考えて欲しいんだけど、お姉さんの未来の姿になるかもしれないでしょ?」
指摘されて固まる。そうか、魔眼の研究をするということはつまり解剖したりなんやりをしたということで、血やそれに付随する残忍なことも書かれているということか。
相当の覚悟が必要なのだろう。
だが、トーマならば現実を見ろと本を教えてくれそうなものなのに。
「勝手に人の気持ちを代弁するんじゃねえよ。だいたい誰がこの馬鹿女を気遣うんだっての」
「語るに落ちてるような気がするけど」
「うるさい。次出せ。揚げナスのトマト煮込みがいい。作り置きしてるだろ」
催促したトーマを生ぬるい視線で見つめて、テウは厨房へと消えていった。
そのあとを見送って、トーマはぶっきらぼうに言葉を紡いだ。
「探したいなら自分で探せ。あるにはあるが、覚悟しろよ。ジョージは生半可な解剖記録をとってねえ」
「ジョージ?」
「清族だ。解剖学を専門としている」
「解剖学……そいつが魔眼を解剖したの?」
「生きたままな」
え? と聞き返したとき、テウが皿を持って帰ってくる。トーマの興味はそちらに移ってしまった。
生きたまま、魔眼を解剖した。
それはつまり、言葉通りの意味なのだろう。生きた人間を切り刻んだのだ。
ジョージ。その名前を頭の中で繰り返す。
実験で道徳を蹂躙する。
ジョージという清族は軽々と倫理を冒涜し、人間の欲望の昏い部分に手をかけている。
生きたまま、魔眼を解剖された人間。それを本に書かれた知識だと割り切るのは難しいかもしれない。
だが、目の前にいるトーマだって、悪逆非道を繰り返している。トーマがレイ族ーーラーに行った所業は忘れていない。
ジョージという男、トーマの口振りから、まだ存命しているのだろう。故人のこととは思えなかった。多少、親しみさえ感じた。知り合いなのだろう。会ってみるのもいいかもしれない。清族のジョージとやらに。
そのあと、ヴィクターやイルが参加して、ちょっとしたお祭り騒ぎになった。出てくる食事にがっつく姿を見ながら、まだ会ったことがないジョージの姿を思い浮かべる。
実際、ジョージと会うのはまもなくのこととなった。だが、出会いは私が想像していたものと全くかけ離れていた。
イヴァンが言っていたコンサートの当日。
それは、日が暮れた頃のことだ。
聖堂に向かおうとしていた私を男が訪ねてきた。清族だ。
派手に着飾っていた。
目つきが異様に悪い。イルより、悪いんじゃないだろうか。
イルは近くにいなかった。用があると行ってどこかへ行っていた。珍しいと思ったが、今日はどうしてか学校全体が妙に忙しない。私の知らないところでなにかあるのかもしれなかった。
代わりに来たはずの護衛の姿は、数分前から見ていない。
「俺は清族であり、カリオストロの司祭でもある、ジョージと言います」
男はきらりとした八重歯を見せ、凄惨に笑ってみせた。
「ああ、姫。貴女を殺さなくては。生かしてはおけぬと、決が降った。我らの歴を狂わせた、女神の現し身。貴女になんの恨みもないのだけれど、名を持ってしまったのだから仕方がないですよね?」
役者のように明朗な声が響く。言っている意味がよく分からなかった。脳が受け入れるのを拒んでいる。
だが、男の瞳から目が離せなかった。紫色の光が、幻惑するように赤く染まっていたからだ。
「はじめまして、そして、さようなら!」
月夜の夜に懐から取り出した銃を構えて。
照準が、私に向けられる。
――銃声が鳴り響く。
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