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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む腹をぐっと圧迫される。驚いて体に巻きついたものを見ると、ハルだった。器用にトーマの体を纏わらせていた。気を失っているのか、体や腕を押してもびくともしない。それなのに、離さないと言わんばかりに腕は離れなかった。
苦しくて泣きそうになる。胸に去来する気持ちが分からないのに、ずきずきと痛む。
「殺す、ころす、殺す、殺す、殺すっころす」
頭に直接響くような呪詛の言葉が頭に響く。
言葉に押し潰されるように、イルとヨハンが体勢を崩す。
「呪いか! 清族の真似事までしはじめましたよ、こいつ!」
「厄介極まりないですな! 攻撃もいまいち通っているのだか、いないのだか」
「俺と貴方が二人掛かりでやってるのに、倒れないとか怪物か。いや、正真正銘の怪物か」
「肋骨は大丈夫でしたか? 二、三本目、不意を突かれて折れたように見えましたが」
はっとイルが笑い飛ばした。
「残念ながら、全部折れてますよ。つーか、肩も痛い。これ終わったらぶっ倒れて死ぬかもしれないですね。……あのとき逃げ遅れたのが痛手でした。上手く、通り抜けたと思ったんですけどね」
「逃さぬようにと命令が下されているような俊敏さでしたからな。まあ、傷は男子の誉だ。屠るまで、意識を保っておければよろしい。死に際に一花咲かせるというのも一興です」
「いや俺はそんなの嫌ですけどね!」
訳が分からない。ジョージはどこからか狙撃されるし、体は水浸しだし、気がつけば目の前にイルとヨハンがいる。しかも竜を伴ってだ。
死に神に会ったことがあるが、それと並ぶぐらい訳が分からなかった。本当に現実なのだろうか。
現実だとしたら、物事が押し寄せ過ぎだ。小出しにして、少しずつ理解させて欲しい。でないと、頭がこんがらがってついていけない。
ともかく、二人は戦っているようだ。
しかも、相手は竜。
ヨハンがいるとはいえ、勝てる見込みがあるのか。そもそも竜と戦っている奴など物語のなかでしかみたことがないから、勝算があるのかさえ分からない。
竜が唸り声を上げると、風が巻き起こる。前髪が膨らみ、花びらを落とした。
こんなものに勝つとか正気……? 皆で逃げた方がいいのでは。
「とっに、厄介ですね。ヨハン様、その剣捨てて銃持ちません? 正直接近戦ではさっきの二の舞いで吹っ飛ばされるだけかと」
「残念ながら、銃など使ったことがありません。産まれてからこのかた、剣ばかりふるっておりましたので。そもそも、銃でも調伏出来なかったため、ここまで来ているのでは?」
「そりゃあそうなんですけどね!? あー、清族の一人や二人、いて欲しいところだな……ん。って……もしかして、そこにいらっしゃるのは、もしかしなくてもカルディア姫ですか?」
イルの顔が歪んでいる。こいつのこの顔も見慣れてきた。ギスランに殺されるというときの切羽詰まった顔だ。
「ハルとトーマもいるわよ。二人とも、意識はないけど」
「女神は俺をすぐ見捨てるので今後ほかの神に祈ることにします。俺、何かしました?! カルディア姫が危険に巻き込まれるの何回目ですか!? 貴女もしかして狙ってます!? ギスラン様に俺のこと殺して欲しいんですか?」
「こっちだっていい加減にして欲しいわよ! また殺されかけたのだけど!?」
「はあ?! 誰です、そんなことした奴、ぶっ殺したあとに拷問してやる」
「カルディア姫、避難を。ここは戦地の真ん中。守れる補償がーーっ!」
ヨハンが焦ったように、避難を呼びかける。
だが、ハルとトーマを抱えて逃げる力を、私は持ち合わせていない。
どうしたものかと、悩んでいるとどこからか私を呼ぶ声がした。地を震わせるような歪な音。びりびりと服が震える。
「カルディア姫、姫、姫、姫、ひめひめひめ、たすけて、助けてたすけてたすけて」
「な、なにがーー」
「どこにいるの、わたしをたすけて、どうしてこんなことに、ゆめだ、ゆめよ、ゆめにきもちわるいはきけがするすくってだれでもいいから」
「この、声。どこから」
確かに聞いたことのある声だった。ギザギザとして、おおよそ人のものとは思えないけれど、確かにライドルの言葉だった。それに、どこかか細くて、女の声に聞こえた。
「――姫! 俺の声だけ聞いてて下さい。なんなら歌ってもいい。俺は美声なので、ご期待にそえるかと」
「この声は、誰なの」
「カルディア姫!」
イルが私を気遣っているのは分かる。声を聞かせたくない。また私に対する恨みなのだろう。
耳を塞いで聞かなかったことにしてくれと、イルは言いたいのだ。
「もしかして、この竜から、声が?」
体温が一気に下がったような感覚に囚われる。
目の前の両目が潰れた巨大な生き物。だらだらと血を流し、呻くこれからなのか?
これは人間じゃない。人なんかじゃーーいや、違う。
そうだ、ジョージが言っていた。人間を改造したと。それにさっき魚を見たじゃないか。人の姿をしていなくても、これは人なのだ。
人だったもので、そして今も人なのだ。
「カリレーヌ嬢?」
うめき声が一瞬、止んだ。
どうしてそう思ったのか、自分でも分からない。彼女と話した回数は少なかった。彼女の血縁者であるテウのことを従者にしたからだと胸を張って言えたら良かったのだろうが、二人の間には大きな隔たりがあったことは知っている。仲が良くなかったことも。テウのことを虐待していたことも。
だからこそ、自分の中に湧き上がった自信に戸惑いが生じる。
お茶会で、サラザーヌ公爵令嬢に冷たくあたられていた彼女を、そしてサラザーヌ公爵令嬢へ仕返ししていた豪胆で悪辣な彼女を思い出す。
リストをはめて、ナイフを刺した激情の女。
違うと頭を振る。
口に出したが、完全なる思いつきで確証なんて一つもない。きっと違う。違うに決まっている。
「ひめ、わたしなにがわるかったの」
なにが、悪かった?
「たすけただけなのにすくっただけなのにいらいらしたからころしただけなのに」
何の話をしているの。
「どうしてだめなのどうしてわるいのどうしてゆるしてくれないのいたいのつらいよたすけておわらせてたすけてすくっていたいのいたいのいたいの」
「カルディア姫。怪物の言葉を聞いてはなりませんよ。どれほど幼気な、弱々しい言葉でも、力を持つものが暴れ回れば暴力にかわりない」
ヨハンの言葉が耳から滑り落ちていく。
救って、助けて。彼女はそう言っている。痛い、痛いと訴えている。
翼を動かすたび、肌が切り刻まれるように痛い。
かろうじて半壊でおさまっている長い廊下。片方の水槽は割れ、もう片方水が流れ込んできたせいで一部に穴が空いていた。
その水槽も水圧に耐えられず、城の外へと漏れ出しているのか、水溜りと取り残された魚がびちびちと憐れに跳ねるだけで空っぽだ。
がたがたと翼が風を起こすたび、どこもかしこも音を立てて壊れそうだった。
「けれど、助けて、と」
「ええ、だが、この場に清族はいないですし、助けられる設備もない。暴れまわる竜を殺さずに保護するほど、俺もヨハン様も余裕はないんです」
「――わかってる。分かってはいるの。でも、それでも」
慈悲の心を見せびらかしている。私は手を尽くしたけれど、駄目だったと言い訳するために言葉を吐いている。
まぎれもない偽善だ。吐き気がする。けれど、もしこの竜が私の知っているあの女だったら?
そう思うと焦燥に駆られる。このまま殺されるのを見守るという選択を取りたくない。
「助けてどうするって言うんです? 清族が、好き勝手に弄って解剖して終わりですよ。一息に殺してやった方がいい」
「倒せたらの話ですがね」
「やりますよ。これ以上、カルディア姫を危険に晒すわけにはいかないので」
イルは素早く竜に飛び乗ると、首根っこを掴んだ。イルを探すように、ぐるぐると竜が回り始めた。
隙を突くように、ヨハンが床を蹴って跳ね上がり、一閃を加える。
刃の先が見えないほど速い攻撃だったが、竜はものともしない。むしろ、剣が欠け、ヨハンは忌々しそうに鞘に戻して、鞘で殴り始めた。
「わたしはなにもわるいことしてない」
「……っ」
「たすけてよぉたすけてしにたくないころさないでひめたすけてたすけてよぉたすけてたすけて」
竜の咆哮で、ぱらぱらと砂が落ちてくる。
体をくねらせ、イルを叩き落とそうとしていた。ヨハンが器用に邪魔しているが、二人とも決定打にかけるようだ。じりじりと追い詰められているのが分かった。
「どぉしてたすけてくれないのぉひめ、ひめひめひめぇ……!」
――竜の顔がこちらを向いた。目から血を流していて見えないはずなのに、たしかに私を捉えていた。
「どうしてたすけてくれないのよぉ! ちからがあるくせにたすけられるくせにぃどうしてみごろしにするのよぉ!」
イルが竜の首に絡みついて、何かやっている。
ヨハンが、剣の柄に手をかけ、体制を低くした。二人ともここで仕留めようとしているようだった。
ヨハンが背中に羽が生えているように飛翔した。
高々と飛び上がった彼は竜の首を狙い、一直線に落ちてくる。
そして、半月を描きながら、剣が振るわれた。
すぱっと、簡単に首が飛んだ。竜の首が落ちてくる。どすりと鈍い音を立てた。
血が上からどろりと垂れてくる。
だが、竜の胴体の高度は落ちなかった。首を落としたヨハンがイルを抱えて床に着地した。
「先に鱗を落としてくれて助かりました。あれがなければ首を落とせなかったと思いますよ」
「こっちこそ、降りるの手伝ってくれて助かりました。足ついた衝撃で死ぬかもしれなかったので。だけど、弱りましたね。その剣」
「ああ……。もう一振りもすれば終わりでしょうな。無理をさせました」
「――それで、どうします? あれ」
二人揃って緩慢な動きで頭上を見上げた。
首の断面から、人間の手が生えて来ていた。爪は血塗れで、指が六本あった。
「ぎゃはは、きゃあ、きゃああああひゃひゃ、お茶会をいたしましょぉ……」
「だめよぉ、わたしとやるんだからぁ」
「カルディアひめたすけてぇたすけてよぉうそつきぃぃい」
「あはははははっ、もっと、もっとお喋りしましょうよぉ」
腕が生えてきた場所を広げるようにいくつも腕が飛び出して来た。
複数の女の笑い声の中、たすけてと声がする。
「あー、これなんかやばい感じですよね?」
「竜というのは外面だったのかもしれませんね。中には因果なものが詰まっていそうだ」
「俺は人間が好きです。人間相手がいいー」
「望むものとは違うものばかり与えられる。この世は無情ですな」
首から溢れる血が固まり、小さな腕のようなものが湧き出てくる。伸びる手は竜の胴体を掴み、まるで肉と皮の位置を反転させようとするように、内側を掴んだ。べろりと音を立てて、皮が捲れ、肉色の壁が姿を見せる。
そこにあったのは何十と腕がついた目玉の塊だった。
ヨハンの身長はありそうな大きな目玉だ。睫毛がついていて、目元には目やにが溜まっていた。そこだけ妙に生き物っぽくて、生々しさにえづきそうになる。
目は横に、ぱくぱくと口のように裂けた。
「あらぁ、おきゃくさまだわあ! 丁重に、おもてなししなくっちゃあ……」
唾が飛んでくる。
じゅうと音を立てて床が焦げ付いた。
汚くて、酷い臭いがする。
「はゃく、お茶の準備をしてちょうだい」
「……これ、俺達が倒すんですか。本当に?」
げほげほと咳き込んだイルの口から血が垂れた。
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