どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「イル?!」

 ただの咳き込みとは思えない音だった。そもそも、血が出ている。口内のどこかが傷付いて血がせり上がってきているのではないか。

「あー、正直もう一戦とかまじ勘弁願いたいんですけど」
「お前、きついならばどこかで休んでなさいよ!」
「それで、どうします。ヨハン様」

 こっちの声は聞こえているはずなのに、無視されている。ヨハンが困惑した様子でイルを見つめていた。不思議そうにしたイルがこちらを振り返って、しかめっ面をした。
 もしかして、本当に私の声が聞こえていないのか?

「イル、耳が」
「……片方鼓膜が破けてるみたいで、聞き取りづらいんですよね。大丈夫です。カルディア姫の戯言は無視してただけなので」
「応援は」
「くる気配ないですよねえ。困りました。ヴィクター様が準備してくださっているとは思いますが」
「まだ、体は動かせますか?」
「心臓が止まっても動きますよ。ここにはカルディア姫がいらっしゃるので」

 くっとヨハンが喉を鳴らした。

「それは重畳。イルはやはり、剣奴というより騎士だ」
「俺はギスラン様の道具ですよ。それ以外の物にはもう戻れないもので」

 ヨハンが、笑いを噛み殺して竜だったものに斬りかかる。
 振りかぶった刃は一陣の風のように素早い。
 だが、目玉に触れる前に腐り、ぼろぼろと壊れていく。

「っ」

 剣を放り投げ、ヨハンは拳に切り替えた。素早い反応に、目玉が瞬きをする。
 その隙を逃さずにヨハンは無理矢理に目のなかに腕をねじ込んだ。

「ヨハン様!」
「っ!」

 イルがヨハンの背後から、ヨハンを捕まえようとする腕を撃ち落とす。正確無比な射撃だが、一発撃つごとに腹部を押さえていた。
 ヨハンはすぐさま体を目玉から離した。
 腕は、赤黒く変色していた。
 返り血ではないらしく、服で拭っても色が落ちない。

「型落ちした呪いですね。十年前は主流でしたが解呪が可能で使われなくなってしまったものだ。だが、困りましたね。これは不便な呪だ。腕はもう使いものにならない」
「思いっきりやばいやつですね?! ――いってぇ」
「イル、腹から出血が」
「してますね。やばすぎて体が震えてきました。ちゃんと立ってます?」

 二人とともに、ハルとトーマを担いで貰って逃げるのが一番いい対処法なのではないかと思い始めた。だって二人とも満身創痍で相手になるとは思えない。
 清族が契約していると言っていた妖精に足止めを頼もう。頭の花を引き千切るのは嫌だが、命には変えられない。
 ジョージのことは考えないようにする。胸に一発、食らっていた。助かるとは思えなかった。
 正直、水槽が割れていなければ、ジョージのことで頭がいっぱいになっていただろう。薄暗い感情が胸の中に澱のように沈んでいる。ジョージのことを自分でケリをつけずにいれてよかったと喜ぶ薄汚い感情だ。

「どうしましょうか。撤退も視野に入れるべき頃合いかと」
「追ってきた場合は、俺が応戦します。俺はカルディア姫を守れとだけ命令を受けています。この学校がどうなろうと、俺はどうでもいい。カルディア姫以外は誰を殺してもいいと思っています」

 本心とは真逆なことを! と唸りたくなる。イルだって、少なからずこの学校やここにいる人に愛着があるはずだ。

「うちの姫様はお優しくていらっしゃるから、俺が姫に巻きついている奴らを囮にして逃げようとすると烈火の如く怒るでしょうよ。その点、ヨハン様は騎士だ。騎士とは騎士たる矜持と誇りを持つ。関係ない荷物どもを運んで下さるでしょう?」
「承知しました。……仕方がありませんね」
「じゃあ、そういうことで」

 イルが恐ろしい速さで私を捕まえると、そのままハルとトーマを軽々と持ち上げた。
 本当に軽々とだった。ハルが頑張って私とトーマを担いでいたのが不思議に思うほど。
 イルが規格外なのだ。ハルが普通。

「ちょ、ちょっと!? お前が囮になる案、私は不服なのだけど?!」
「舌噛みますよ」
「私を置いていけばいい。あいつ、私に恨み言を吐き出していたわ。私に言いたいことがあるのよ」
「それ本気で言ってるならば、ギスラン様の許可を取る必要なんかない。今すぐ拘束して監禁しますよ」

 言葉は刃のように鋭かった。

「貴女は本当に、ギスラン様以外出入りできない部屋に入ればいい」
「過激なこと言わないで! ……っで、でも、イルも、ヨハンもハルやトーマだって、今までこの学校を守って来たのでしょう? 私はそんなこと、考えていなかった。ただ、自分が助かりたくて。あいつが、改心してくれないかと思って。自分の都合ばかりを考えていた」
「何言ってんのか分からないです。あいつって? ……ああ、いえ。ますます不機嫌になりそうなのでいいです。つうか、本当に喋らないでくれますか」
「なんっーー!」

 口を塞がれた。ヨハンもイルもぼろぼろだ。それなのに、二人を頼っていいのか。だいたい、イルを見殺しになんか出来ない。満身創痍な奴にしんがりを任せられない。
 これは合理的な判断だ。感情的になっているわけじゃない。
 ゴリ押そうとした思考がかき消される。
 だって、世界が一変したからだ。

「行け行け行け!」
「殺せ! 武勲を上げろ!」
「母さん、母さん助けてよぉ」
「腕が! 腕があ!」
「将を討ち取れ! 首を刎ねろ!」

 煌々と、夕日でもないのに空が燃えている。
 昼のように明るい。そばかすのように見えるあれは星だろうか。
 兵士達が武器を手に傷つけ合っている。怒号と悲鳴、断末魔、命乞い。負の感情で満たされ、地獄のような有様だった。

「な、な、ななな」

 言葉にならない。
 どうしてこんなところにいるのだろう。
 さっきまで、確かに学校にいたはずだ。

「こりゃあ、どうしたことですか」
「戦場よね……。どうして」

 周りを見渡す。
 やっぱり、戦っているようだ。

「ここは。……この感じ、もしかして」

 ヨハンは顰めっ面をしたままゆっくりと周りを見渡した。

「領域術式――あるいは広範型限定魔術放出現象。限定範囲内を自分の認識通りに塗り替える、極大いんちき魔術をご存知でしょうか、カルディア姫」

 ヨハンはゆっくりと自分自身を納得させるように言葉を絞り出す。

「知らないわ」
「左様ですか。イルは?」
「知りません。もしかして、それがここと関係があるんですか?」

 魔術だと言われたら少しは納得するかもしれない。
 浅くなっていた息を大きく吸う。
 焦げ付くような臭いが鼻についた。この生々しいものが、術なのか。

「あるのではないかと。先の大戦時、一度だけ経験したことがありまして。あのときの血反吐を吐く感覚が似ているような気がしまして」
「……俺はないので、実感が全くわかないんですけど。もしそうだとしたら何がやばいんですか?」
「敵に攻撃したと思ったら味方に攻撃したことになってしまい殺してしまう。大まかに言ってしまえばそんな感じのことが起こります。術師の思い通りになる世界という認識で構いませんな。この世界自体が、術師の力で形作られているのです」

 控え目に言っても、そうだとしたら聞いている限りやばいのでは。

「この光景に意味が? 姫様に見せるには凄惨ですが」
「ダン様の話では術者の深層心理、記憶の具現化ではないかとのことでしたが。要は自分の最も優れている、素晴らしいと思っている情景の複製。前は、胸糞の悪い実験施設でしたな。人に無理矢理獣の耳を取り付けていた」
「もしそうだとしたら、戦場が素晴らしいとはなかなか豪胆な思考ですね。でも、あの場に術師はいなかった。じゃあ、この術をかけたのは……」


 周囲にいる戦士達が私達をすり抜け、逃げていく。這いずりながら、他人を踏みつけながら、我先にと。
 女も男も、皆が見惚れるように美しい男だった。
 この凄惨な戦場で、男は笑っていた。
 鬣のような金の髪が風に靡く。

「凡夫はすぐに逃げていく。余が強すぎるせいか?」

 荒げたわけではないのに、誰の耳にもしっかりと届く傲慢な主張だった。

「一騎当千、百戦錬磨の英雄は居らぬのか。血を求め、武功を手にする強者はいないのか。余を愉しませる猛者はいないのか!」

 怯えきった兵士が、武器を捨てて逃げていく。
 それを見て、興味を失ったように男の背中は見えなくなっていった。
 手を伸ばして止めなくてはと思った。体を乗り出そうとしてイルに止められる。

「カルディア姫、何してるんですか!」

 あの男は、たしかにどこかで。
 どっどっと激しく心臓が脈打っている。よく分からない疼きがある。

「あの男は……」
「――蠍王、ですか」
「あの男が?! だって、全然蠍じゃなかったのに」

 髪は金色で、まるで獅子のようだった。蠍という感じではなかった。そもそも、蠍王は巨漢の醜男ではないのか。毛むくじゃらで、女好きの淫行男だと侍女達が噂していた。

「俺だって顔はよく知りませんよ。絵は出回ってますが、厳つい大男のものばかりですし。ですが、どう見ても、ロスドロゥとどこかの戦だ。しかも敗戦の様子。となれば砂漠の蠍王との領土防衛戦が頭に浮かぶものです」
「兵士の持つ紋章はロスドロゥ王家のもの。十中八九間違いはありますまい」

 ロスドロゥと蠍王。
 領土を削られる屈辱を舐めた戦いだったと聞いている。ライドル王国が支援しても、今だに勝てないのだとも。

「ともかく、移動しましょう。こんなに見晴らしのいいところではあの化物に襲われかねない」
「あの化物もここにいるんですかね? 姿は見えませんが」
「ええ。この領域内に確かにいるはずですが」

 ヨハンがハルとトーマを担いで、イルがそのまま私を抱きかかえて移動する。歩けると言ったのに全く人の話を聞いていない。
 戦場を駆け回る衛生兵達の後を追いかけるように、後方へ。
 兵士達が行ったり来たりしている。壊滅したと伝令兵士が叫んでいる。逃げ去った兵士達はどこに逃げた! と偉そうな軍人が叫ぶ。
 イルがごんと押される。私を抱えたまま、面白いぐらいにイルが転がった。
 体は痛くはない。イルが庇ってくれたらしい。

「イル……起き上がれる?」
「あー……。無理です」
「ご、こめんなさい! あっ……あの、負傷者はこちらですので!」

 イルを押した兵士があわあわと慌てふためいていた。
 皆で顔を見合わせる。こいつらは、私達を認識しているのか。
 イルを担いで兵士が天幕のかかった場所へと案内する。

「急患です!」

 天幕のなかにはずらりと兵士達が横たわっていた。
 ある男は片腕を失くし、くぐもった呻き声をあげる。
 ある男は足がなかった。
 ある男は腹に大きな穴があいていた。
 ある男は熱に魘されている。
 ある男は身体中に虫が集っていた。目は虚で、よく見ると眼球を食うように虫が。
 吐き気で胃酸がせり上がり、喉が焼ける。
 ここは野戦病院のようだ。白衣の男達が声を荒らげ、指示を飛ばす。
 ありません。もうなくなりました。他のところから持ってきます。そんな声ばかり、聞こえる。
 目の前に蹲った男の顔からころりと目玉が飛び出た。
 もう駄目だった。後ろを向いてえずく。最悪の気分だった。

「こちらへ! 応急手当をしますわ!」

 沢山ある手を挙げて、私達を招いたのはあの目玉だった。


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