どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 塔は王宮内でも、目立つ場所にある。塔部分だけ育ち切った植物のように高く伸びているからだ。
 サリーは塔に入るための階段で吐き気を催してしまった。無理はしてはいけないと言い含めて、下で待ってもらっている。無理矢理ついて来ようとしたから、厳しく命令した。
 たまにああなる侍女がいるという話は聞いたことがあった。よくわからないが、この『塔』には不思議な仕掛けがあるらしいのだ。清族の術だか、この王宮を建てたときの呪いだか分からないが、体調を崩すらしい。私は一度もなったことがないから、それがどんな感覚なのかは分からないが。
 掃除がきちんと行き届いていないようで、階段の端に埃が溜まっている。
 虫の死骸もあって、ぞっとしながら階段をあがる。
 軋みをあげる扉を開く。扉は錆びて、重かった。

「はなおとめ」

 目に飛びこんできたのは、白だった。
 朝日の眩しさに目を細める。光のなかで、彼はゆっくりと笑みをこぼす。中性的な顔立ちと声。

「ヴィクター」
「こんなところでお会いできるなんて、光栄だわ」
「どうして、ここに」

 そこにいたのはヴィクター・フォン・ロドリゲスだった。真っ白なローブで全身を覆っている。清族らしく着飾っているようだった。お菓子のような大きな宝石を指にはめていた。

「夢を見たのです。どんな夢だったかはもう覚えていませんけれど、とっても悲しい夢。その夢のなかで、わたくしはここにいた」
「ここに? 来たことがあるの?」
「いいえ、全く。一度も来たことはなかったのに、ここが分かったんです。不思議でしょう?」

 語っているヴィクターも、自分のやっていることを変だと思っているのだろう、苦笑している。
 部屋のなかは昔とほとんど変わりがなかった。埃と湿気の匂い。クッションも壁も、薄汚れている。本棚に近寄り、表紙を見る。童話と貴族名鑑、歴史書、図鑑。どれも懐かしい。取ろうとすると指に埃がつく。指の先が白い。どれだけ人が寄り付かなかったのだろう。

「ここは、はなおとめが幼い頃過ごしていらした場所?」
「そうよ。……お前がいるだなんて思わなかった」

 童話の中身を確認する。私の部屋にあるものと一緒だ。

「こんなところに閉じ込められていたのですか?」

 そうだと頷く。この部屋は外から鍵がかけられるように作られている。高貴な人間を秘密裏に隔離したいときに使われていたのだと、噂で聞いた。人に移る病気だと思われていたサガルと頭がおかしいと言われていた私が閉じこめられるにはうってつけの場所だ。

「ここは、とても不思議な場所ですわ、姫。妖精が入れないようになっています。それに、術の行使が難しい」
「昔、身分の高い者を監禁するために使っていたと聞いているわ。本当かどうか分からないけれど」

 妖精云々は分からないが、逃亡対策なのではないだろうか。高貴な人間にはお抱えの清族がいるものだ。
 ヴィクターが何かを小さく囁く。すると、どこからともなく箒と雑巾が現れた。それらは力強く一回転すると、自分で動き始めた。珍しくてじっと見つめてしまう。こういう術は久しぶりに見た。清族の家を訪問しない限り見られない光景だ。ダンの屋敷に行ったときしか、私は見たことがない。

「こういうのは使えるのね」
「これでも、術の行使にかなり時間を食いましたのよ。そもそも、普通ならば、一瞬で掃除してしまう術をかけます。これ以上の術を使おうとすると演算が大変だからこっちにしましたの」
「ふーん。大変なのね」

 箒の後ろをついて回る。この箒、無駄がない。雑巾の方ははわはわと迷っているようになのに。それぞれの性格なのだろうか。

「ふふ、はなおとめは箒に夢中ですわね」
「不思議だもの。……清族がいれば侍女達の掃除なんていらないわね」
「まあ。そういう考えはいけませんわ。彼女達の掃除は立派な仕事ですのよ。仕事をとっては、彼女達の生活が立ち行かなくなってしまいます」
「仕事をとってはいけない?」

 よちよち歩く雑巾と箒が出会うと、箒が体を前に倒しておじぎをした。雑巾が、急に俊敏な動きをして物陰に隠れてしまう。恥ずかしがり屋なのが、ちょっぴりかわいい。

「とってはいけません。ただでさえ、トーマが戦で勲章を授与されたときも兵士達から不満が出ましたのよ。清族がいれば、兵士など必要とならないのでしょう! と」
「あいつ、戦に出ていたの?」

 はっとしてヴィクターが口を噤む。
 トーマはヴィクターと一緒に鳥人間などの武器を作っていたのではなかったのか。戦に参加したという話は一度もなかったはず。てっきり研究していたと思っていたが、違うのか。

「勲章をっていったいいつのことよ」
「……お知りではなかった?」
「ええ。あの男、私のことを主だと全く思っていないの。自分のことを全く話そうとしない」
「……なら、わたくしからは何も。トーマはきっと言う必要がないと思っているのでしょうね」

 どうしてだ。戦での戦功なのだから、誇るべきことではないのか。リストだって、催事には軍服を着て勲章を飾る。確かにあいつは自分の力をひけらかすような奴ではないけれど、それでも誇らしく思っていることはぽろりと口からもれる。トーマにとって戦で貰った勲章は誇るべきものではないのか。

「ともかく、清族ばかりが表に立つとろくなことにならないもの。こうやって部屋のなかでこっそり使う方がよろしいんですのよ」

 箒が急にくるりと回転した。足元を掃かれる。
 邪魔だというように。

「でもお前は稀代の科学者として名を馳せているわよね?」

 私が後ろに下がると、雑巾がちらりと物陰からはみ出した。箒は招くように何度かあたりを掃く。

「不可抗力です。ラサンドル派の子達に煽てられたと言ってもよろしいかもしれませんけれど」

 雑巾がそっとこっちに近付いて来たのを確認しながら、視線をヴィクターに移す。

「煽てられた?」
「なんというか……。事件を起こしたことがありまして。国王陛下にとりなしていただけたのですが、そのとき、ラサンドル派の子達にせっかく大々的な事件を起こしたのだから、そのまま顔を売る方向で行ってくれと言われてしまって」
「大々的な事件だったの?」
「人死が出ましたので」

 ひっと引き攣った声が溢れた。ヴィクターはどんな事件を起こしたのだ。

「落ち着いて下さいまし。人死と言っても、死んだのは家畜以下のろくでなしどもです。婦女子を監禁、陵辱ののち拷問した悪鬼ですわ」
「そ、そうなの。ヴィクターは警察に協力していたということ? ……でも、それだと事件を起こしたというのは変な言い回しね」

 ヴィクターは箒と雑巾に視線を落とした。なぞるように私も目線を移動させる。恥ずかしがり屋の雑巾は、床を掃除しながら箒の方に近付いていっていた。

「妹です」

 冷たさが滲む声だった。初めて聞くような、冷えた声。いつもの柔らかな声色はどこかにいってしまった。

「被害者は妹。ぼくは仕事でそのとき王都に居ませんでした。帰ったときに、彼女が拐われてしまったことを知った」

 ヴィクターに視線を戻すことが出来なかった。突然、隣にいる男が変化した。そう錯覚するほど、纏う雰囲気さえ違っていた。硬質で、冷たい。突き放すような温度のなさを感じる。

「必死で探しました。ぼくにとって肉親は彼女だけだ。両親は妹を産んだ後殺されましたから。――見つけたときにはすべてが何もかも、終っていました」
「終わっていたって、殺されていたってこと?」
「いいえ、妹は拷問されていましたが生きていました。でも、ぼくと妹の関係は修復不可能になっていた」

 どうして、と問うような馬鹿ではなかったことを幸いだったと誇った。
 ヴィクターのせいで、妹は誘拐されたのだろう。辱めを受け、暴力を振るわれ殺されかけた。いくら加害者のせいと言っても、自分が原因ではなく兄のせいなのだ。恨みに思われても仕方がない。

「彼女は死ぬまでずっとぼくを恨んでいました。拷問のせいで出来た傷が膿んで熱にうなされて、それでもぼくを口汚く罵って死んでいった。社交的で、朗らかな子だったのに」

 ぼうっとヴィクターの妹の輪郭が浮かび上がる。いつものヴィクターの言動をそのまま当てはめた。朗らかで、社交的。明るくて、よく笑う。
 ちらりと隣を伺う。ヴィクターは目を伏せていた。憂いを帯びた声が口から出てくる。

「犯行は清族によるものでした。僕は、初めて強く人を殺したいと願った。そして実行した。幸い、ぼくには人殺しの才能があったようです。関わった人間は皆殺した」

 瞬ぎが出来なくなった。彼は、人を殺したことがあるのか。
 口の中が渇く。この殺しは許されるべきものなのか。勝手に評定しようとする自分がいることに気が付く。大切な人間を害されて、復讐することは罪なのか。どこまでを復讐だと正当化していいのか。

「血生臭い話をしてしまいましたね。はなおとめに聞かせるのに相応しくない」
「……お前は私にそんなことを打ち明けてしまってよかったの」

 いくら復讐だとしても、人を殺せば相応の罰を受けることになる。しかし、ヴィクターは今ここにいる。つまり、国王はその復讐を許したのだ。法を曲げて。

「お前が、私に対して恭しいのは、何か理由があることは分かっているわ。私に利用価値があるからでしょうが、お前が仕出かしたことを伝えて、警戒されるとは微塵も考えなかったの?」
「ぼくが、はなおとめを利用する?」

 くすりと口元が緩む。冷たい表情が少しだけ和らいだ。
 こうしてみると、ヴィクターはとても大人びて見えた。笑う姿も上品で、貴族のような気品があった。

「違うと言いたいの」
「貴女がぼくを利用することはあっても、逆はありえないよ」
「……訳が分からないのだけれど。利害関係もないのに、どうして私を慕うふりを? まさか本当に天帝が私をはなおとめと呼ぶからなんて言わないわよね?」
「ふふふっ」

 口をおさえて、ヴィクターは本気で笑っているようだった。笑われた理由が分からず、恥ずかしくなる。

「なぜ笑うのよ! 何もおかしなことは言っていないでしょう?」
「はなおとめ。ぼくは貴女と出会えるだなんて思わなかったんですよ。これは奇跡だ」
「そうやって煙に巻こうとしている。そもそも、お前達の神が私に反応するなんてかけらも思えない。あのときの金塊だって、全く意味が分からないし」

 奇跡だどうのと言えば丸く収まると思っているのだろうか。奇怪だと思う。天帝から、私に贈られる理由はないはずだ。あれには別の理由がある。そう思い込みたかった。

「はなおとめに説明してもお分かりにならないと思います。ただ、ぼくがーーわたくしが貴女に利用されるためだけにあることをお忘れなきように」

 纏う雰囲気がまたガラリと変わる。柔らかで、女性的なまろやかな口調に戻っていく。
 分かる分からないという場所にも立たせて貰えなかった。話しても無駄だと思われているのだ。爪で手を引っ掻きながら、苛々を誤魔化す。ヴィクターは目敏くそれを見付けて、眉間に皺を寄せた。

「前から思っていましたけれど、はなおとめはとても自罰的だわ」

 手をすくい上げられ、握られる。肌には爪の痕が残っていた。
 手を振り払う。いつの間にか治されたようで、爪の痕が消えていた。
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