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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟むクロードが私に問いかけるのは別に解決策が欲しいからじゃない。こいつはマジョリカ義姉様がどうなろうと構わないだろう。所詮は他人だ。自分の妻だったら別だろうが、ただどうなるかと他人事のように思案して悦に浸りたいだけだ。
「それは私が決めることじゃない」
突き放すと、クロードは口をむっとさせた。私の冷たい言い方に苛立ったというよりは、自分の質問を軽んじられたという自尊心から来るものだろう。
「案外冷たいんだな。あの離宮から出て慈善活動をするつもりなのかと思っていた。ほら、女は好きだろう、弱者救済というやつが」
「……マジョリカ義姉様のあれは私にどうこう出来る領域を越えているわ。……王宮から出て静養された方がいいのは分かるけれど」
「だが、それは乳母が許さない。流石にお前にも分かっているだろうが、マジョリカとあの乳母は互いが互いに依存してる。マジョリカは乳母の言うことならばたとえそれが間違っていても実行する」
「乳母が邪魔をするの? 静養するだけなのに?」
精神を落ち着かせるために、避暑地に行くだけだ。乳母も許容するのではないか。何もずっとじゃない。レオン兄様が完治すれば、フィリップ兄様は領地に戻る。それを待つ間だけでいい。あるいは、マイク兄様が戻られるまでだ。
「子供がいないからな。離婚も秒読みかと言われるのが我慢ならないのだろう。マジョリカへの批判は自分への批判。そういう精神構造の女だぞ。それに、そろそろレオンにも愛人があてがわれる頃合いだ。ここにいなきゃ、白昼堂々と離宮に通う女が出てきても不思議じゃない」
「愛人……」
「おい、俺が女漁りが大好きな男だと思ってるだろ? まあ、女の肉感的な感触は好きだが、一番は他で試してみろとけしかけられたからだ。婚外子でも、血を継いでいる奴がいるといいんだよ。女がそういうのに理解があると養子として秘密裏に引き取れることもあるしな」
口に手をあてる。もしかして、こいつ愛人との間に子供がいると言わないよな?
「汚らわしいものを見る目をするなよ。確かに子供はいるが、養子として迎えてはいない。カナリアが嫌がっているからな。あいつは自尊心ばかりで大局が見えていないのさ。誰の腹から生まれてきたって、父親が俺であればいいだろうに」
「お前は、本当に最低だわ」
「ご立派だ。流石は愛人の子」
ぱちぱちと拍手される。
憎たらしい男だ。嫌がると分かっていて、堂々と嫌味を言う。
「だが、純愛なんて王族には不要のものだ。レオンがマジョリカを本気で愛していると思っているのか? それなら、おめでたい頭だ。レオンの本質は、何だと思う?」
「……少なくともお前よりは誠実だわ」
「誠実、か? レオンの本質は惰性だ。サガルがどうしてレオンのかわりに担がれたと思っている。レオンの方がサガルよりも扱いやすいのに」
「知る訳がないわよ」
「知りたいと顔に書いてあるが」
視線を逸らす。好奇心が溢れてしまっていたらしい。
「だが、これこそ話の本質から外れるな。……レオンはマジョリカのことを愛してはいない。誠実な男とお前は評したが、いずれ王になるという男に、その誠実さを維持できる時間は限られているとは思わんか」
「レオン兄様が愛人をと望まれているのは分かったわよ。それに乳母が危機感を抱いているのも。……こんなのどうしようもないわ。レオン兄様の完治はもっとかかるはず……。それまでフィリップ兄様はこちらにいるわ」
「そう。だから、マジョリカは、何かに見切りをつけなくてはならない。次期王妃という座か、乳母という共依存関係にある他者か、あるいはどちらとも」
だが、あの状態のマジョリカにその選択は酷だろう。
サラザーヌ公爵を思い出す。彼女は自分をカルディアだと思っていた。そして私がサラザーヌ公爵令嬢。憐まれながら別れた。あのときの彼女に私がカルディアだと言ってもきっと受け入れられなかっただろう。
マジョリカ義姉様もそうだ。現実と幻想の区別が希薄でなにかのきっかけがない限り、ぼんやりと揺蕩ったままでいるのだ。
フィリップという名前を聞かなかったら、今でもここであのおかしなお茶会を開いていただろう。
クロードに席を勧めて、紅茶を出して、ケーキを食べていた。
「クロードディオス!」
いきなり、甲高い声が聞こえてきた。大股でドレスの女性が近付いてくる。
カナリア様だ。
急いで礼を取る。彼女は礼儀がなっていないものを酷く嫌う。目の前で罵るほどだ。
「なぜ貴方があの女のお茶会にいるの!」
視界には入っていないようだ。よかったと胸を撫で下ろす。サリーをちらりと見ると困惑している様子だった。手を軽く振ると、顔を赤くして狼狽えた。
「なぜって、お前に説明する義理があるのか?」
「わたくしの寝台には来なかったくせにこのような朝の語らいには参加しているのね」
「お前の頭の中では俺はマジョリカと寝ているのか?」
酷薄げな瞳でカナリア様を見るクロードにぞっとした。妻に向ける視線じゃない。
「違うとでも?」
「頭の悪い女だ。お前の頭の中は性欲とラブロマンスしかないのか」
「――貴方の言葉は薔薇の刺のようだわ。傷付けるだけ傷付けて、貴方自身を守る」
「詩的な表現だ。流石は王女様。罵声でさえ品格漂う」
怖くなって一歩下がる。刺々しい会話だ。二人とも、お互いを罵り合っている。
「それに、俺が寝ているとしたら、ここにいない狂女じゃなくてカルディアだと、そうは思わないのか?」
「カルディア?」
カナリア様の視線が揺れた。
しばらくして瞳が私を捉えた。そこにいたのかと問うような視線だ。
「姫、どうしてクロードディオスと?」
首を振って懸念を否定する。こんなことで巻き込まれてはたまらない。
「私はマジョリカ義姉様に呼ばれたんです。クロードはたまたま通りかかったらしくて」
「あら、そう。この人、女と見れば見境なしですから、ご注意なさって。まあ、姫の場合、そんな心配はないでしょうけど」
そんな魅力ないものねと言わんばかりの言いようだ。相変わらずだなと呆れるより感心してしまう。カナリア様はいつもこの調子だ。手紙のやり取りをしても変わらないのだから、彼女と私の関係は最後までずっとこうなのだろう。
「それで、マジョリカ様はどちらに?」
「体調が急に悪くなられたので部屋にお帰りになりました」
「あら! やっと妊娠されたのかしら。ああ、いえ、ありえませんわね。ねえ、姫はレオン様とあの女――マジョリカ様、どちらのせいだと思います?」
「何の話ですか」
「決まっているじゃない。子供が産まれないのよ」
くすくすとカナリア様は愉快そうに笑っている。
「石女かたまなしか。レオン様が愛人を囲って下されば分かりますのにねえ」
「お前は本当に下品な女だな」
「あら! なあに、かまととぶって、そう言う話が好きなのでしょうが。淫な女ばかり追いかけているものねえ」
視線を逸らす。こういう話は好きじゃない。もうここから居なくなってもいいのではないかと思えてきた。招待してくれたマジョリカ義姉様はいないのだし。
「お前の性根よりは可愛らしいぞ。それに、マジョリカを貶して何の利点がある?」
「あら、本当にマジョリカのことが好きなの! あんなお人形さんが? 頭の中は何もなくて、乳母の言うままなのに。そう言う風が好み?」
「自尊心ばかり高くても困りものだろう? ……それでどうして声をかけてきた?」
「貴方にお願いがあるのよ、クロードディオス」
よく見たら、カナリア様の目の下にはくっきりと隈があった。
「もう一度子供を作りましょう」
「……やめておけ。この間、流産したばかりだろう。褥婦に手を出すほど俺は落ちぶれてはいないが」
「そんなことどうでもいいのよ! 皆がわたくしに見向きもしなくなるの。顔を見せても挨拶しかしない。詩を朗読しても、マチルダの方がいいと目の前で言われたわ! わたくしのが一番だと、この間まで言っていたのに」
後ろに後ろに、気がつかれないように下がる。
「そう言うこともあるだろうさ。お前ばかりでこの国は成り立っていない。お前が国の中心で、いなくてはならない存在ならばおのずと皆が讃えるさ」
「それでは駄目なのよ! 褒められたい。もてはやされたい。そのためには子供を産まなくちゃ。皆、そう言うの。お子がいないから、と。皆死んでしまったから、いけないのだと。わたくしが世話をしていたわけじゃないのに。まるでわたくしが殺したみたいに言う」
詰め寄るカナリア様に、クロードは気のない返事をした。はあと、ため息に似た音だった。
「ねえ、クロードディオス。貴方、気持ちいいことは好きでしょう」
「さっきも言ったはずだ。褥婦は相手にしない」
水色のイブニングドレスを谷間の奥まで見えそうなほど下げて、胸を押し付けている。淫靡な匂いがしてくる。ここにいてはいけないと体を捻った。
けれど後ろから、引き止められた。クロードだ。大股を開いて、私の腕を掴んでいる。
「この女と一人にする気か」
「夫婦の問題に口を出すほど野暮じゃないつもりよ。マジョリカ義姉様もいらっしゃらないのだし、お前から情報も引き出した。もう、用はないわ」
「だが、俺はまだお返しを貰っていない」
「お返し?」
体を無理矢理抱え上げられた。顔が迫ってくる。顔を逸らすと、唇が頬にあたった。何度も啄むように肌に触れる。
「口付けさせてくれないのか?」
「誰がさせると!? は、離しなさいよ!」
「見ての通り、俺はこいつに用がある。マジョリカじゃなくな。――ほら、部屋に帰ったらどうだ?」
この男、私をだしにしたのか!?
カナリア様は目を見開いて、唇を戦慄かせている。
「な、ななななっ」
一気に顔が赤くなって、そのあと急激に色を失くす。
「サリー!」
意図に気が付いてくれたサリーが崩れ落ちたカナリア様を抱きとめる。気絶してしまったらしい。マジョリカ義姉様の侍女達が医者だ、清族だと慌てている。
「もう、駄目かもな。あいつは自尊心だけで生きてきたから」
「お前ね!」
襟口をつかもうと腕を伸ばすが、逆に腕を掴まれ、そのまま降ろされた。きっと睨み付ける。
「なんだ、どうして怒る」
「お前が私を巻き込んで、マジョリカ様を痛めつけたからよ。私を巻き込むのは百歩譲っていいとしても、どうしてここまで追い詰める必要があるの」
「どうして? あいつがどうして倒れたか分かっているのか」
口の端を歪めて、クロードは悪人のように笑う。
「自分より劣っている相手の方が触手が動くのか。こんな屈辱的なことはない! そう思って卒倒したんだ。下等な、かわいそうな生き物が突然牙を剥いてきたとな」
「――たとえそうだとしても、お前がやらなければ起こらなかったことよ」
冷静さを保つ私に鼻白んだように、クロードは眉を吊り上げる。
「案外理性的だな。もっと気落ちすると思っていたが」
「お前がこの前言っていたじゃない。私は相手がいないときに構う存在だと」
「ああ、そうだった。そういえばそうやって虐めたな。なんだ、覚えていたのか。俺はすっかり忘れていた、言われるまでな」
この男、腹痛で一日ぐらい意味もなく寝込めばいいのに。
「俺はこの女のことが好きじゃない。だから、徹底的に打ちのめしたいんだよ。さっさと離婚させてくれないものかね」
気絶した妻を目の前に、介抱もせず明け透けに言い放つ。情が微塵も感じられない。結婚をしたのに、夫婦という枠からはみ出している。二人で一つ。そんなことは全くない。壊れた夫婦関係だ。
「こんな朝早く、こいつは何をしていたと思う? こんな朝早く、散歩でもしていたと思っているのか?」
クロードはカナリア様を抱き上げた。雑な抱き上げ方だったので、腕がぽろんとはみ出す。
「目が覚めて、たまたま散歩していただけでしょう」
「初心だな。朝帰り、見たことがないのか。そうか、リストはあれで女の影も見えんからな。お前を手籠にしたという話ばかり聞く」
「下世話は話はいいわよ。朝帰りって、カジノとかオペラ? 舞踏会や夜会はもう行われていないわよね」
「察しが悪い。愛人の家から帰ってきたに決まっているだろ」
少し、戸惑った。子供が出来れば愛人を作ることを容認される。カナリア様にはお子がいた。だから、愛人がいること自体に違和感はそこまではない。ただ、私が受け止めきれないというだけだ。
クロードはろくでもない男だ。さっきのやりとりを見る限り、夫婦間も悪い。クロードにだっているのだから、カナリア様にだっていていいだろう。
無理やり自分を納得させる。
「相手は分かってる。ザルゴ公爵に憧れた自称芸術家を気取る男爵だ。カナリアのことを美の女神だと崇拝しているらしくてな。下手な肖像画があいつの部屋に飾られているのを見た」
嫉妬の気配はなく、ただ心底馬鹿にしたような響きがあった。本当に、クロードはカナリア様のことをどうとも思っていないのだろう。
「身分はどちらかというと釣り合いが取れていないな。ルコルス家と血縁関係にある家だから、勢力として敵だ。馬鹿な女は手を出してはいけない男に淡い憧れでもあるのか。そういえ男にしか心惹かれない?」
当て擦られているが、無視する。いちいち聞いていてもしょうがない。
「お前だって、朝帰りなのでしょう。お互いに愛人のところにいた」
「そう、俺もまた愛人のところにいた」
女性ものの香水の臭いがしていたから、間違いないと思っていた。そもそも、そうでなければこんな朝早くに起きていないはずだ。クロードだって、典型的な夜型の人間だ。カナリア様を責められない。
「だが、俺はまだ分別がある方だ。カナリアがいなくなった後、くっつくつもりはない。相手の方はそれを望んでいるかも知れないが」
「……どうして? 好きだから、通っているのではないの」
「まさか! 気に入っているのは体だけだ。愛だの恋だの妄想するのはよしてくれ。胸焼けがする」
意味が分からない。妻に向けられない愛情を捧げられる相手だから付き合っているのでは? そうでないのならば、ただ肉欲を処理するために付き合っているのか?
「その言葉はカナリアにこそあてはまる。こいつは、俺ともし別れたらそのお気楽男とくっつくつもりらしい。馬鹿だよなあ、そんなこと出来るわけないのに」
カナリア様はファスティマ王国の王族だった。だが、大戦で負けて今はアルジュナの公爵家だ。離婚したら、アルジュナに戻ることになるだろう。ライドルに骨を埋めることは出来ないに違いない。きっと帰ったらアルジュナでの再婚が待っている。
「所詮は他人のものだから手を出せる刺激的な火遊びだ。人妻っていう響きは淫靡でたまらないものだからな」
「……お前のことが分からないわ。どこか他人事。お前の妻の話なのよね? どうとも思わないの」
「全く」
クロードは真顔で首を振った。
「こいつと離婚しようが、このまま自堕落な結婚生活を続けようが、本当のところどっちでもいい。今はフィリップもいて、娯楽には事欠かないしな」
「お前が退屈しなければいい?」
「その通り。俺は退屈で死にそうなんだよ」
にやりと笑って、カナリア様を抱え直す。今度はきちんと腕を胸に置いてあげていた。恭しいとは思わなかった。ただ、気がついたからそうしてあげたと言わんばかりだ。
「お前との時間は悪くなかった。俺のことを嫌いな人間と喋るのが久しぶりだったからかもな」
「……お前を楽しませないように次から顔を合わせたら去ることにする」
「寂しいことを言うなよ。また楽しもうぜ」
絶対にクロードの娯楽のために消費されるものか。
クロード達が立ち去ったあと、サリーが心配そうに見つめて来た。そのまま離宮に戻る気になれず、息を吐きながら、歩き出す。
『塔』に行こう。あそこならば、誰もいないはずだ。
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