どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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『正直な話、そこまで大神を呼ぶのは現実的な解決ではない。あの神は降りてくるのがとても稀なんだ。この間会ったのだって奇跡的だった。もう顔すら見ないものだとばかり思っていたのだから。痛めつけて、はなおとめを瀕死にしても降りてこなければ、冗談では済まされない……。そもそも、痛めつけたら死に神が出てくるのではな』
「……? じゃあどうするの。私を痛めつけて、死に神を呼ぶ?」
『まさか、それは一番の悪手だ。あれは怪物だ。エルシュオンじゃないが、呼び出すのは遠慮したい。そもそも彼は背の皮のことをよく分かっていないだろうからね。あれは大神の領分で、死に神はその姿さえみたことがないだろう』
「……? では、どうするの。背の皮の記述が抜け落ちて、いよいよこちら側に干渉できなくなったのよね?」
『ああ』

 そうだと、マグ・メルは頷いた。

「ならばどうやってこの摩訶不思議な状態を解決するのよ」
『大神との接触は効率を重視しすぎた。着実な方法を取るべきだろう。――観測者を殺すか、予言書と繋がっている小さな予言書を壊す』
「……それはマグ・メル。お前の予想があっていたら、という前提の話でしょう?」

 背の皮と予言書。その関係と同じように予言書とその予言書――小さな予言書があるのではないか。
 マグ・メルはそれの仮説を元にしている。予言書を読む何者の存在によって、予言書が背の皮のような役割を果たしている。
 だが、しっくりくるようで、しっくりはこない。私は神様のことなんてよく分からないが、背の皮と予言書の関係性は教えて貰ったので理解できた。
 だが、そもそも、背の皮より劣った存在である予言書が、背の皮のようなものに成り果てることは出来るものなのか?
 出来たとして、それを観測しているのは、一体誰なのか。

「お前が言う仮説を元にするならば、おかしなことがある。予言書は自殺している。もし何らかの形で生き残っていたとしても、予言書がここにいるのならば、そもそも予言書としての機能が戻るはずでしょう?」
『はなおとめの言う通りだ。――大神はおそらく、予言書が生き残っていたときのために背の皮の記述が抜け落ちるような細工をしたのだろう。保険というやつだ。だが、方法が分からない。確かに、予言書は死んでいなくてはならない』
「死んでいるのに、背の皮から文字を盗んだというの? 予言書が?」
『……あらかじめ言っておきたいのだが』

 マグ・メルは噛んで含めるようにそういった。

『予言書が死んでいるからこそ、こんな真似が出来るのかもしれない』
「……? どういう、こと?」
『そもそも俺の推理のおおもとはどうして、だ。どうして文字が抜け落ちたのか。どうして、大神はこんな小細工をしたのか。この時計の中では、大神も理に縛られる。規律があり、規則がある。好き勝手に振る舞えるものか。無理をしているはずだ。そして、その無理をしても叶えたいものがある。だから、こう考えた。無理をせずともいい状況を作っているのでは、と』

 そうして言葉を探すように、声が揺れた。

『予言書の死を、大神は背の皮に書いた。そして、予言書は死んだ。だが、予言書が蘇り、記述が書き換えられれば何もかもなかったことになる。大神は危険をおかした。なのに、ご破産になるなんて、許せるわけがない。大神の権能を取り上げられてもおかしくない行為だ。つまり、後がない。となれば、記述が抜け落ちたのは、事故ではありえない』
「計画的なことだと言いたいのね」
『そうだとも。大神は、閉じた世界を作ろうとしているのやもしれない。だ干渉できない不可侵の地を。あるいはーー本当に譲り渡す気なのやも。死に神に』
「何を、譲り渡すの?」
『全てだ。この世の全て。大神の権能の全てを。賭けの話は知っているか』

 確か、どちらが早く食べれるか勝負をしたというやつか?

「神々の植物を、どちらがより多く口に運べるかという勝負のこと?」
『そうだ。大神は、そのとき、まだ剣神を名乗っていた。死に神も、術神と呼ばれていた。戦功の秀でた二柱が父神の前で争い、褒美にこの世界を貰い受けることに』

 剣神? 術神?
 剣神が大神で、術神が死に神なのか?
 神様は、名前がころころ変わる?
 いや、そもそも名前なのか?

『死に神が勝ったが、そもそも八百長のようなもの。どちらの神も、汚れ呪われ過ぎた。大神がうまく騙し、死に神から取り上げたがな。死に神は沈み、大神は理の外へ。最期には、この世界は死に神のものとなる。水底から神はいずる』

 滔々と流れるように、マグ・メルは言う。

『大神は死に神に何もかもを渡し、身を引く気なのかもしれない。だが、時を巻く理由が分からぬな。はなおとめを保護しようとしていたのだと思っていたが違うのか? 死に神の統治に、人は耐えられないだろうに。死に神は所詮、死に神。死に至る神に変わりはない。最期はこの世界と共に滅ぶ定めだ』
「……死に至る神? で、でも、死に神が統治するようになれば海が上がって魚達の時代になるのではないの」
『魚達が神を信じると? 祭壇を組み、祈りを捧げるのか? ――いずれ死ぬ神だ』
「神様は、その、死んだら妖精になるものだと思っていたわ」

 前に聞いたことがあった。妖精に堕ちた、と。あれが神の死だと思っていた。神は自殺できないと言っていたし、死という概念そのものがないのだとばかり思っていた。

『妖精になるのは禁忌を犯した神だけだ』
「禁忌……」
『伴侶を選ばなかった。世界の理を何度も破った、など理由は様々だが。……話が逸れたな。大神の目的は分からないが、目論見はおおよそ検討がついたと言っていいだろう。俺やエルシュオンからの干渉を恐れたのだ。はなおとめをこの世界に縛り付けておきたかった。だが、それでは理に反する。どれほど方法に疑念があろうと、俺の言うことに誤りはないはずだ。そちらに大神の予言書の予言書は存在する。それを壊せ。あるいは殺せ。観測者を殺しても構わない』

 そうすればとやはり熱のない声が告げる。

『俺が権能を持ってはなおとめの望む前の、正常な世界に戻してやろう』

 私の望みは元の世界に戻ることだ。だから、マグ・メルのこの提案は願ってもないことだ。
 だが、そもそもこの神の言うことは正しいのか? 正しいとして、大神の予言書――予言書の予言書があるという保証は? どこにあるのかも、分からないのに安請け合いは出来ない。
 マグ・メルのいうことに一定の理解は出来る。
 事故や突発的な異常事態ではなく、仕組まれたことであると考えるのは妥当だと思う。そもそも、背の皮自体をおかしくされているのだ、大神がまた手を加えたと考えるのは何もおかしくはない。
 だが、証拠が不足している。本当に大神が仕組んだことなのか? 
 誰か他の神がやったのでは?
 それに、やはり謎が多い。前に思った疑問が払拭されていない。予言書に、背の皮のような力があるのか?
 もしあったとして予言書を殺してもどうにもならなかったら?
 観測者というやつが倒せないような怪物だったら?
 盲目的に信じていいものなのか? マグ・メルだって本当のところ全てが分かっているわけではないのに?
 どうやっても信じられないと思った。マグ・メルのいうことを信じすぎのは危険ではないのか。
 殺せ、壊せ。言うだけならば簡単だ。だが、予言書は、人の形をしている。ならば、命を絶つのは人殺しだ。
 そもそも、私は予言書が戻ればーー蘇れば元の世界に戻れると言われていたはずだ。もしものときは酷い目にあうかもしれないがと言われていたが、こんなおかしな状況になるなんて……。


『メル、流石にはなおとめも困惑しているよ。そもそも、予言書だって死んでいるという話だったんだ。今更いると言われても困るだろう。――見つかるかも、分からないのだしね。観測者に関して言えばもっと未知数だ。本当にいるのかも分からない』

 マグ・メルの声がニコラの声に変わった。
 浅く息をつく。体のこわばりが少しだけ緩んだ。

『けれど、はなおとめ。楽観視もしていられない。焦らせるわけではないけれど、メルの言うことはそれしかもう思いつく可能性がないということでもあるんだ。大神がしでかしたことでないのなら、背の皮が壊れかけているということだ。そうなれば絶望的だ。もうどうやっても元の世界には戻れないし、終焉を震えて待つしかない』
「……つまり、私は大神によるものだと信じていた方がいいということね」
『でも、はなおとめ。そうだと考えていて構わないと思うよ。君が死に瀕したとき、大神は理を曲げてでも、君を生かした。執着されているのは間違いじゃない』
「……」

 信用するべきか、じゃない
 マグ・メル達は大神のせいだと思っている。そうでないと説明がつかないから。でも、違うとしてもいいと思っているのではないか。
 結局のところ、マグ・メルは当事者じゃない。任されたものを投げ出すことになり矜持を傷付けれて、怒り心頭なのかもしれないがこの世界の人間じゃない。背の皮の近くでそれを見つめる、神様とその伴侶だ。
 元に戻って欲しいのは私だ。
 私が元の世界に戻りたいのだから、私が頑張るしかない。マグ・メルに対して思った疑念もそこから来ているのだ。本当かどうか分からない。どうしてか分からない。謎ばかりで解決方法なんてあるのか。
 そういう問題に対して正しくて、合理的で、無駄なくやりたいと思ってしまっていた。
 無意味なことはやりたくない。無意味だと分かりもしないのならば、分かるまで考えて答えを出したい。……出して欲しい。
 誰かが瑕疵のない完璧な解答を携えてくれるまで流されるままでいたい。
 帰りたいと思う。けれど、どうやって帰ればいいか分からない。分からないから、帰れない。誰かが来た時と同じように瞬きの間に元の世界に戻れるようにしてくれるのを無意識のうちに待っていた。誰かのせいだと拗ねて絶望すれば、そのうちに解決すると思っていたのだ。
 でも、そんな甘いものではなくなった。誰かを害さなくてはならないかもしれない。

「ある男が私に言ったわ。そいつは、死んだ預言書から、背の皮を預かったのだと」
『背の皮を?』
「ええ。言い草から、きっと本当の意味での背中の皮なのだと思う。そうして、自分のコレクションに加えたと言っていた」
『……それで?』

 慎重にニコラが問いかける。私は一度口のなかにある唾液をごくりと飲み込んで、言葉を続けた。

「男が言うにはそのコレクションに加えた背の皮を眺めていたら、突然光ったのだとか。それで、私の目の前に現れたの」
『……もしかしてだけど、最初に受話器を取ったの、その男?』
「ええ……」
『こ、殺してないよね?』

 生きているとは思うけれど。
 口をつぐみ、足元へと視線を落とす。そして、気が付いた。
 ぽこぽこと沸騰するような音とともに床が揺れていた。
 人形師が人の姿を取り、私を抱えこむ。
 水柱が立った。受話器を飲み込んで、湧水のように部品ごと水が飛び散る。
 それでも、声が聞こえた。
 地鳴りのような、どこまでも響く声。

『――その男、殺せ!』

 マグ・メルの声だった。耳が痛くてたまらなかった。しばらく、びりびりと痺れて動けなくなった。
 釘が、手のなかにおさまった。小さな釘だった。
 釘は錆びて、先端が欠けて丸くなっていた。


「……さて。貧民を追うか」
「今までの話、聞いてしなかったの!?」
「聞いていたが、その前にその話をしていた。話の順としては、そちらの方が早かった」

 何事もなかったように、人形師は言った。さっきまで黒電話が浮いて、奇妙な話がいっぱい溢れていたと思うのだが!?
 それに、最後の言葉、聞こえていなかったわけじゃないだろう。マグ・メルは明らかに人形師を殺せと言っていた。予言書の予言書か、観測者か、どちらかだと思ったのだ。
 どちらなのだろう。この男が予言書の予言書?
 それとも、予言書を観測しているもの?
 あるいはどちらでもない可能性もある。マグ・メルの予想が全て外れた場合、この男は何の関わりのないただの人形師オクタヴィスだ。

「深く考えていたらあの貧民の残した血が消える。消えないうちに移動するぞ」
「ま、待って」
「死体は置いていけ。術を使って運んでやる気力はない」
「クロードは置いていけない。……運ぶわ」

 はあと大きなため息を吐いて、人形師は指を鳴らした。
 弾いた瞬間、指先が肉がむき出しになったように真っ赤になった。

「ちッ、さっさと行くぞ」

 重そうに、人形師がクロードを背に抱えていた。

「わ、私が」
「うるさい。お前は俺の脂汗を拭う係だ。本当に、こんな重たいもの、持ったことなんだぞ……」

 文句を言おうと顔を覗きこみ、本当に辛そうな顔を見て慌てて口を閉ざす。私ではクロードを抱えて運べない。そう思って、この男が代わりに持ってくれている。
 好意を利用することになる。身勝手な罪悪感を抱きながら、人形師の額をなぞる。信じられないほど冷たかった。

「お前、大丈夫なの。とても冷たい」
「知らん。もっと、拭け。睫毛が重い。くそ。こんなこと、どうして俺がやらなくてはならない」

 ぶつぶつと文句を言う癖に、ふらつく足元を決して止めようとしなかった。
 相手をせせら笑うのがお似合いの涼しげな顔が、苦痛に歪む。
 踏み出す足の付け根に、リストの手紙が無造作に突っ込まれているのが見えた。手を伸ばしかけて、止まる。今奪っても、きっと取り返されるだけだ。だから、今はいい。
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