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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む女神リナリナ。
女神はカルディアではなく、リナリナという名前だったと聞いた。いつの間にか、カルディアという名前になった……。
「天帝の時代を無理やり自分のものにした。だが、何もかも元通りとはいかない。なにせ書き写された歴史そのものが杜撰だった。女神には人への興味もなかった。恋いる男神の面影だけを追い求める神だった。だからこそ、歴は誤った方向へと進んだ。戻ったはずが一致せずチグハグになった。歴史には虫が集り、何度も穴が空いた」
「ま、待って。どういうこと?」
訳がわからなかった。戻ったと言っていたのに、書き写されたとはどういうことだ。
「大神の背の皮は知っているな? この世界の暦が書かれた神秘の書だ。書かれたものが実現し、世界に作用する。俺はその大役に選ばれた。もう何百年と、その大業を成している」
「……成しているって」
「俺は肉の器ではあるが、背の皮でもある。意識に差はなく区別もない。ただ、なすべきことを知っている。あの日、世界が繰り返された日。俺は貧民どもの追っ手に四肢をバラバラにされて棺桶の中にぶち込まれていた。元通りになった時にはーー俺の生きた歴史は悍ましい始末をつけられた」
「く、繰り返された? 悍ましい、結末?」
「革命が成功した。そして、馬鹿馬鹿しいことに革命家が死んだ。民衆どもは暴徒化し愚かなエヴァ・ロレンソンを嬲り殺しにした。女神は発狂して王都は水に沈んだ。――女神は狂ったしまいにペンを取り、背の皮に書かれた三百年間の記録を書き写した」
「書き写して、ど、どうなったの?」
「この暦が生まれた」
この暦と言ってザルゴ公爵がリストと私を順番に見た。
「元々この時代は天帝のものだった。実りある収穫を寿ぎ、人々は神に食と天の威を見る。飢えがなくなり、土地を巡った争いがやみ、人々は豊かになりーー飽食を貪る時代が幕をあけるはずだった。だが、女神がそれをひっくり返した。人々は性に奔放で恋狂う時代の再来だ」
「ど、どういう意味? 天帝の時代と女神の時代で何が違うというの」
「違うだろう。女神が統べるから兄妹が産まれる。女神はこう言っている訳だ。繁殖には二人が必要だと。凹凸揃えば人は増える。人は増え、栄えただろう? 数とはまさに、正義の証だ」
「……? そ、それは、つまり。女神が人に与える祝福みたいなものがあって、だから私達ライドルの民は兄妹で産まれることが多いということ?」
「そうだ。女神ではなかった時代には清族どもも兄妹で睦み合うだなんてトチ狂ったことはやらなかった。男と女さえあればいいなど、馬鹿げている。血が近ければ近いほど、精神に異常をきたしたものが生まれ来る。清族の妄執だな。女神信仰と人間憎悪の産物だ」
何を言っていると問い詰めたくなった。
だが、きっと問い詰めても私には分からないだろう。今、理解するのは無理だ。脳が悲鳴をあげている。
ザルゴ公爵はこう言いたいのか。
女神の癇癪が原因で背の皮の記述が書き加えられた。三百年間の歴史がまるまま書き写され、繰り返されることになったと。
「大神は女神の横暴を直すことがついぞ出来なかった。書き写された歴史は修正されず、歴史は進み、混沌の時代は去り、王権が復活した。歴史が書き写されたと言っても完璧ではない。三百年前と今では何もかもが違う。元々、全く繋がりのない歴史と歴史を繋げたのだからな。歪みが出る。それに歴史は不可逆。死んだ人間は死んだままだ」
「め、女神は死んだ人間のために背の皮の記述を書き換えたのではないの」
「違う。愚かだからだ。……『聖塔』で飼われていた清族も自死してしまったし、後釜のエヴァ・ロレンソンは革命にお熱で『聖塔』には一度も足を運ぶことはなかった。民に襲われ、屈辱のなか処断された。女神の憤りたるや、それは凄まじいものだっただろうな。だが、どいつも死人だ。蘇りはしない」
「女神は背の皮を書き写せば死人が蘇ると思ったの?」
「神の伴侶などいくらでも変わりがいるものだ。運命論を振り翳したくなるもの分かるがな、神の伴侶など聞こえはいいが、ただの生贄だ。資格があるものならばそれで構わないというのが奴らの思いだろうよ。実際、『聖塔』の男が死んだ後、清族達はすぐに神託を乞うた。代わりはすぐに見つかった」
聞いたことがある名前が出てきたけれど、話が全く入ってこない。理解の範疇をこえていて、おかしくもないのに笑ってしまいそうだった。
『聖塔』にいた清族の男がしんだあと、選ばれたのはエヴァ・ロレンソン?
革命家の?
「神が伴侶を選び損ねたら妖精堕ちするのは知っていたか? まあ他にも禁忌に触れれば堕ちるのだが、一番お粗末な堕ち方だ。神としての力は使えず、妖精としての格がおちれば消滅もありえる。女神はそれだけは嫌がっていた。期日までに、エヴァ・ロレイソンを得ようと思ってーー失敗した。今度こそ、己の伴侶と旅立つために記述を書き換えた。卑怯な手を使って婿探しを再開させたわけだ。伴侶探しよ、再びとな」
「……女神は伴侶を得たの?」
「それがなァ、はははは、笑える話だが、歴をやり直しても失敗した。やり直しても伴侶が死んだのだ。清族どもはもう神託の言葉さえ聞こえない。元々、女神の暦ではなかったからな。無茶を通せば通すほど、神の力が衰える。伴侶が誰であろうと、捧げる人間もいなければ、神の声に耳を傾けるものもいない! 書き写した記述は終わりを迎え、女神は妖精に堕ち、天帝は降臨した」
見ただろう、とそう言ってザルゴ公爵は笑う。
「今や天帝を飛び越え、死に神の時代になる。そうなればもはや終わりだ。背の皮には変えられない終わりが書かれている。いくら擦ろうと、上から書き直そうと決して消せない終末。……すなわち、死に神が世界を統べるとき、人は死に絶える。俺達の足掻きも終わりだ」
「――あ」
死に神が言っていた。魚達が頂点に立つ。人間は水に沈む……。
それとは別に関係があるのかないのか分からないことが頭の中に浮かんでは消えた。
死に神の眷属であったイヴァンがリストをエヴァ・ロレンソンだと言っていたこと。死に神がリストとギスランを地上に返したがらなかったこと。神の肌から流れ出す黒い文字。
よく分からない言葉。
「それらはーーの戴冠式に関わりがある。このままでは、またもやーーが繰り返すことになる。はなおとめ、これが、どういうことだか分かる? ーーが繰り返されるということだ。また、多くの人間がーーーーー。恐怖によるxx。悪意によるxxが生み出され、集団ヒステリーにより、次々とxが訪れる。もう、俺は見たくはない」
死に神は何を言いたかったのか、今でも分からない。けれど、死に神はこのことを言っていたのではないかと、うすらぼんやりと思った。錆びついた金具のように、動きが鈍い頭が疎ましい。
「な、ならばお前達は何をしているというの。こんなことに、何の意味があると?」
人形師は本を見つめている。――この本の頁が背の皮なのだ。こんなことをして何がしたいのだろう。大神が背の皮の記述を変えた。こいつはそれを受け入れた。小賢しい細工までして、元の世界に戻らないようにした。
なのに、結局は結末は決まっていて覆すことができない?
ありえない。こいつらは何かを企んで、まだその企みを隠しているはずだ。
「意味はなかった」
硬く、冷たく、しなびた声だった。
絶望を集めた瞳だった。澱んでいた。
「大神のやったことにも、俺達のやろうとしたことにも、何の意味もなかった」
無意識のうちに唇を指で引っ掻いていた。皮がはげる。舌で湿らせると、ぴりりと痛む。
――意味は、なかった?
それは、つまり。
全て徒労だったということ? こんな世界を作り上げて、死人を沢山だして、リストがギスランを殺してしまうような無情な世界が何の意味がないことだったと?
企みも、踏破も、大団円もない。この世界は失敗だったということ?
――嘘だ。嘘だわ。そんなこと、ありえない。
「大神は背の皮の記述より、ヴァニタスという言葉を失くそうとした。この地が水没するのはヴァニタスーーいや元々はヴァニタスという言葉ではなかったのだがな、そいつのせいであるところが大きい。あの犬はそれほど恐ろしい化け物だ。だからこそ、そいつの存在をこの世界から排除しようとしていた。殺しても死なない化物だ。存在ごと消してしまいたくなるものだろう」
「背の皮から記述がなければ、消えてなくなる?」
「そうなると、大神は考えたようだった。だが、そうはならなかった。アレは、死の概念そのものだ。死に神の別名を勝手に自分のものにして、生き残った」
「ヴァニタスは、死に神の名前の一つだった……?」
トーマが言っていた。死に神、冥王、地底の神、地下の魔物、死の化身。トート。ハデス、プルート、ミノス、タルタロス。死に神の名前は無数にある。
大神はヴァニタスを抹殺しようとした。背の皮の記述から名前を取り除けばそれが叶うと信じた。けれど、記述がなかろうと腐敗した犬のヴァニタスは生き残った。
「そうだ。そもそもは、人生のむなしさを表す言葉だったという。だが、今はもう死と同義だ。死に神がいたからヴァニタスが生き残ったのか、死に神がおらずとも、ヴァニタス自身が死そのものなのか、それすら分からない。そもそも、神代の時代の生き物だ。不死身の犬。どこから来たかもわからない。ただ、あの犬は人を破滅させる」
「大神は、私を生かすために背の皮の記述を書き換えたのだと聞いていたわ」
「それは自意識過剰なことで。……と、嘲笑ってもいいが、まあ、そう考えてもいいだろうな。このままいけば一週間もしないうちに俺達は死ぬ。みんな揃って溺死か発狂死、圧死、まあろくなものじゃない」
あれ、と思った。
ヴァニタスに殺されるのではない?
そういえばさっきからザルゴ公爵はヴァニタスが私達を殺すとは明言しない。ずっと、原因である、としか言わない。
「大神がそうだったとして、お前達は何をしようとしていたの。大神のたくらみは失敗して、ヴァニタスという化物は殺せなかった。でも、お前達は森に潜んで変なことをしている」
ちらりと見たリストは理解できないと言わんばかりに頭を抱えていた。唇をしっかりと閉ざして開きそうにない。
もう一度、唇を舐めた。皺だらけな唇が湿って少しだけ痛い。
ザルゴ公爵は人形師を一度ちらりと見て口を開いた。
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