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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「――愚かな。殺しだけが上手い神が、犬のように戯れるな」
空間が捩れて、マグ・メルが現れた。マグ・メルーー金髪の少女が大神を睥睨している。
手には虫で出来た槍があった。蠢く蟲たちを愛でて、ほうと視線がニコラに向けられる。
「ニコラ、ニコラ、お前が帰りたがっていた祖国だぞ」
「……ぼ、僕は……」
「だが、何ということだ。異界の化け物の寝ぐらと成り果てた。あの美しき天地が、今では何と、塵のよう。これだから、この世は嫌いだ。ニコラ、怯えているの? あはははは、なんて愚かなんだ。だから、人は嫌いだ。いくら男神が交じっているといっても、所詮は馬鹿な、下等な生き物のまま」
「……何なんだい、この世界は」
「うん? 元よりこの世界はこうだ。俺達が全て照らして見せた。人は最初、光を知らなかった。太陽の神が空に上がり、光を見せて盲目をとめた」
「何を……」
「この世の人間を父神が愛でてからコロコロとサイコロのように理が変わった。全く、俺がこのような珍妙ななりをするのも、元を正せば大神のせいだった」
マグ・メルは手の中にある槍を大神に向けた。彼はさめざめとした瞳でそれを見つめていた。
「この伴侶は堕落した。もう俺はニコラを必要としない。どうせこの身も妖精に堕ちる。――愚かなコトだ! 俺を仕留めるためにこの世に引き戻したの? はなおとめを殺すことも、ここまで来たら構わないのに」
「ぼ、僕がいらない?」
「そうだよ。ニコラは俺を讃えるモノだったのに、こんなに濁り、澱んでしまえば意味がない。俺も卑俗な妖精に堕ちる」
そういうと、マグ・メルの体が急に衰え始めた。
肉が腐り、虫が這っていく。眼球から、芋虫が飛び出してきた。それは羽化し蝶となってあたりを飛び回る。
ニコラはガタガタと体を震わせて、口から泡をふいた。
気が狂ったように目の中に指を突っ込んで掻き混ぜようとする。
「なぜ、こちらのせいにするのか。この男の心を砕いたのはお前だろうに、夏の神」
「砕いた? 俺の伴侶を見殺しにした恩情を与えてやったのに? なぜ、心が砕ける? これほどまでの譲歩を、俺はしたことがなかったのに?」
「……ごめんなさい、姉さん」
「謝るのは俺にだろう? どうして分からない? どうして、こうも愚かなんだ。人というのは脳のなかにおがくずがつまっているのか」
マグ・メルは苛烈に叱咤した。もはや、その体は可愛らしい少女のものではなくなっていた。
虫だ。魚の群れのように、体を構成する一つ一つが虫でできていた。腕も、目も、髪も、全部、虫でできている。
ぶぶぶぶと羽音がうるさい。
「お前の姉が俺の伴侶だった。俺の『聖塔』に入れ、神官達は宝石のように愛でた。けれど、お前の一族が愚かにも、諍いを起こした。俺の伴侶は死に、神官達はお前の男性器を切り取り、お前を俺に与えたな?」
ニコラはもうすでに言葉を話せる状態ではなかった。羽音を聞こえなくするために両手で耳を塞いでいる。
「俺はどの神より優しかったはず。違う伴侶が届いても怒りもしなかった。俺の伴侶を守れなかった愚図な神官達も虫に変えて祝福を与えてやった。あいつらの喜ばしそうな顔、今でも覚えているよ。こんな幸運に恵まれて幸せだと、何度祈られたことか! それなのに、お前の精神は汚れ、俺のために働こうともしない。大神のような神に引きずりこまれて、俺をよくも妖精に堕としてくれたね」
「そ、その姿……」
口を挟まずにはいられなかった。大神はニコラから既に手を離しているが、ニコラは逃げる様子がない。マグ・メルの元に戻るという選択肢はもう消えてしまっているのだ。
目を潰し、耳を塞ぐことだけがこの場でできる最良の選択なのだろう。
「その、少女の姿は……」
もう見る影もない少女の姿を思い浮かべる。可愛らしい少女の姿はもしかして、ニコラの姉の姿なのだろうか。
ニコラがいたのはゾルデックだったはずだ。悪徳栄える港町。今だって抗争が尽きない曰くつきの土地。
ニコラがどの時代の人間だかはよくわからないが、人が生きてきた間に争いがなかったことなどなかった。姉を巻き込まざるをえない事態になってしまったのだろう。
あるいは、もっと悪意があったのかもしれない。
フィリップ兄様がレオン兄様に感じたように。
むごたらしく死んでくれと、祈ったのか。
どちらにせよ、ニコラはここにいる。私に神に囲われるぐらいならば死んだ方がマシだと彼は言っていた。
……神の慈悲は慈悲ではないんだ。少なくとも、ニコラにとっては違った。
「可哀そうな伴侶の遺体だよ。俺のモノになるはずだったものなのだから、俺が貰ってもいいでしょう?」
ぶうんぶうんと羽音が笑っているようだった。
「僕を、僕を、女にした癖に? 姉さんの格好をして、姉さんみたいな顔をして、僕に命令した癖に? なんなんだよ、なんなんだよ、誰が働くって? 僕はお前に従う騎士でも、なんでもない!」
「そう?」
そういうとマグ・メルは拳を握った。
その瞬間、ニコラ自身も握りつぶされたようにして体がぐにゃりと縮み、肉塊になって散らばった。真っ赤な雨が一面を濡らす。
「――あ」
「よし、すっきりとした。ニコラ自身、俺のためになるつもりがないのならばこうしてやるのが慈悲というもの。そもそも死にたがっていたのだし」
「な、なんっ、で」
「妖精に堕ちてしまっては伴侶も何もない。特別視する必要がなくなっただけだ」
何でもないことのようにそう言う。
恐怖以外の感情抜け落ちる。マグ・メルを見つめた。
情も、愛も何一つ感じなかった。使えなくなった道具を壊すときのようにあっけらかんとしていた。
「さて、大神。これで人質は死んだよ」
「元々、人質になるとは思っていない」
「それもそうか。俺を堕とすために連れてきたのだものね」
マグ・メルはニコラの体だったものを素足で踏んで、嘲弄するように足先で弄んだ。
伴侶だなんて嘘だ。都合の良い名前を与えられているだけだ。
使える道具ぐらいの意味しかないんだ。
血が飛ぶ。ニコラの血だ。さっきまでそこにいた彼の髪が私の方に飛んできた。息が出来なくなる。腰が抜けそうだった。
大神が私の腕を掴んで後ろに隠した。キツイ、血の匂いがする。
ふいに、マグ・メルが息をのむ。あっと声を上げる間もなかった。ヴァニタスがマグ・メルに噛み付いたのだ。
「腐った犬め! 俺を食べようと!?」
虫が散り散りになり、砂嵐のようにあたりに無数に広がった。腐った犬はすえた臭いをさせて暴れ回る。
虫はいくら丸呑みになっても何度も違うものが現れた。それと同じようにヴァニタスも、いくら傷付いても元に戻ってしまう。
勝負がつかないというよりも殺せないと言う方が正しく思えた。
マグ・メルはもう人の体を捨て去って虫の塊になってしまっている。たまに聞こえる舌打ちだけが、彼が残す声だった。
他は全て羽音になってしまっている。
「――手を取れ」
大神は懇願するように手を伸ばしてきた。冷たい瞳が、私を見下ろす。
「夏の神はお前を殺すつもりだ。早く」
どうしよう。
視線が泳ぐ。ここまで来て、殺されるとなってもやはり大神の手を取りたくない。
私が帰りたいのはギスラン・ロイスターが生きている世界だ。フィリップ兄様がレオン兄様を殺さず、私はクロードと結婚しない世界。
リストが、誰も殺さない世界。
逡巡に苛立ち、大神が無理矢理、私の手を掴んだ。
その瞬間、後ろに引っ張られた。
腕が顔を覆う。まぶたの上に長い爪がのった。目玉を貫かれたような痛みが走る。
見開かれた大神の瞳が見えた。
「さあて」
男の声がする。ひどく愉快そうだった。
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