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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
278(※社外秘 日誌No.■■■)
しおりを挟むはっと、飛び起きる。
体のあちこちが軋む。目の前に大神はいない。
マグ・メルもヴァニタスもいない。
あたりを見回し、場所を確認した。
鉄の塊……? 甲冑のようなものがあった。人……なのだろうか? 生き物が入っているようで、うめき声? 鳴き声? が聞こえる。
とにかく見たことのないものが多かった。真っ白な壁と真っ白な床。甲冑のようなもの。動く……植物? なんだろう、生き物とも違う無機質なうねうねしたもの。
他にも、蒼く光る液体が宙に浮かんでいた。ぬめぬめと動きながら一定周期で元に戻る。
巨大な砂時計がくるりと回る。中には生きた鹿がいて砂を食べていた。
ことり、とカップが置かれた。黒々とした液体で満ちている。油のような臭いがした。
たが、人はいない。ひとりでにカップが動いたのだろうか?
人を探して歩き回ると、鉄の箱のなかに腕を投げ入れる者を見つけた。棘のついた痛々しい箱のなかに彼は恍惚の表情で手に持つ腕を全て投げ入れると、最後に身を投げた。
鉄の箱は側面からミンチ状の血肉を吐き出す。ガタガタと全て吐き出すとさっき身を投げたはずの男が肉をかき集めて口の中に頬張った。美味しそうに咀嚼してダンスを踊っている。
――怖くて、声がかけれなかった。
明らかに正気じゃない。
「え~……、こほん、こほん。この度は我が社の入社試験にお越し下さりありがとうございます。今回の採用試験担当のエンドです。本当は採用担当なんてもんじゃないんだが、人事課の人間はそこで自分の体をミンチにするのにこってるので俺が代わりに。えー、ちなみに課長代理はそこで透明人間になってコーヒーを飲んでいるので動線を横切らないように」
「…………」
「ん? んー? あれ、聞こえてない? 翻訳クン確かに起動してるけど。壊れちゃったか? どうしよ。俺には現地語の解析なんてできねぇし、困ったな」
「……聞こえては、いるけど」
つい、答えてしまった。
さっきから、変だ。全てが、変。この声だって、二重に聞こえる。雑音の上に言葉を重ねているようで聞き取りづらい。
「そ? 良かった、良かった。じゃあ、面接をするから」
「め、面接?」
「そうそう。採用試験だからな」
後ろから頭をぐっと押さえ込まれ、床に頭をつける。
見上げると、男がいた。橙色の髪。大きく生えた黒々とした角。一瞬、顔が崩れて見えたが瞬くと戻っていた。美しい容貌の男だ。
鼻は高く、唇は薄い。軽く吊り目で……。
瞳を覗き込んで、ぴしゃりと固まる。この瞳。この、目。
私達を覗き込んでいたあの空に浮かぶ瞳だ。
気がついた瞬間、目の前の男が男と認識できなくなった。大きな目玉のある獣だ。見下ろしている。化物が。
息が出来ない。喉の奥が渇く。唾液では足りなくて、舌を噛んだ。どろりとした液体で喉を満たさないと生きていられないと思った。
――血を嚥下して、夢が覚めるように冷静な心が戻ってきた。
飴のように傷口を舐めている血はとやがて止まった。
「我がノアズアーク工業の事業目的は、宇宙規模の社会貢献です。えぇー、こちらにいるわたくし、エンドはノアズアーク社が作った知能向上機械■■■■■君により、知能が向上し読み書きが可能となりました。そう、つまり我々はあらゆる生物の知能を格段に向上させることが可能なのです」
エンドと名乗った男は角がある以外は普通に見える。手に持つ紙を凝視しているが、その言葉は滑らかでつっかかりひとつない。真っ黒な尖った爪で紙を弾くと、続きを読み始めた。
「あなた方は幸運なことに我がノアズアーク社に選ばれた生物です。我々はあなた方と共に未来をより良いものにしたいと考えています。あなた方は選ばれた存在です。ぜひノアズアーク社と共に未来を掴み取りましょう!」
紙を床に投げて、へらりと男がこちらを見て笑う。
とてもじゃないが見ていられない顔だった。笑い慣れていないと、顔に書いてある。
「――確認を、させて」
「勿論、各人は契約前には必要なプロセスだからな。契約書にサインするときはきちんと条件を確認しないとな」
「ここはどこ?」
「うーん、よし。見せてやるよ」
そういうと、男は私の髪を掴んで引きずった。
立って歩くと言っても無視された。後ろから私の頭を押し付ける存在も、男からの許可がないからか手を退かさない。
「あれがお前達の星? 大地? ……世界、か?」
扉……というか窓に近い大きさのものを開けると、そこには青く広がる何かが見えた。本を開いたままにしたような長方形のかたちをしていて、歪な線が引かれている。よく見るとそれは海だった。そして山でもあった。
小さくて、ちっぽけに見えるのはもしかしてライドル王国だろうか?
まるでただの本に巣食う虫だ。それぐらい小さい。
地図で描かれたライドル王国は大陸の半分を支配しているような大きな王国だったのに。
遠くで小さな小さなゴミのようなものが海で動いている。船だと、気がついた時には呆然とした。ここは、空の上なのだ。あの目玉のように世界を見下ろしている。
それに気が付いた瞬間、脳から汗が出るような感覚がした。
まるで神にでもなったようだった……。
「お、お前は、異界の存在なの」
「異界……そっちでの俺達の呼称か? でも実際、俺達は雇用関係を結びにきただけだ。ほら、きちんと広告犬を出しただろう?」
「広告犬……。腐敗した犬のヴァニタスのこと?」
「ヴァニタスなんておしゃれな名前で呼ばれてるのか、アイツ」
男はちらりと自分の爪に視線を落とした。
「あれは侵略者だと、どの神も言っていたわ」
「侵略者ァ?! アイツ自体に兵器は積んでないぞ。あれはあくまで、広告犬なんだからな。ほら、広告見てきたんだろ? ここに来たのだって広告があったからだよな?」
「はあ? お前が勝手に私を攫ったのではないの」
怒りを込めて見上げると、男はカリカリと手の甲を掻いた。
「え、呼んでない。少なくとも俺は違う。そもそもやり方分からないし」
「……お前、人事担当でもないのでしょう? なぜお前が会社……のアズアーク工業? の代表面をしているの」
「あー……それは、その。深い事情があってぇ。……てか、ノアズアーク工業って長いだろ。N社でいいよ。みんなそう呼んでる。メトロボリスの優良企業の一つだ」
メトロポリス?
「お前が代表ではないのね?」
「違うけど……。え、何か無駄に偉そうだな……」
「ならば、座って話をしたいのだけど。後ろにいる奴を退かせて」
「……それは難しい。分かって欲しんだが、お前の後ろにいる奴は俺達の会社の従業員なんだよ。本当に久しぶりの仕事なんだ。あんたを押さえつける仕事が終われば給料もろくに払われない。娯楽品を買うぐらいの給料はあげたいだろ」
「勝手にお金を払えばいいじゃない」
「それは無理だ。給料管理は厳格でね。一つの誤魔化しもないんだよ。給料は俺の管理じゃないし」
意味が分からない。私は娯楽品をこいつの従業員に買わせるために汚い床に顔を擦りつけているのか?
「では、エンド。お前が屈んで。お前が大きくて、首が痛いわ」
「ああ、いいぞ。それぐらいならお安い御用だ」
男は簡単に座り込んだ。これでやっと無理に首を上げなくても済みそうだ。
……普通に座らせてくれればいいのに。
自分でも少し意外だが、さっきまで感じていた恐怖が消えていた。
この男が妙に気安いというのもあるだろうが、さっきから雇用だ、広告だと、なんだか俗っぽすぎる。本当に普通の会社みたいだ。
だからだろうか、こいつにもそこまで臆せずに声をかけられる。
「ノアズアーク工業……N社? まあ、どちらでもいいのだけど、代表者はどこにいるの。私はそいつと話がしたいのだけど」
「う、え、ええっと、ちょっと体調面で問題があってだな」
「病気でいないということ?」
「まあ、そうとも言えるのか?」
「煮え切らないわね」
そう言えばさっき、人事課の人間は自分をミンチにするのに凝っていると言わなかったか? それに、課長代理とやらは透明人間になっているだなんだと。
「お前以外に人はいないの」
「人? 人はーーいないけど。そもそも俺も人じゃない。人はお前だろ」
「……? どういうこと」
「俺達は魔族って呼ばれてた。あー……、もともといた世界で。このメトロポリスで飛び立つ前の居住区。そこには人はいなかった。人っていうのはお前達のための名称だ」
「魔族……? メトロポリスというのは?」
「この船のことだ。宇宙船だな。かっこいいだろ。俺達が作ったんだ」
ライドル王国から見上げた瞳は太陽と並ぶほど大きく不気味だった。
あの瞳がこの男のものであることは間違いないはずだ。だが、この男の瞳は今は私と同じぐらいの大きさに見える……。
いや、そもそも宇宙とはなんだ。空の上にあるものなのか?
空の上にある船? それがこの場所か? だが、こいつらはどこかからやってきたようだった……。
ヴァニタスは広告犬だと言っていた。確かに、私と相対したときあの犬はおかしなものを出した。
看板のように会社を喧伝していた。
けれど、だとしたら、大神が戦ったというのは? そもそも死なない犬が広告として利用されたのか?
「船……ここから、出るにはどうしたらいいの。お前は人事の人間ではないというし、私はここに望んできたわけじゃないの。早く戻らないと」
「戻るのか? どうして? あの星は、もうすぐ人が生きられない世界になるだろう?」
「どういう意味?」
「死にかけてる。青色のところが多くなってるだろ。海が陸を覆い尽くそうとしているんだ。神が逃げ出してよりひどくなったよな。メトロポリスにも来て恨み言を言っていた奴もいたよ。鎮圧するのが大変でさあ……」
恨み言をぼそぼそ言うエンドは突然上着を脱いだ。
そういえばと今更思う。こいつが着ているのは古めかしい貴族服だ。レースのついたシャツに、丈の短いズボン。ゴワゴワとした狐の毛皮。少し色褪せているように見えた。
というか、茶色に色がくすんでいる。
「お、お前達がヴァニタスなんて意味のわからないものをよこしたから」
「ん?」
「だから、世界が滅びようとしているんじゃない! あんな腐った犬のせいで」
「何を言ってる? 言っただろ、あれはただの宣伝犬だって」
「ヴァニタスは狩りをすると言っていたわ。私は先触れにも会った。人を追い込んで狩りをするのでしょう?」
「宣伝犬にそんなこと命令してない。そもそも、人を見つけたら広告を表示するだけの奴なんだよ、あいつは。あるとしたらプロパガンダ用のひ擬態ロボだけだ。喧伝する広告をうっとりと見る同種がいたら警戒心をといて耳を傾けてくれるのではないかと考えて作った人型のこと?」
言い訳のような言葉だった。
けれど不思議なほどすんなりと入った。
私自身、確かにヴァニタスに害されたことはなかった。
むしろ、それを相手取る神達の方がよっぽど恐ろしい存在だった。
天帝やマグ・メルを思い出し、ぶるりと体が震えた。マグ・メルにはあの犬は襲いかかっていなかったか?
「マグ・メルを喰らおうとしていたのに」
「楽園を喰らおうとしていた?」
「……? マグ・メルよ」
「……? 楽園だろう?」
何なんだ?
困惑したようにエンドは私を見つめている。
「翻訳君のミスか? なんか変だな。……人なのか?」
「神様よ。夏の神様で……。……翻訳君?」
「ん? ああ、これのこと」
そう言って、エンドは角を触った。一瞬、彼の輪郭が歪む。
獣にも、人が溶けた姿にも見えて息が詰まる。
「コレ、翻訳君って言うんだよ。他民族他種間での言語理解を促進する機械。簡単に言うと誰とでも喋れる機械だな。あんまり間違えないんだけど、珍しい」
「そんなものがあるの」
「あるよ。凄いだろ」
ふふんと男が鼻を鳴らす。
素晴らしいものを自慢する子供のようだった。
クロードが私とクロードが描かれた肖像画を飾ったときの顔によく似ていた。あの男は思っているよりずっと子供っぽい男だった。よく描けていると言って胸を張っていた。私はとても美化して描かれていると思ったけれど、楽しそうにしているクロードの顔が嫌いではなかった。
……じくりと胸が痛む。クロードのことを今は考えたくない。リストのことも。死んでいった誰のことだって、朧な意識の奥に閉じ込めたい。そうでもしないと口が縫われたように開かなくなる。目も開いていられない。真っ暗闇に放り込まれたように、何も見えなくなる。
「……ん、どうかした?」
「な、なんでも、ない。宣伝犬は神を襲っていたわ。それに、神に成り代わろうとしているのだと聞いた」
「なんだ、それ。成り代われるわけないだろ。意識があるわけじゃないし。ただ命令されて動いているだけで、生命体じゃないんだよ」
「なに、それ」
じゃああの崇高で神々しい神達はただの企業の犬と争っていたと言うのだろうか。
ただの呼び子と戦い、絶望を深めていた?
「嘘よ、お前達と神は戦ったと聞いたわ。侵略してきたと……」
「そりゃあ、俺達は沢山のものを送ったよ。中にはその、なんだ、神? とやらを撃ち倒そうとしたものもあった。それは俺達、商業連合の議決の結果、放出されたものだ。――お前達人を助けてやろうとだな、道義的な観点から」
「道義的? 侵略の間違いでしょう。そもそも、お前達は私達を雇用したいだけ。労働力が欲しいだけなのでしょう?」
「それは否定しないけど……。決めたのは俺じゃねーし。俺は軍事委員会の末端も末端だったし……」
なんでこいつはこんなに不貞腐れて、情けないんだ?
私達の世界を見つめていた瞳じゃないのか?
恐怖の存在だったのでは。その威厳はどこに消えた。
「軍事委員会……? お前、さっきから思っていたのだけど一体どの地位の人間なの。代表や社長ではないし、人事の人間でもないのでしょう? 工房の職人か何かなの」
まあ、会社などよく分からないが、こいつが金勘定が得意そうにはどうも見えない。ノアズアーク工業というぐらいだから、工具や金具などを作っているに違いないし、鉄道の部品や機械を製造している会社なのではないだろうか。
……摩訶不思議なものも多いけれど。翻訳君なんて正直なところ眉唾物の一品だ。他の国の人間の言語を翻訳してくれる機械なんて、ヴィクター・フォン・ロドリゲスでも発明したことがないはず。
「ん……。俺は警備課課長代理っていう役職がある」
「警備課……。騎士や警邏のようなもの?」
肉体派じゃないか。軍人の民間版。騎士が一番、近い気がする。
「そそ。メトロポリス在住N社警備課課長代理、コードネームエンド。ピリオドって呼ぶ人もいるけどね。どっちも終わりって意味があるんだってさ。俺が来るとどんな敵が沈黙するから」
「……つ、強いの?」
「そうそう、俺、強いの! 大当たり!」
興奮してエンドが伏せた私の手を握る。ぬちょりとした感覚だった。人の手じゃない。
一瞬、エンドの輪郭がぼやける。
……。
――――。
「おーい、大丈夫か?」
エンドが私に声をかけた。意識が戻り、視界が定まる。
私はさっきこの男の顔を見て何を思った?
何を。
どっと汗が噴き出してくる。妙だ。ずっと。
なぜ、こうも素直にこの男のことを受け入れている?
こいつを見ると、警戒心が消えるのは何故だ。額をぬぐおうとして、はてと首を傾げる。
――私は今、何を考えていた?
汗なんてかいていないじゃないか。
「え、ええ」
「なら良かった。――と、またか」
小さなナイフを取り出してエンドが窓へ切先を向ける。
窓の扉が水のように沸騰した。ぼこぼこと音を立てている。
にゅっと女の真っ赤な爪が窓から突き出してきた。げらげらと笑い声が聞こえてくる。マグ・メルの声だと、咄嗟に思った。
後ろで体を押さえていた男の重さが消える。
次の瞬間、顔に散らばったのは緑の液体だった。虫の触角がピクピクと視界の端で蠢く。
どろりと溶け出した下半身には透明な羽が生えていた。
悲鳴をあげようにも、言葉が出なかった。私を押さえつけていたのはカマキリによく似た人間とも呼称できない何かだったのだ。
「もう良い加減にして欲しいんだけど!」
爪を切り落として、エンドが叫ぶ。チカチカと笑い声が脳の中で響いている。
腕が現れて、肉感的な体が窓をすり抜けて入ってくる。
いつの間にかひれ伏していた。手をつき、頭を下げて目を瞑る。
――目の前に、神がいる。
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