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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「従者というのは、ただ背の後ろに侍る人間のことだと思っていたわ」
カードの柄を見ながらそう口にすると、イヴァンが目を丸くした。
「けれど、私の従者達は私の後ろに立ったことさえないのでは? これは由々しきことよ。名前はともかく、立場というものはきちんと認識していないのでは」
「そうは言っても。カルディアが夜会を開かないのが悪いのでは。平時に従者を背にしても何にもならないだろう。夜会でならばいくらでも立つのはやぶさかではないけれど」
「や、夜会!? そういうのは好きな奴にやらせておけばいいのよ」
「……カルディアと馴れ馴れしく呼ぶなと言わなかった?」
「言えなくなってしまうようですので、今のうちに沢山呼んでおこうかと」
凍えた眼差しをものともせず、イヴァンは言い切った。この男、開き直っていないだろうか。負けがこんだせいだろうか。
「……そう」
ギスランはじっとりとした眼差しをむけている。狂気を孕んだその瞳は、カードの上を優しく滑ると私へ向けられた。
「名前を濫りに呼ぶなど、不敬ですよね、カルディア姫」
「そ、そんなことより。夜会以外にも背の後ろに侍るときはあるのでは。ほら、例えば……」
例えばと言っておいて何も言葉が出てこない。
そもそも、従者とは必要なのか? 分からなくなってきた。
テウ以外は勝手になったのだし、別に侍らせる必要もないのでは。
「オペラを鑑賞するときとか? ……トーマは行かないと言いそうだけど」
「オペラならば任せて欲しいな。こう見えて音楽家なのでね」
「いやお前は音楽家としての仕事をしなさいよ。後ろで侍る前に」
オペラハウスで指揮者として指揮棒を振るっていてもおかしくない男だ。有名な楽曲をいくつも作曲しているし、ピアノの腕もピカイチだった。なんだってこんなところで破滅的なギャンブルをしてるんだ、こいつ。
「音楽家としての仕事か。まあそれも従者の役割の一つではあるかな。俺の栄誉は主人に栄誉、だね」
「お前の栄誉はお前の栄誉でしょう」
「従者をしたがえるということはそういうことだよ。何も名誉だけの話じゃない。俺が何か不祥事を起こしたとき、カルディアが非難される」
「お前が何かをやらかす前に酒とギャンブルは禁止にするわ」
「ならばこれが最後の賭けだね。興奮するな」
興奮するな。
「まあ、俺が不名誉を与えた場合、切り捨てて貰って構わない。これはテウもトーマも同意見だと思うよ」
「……切り捨てるって、そういうものではないでしょう」
例が極端だ。普通は謹慎や処罰ということになるのでは。
「けれど、もし、トーマが人としての姿を保てなかったら? お姉さんはそれでも従者だと思うの」
「何の話?」
「……お姉さんは知らないの?」
「トーマが呪いを受けたというのは知っているわよ。その、トーマが血まみれの姿を見ているのだし。けれど、人としての姿を保てないとは何?」
テウはカードに視線を移した後、降りると言ってカードを投げた。
ディーラーがかしこまりましたと一礼すると、テウはテーブルに肘を立てる。
「この間、トーマの寝室に無理やり入ったんだ。そうしたら、トーマの頭は鳥になってた」
――それは。
『乞食の呪い』だ。
太陽の下だと、鳥の頭になる。貧民が負わせたという呪い。
薬を飲んでいないせいで、そうなったのか!
テウにどう説明しようかと戸惑う。これは私の口から伝えていいものなのか?
清族達の秘められたことだ。暴けば無用の混乱を招くのでは。
「お姉さん……あ、いや、姫様はトーマがどうしてああなったのか、知っている?」
お姉さんとテウが呼んだ瞬間、ギスランの眼光がぎらついた。慌てて言い換えるテウにむず痒い気持ちになりながら、こくりと頷く。
「それなりには、知っているつもりだけれど。トーマは『カリオストロ』の襲撃にあったのよね?」
術を展開していたが破られたのだと聞いた。敵は臓器だったのだとも。
「敵は道鏡と名乗っていたらしいよ」
「東方の魔術師なのでしょう。少し、ノアに聞いた」
「煩悩無量誓願断と言っていたみたい。意味はあらゆる苦しみ、悩みの一切を断つ誓いということらしい。四弘誓願と呼ばれる誓いのことだけれど、一つの呪い言葉になっていたみたいだね」
「その呪いが、トーマを害したと?」
「トーマが瀕死なのは肉袋との同期がきれて、呪詛が自分に返ってきたからだよ」
「……肉袋?」
何だ、それ。
何の話だ?
「罪人や末期患者達を肉袋と称して生贄と捧げる人柱の儀式だよ。トーマが生み出した独自の術らしい。知ってた、姫様。トーマってば、これまでいくつも戦場に行って同じことをしてたんだって」
お姉さん、と呼びたそうにしながら、テウは可愛らしく首を傾げる。
「立派な殺人だよねぇ? 肉袋なんて、罪悪感を紛らわすための名称に違いないよ。でも、この間の防衛はトーマの術を主軸にしなきゃもっと被害が出てたんだよ? お姉さんも許してくれるよね?」
「……お前、私がお前を責めると思っているの」
お姉さんと呼びながら、テウは媚びるように私を見上げた。
もうギスランのことが眼中にないようだった。
「責めるでしょう? 何の罪もないわけじゃないけれど、人が死ぬのは悲しいことだもの。非人道的だと誹りを受けても仕方がない、とは思っているよ」
「お前がトーマにそれを強要したの」
「違うよ? トーマが自分で進んで作戦立案を行った。けれど、同じことだよね? 貴族は命令を下し、清族は実行する。それってつまり、責任は俺にあるってことでしょう?」
私の視線が怖いのか、テウはイヴァンのカードを覗き込む。興味なさげに指でカードを弾くと、テーブルに視線を下す。
「お前、トーマが寝込んでいるのが自分のせいだと思っているの」
「うん。……うん、そうだよね。そうだよ。でもおかしいことなのかな。俺、間違えないように沢山勉強したはずなんだ。でも、やっぱり全然駄目だった。どうしてこうなるんだろう。最善だったはずなのに」
「今更泣き言か? お前は私を害したときもそうだったのか?」
「それは関係ないはずです」
失念していたことを思い出し、血の気がひいていく。ギスランはテウに殺されかけたのだ。この二人を同じテーブルに座らせるのは間違いだった。だが、ギスランはテウのことを気にしていない様子だったのに……。
「人に殺されかけるのは慣れている、が。それはカルディア姫の目の前で同情をひくため囀ること? お前の偽善に、カルディア姫のお心を惑わせるな」
「お、お前、慣れているって! そんなの、慣れる必要がないでしょう! ……っ、ギスラン、最悪なことを口にしないで。お前が慣れていても、私は」
頭が熱くなる。何が殺されるのは慣れているだ。
私を庇って、死んだことがある癖に。悪態をつきたくなる。どうしても毒を飲んで死んだギスランの最期を思い出してしまう。
「しかし、罪人を従者にされたのはカルディア姫では。この男、貴族ゆえに騎士とも呼ばれているのですよ。力なきものが騎士とはお笑い種だ。カルディア姫に忠誠すら誓わぬ紛い物の分際で」
頭が痛くなってきた。くそ、カードなんてやっている場合か?
被害者と加害者が私の呼び名で賭けをしている異常な状態を許容できない。
したくない。
でもそれを許容させているのは私か? 私が一番、悪いのか?
「俺は忠誠を誓ってる! それにお姉さんが俺を従者にと望んだんだ。ギスラン様はそれを否定するの? 俺だけが、お姉さんに選ばれたのに? この音楽家も、死にかけの清族も押しかけてきたに過ぎないのに」
「テウ、お前は少し落ち着いて」
「お姉さんが言ってくれたんだよ? 許さないって。俺をいい子だって言ってくれたよね。家を守る、いい子。俺はお姉さんに弄ばれるために生きてるんだ」
「……へえ」
「お、お前! 変な風に言わないで」
確かに言った。忠誠を誓わせた!
だが、ギスランの前で詳らかにするようなことではない。
何だここは。私限定の地獄か?
イヴァンの私へ向ける目も心なしか冷たい。
「ギスラン、確かにお前を殺しかけた男を従者にしているのは私の罪だわ。けれど、私はテウを許すつもりはない。一生この男に、お前のことを傷つけさせないつもりで、下僕にしたの」
「今すぐにでも殺したい気分です」
「……お前に申し訳ないとは思うけれど、テウを殺させることは出来ないわ。この男の命は私のもので、他の誰にも譲ることはない」
イヴァンもカードを捨てた。テウに覗き込まれた時から既に表情が暗かったところを見るとどうにも手札が良くなかったのだろう。
……私とギスランの一騎打ちとなった。
「賭けの内容を変更しても? 勝ったらこの男の所有権が欲しいです」
「変更はしないし、それにしたとしてもお前は私に勝てないわよ」
カードを伏せて、賭け金を上げる。私のチップは蘭王に預けてきたので、ギスランの山から勝手に取り上げて賭けた。
ディーラーが何度も私とギスランを見た。この賭けはお遊びのようなものだ。賭け金は全部、ギスランのもの。これは最終的にギスランが勝つゲームだ。
「いい手札なのですか?」
「降りるならば構わないけれど」
「賭けます。降りる理由がない」
……強い手札なのか?
チップが乗せられる。
挑発的な態度に、胸が高鳴った。この高揚感こそ、ギャンブルの醍醐味だと、イルは言っていたのだろうか。
「テウはお前の手に余るわよ」
「料理人風情、どうとでも」
「料理人、ね。……テウ、お前、貴族扱いされていないのに、喜んでいない?」
テウの表情がにやけているのが気になる。
何故?
「……ともかく。テウのことも、トーマのことも、従者からおろすつもりはないわ。あいつから始めたこととはいえ、あいつはもう私のものだもの。たとえ姿形が変わろうとも私の所有物であることは変わらないわ」
「……そう、なんだ。うん、分かった」
「カルディア姫は多情で、本当に困ります」
誰が多情だ。……いや、こればかりはギスランを責められないか。
けれど、私のものだ。私のものを誰かに渡したくない。捨てたくもない。捨てるつもりもない。化け物だろうと、構うものか。
ディーラーがカードの提示を求めてきた。ゆっくりとひっくり返す。
一から五までのハートのストレートフラッシュ。
ギスランはキングのフォーカードだった。最後の一枚はスペードの一。
「……どっちもすごい手札だね」
「カルディアの勝ちだ」
ディーラーがチップを私の方へと移動させる。
ギスランは、私のカードを撫でた。
「お強い」
「これでお前も私をカルディアと呼べるわよ。良かったわね」
「お酷い、カルディア姫」
どっどっと心臓が鳴っていた。こいつ、フォーカードだったのか!?
余裕なわけだ。普通の手だったら負けている。
最初からストレートフラッシュが揃っていて良かった。
そうでなければ、負けていた。
「カルディアでしょう」
「……お名前をお呼びするのは、恥ずかしいです」
「ふうん?」
「カルディア、様」
「姫ですらなくなっているわよ」
「う、うう」
顔を真っ赤にして、ギスランが項垂れるようにカードに顎を乗せる。
涙目の瞳は今にも宝石がこぼれ落ちてきそう。
「カルディア」
「なあに、旦那様」
「っ、お、お酷い!」
……これ、本当に恥ずかしいな。
「……大好きです。カルディア、姫」
すっかり元に戻ったギスランは幸せそうにはにかんだ。
……まあ、この締まりのない顔を見れただけでも勝った価値がある。そう、思えた。
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